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金勇王  作者: 管澤捻
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第三章 金の支配01

 商業都市マガーリッジの一画にある安アパート。最低限の家具だけで満杯になってしまうような狭い部屋でローズマリー・クィン――ロージーは二回目の朝を迎えていた。使用した毛布を片付けてシャワーを手早く浴びるロージー。そして彼女がバスルームから出てきたところで、朝から姿を消していた同居人――デッドが玄関に現れる。


「おはようございます。こんな朝から一体どこに――あら?」


 デッドの腕に何か黒い塊が抱えられている。ロージーは怪訝に思いながらデッドの抱えている黒い塊をじっと見つめた。ここで黒い塊からぴょこんと耳が生える。「わっ」と一歩後退りするロージー。黒い塊がモソモソ動いてデッドの腕からヒョイと飛び降りた。


「これは……子犬?」


 ロージーは目を丸くして床に着地した黒い塊を見つめる。一見して黒い子犬。だがその子犬の額からは一本の角が生えていた。ロージーは何となく子犬の角をツンツンと触れてみる。それがくすぐったいのか子犬がプルプルと首を振り前足で顔を擦り始めた。


「こいつは魔獣だよ。スコールズ・ファミリーが飼っていたな」


 デッドが咥え煙草のまま返答する。その意外な答えにロージーは疑問符を浮かべた。スコールズ・ファミリーの魔獣。確かによく見ると、この子犬とその魔獣は瓜二つの容姿をしていた。だが魔獣は像ほどに巨大な体格をしており、このような可愛らしい姿では決してない。困惑するロージーにデッドが淡々とした口調で説明を始める。


「魔獣は魔女が使役する怪物で、主である魔女の力――魔術を継承している。この魔獣はその魔術で自分の体を小さくしたらしい」


「魔術で……そんなことが本当に可能なの?」


「科学とは概念の異なる不気味な力。それが魔術だ。理屈とか考えるだけ無駄だぜ」


 デッドがそう投げやりに言う。魔女が行使したとされる魔術。確かに深く考えても栓がなさそうだ。ロージーは自分を無理やりそう納得させて子犬の喉を優しく撫でてやった。子犬が赤い瞳を閉じて「くぅん」と魔獣らしからぬ甘えた声を鳴らす。


「この子が何者かは分かったけど……どうしてここに連れてきたの?」


「会社に押し付けられた」


 デッドが苛立たしげに煙草の煙を吐き出す。


「こいつは元々スコールズ・ファミリーと手を切る時、未返済の借金のカタにうちで回収してたんだよ。凶暴な魔獣ってなら高値で売れると思ってな」


「ちょっと――狂暴な魔獣を売りに出したりなんかしたら危ないじゃない」


「その手の説教は聞き飽きた。それはそうと、スコールズ・ファミリーから回収しようとしたその時、こいつが魔術で小さくなっちまったんだよ。これじゃあ魔獣として売り出すことも難しいってんで、会社が俺に管理を押しつけてきやがったわけだ」


 確かにこの愛らしい姿では魔獣として売るのは難しいかも知れない。子犬に偽物の角を貼り付けただけと疑われるのがオチだろう。ロージーは「ふうん」と呟きながら仰向けに寝転んだ魔獣の腹をわさわさと撫でた。


「だけどデッドさんに管理を任せるなんて会社も無茶をするわね。だってデッドさん、こういう小動物とか嫌いでしょ? 平気で虐待とかしそうだもんね」


「どういうイメージだ。まあ確かに動物なんぞ面倒だし嫌いだが……だけど仕方ねえ。今は魔術で小さくなっているが、いつまた元の姿に戻るかも分からねえからな。だから会社も俺に預けるのが一番だと判断した」


