第五章 ローズマリー・クィン03
デッドは赤い瞳を輝かせてポツリと言う。
「同調率50%」
先程まで狂ったように攻撃を仕掛けていたドラゴン。その動きがぴたりと止まる。意識を支配する魔術。それによりドラゴンの動きを支配したのだ。もはやドラゴンの身体機能は完全に掌握した。やろうと思えば、ドラゴンを操作して自害させることも可能だろう。
「とはいえ不死身のコイツを殺すことはできないか。つくづく面倒な奴だな」
デッドは嘆息しながら思案する。とりあえずドラゴンを操作して、ドラゴンの体をバラバラにでもしてみよう。それで死ぬなら良し。それでも再生するようならドラゴンを放置して施設を脱出するのがいいだろう。そう決断してデッドは――
「デッドさん!」
ここで聞き慣れた声が部屋に響いた。
デッドはドラゴンへの指令を一時中断して声に振り返る。視線の先には子犬サイズのポチを抱えたロージーの姿があった。デッドのもとまで駆け寄りゼエゼエと息を荒げるロージー。彼女の目元が何やら赤い。ロージーが呼吸を整えつつ碧い瞳を尖らせる。
「ノーラちゃんを殺すのは止めて!」
「お前まだそんなこと言ってんのか?」
何を急いでいるかと思えば下らない。デッドはひどく呆れて嘆息する。
「こいつは俺たちを殺そうとしたんだぜ。俺がこいつを殺すのも正当防衛だろうが。とはいえ、そう簡単に殺せそうもないけどな。場合によってはここに放置するつもりだが」
「それも駄目よ! こんな場所に放置していたらノーラちゃんが3Sの人たちに利用される! ノーラちゃんに悪いことなんてさせられないわ!」
「だったらどうしろってんだ? そのポチみたく飼えってのか? そいつみたく小さくなれるならともかく、こんなデカい魔獣なんぞ部屋に入らねえだろうが」
「だから何とかしてほしいの!」
「何とかって何だよ?」
「デッドさん――貴女ならノーラちゃんを人間の姿に戻せるんじゃないの!?」
ロージーの思いがけない言葉。デッドはつい沈黙してしまう。デッドのこの反応で答えを察したのか「……やっぱり」とロージーが口調をさらに強くした。
「戻せるならお願い! ノーラちゃんを人間に戻して! デッドさん!」
「……お前が一人でその可能性に辿り着くとは思えないな」
デッドはそう呟いて鋭く舌を鳴らした。
「そうか。ノーマンの野郎の入れ知恵か。魔女科学研究所の元研究員である奴なら、俺の魔術の特性を知っていてもおかしくない。余計なことを吹き込みやがって」
「……やっぱり本当なのね」
「……ノーマンの野郎はどうした?」
何気なくした問い。この質問にロージーの表情があからさまに沈んでいく。
「ノーマンさんは死んだわ……自分のこめかみを拳銃で撃ち抜いたの」
ロージーの回答。それを何となく予見していたデッドは「そうか」とニヤリと笑った。彼のこの反応が気に食わなかったのだろう。ロージーの表情に苛立ちが浮かぶ。
「何が可笑しいの?」
「別に可笑しくはない。ただ理解に苦しむだけだ。もっともそれはノーマンの奴に限った話じゃないがな。研究員なんぞどいつもこいつも頭がイカレている」
「ノーマンさんはイカレてない。ノーマンさんはノーラちゃんを助けたかっただけよ」
「じゃあ何か? 奴が死んだのはこちらの同情を少しでも引くためか?」
デッドは肩をすくめて嘲笑を浮かべた。
「だとしたやはりイカレている。奴が死のうと生きようと俺にはどうでもいいのにな」
「貴方は、ノーマンさんが命を懸けてまでしたお願いを叶えてあげたいと思わないの?」
「あいにくと俺は合理主義者だ。お前みたいに後先考えずに喚いたりしない」
デッドは挑発的にそう話してロージーが何かを言うより前にすぐ言葉を続けた。
「ノーマンの娘を人間に戻せと言ったな。それが可能だとしてお前はどうする気だ?」
「ど、どうって……?」
「人間に戻したそのガキをどうする。ガキを保護するノーマンの奴はもういないんだぞ。あんなガキが一人で生きていけってのか?」
「そ、それは……引き取り手を探すわ。彼女の身内に連絡を入れれば――」
「借金にまみれたガキを引き取りたいと思うような物好きが果たしているかね」
ロージーが声を詰まらせる。沈黙した彼女を見据えつつデッドは淡々と話す。
「ノーマンの借金額は約5万ガル。ノーマンが死んだのなら当然借金はその娘に相続される。そんな厄介者のガキを身内であろうと誰が引き取ろうと思う」
