第一章 ヘヴンズライフ02
商業都市マガーリッジ。それは首都にも引けを取らない発展した街である。隙間なく敷き詰められた高層建築物。整備された道路を疾走する無数の自動車。近代化の象徴ともいえるそれら光景が、商業都市マガーリッジの経済が豊かであることを示していた。
「一体どこに行かれるのですか?」
ヒッチコック食堂から車を走らせること三十分。助手席にいたローズマリーはそう尋ねながら運転席を横目で見やった。運転席には黒髪を首筋で束ねた男が座っている。ヘヴンズライフという貸金業者の人間。デッドだ。
ハンドルを操作しながら沈黙するデッド。ローズマリーの疑問に反応すらしない。彼の咥えている煙草の煙に咳き込みつつ、ローズマリーは口調を強くして再度尋ねた。
「一体どこに向かわれているのですか?」
「……俺の部屋だよ」
デッドが面倒くさそうにポツリと答える。若い男性の部屋に連れていかれる。その事実にローズマリーは表情を青くした。デッドが煙草の煙を吐き出して肩をすくめる。
「別にお前を取って食おうってわけじゃない。余計な心配なんぞするな」
「……ではなぜ貴方の部屋に?」
「色々と準備があるんでな」
デッドのぶっきらぼうな回答。ローズマリーは「準備?」と首を傾げるもデッドからそれ以上の返答はなかった。ローズマリーは仕方なく口を閉じて窓の外に視線をやる。
(これから私はどうなってしまうのでしょう)
父の意志により身売りされた。正確には担保であるが、一年後までに父の借金が返済されなければ、自分は本当に売られてしまうらしい。ほんの数時間前。キングストン聖女学院で授業を受けていた時には想像すらしていなかった事態である。
(それにしても……まさか犯罪者と生活をともにする羽目になるとは……)
これから自分はどうなってしまうのか。彼女の胸中に重い不安が広がっていく。
「――着いたぞ。さっさと車を降りろ」
ローズマリーはハッとする。どうやら考え込んでいる間に目的地に到着していたらしい。すでに車を降りているデッドに倣いローズマリーも慌てて車から降りた。
車を止めたその場所には一棟の古い建物があった。各階に三部屋。二階建てのため計六部屋あるようだ。ローズマリーは建物を眺めつつ思ったことを素直に口にする。
「これは……鳥小屋でしょうか? しかしそれにしては少々汚いようですが」
「……俺が借りているアパートだ」
デッドの思いがけないその言葉にローズマリーはぎょっと目を見開いた。
「こ、ここがアパート!? まさか貴方はこんな汚い場所に暮らしているのですか!?」
「随分な言いようだな。屋根がある場所で暮らせるだけでも上等なことだろ」
ローズマリーは驚愕しながらも改めて目の前にある建物を見やる。どう見ても人間が暮らしていくための建物には見えない。ローズマリーは目を細めて眉間にしわを寄せた。
「し、しかしこのような小さな建物でどう暮らしていけば良いのでしょうか。六部屋ありそうですが、キッチンとバスルームで二部屋、それとベッドルームにダンスホールと――」
「俺が借りているのは一部屋だけだ」
指折り数えていたローズマリーはデッドの驚愕の発言にまたもぎょっと目を見開いた。彼女の反応など無視してデッドがアパートにスタスタと歩いていく。ローズマリーは困惑しながらもデッドの背中を追いかけた。
階段でアパート二階へと上がり、手前から三番目の扉の前まで進んでいく。扉の前に立ち止まったデッドが安っぽい鍵で扉を開錠、アパートの部屋へと入る。扉の前でしばし立ち尽くすローズマリー。彼女は躊躇しながらも意を決して部屋に入室した。
「……うっ」
部屋に入室してすぐローズマリーの口から思わずうめき声が漏れる。建物の外観からある程度の覚悟はしていたが、実際部屋を目にすると息が詰まるような狭さだ。屋敷にあるお手洗いほどの広さすらない。こんな窮屈な場所で本当に人が暮らしているのか。ローズマリーにはそれが到底信じられなかった。
