第二章 魔女科学研究所03
「いやはや……誠に申し訳ありません」
「パパもはんせいしているので、ここはどうかおんびんに」
ペコペコと頭を下げるノーマンと、その隣にちょこんと腰掛けているノーラ。なぜか胸を張ってうんうんと頷いている少女にノーマンがじろりと半眼を向ける。
「反省しているって……パパはノーラのために謝っているんだよ」
「そうなの? ありがとうパパ。にぱあ」
「いやそんな……天使のような笑顔を見せられても」
「パパぁ、ノーラこうきゅうぶらんどのばっぐがほしいの」
「それは違うパパ……って、もう、そんな言葉をどこから覚えてくるんだ」
呆れたように肩を落とすノーマン。だがその彼の表情はどこか緩んでもいた。口では叱りながらも娘が可愛くて仕方ないのだろう。「ばっぐぅ」と腕に抱きついている娘をやんわり引き剥がしつつ、ノーマンが「すみません」と眼鏡のズレを直す。
「男手ひとつで育ててきたためか、どうにも我儘な――元気な子に育ってしまいまして。少し目を離しているとイタズラばかりで手を焼かされています」
「そう……ですか」
「重ね重ね、お恥ずかしいところをお見せしてしまい申し訳ありません」
再度謝罪するノーマンに、ロージーは「気にしないでください」と微笑む。
「子供のしたことですから。それに子供は少しやんちゃなぐらいが可愛いですよね」
「そうだよねえ」
「ノーラは答えなくていいの。いやそう言って頂けると助かります」
ノーマンが苦笑しながらぺこりと頭を下げる。ほんわか和やかムード。その空気の中でデッドだけが一人仏頂面をしていた。どうもノーラに背後から驚かされたことを根に持っているらしい。不機嫌そうなデッドにロージーは小声で話し掛けた。
「デッドさんもそんな恐い顔しないでよ。ノーラさんが怯えるでしょ」
「……俺はガキが嫌いなんだよ」
デッドが煙草の煙を苛立たしげに吐き出す。
「言動に合理性がない上にくそ喧しいからな。近くにいるだけで苛つかせてくれる」
「心に余裕がないのね。子供のやることに腹を立てるなんてみっともないと思わない?」
「俺は迷惑なガキを叱ることもできない大人の方がよっぽどみっともないと思うがね」
デッドがそうぼやきながら煙草の煙をまた吐き出す。ロージーは「けほけほ」と煙を手で払いながらデッドに対して非難の目を向けた。
「子供の前でくらい煙草を我慢したら?」
「なんで俺が遠慮しきゃならねえんだよ」
「周囲に配慮するのは喫煙者の義務よ」
「うるせえな。煙草ぐらい好きに吸わ――」
その時、ピュッと間の抜けた音とともにデッドの顔面に水が掛けられる。顔面を濡らして目を丸くするデッド。唖然としているその彼に、いつの間にか水鉄砲を構えていたノーラがニンマリと笑う。
「お兄ちゃん知らないの? 煙草って体に良くないんだってパパ言ってたよ」
「……このクソガキ」
デッドが水に湿った煙草を握りつぶして拳を震わせる。怒りを滲ませるデッドに狼狽するノーマン。対してノーラはニッコリと笑うだけで怯えている様子すらなかった。
(正直なところ……少しいい気味かも)
ロージーは内心そうほくそ笑む。デッドがいくら睨みを利かせようとも笑顔を崩さないノーラ。そんな少女に根負けしたのか、デッドが舌を鳴らしてソファから立ち上がる。
「これで話は終わりだ。借金についてはこれまで通り遅滞なく返済すること。それと3Sについて何か思い出したら連絡しろ。以上。俺はもう帰る」
言うが早いか、部屋を出ていこうとするデッドにロージーも慌てて席を立つ。
「ああ、本当に申し訳ありませんでした」
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ばいばいね」
恐縮してばかりのノーマンと、にこやかに手を振るノーラ。ロージーは「またね、ノーラさん」と少女に微笑み返してから、デッドの後を追いかけた。
廊下を小走りして建物の外に出るロージー。彼女より一足先に建物から出ていたデッドが車の前で煙草に火をつけていた。ロージーはデッドの横まで歩いていき煙草を美味しそうにふかしているその彼に顔をしかめる。
「呆れた……早々に話を切り上げたのは煙草を吸いたかったからなのね」
「昨日話しただろ。俺は煙草を吸ってないと死んじまう特異体質なんだよ」
「またそんな……いつまでそんな下らない嘘を吐くつもりなの?」
デッドの言い訳に嘆息しつつ、ロージーはノーマン宅に振り返る。
「それにしても幸せそうな家族だったわね。昨日からギャングとか犯罪者とか、まとも人間と全然会えてなかったから、何だか二人の様子を見ていてほっこりしちゃった」
「まともな人間ねえ……まともな人間てのは初対面の人間に水ぶっかけるのか」