「貴方は……あんな小さな子供にまで借金を押しつけようというの!?」
「でなければどうする。俺たちが損失を丸かぶりすればいいのか? 借金を帳消しにすれば満足か? それが優しさだとお前はまだそんな勘違いしているのか?」
デッドの口調が鋭さを帯びていく。
「いい加減に気付きやがれ。お前のそれは優しさじゃない。ただ高みから相手を見下しているだけだ。お前に気に入られた人間だけが借金を免れて、そうでない人間は破滅しろと言っているようなもんだ。お前に他人の人生を左右する権利なんかないんだぞ」
「わ、私はそんなつもりなんか……」
ロージーの声が尻すぼみに消える。少なからずこちらの言い分を理解したのだろう。力なく顔を俯けるロージー。沈黙したその彼女にデッドは嘆息混じりに告げる。
「俺たちはただの貸金業だ。相手の人生に干渉できるほど立派なもんじゃない。だからこそ相手が誰であろうと平等に仕事を完遂する。それが金を扱う人間の責任だ」
「……」
「もし俺たちに何かできることがあるとすれば、ここでガキを殺してやることぐらいだ」
顔を俯けたままのロージー。デッドはそんな彼女を見据えつつ締めの言葉を口にする。
「例え人間に戻れたところで借金返済のために自分の人生を買われるだけだ。誰かの所有物として一生を過ごすぐらいなら、意識がないうちに殺してやるのも情けだろう。好き好んで不幸になる人生をくれてやる必要もない」
ロージーから返答はない。顔を俯けたまま動かない。納得しているのか。納得していないのか。デッドは嘆息する。彼女の理解などどうでもいい。自分はやるべきことをやるだけだ。デッドはロージーを横切りドラゴンへと近づいていった。不死のドラゴンを本当に殺せるのか。それは試してみなければ分からない。デッドは意識を集中して――
「……勝手なこと言わないでよ」
デッドは足を止めると首だけを回して背後に視線を向ける。顔を俯けて沈黙していたロージー。その彼女がデッドへと向き直り、その表情を激しく怒らせた。
「好き好んで不幸な人生をくれてやる必要はない? 何よソレ。人生を買われた人間は全員が不幸だってそう言いたいの。ふざけないで。私はまだ――諦めてなんかいないわ!」
ロージーが碧い瞳をギラギラと輝かせる。
「私の人生も貴方たちに買われた! 確かにこの数日間は地獄のようだったわ! すごく苦しかった! すごく辛かった! だけど貴方に不幸だなんて決めつけられる覚えなんかない! 私の幸不幸を他人の貴方が勝手に決めつけたりしないで!」
ロージーの感情的な反発。デッドは嘆息して彼女から視線を外した。
「人生を買われたからと不幸になるなんて分からないでしょ! 苦しくて辛いこともあるかも知れないけど、そこで幸せを見つけることができるかも知れないでしょ! それなのにどうして諦めようとするの! 幸せになろうと考えることすらダメなことなの!?」
ロージーの耳障りな声を無視してデッドは止めていた足を動かす。そして――
「貴方だって幸せになっていいはずじゃない」
その言葉にデッドの足がピタリと止まった。
「貴方もヘヴンズライフに人生を買われた。だったら貴方も不幸なの? 幸せにはなれないの? 貴方がそうだから周りもそうだって言いたいの? 貴方は前に、人の命も人生も換金できて、その逆も然りだって、そう話していたわよね。貴方が言うように、もし人生を買われたことで不幸になるのなら――」
ロージーが一呼吸の間を空けて言う。
「自分の人生をまた買い戻せばいい。それが貴方の話してくれたお金の在り方でしょ」
デッドは正面を向いたまま沈黙する。背後から聞こえてくるロージーの声。その声にはかすかな涙が滲んでいた。デッドは赤い瞳を細める。目の前にいる黒色のドラゴン。魔術により自由を奪われた魔獣。もはやこの魔獣に為す術などない。彼女の人生は――
デッドの手の内に握られている。
「ノーラちゃんを人間に戻して。結果的にそれは彼女を不幸にするかも知れない。だけど幸なのか不幸なのか、その選択は彼女にさせてあげたいの。デッドさん……お願い」
「……断る」
ロージーが声を詰まらせる。デッドはゆっくり背後に振り返りながら――
「俺はサポートするだけだ。ガキを人間に戻す役目はお前がしろ」
胸ポケットから煙草の箱を取り出した。