「これに着替えな」
デッドが部屋の隅にあるクローゼットから服を取り出して床に放り投げる。床に放り出されたその服はデッドが着ているものとよく似ている上下の黒スーツであった。
「あの……この服は一体何なのでしょうか?」
「学生服で仕事する奴なんぞいないだろ。だからそれらしい服に着替えろってんだ」
「仕事とは?」
「ヘヴンズライフの仕事――つまり貸金業の仕事に決まってんだろうが」
デッドの言葉にローズマリーは「はぁ!?」と素っ頓狂な声を上げた。
「貸金業の仕事って……わ、私にそのような仕事をしろと言うのですか!?」
「当たり前だろ。お前まさか一年間、働きもせずに俺から衣食住を養ってもらおうと考えていたわけじゃねえだろうな」
担保として過ごす一年間。最低限の生活は保障してくれるとのことだったが、どうやらそれは労働の対価として与えられるものだったらしい。寝耳に水なこの話にローズマリーは「冗談ではありません」と頭を振った。
「どうして私が労働などしなければならないのですか!? 私が担保だというのなら、貴方にはそれを管理する責任があるのでしょう!?」
「担保として預かったものだろうと糞尿垂れ流すだけの奴を無償で管理なんぞできるか」
「糞にょ――て、訂正しなさい! そのような言い方は失礼ですよ!」
「事実だろ。それともお前の生活費をシェードの借金に上乗せしてほしいのか?」
ローズマリーは声を詰まらせる。父の借金総額は聞いてない。だがこれ以上、父の負担を増やすのは望ましくないだろう。沈黙したローズマリーにデッドが皮肉げに笑う。
「納得したようだな。しかしテメエを売っぱらった父親を心配するなんざお人好しだな」
「お父様は素晴らしい人格者です。これもきっと深い考えがあってのこと。お父様が私を不幸にすることなどあり得ませんわ」
「同じようなことを言って地獄に落された連中を俺はごまんと知っているがな」
「お父様は違います。そのような方々とは一緒にしないでください」
「何でも良いさ。さっさと服を着替えな」
この話題についてこれ以上話すつもりはないのか、デッドが投げやり気味にそう言う。ローズマリーは憮然としながらも黒スーツを拾い上げてキョロキョロと視線を巡らせた。
「あの……更衣室はどこでしょうか?」
「んなものあるか。この場で着替えろよ」
デッドの耳を疑うこの発言にローズマリーは「この場って」と目を丸くした。
「貴方の前でということですか!? そのようなことできるはずがないでしょう! 更衣室がないのであれば、せめて貴方がこの部屋から出ていってください!」
「駄目だ。目を離した隙に逃げるかも知れないからな」
「淑女の着替えを覗こうなど紳士的な振る舞いとは言えませんよ!」
「俺は別に紳士じゃない。それとどうも勘違いしているようだが――」
デッドの瞳が音もなく鋭くなる。
「お前にはもう自分を自由にする権利なんぞない。お前は担保としてヘヴンズライフに売られたんだからな。お前の心も体も、人生でさえも、全てが俺たちの所有物だ」
ローズマリーは息を呑む。心も体も人生でさえも売られた。自分の全てが金銭に変えられた。ローズマリーは自身が絶望的な現状にあることを改めて理解する。
「時間の無駄だ。さっさと着替えろ。それとも無理やり引っぺがしてやろうか?」
デッドの言葉は脅しではない。それを直感してローズマリーは奥歯を噛みしめた。しばしの間。動かないローズマリーに痺れを切らしたのかデッドが一歩足を進める。だがその直後、ローズマリーは素早く窓へと駆け寄り窓のカーテンを強引にはぎ取った。
デッドが踏み出した足を止めてポカンとする。ローズマリーは手早くカーテンを体に巻き付けると近づこうとしていたデッドを牽制するように睨みつけた。