「……デッドさんに預けるのが一番?」


「こいつは俺の命令には逆らえない。こいつを抑え込めるのは俺だけなんだよ」


 デッドの言葉に首を傾げつつロージーは魔獣の体をヒョイと持ち上げた。


「それはつまりこの子がデッドさんに懐いているってこと? そんなことあり得る?」


「なんであり得ないと思うんだよ? 何にせよコイツの世話がお前に任せるからな」


「私が? だって懐かれているのはデッドさんなんでしょ」


「犬コロの世話なんぞできるか。コイツの世話もお前の仕事のひとつだ。いいな」


「ホント横暴なんだから」


 ロージーはそう愚痴をこぼして持ち上げた魔獣をじっと見やる。不思議そうに赤い瞳をパタパタさせている魔獣。その仕草がとても愛らしくてロージーは思わず頬を綻ばせた。


「まあいいわ。実は昔からペットを飼ってみたかったの。だけど屋敷には高価なものが沢山あるからペットに傷つけられたら困るって理由で飼えなかったのよね。でもこの部屋にあるものは安物だから傷ついても大丈夫」


「大丈夫じゃねえよ」


「ところで魔獣って何を食べるのかしら? やっぱり新鮮な血肉かしら」


「やっぱりって何だ? 知らねえよ。適当に残飯でも食わせておけばいいだろ」


「そんなひどいことできないわ。残飯ならデッドさんが食べればいいじゃない」


「それもヒドイだろ」


「あと名前も付けてあげないとね。どんな名前が良いかしら。せっかくだからエレガントで素敵な名前がいいわね。あと前衛的で革新的で、情熱的で神秘的で、生産的で良心的で、計画的で本格的で、独裁的で世紀末的なものがいいわ」


「結局何がいいんだ?」


「決めた。貴方の名前はポチよ!」


 デッドの表情がなぜか露骨に歪む。どうやらこちらのセンスに脱帽しているらしい。ロージーはそう勝手に決めつけて魔獣――命名ポチを胸に抱きしめた。


「……何でもいいが、さっさと飯の用意をしろ。仕事に遅れるぞ」


「今日も私が朝食を作るの? 昨日あれだけ文句を言っていたくせに」


「お前がグースカと眠っている間にも、俺は朝から働かされて疲れてんだよ」


 デッドが煙草の煙を吐きながらベッドに腰掛ける。ロージーが目を覚ました時には――結局二日目にして熟睡してしまった――すでにデッドは出掛けていた。疲労しているのは事実なのだろう。ロージーは「仕方ないわね」と嘆息する。