「それは貴方が煙草を吸っていたからで、ノーラさんは貴方の体を気遣ったのよ」
「絶対に違うと思うぞ」
「だけど生活は苦しいみたいね。こんな倉庫みたいな家で暮らしているんだもの」
「お前マジでそれ止めた方がいいぞ」
「やっぱり借金があるせいね。デッドさん。ノーマンさんの借金なんとかならないの?」
ロージーの質問の意味が分からなかったのか首を傾げるデッド。怪訝そうにするその彼にロージーは口調をやや強めて言う。
「だから借金額を減らしたり、いっそ無くしたりできないのかってことよ。ただでさえ厳しい生活をしている人から、お金を巻き上げることなんてないじゃない」
「何を言うかと思えば……できるわけねえだろ。奴の借金額は5万ガルだぞ。会社としては大した金額じゃねえが、そいつを免除してやる理由なんぞない」
「何よ、融通が利かないわね。5万ガルなんて月のお小遣いぐらいのものでしょ」
「だからそう言うの止めろっての」
「借金の返済がなくなれば二人の生活にもゆとりができるはずだわ。貴方がお金に対する執着を無くすだけで誰かを幸せにできる。それって素晴らしいことだと思わない?」
「そんなこと繰り返していたら、他人は幸せにできても俺たちが破産する」
「別に全員にそうしろってわけじゃないわ。幸せになるべき家族にぐらいは――」
ここで唐突にデッドがロージーの眼前に右手をかざす。やや困惑しつつデッドの右手を見やるロージー。デッドの右手には100ガル紙幣が握られていた。疑問符を浮かべる彼女にデッドが咥え煙草を揺らしながら言う。
「お前の二日分の給料だ。さっさと受け取れ」
ロージーは「私の給料?」とデッドから100ガル紙幣を受け取った。手渡された紙幣を不思議とまじまじ見つめてしまうロージー。デッドが右手を下ろして肩をすくめる。
「これで今日の仕事は上がりだ。お前はそれを資金に生活の必需品でも買い揃えておけ。いくら世間知らずでも買い物してアパートに帰るぐらいは一人でできるだろ」
「一人でって……え? デッドさんは?」
ぎょっと目を丸くするロージーにデッドがあっけらかんとした口調で答える。
「俺は野暮用。この車は俺が使うから、お前はバスで移動しろよな」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 私バスなんて乗ったことないんだけど――」
「初体験とはめでたいな」
「ふざけないで! そもそも貴方は私を一人にしてもいいの!? 私が一人になると逃げ出すかも知れないという理由で、アパートも同じ部屋にしたんじゃなかったの!?」
「とりあえず一晩過ごして、お前が後先考えずに逃げるような馬鹿じゃないことは分かった。少しはお前を信用して買い物ぐらい好きにさせてやろうと考えただけだよ」
それは恐らく嘘だろう。信用だ何だと言いながら、彼はただ自分都合でこちらから離れたいに違いない。根拠がないながらロージーはそう直感して瞳を半眼にする。
「貴女の野暮用って一体何なの? 私が一緒だと何か不味いことでもあるの?」
「不味いって言うか……お前にはまだちと早いと思っただけだが?」
「早いって何が? はぐらかすのは止めてハッキリ言いなさいよ」
「まあ……風俗だが?」
デッドの発言にロージーは首を傾げて疑問符を浮かべる。
「フウゾク……? なにそれ。レストランとかお店の名前なの?」
「マジかお前……どんだけ世間知らずだよ」
「どういう意味よ。でもまあいいわ。私だって貴方と離れられるなら嬉しいからね」
ロージーはやや疑問を残しながらもそう自分を納得させた。デッドが肩をすくめながら車の運転席へと回り込みドアを開ける。
「もし迷子にでもなったら警察に保護してもらいな。気が向いたら迎えに行ってやる」
「馬鹿にしないで。買い物ぐらい迷わずに一人でやれるわ」
ロージーの強気な返事に、デッドが皮肉げに笑いながら運転席に乗り込んだ。
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一人で買い物ぐらいできる。そうデッドに啖呵を切ったロージー。だがそれは想像よりもひどく困難であった。ロージーは商業都市マガーリッジで十七年間と暮らしてきた。だが彼女はこれまで目的地までの移動を専属の運転手に任せきりで、一人でどこかに遠出するという経験をしたことがない。ゆえに彼女には街の知識が絶対的に不足していた。
唯一土地勘があるのは、二日前まで通っていたキングストン聖女学院の通学路とその周辺ぐらいのものだ。ロージーは仕方なくバスを利用してその周辺地域へと向かった。