「カーテンを借ります。この部屋で着替えるのならば文句はありませんね」
「……まあな」
デッドが煙草の煙を吐き出してニヤリと笑みを浮かべる。
「着替えが終わったらすぐに出るぞ。今日やるべき仕事がまだ残っているからな」
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キングストン聖女学院の制服から黒スーツに着替え、ついでに動きやすいよう髪をポニーテールにまとめて、ローズマリーはデッドの運転する車に再び乗せられた。赤信号での停車中。運転席にいたデッドが懐から何かを取り出してローズマリーにそれを放る。
「これは……名刺ですか?」
デッドが放ったのは革製の名刺入れで、その中には数十枚もの名刺が入れられていた。ローズマリーは名刺入れから一枚の名刺を取り出して記載内容を確認する。
「ヘヴンズライフ営業部――ロージー?」
「ローズマリー・クィン。その名前は今日限りで捨てろ」
デッドが咥え煙草をユラユラと揺らしながら淡々と言う。
「クィン商会の名前は有名だからな。お前がその娘だと知られると色々と面倒だ」
「面倒とは?」
「クィン商会を恨んでいる連中がお前に復讐しようとする可能性もあるってことだ」
デッドが正面に視線を向けたまま口元をニヤリと曲げる。
「デカい企業なればなるほど、その企業を恨んでいる連中も増えてくる。特にこれから会う連中は誰かを恨んでいないと正気を保てないような変人ばかり。予防は必要だろう」
「クィン商会は誠実な会社です。誰かに恨みを買うような真似など致しませんわ」
「別にクィン商会があこぎな商売をしていると非難しているわけじゃない。それとそのまだるっこしいお嬢様口調も止めておけ。普通の話し方をするんだ。いいな、ロージー」
普通と言われても困る。ローズマリー――ロージーは頭を悩ませながら口を開いた。
「ふにゅう、ひとつ質問してもいいかにゃあ」
「……それのどこが普通の話し方だ?」
「ち、違いましたか? えっと、ひとつ質問しても良いかしら……?」
「まだちと固いが――なんだ?」
「これからヘヴンズライフの仕事をする……のよね。具体的に私は何をすればいいの?」
「新入りのお前にいきなり働いてもらおうなんざ考えてない。今日は現場を見て仕事を覚えてもらうつもりだ。その仕事内容は顧客様との熱いコミュニケーションだな」
「コミュニケーション?」
デッドの運転する車が停止する。車の正面にはデッドのアパートよりもさらに寂れた集合住宅が一棟あった。デッドが車から降りるのを確認して、ロージーもまた助手席から外に出る。デッドが集合住宅を眺めて「平たく言うと」と会話の続きを口にした。
「借金を返さない『滞納者』共から――金を取り立てる仕事だよ」
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「ごめんくださーい、と」
デッドが気の抜けた挨拶をしながら扉を躊躇なく蹴破る。蝶番が外れて部屋の中まで吹き飛んでいく扉。デッドの突然の暴挙にロージーは目を丸くした。
「ちょ、ちょっと何をして――あ!」
デッドが扉の外れた部屋にズカズカと入室する。ロージーは慌ててデッドの後に続いた。デッドのアパートと同様狭苦しい部屋。床には大量のゴミが散乱しており変な臭いが充満している。ロージーは鼻をつまみながらデッドに尋ねる。
「ど、どういうつもりなの? どうしていきなり扉を蹴破るような真似を?」
「扉を開けてくれねえからな。蹴破って入るしかねえだろ」
「しかないって……そもそも貴方、ノックすらしてなかったじゃない」
「どうせ居留守しやがるんだ。ノックしたところで意味ねえよ」