「作ってあげてもいいけど、今度は文句を言わないでよね」


「まともに食えるものならな」


「作ってあげるの止めようかしら」


「それともう一つ――今日はお前ひとりで滞納者の家を回ってこい」


 デッドのその言葉に、キッチンに立とうとしていたロージーは「え?」と目を丸くした。デッドが胸ポケットから一枚の紙を取り出してそれを床に放り投げる。


「その紙に今日取り立てる人間の名前と住所、借金額が記入されている。この二日間で経験した取り立てのテクニックを使って、一人でも多くの滞納者から金を回収してこい」


 デッドの無茶ぶりにロージーは「じょ、冗談じゃないわ!」と声を荒げた。


「私にお金の取り立てなんて無理よ! そもそも取り立てのテクニックって言っても、デッドさんはただ殴ったり脅したりでお金を回収していただけじゃない!」


「だからお前もそうやって金を稼いでこいって言ってんだよ」


「できるわけないでしょ! 暴力を振るうなんて野蛮な真似は御免だわ!」


「だったら色仕掛けでもしてみろ」


「もっと御免よ!」


「なら剥いでこい」


「なにを!?」


「とにかくだ――」


 デッドが頭を乱暴に掻きながら面倒くさそうに言う。


「これはもう決定事項なんだ。やる前からグダグダ文句ばかり言ってんじゃねえよ」


「そんな……そもそもデッドさんはどうして取り立てに付いてこないの?」


「俺は別の用事があんだよ」


「別の用事……またフウゾクとか言う場所に行くつもりなの?」


「そうなら楽で良いんだけどな――と、そうだ。忘れるところだった」


 デッドがポンと手を打つ。


「昨日会ったノーマンを覚えているだろ。あいつから今日連絡があった。話したいことがあるから家まで来てくれだとよ。空き時間を見つけて奴から話を聞いておいてくれ」


「その話したいことって?」


「詳しくは会ってからだとよ。電話じゃ話にくい内容なのかもな。また金を借りたいのか、或いは3Sについて何か思い出したのか」


「どちらも私が話を聞いたところで回答できそうにないけど」


「回答はしなくていい。今日中に話だけでも聞いて欲しいというのが先方の要求だ」


 話を聞くだけなら自分一人でも大丈夫だろう。ロージーは「分かったわ」と頷いてキッチンへと歩いていく。するとここで背後のデッドから「おい」と声を掛けられた。


「ところで朝食は何を作るつもりだ?」


「もちろん目玉焼きよ。昨日のリベンジをしてあげるんだから」


 ロージーはそう意気込む。この彼女の返答にデッドが重いため息を吐いた。



======================



「この――クソアマがぁあああああ! 舐めた口をきいてんじゃねえぞぉおおおお!」


 閑静な住宅街に怒声が鳴り響く。ロージーは「きゃああああ!」と悲鳴を上げて慌てて部屋を飛び出した。


「いいい、いきなり怒鳴らないでください!」


「やっかましいわあああ! このボケがあ!」


 ロージーが逃げ出してきた部屋の中から一人の中年男性が現れる。頭が半分禿げあがり汚れたタンクトップに短パンと清潔感が全く感じられない。ロージーは胸に抱いたポチをぎゅっと強く抱くと、いつでも逃げられるよう後退りしながら口調を強くする。


「わ、私はただ返せるお金があるのなら、きちんと返済してくださいとお願いしているだけです! ごく当たり前のことを話しただけで怒鳴られる謂れなどありません!」


「だからうるせえってんだ! 返す金なんぞねえって何度も言ってんだろうが!」


 大量の唾を飛ばしながら怒鳴る中年男にロージーは怯みながらも反論する。


「で、であれば部屋の至る所にあるお酒の空き瓶やパチンコ店の袋はなんですか!? お酒やギャンブルに使うお金があるのなら、少しぐらいお金を返してくれても――」


「これ以上グダグダぬかしやがるならぶっ殺すぞラァアアアアアアアア!」


 中年男性がフライパンやら鍋をロージーに投げつける。投擲物を避けながら慌てて逃げ出すロージー。背後から聞こえてくる「今度はただじゃおかねえぞ!」という中年男性の怒声に、彼女は涙を堪えて懸命に足を前に投げ出した。



======================



「貸したお金を返して欲しい……か。ふふふ、なるほどね。つまり君は僕にこう言いたいわけだ。貸したお金を返して欲しい……と」


 果てしなく無意味な確認をしてくる滞納者の青年にロージーは「え、ええ」と頷いた。伽藍洞とした狭い部屋で二人向かい合う青年とロージー。しばしの静寂を挟んで、青年がさらりと長い髪を揺らして柔らかく微笑む。