意外とあっさり目的地に到着してロージーは料金を支払いバスから降りる。周囲に広がる見慣れた景色。ロージーは「さてと」と口に出しながらこれからの行動を確認する。
「日用品を買うなら品揃えの良いデパートに向かいたいところなんだけど」
この地域にはロージーが以前頻繁に利用していたデパートが存在する。だがそれらデパートは商品の相場が高く、100ガルの資金では服を一着買うことすら難しい。
「そういえばコニーの付き添いで一度だけ訪れたデパートがあったわね。そこなら単価も安いし下着と服ぐらい揃えることができそうだわ。だけどどこにあったかしら?」
頭を捻るも思い出せない。だがこの周辺にあるということは確実のため通行人に話を聞きながら探せばいいだろう。ロージーはそう決意して一歩足を踏み出そうとした。
「――ロージーちゃん?」
聞き覚えのある声が背後から聞こえる。ロージーはハッとして背後に振り返った。ロージーから少し離れた場所。そこに一人の女の子が立っている。丁寧に編み込まれた青い髪のおさげ。キングストン聖女学院の制服を着用した小柄な体。思いがけない彼女との再会にロージーは反射的に口を開いた。
「コニー……」
目を丸くするロージーに、おさげの女の子――友人のコニーがパッと表情を輝かせる。
「やっぱりロージーちゃんだ。髪型と服装がいつもと違うから間違いかと思っちゃった」
パタパタと駆け寄ってくるコニーに、ロージーは驚きながらも表情を綻ばせた。時計を意識していなかったがどうやら学校の下校時間だったらしい。コニーがロージーの目の前に立ち止まり体をピョンと跳ねさせる。
「はわわ、こんなところで何しているの、ロージーちゃん? 今日学校に登校してなかったから、あたしすっごく心配してたんだよ」
「え、ええ、心配かけてごめん――すみませんでした。少しゴタゴタがありまして」
コニーが「そっか」と口調をやや落とす。ロージーが父から会社倒産を聞かされた時、コニーも近くにいた。ゆえにロージーの事情をすぐ察したのだろう。
「学校には戻ってこられるんだよね?」
「残念ながら……難しいと思います」
「……今はどうしているの? ロージーちゃんの家に電話しても誰も出なかったけど」
「屋敷にはもう誰もいません。私は……父の知り合いに預けられることになりました。それでこれからの生活の必需品を買おうとこの場所を訪れたのですが――」
ロージーはここで「そうですわ」と閃く。
「コニー、以前に貴女と一緒に訪れたデパートを覚えていませんか? 貴女がお気に入りだと話していたあの場所です。もし宜しければそこの行き方を教えてほしいのですが」
「それはいいけど……ロージーちゃんがいつも行っているデパートじゃなくていいの?」
「あそこは少々お値段が張るので……恥ずかしながら今は手持ちがあまりないのです」
「そうなんだ。うん、全然いいよ。それじゃあそこまで案内してあげるね」
ニコリと笑うコニーにロージーは「そんな」と頭を振った。
「そこまでして頂くのは申し訳ありませんわ。道さえ分かれば一人で向かえますので」
「そんなこと言わないでよ。せっかくまた会えたんだしお喋りしながら一緒に行こう」
こちらを気遣っているわけでもなく、彼女自身がそうしたいと望んでいる。コニーの嬉しそうな表情からそれを理解して、ロージーは「……そうですか」と微笑んだ。
「ではお言葉に甘えさせて頂きます。デパートまで宜しくお願いしますね」
「うん。それじゃあ早速――」
「あら――そこいるのはローズマリーさんではありませんか?」
コニーと一緒に歩き出そうとしたところでロージーはまたも声を掛けられる。コニーとは異なりあまり馴染みのない声。ロージーは困惑しながらも声に視線を向けた。視線の先にキングストン聖女学院の制服を着用した三人の女性が立っている。彼らの顔を見てロージーはすぐ気付く。あまり話したことはないが授業がよく一緒になる同級生だ。
「このような場所で偶然ですね。今日は確か学校をお休みされていたはずですが」
同級生の女性三人がニヤニヤとした笑いを浮かべながらロージーに近づいていく。どことなく三人からイヤな気配を感じながらもロージーは無理やりに笑みを浮かべた。
「事情があり学校は休学させて頂いています。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「あらあら、そうでしたの。病気でもなされたのかと心配していたので安心しました。因みにその事情と言うのは――もしかしてクィン商会が倒産したという話でしょうか?」
ロージーはぎくりとする。別に会社の倒産を隠していたわけではない。ただ会社からの公式発表がまだないため発言を控えていただけだ。女性三人がロージーの目の前に立ち止まる。動揺するロージーを見やり女性三人の笑みがさらに不気味に歪んでいく。