デッドの滅茶苦茶な言い分にロージーは声を失った。部屋を眺めていたデッドが不満げに眉をひそめる。目的の人物が部屋にいなかったのだろう。ロージーはどうにか気を取り直すと沈黙するデッドにやや非難がましく言う。
「どうやら部屋の主は留守のようね。扉を壊す必要などなかったじゃない」
「いや……そうでもないぞ」
デッドが足元から棒きれ――椅子の脚のようだ――を拾い上げる。一体何をするつもりか。首を傾げるロージーの前でデッドが棒切れを振り上げる。そしてすぐ近くにあるゴミの山めがけて棒切れを乱暴に叩きつけた。
「――い、いぎゃあああああああ!」
悲鳴が上がった直後にゴミ山から人が転がり出てくる。ゴミ山から姿を現したのはボロボロの衣服に無精髭を生やした中年男性であった。頭を抱えて呻いている中年男性を見下ろしながらデッドが棒切れをポイと捨てる。
「かくれんぼって歳でもないだろ? 舐めた真似はしないほうが身のためだぞ」
「ひ――ひいいいいいい!」
ゴミ山に隠れていた中年男性が引きつるような悲鳴を上げる。中年男性の頭から流れている生々しい血。デッドが振り下ろした棒切れで殴られた傷だろう。デッドが中年男を見下ろしながら「さて」と抑揚なく言う。
「お前には三ヶ月分の滞納金があるわけだが、今日は幾らほど返してもらえるのかね?」
「ど、どうかご勘弁くださいぃいいい!」
中年男性が叫びながら土下座する。
「お金を返したい気持ちはやまやまなのですが払えるお金が1ガルもなく! か、必ず来月には滞納分を含めてお返ししますので、どうか今日のところはご勘弁ください!」
「なるほど。俺の思い違いかも知れないが、確か先月も同じようなことを話していなかったか? お前を信じてやりたい気持ちもあるが、そう何度も信頼を裏切られたらな」
「そ、それは……仕事で使っていた車を売られてしまったので……」
「あのスクラップ車のことか? つまり金を返せないのは俺が悪いと言いたいんだな」
「め、滅相もございません! ただ私にはもう売れる物さえ残されていません! どうか今回だけはご勘弁ください! この通りです! お願いします!」
「売れる物がない……ね。確かにそれなら払いたくても払うことができないか」
デッドが独りごちるように呟く。この呟きに中年男性がぱっと顔を上げる。何かを期待するように表情を輝かせる中年男性。デッドが穏やかに微笑んで――
中年男性の顔面を蹴りつけた。
「――ひぃ!」
ロージーの口から短い悲鳴が漏れる。鼻や口から大量の血を流してうずくまる中年男性。痛みに肩を震わせるその彼からあっさり視線を外して、デッドが足元から何かを拾い上げる。その何かとは中年男性の口から飛び出した数本の歯であった。
「何だよ。売れる物がないって言ってたが、ここにちゃんとあるじゃねえか」
デッドが拾い上げた歯をティッシュにくるんで懐にしまう。涙に濡れた瞳を恐怖に震えさせている中年男性。顔面を蒼白にしたその男にデッドが穏やかな口調で語る。
「身ひとつあれば売れる物なんぞ幾らでもあるんだよ。この折れた歯だって入れ歯の材料として取引できる。お前の残っている歯も、毛髪も、皮膚も、骨も、眼球も、臓物も、血の一滴に至るまでが全部、金に換えられる」
「あひゃ……ひぃやあああああ……」
「数本の歯じゃ大した額にはならねえが、今回はこれで勘弁してやる。前回のスクラップ車が思ったよりも金になったからな。だが次は歯だけで済ませる気はないぞ。もし金を工面できないなら、体の隅々まで綺麗にしておけ。少しでも高く売れるようにな」
デッドが立ち上がり部屋の出口へと歩いていく。大量の血と涙を流したまま表情を強張らせている中年男性。その彼のどんよりと沈んだ瞳。そこにはもはや生気がない。呆然と立ち尽くしているロージーをさらりと横切り、デッドがあっけらかんとした口調で言う。
「何をボケっとしてんだ? 次の取り立てに行くから、さっさとついて来い」