「とても愉快なことを言うんだね、君は。さては僕を笑わせにきた芸人さんだね」


「違います」


「その通り。君は芸人ではない。ふふふ、僕は初めから気付いていたよ」


「それはまあ……私がヘヴンズライフの人間であることは初めに説明しましたし」


「真理とは常に身近にあるものだ。そう、誰もが冷蔵庫の奥とかにしまっていたりする」


「あの……お金を返してくれませんか?」


 青年の言葉を無視して――というか理解できない――ロージーはすでに何度も口にした返済要求をした。青年がまたはらりと長髪を揺らして奇妙なポーズを取る。


「お金……か。何とも甘美で寒気のする言葉だろう。さては異世界魔王の名前だね」


「もしかして誤魔化しています?」


「そうかも知れないし違うかも知れない。逆説的にそうなんだろうね」


「そうなんですね」


「だがそう悲観することはない。僕は常に前を見て歩き続けているのだからね」


 青年がビシリとポーズを変えて声高に言う。


「僕の執筆した哲学書がミリオンヒットさえすれば君が追い求めている何とかというモノはすぐに手に入るだろう! 狂喜乱舞して眼球を抉るぐらい喜んでも構わないよ!」


「何とかじゃなくてお金なんですけど……その哲学書の売れ行きは好調なんですか?」


「いや、そもそもまだ発売していない。だが発売さえすれば阿保ほど売れるはずさ」


「……いつ発売するんですか?」


「女神の涙がこぼれる時。君にも理解できるよう要約するならば――それは未定だ」


「……貸したお金を返して欲しいんですが」


「貸したお金を返して欲しい……か。ふふふ、なるほどね。つまり君は僕にこう言いたいわけだ。貸したお金を返して欲しい……と」


 以降、このやり取りが繰り返される。



======================



「返したいのはやまやまなんだけどさあ、残念ながら手持ちの金がないんだよねえ」


 スーツを着崩した青年が悪びれる様子もなくそう言う。車のキーを指先で回しながらヘラヘラと笑う青年。その青年のすぐ横には一見して分かる高級車が止められていた。


「あの……その車は?」


「あ、コレ? もち俺の車だよ。どう? カッコイイっしょ?」


 ロージーの質問に青年がペチペチと車を叩きながら答える。車を隠そうとする気配もないその彼にロージーは何やら頭痛を覚えて自身のこめかみに指先を当てる。


「格好いいかは分かりませんけど、その車を売ればお金を返せるでしょう?」


「ええ? 勘弁してよお嬢ちゃん。車を持ってないホストなんて、胸のないグラビアアイドルみたいで人気が出ないじゃんよお」


 女性の価値を体で決めるような青年の発言に、ロージーは表情を険しくする。彼女のこの反応にも気付かないのか、青年が軽い調子で「あ、そうだ」と指をパチンと鳴らした。


「お嬢ちゃんもさ、俺が働いているクラブに遊びに来いよ。お金を返す代わりに色々とサービスしてやるからさ。お酒が飲めなくても結構楽しめるもんだぜ」


「私がクラブに? 興味ないので結構です。それよりもお金の返済――きゃあ?」


 無遠慮に近づいてきた青年にロージーは思わず悲鳴を上げた。目の前に立った青年がニヤニヤと笑いながら「そう言わずにさ」とロージーの顎に指先を触れさせる。


「一度だけ体験してみなよ。病みつきにさせて見せるからよ。お堅いのも結構だけど、多少は遊び慣れてないと、彼氏ができた時にお嬢ちゃんが苦労しちゃうぜ」


「だ、だから結構です。クラブになど行きません。それよりお金の返済をお願いします」


「そうつれないこと言わないでよ。何なら俺の車でクラブまで連れて行ってやろうか? うちは昼も営業しているクラブでね。俺もこれから仕事に行くところだったんだ。こんな高級車に乗れるなんてお友達に自慢できるぜ」


「この程度の車に乗れたからと一体何の自慢になると言うんですか?」


「強がっちゃって。可愛いな。何だか君のことを落としたくな――」


 ここでロージーの胸に抱いていたポチが青年の指をパクリと噛む。「え?」と間の抜けた声を漏らす青年。だがすぐに状況を理解したのか「うきゃあ!」と青年が絶叫した。


「イタイイタイイタイイタイィイイイイイイイイタァアアアアィイイイイ!」


「ああ、コラ! 駄目じゃないポチ! いきなり人に噛みついたりしたら!」


「ばなじでぇええええええ! ばやぐばなじでぇええええええ!」


「ほらポチ! この人が痛がってるでしょ! こういうことは悪いことなのよ!」


「ぎぃいいい! ぐぅうううう! べぇえええええ! ぼぉおおおおお!」


「もう……ポチったら仕方のない子ね」


「なんか君さ! 叱っているだけで全然引き離そうとしてくれないよね!?」


 涙を流しながらそう訴えてくる青年を無視してロージーはやれやれと嘆息した。



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