「その反応……どうやら噂は本当のようですね。まさかあの貿易商として最大手に数えられるクィン商会が倒産してしまうなど一体誰に予想できたでしょうか。ローズマリーさんもさぞかし大変でしょう。同情いたしますわ」
「それは……お気遣いありがとうございます」
「私ね、実はずっと前からローズマリーさんに憧れていましたのよ」
女性三人の内、真ん中にいた背の高い女性が穏やかな口調で語り始める。
「だってそうでしょう? 国内でも有数の大企業――クィン商会。貴女はそのご令嬢なのですもの。資産家が集まるこのキングストン聖女学院においても貴女は一歩抜きん出ていました。それだけではなく貴女は学業においても常に首位をキープしていた。貴女こそが淑女たる私たちの目指すべき姿なのだと、私はそう考えておりましたのよ」
「そ、そのようなことはありませんが……」
「ご謙遜なさらずとも結構。しかし何ということでしょうか。そんな貴女が――」
背の高い女性が瞳をニンマリと曲げる。
「まさかこうも――堕ちぶれてしまうとは」
その一言にロージーは息を呑む。この会話を聞いていた女性二人がクスクスと肩を揺らす。何も言い返せないロージーに背の高い女性が声高に続けた。
「現実とは残酷なものですね。誰からも羨望の眼差しを向けられていたはずの貴女が、一転して無様な貧乏人に成り下がってしまったのですから。本当にご愁傷さまですこと。さぞかし会社を倒産させたお父上をお恨みになられたことでしょう」
「……私がお父様を恨むなど……そのようなことありませんわ」
「ローズマリーさんはお優しいのね。それとも強がりなのかしら。何にせよ、もはや貴女と私たちとでは住む世界が違いますの。これは貴女のためを思っての忠告ですが、不用意に学校には近づかないで下さらない。通報でもされたら貴女も困るでしょう?」
ここで背の高い女性の視線がコニーへと向けられる。女性の視線にびくりと肩を震わせるコニー。沈黙する彼女を見つめて背の高い女性が「貴女は確か……」と口を開く。
「ローズマリーさんといつも一緒にいた生徒ですね。貴女もお友達がこのようなことになり災難でしたね。でも安心して下さい。これからは私たちが貴女のお友達になって差し上げますから。お近づきのしるしに、これから一緒にお茶でも致しませんか?」
「え……いやその……あたしロージーちゃんとデパートに行く約束していて……」
コニーの躊躇いがちな言葉に背の高い女性が「まあ」と心底驚いたように目を見開く。
「それは危険ですよ。貧乏人と二人きりになるなど、何をされるか分からないではありませんか。もし誘拐でもされたらどうなさるおつもりですか。貴女もキングストン聖女学院の生徒ならば付き合う相手は慎重に見定めなければなりませんよ」
「誘拐って……ロージーちゃんとは前からの友達だから……そんなわけないよ」
「いいえ。可能性は十分にあります。彼女はもはや以前のローズマリー・クィンではないのですから。貧乏人とは浅ましくもお金に執着するものです。お金のためなら何をしてもおかしくない。そもそも学校を辞めたはずの彼女がこの付近にいることが怪しいでしょう。資産家の人間が集まる学校近辺で獲物を物色していたのではありませんか」
「そんなことないよ。ロージーちゃんは――」
「もういいのです、コニー」
口調を強くしたコニーの声を遮って、ロージーは力なく微笑する。
「デパートはやはり私一人で行こうと思います。場所もこの辺りの人に尋ねれば教えてくれるでしょう。だからコニーは何も気になさらなくて大丈夫ですよ」
「ロージーちゃん……でも――」
「本人が良いと仰っているのです。無理強いしては却ってご迷惑でしょう」
戸惑うコニーの腕をやや強引に掴んで、背の高い女性が柔らかい微笑みを浮かべる。
「先程は少々言い過ぎてしまいましたね。しかし貴女もこれからは自分の立場を弁えて、疑われるような行動は控えたほうが賢明ですよ。ではごきげんよう」
女性三人がコニーを連れてロージーから遠ざかっていく。女性に腕を引かれながらもコニーがチラチラとロージーを見やる。だがその彼女の視線に気付きながらもロージーは顔を俯けたまま立ち尽くしていた。そのまま一分が経過。女性三人とコニーの姿が見えなくなる。ロージーは俯けていた顔を静かに上げると溜息を吐きながら苦笑した。
「そうでしたね……私はもうここに居ていい人間ではないのでした」
自分はもう資産家の娘であるローズマリー・クィンではない。借金のカタに売られたロージーなのだ。ロージーは改めて自身の現況を自覚すると――
コニーたちが去っていた方向とは反対方向に独り歩き出した。