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「……え?」
ロージーは目を丸くする。デッドが煙草の箱を乱暴に破いて箱の中にある煙草を全て取り出した。一体何をしているのか。呆然とするロージーにデッドが淡々と話を進める。
「魔女の力を制御する方法。それは至極単純だ。自身の中に取り込んだ魔女の意識を抑え込むこと――つまり魔女の細胞に自分の意識を喰われなければ魔女の力を制御できる」
「魔女の……意識?」
「ただし単純ではあるが容易じゃない」
デッドが空になった煙草の箱を適当に捨てて今度はライターを取り出した。
「魔女の力は強大だ。普通の人間ならその力に抗えずに意識が圧し潰されて消滅する。だからその意識が消滅するよりも前に、誰かがその意識を叩き起こしてやる必要がある」
「……具体的に私は何をすればいいの?」
「お前とガキの意識を俺の魔術で接続する。そこでガキの意識と話をしてこい」
デッドが十数本の煙草の先端にライターで火をつけていく。十数本の煙草から灰色の煙が上がる。デッドが十数本の煙草をまとめてふかして口から大量の煙を吐き出した。
「意識の優劣が逆転すれば魔女の力を制御するのはそう難しくない。お前はそのきっかけを与えればいい。奴が自分の意識の手綱を掴むことができれば人間の姿に戻るはずだ」
「あの……それは何をしているの?」
「魔女の力を抑制する」
デッドがドラゴンの前に火のついた煙草をばら撒く。煙草の煙を浴びてドラゴンの全身がピクピクと震えた。疑問符を浮かべるロージーにデッドがまた淡々と言う。
「この煙草は特別製でな。魔女の力を抑制する効果がある。すでに魔獣化している魔女の力を完全に抑えるまでにはいかないが気休め程度にはなるだろ」
「あ……それではデッドさんが煙草をいつも手放さないのも?」
「魔女の力を制御できると言っても、毎度気を張っているのも疲れるんでな。この煙草で魔女の力を普段から抑えてんだよ」
煙草を吸わなければ生きていけない。再三と口にしてきたデッドの言葉。詰まらな言い訳かと思っていたが、あながちデタラメでもなかったと言うことか。
「始めるぞ。俺の手を握れ」
デッドがドラゴンに右手を触れさせつつロージーに左手をかざす。
「同調は本来時間がかかるが、対象者に直接触れることができれば時間を早められる」
「……デッドさん。ありがとう」
ロージーの心からの礼。デッドが表情を渋くして舌を鳴らす。
「後でグチグチと文句言われても面倒だと思っただけだ。んなことより早くしろ」
「――うん!」
ロージーはポチを下すとデッドの左手を握りしめた。そしてその直後――
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ロージーは奇妙な空間に一人立っていた。
「ここは……?」
ロージーはきょろきょろと周囲を見やる。だだっ広いだけの何もない空間。壁や天井はおろか床すらない。何もないそこに足をつけてロージーはポツリと呼び掛ける。
「……ノーラちゃん」
何もない空間にロージーの声が響く。見える範囲に少女の姿はない。だが不思議とすぐ近くにその存在を感じていた。少女の名前を呼んでから数秒。或いは数時間。時間の間隔が欠如した空間でしばし待つ。ロージーの目の前にゆらりと影が浮かんでくる。
「……だれ?」
ノーラの声だ。ロージーは今にも掻き消えそうな影に向けて懸命に呼び掛ける。
「ノーラちゃん。私のことが分かる? ロージーよ。今日一緒に遊んだ」
「……お姉ちゃん?」
揺らいでいた影が僅かに濃くなる。ロージーは「そうよ」と口調を強くした。目の前にある影が困惑したように揺らめきを強くする。
「どうして……お姉ちゃんが?」
「お話しは後にしよ。とにかくお姉ちゃんと一緒にここを出よ、ね」
ロージーは目の前の影に手を差し伸べた。影の濃度がまた僅かに濃くなる。手を出したまま影を見つめるロージー。沈黙していた影が徐々にその揺らめきを小さくしていく。
「……だめだよ」
「駄目って……どうして?」
「だって……ノーラがいるとパパが困るから」
影が弱々しくそう話す。思いがけないその返答にロージーは声を詰まらせた。目の前にある不思議な影。ノーラの意識だと思えるそれが徐々にその存在を薄くしていく。
「ノーラ気付いてたの……パパがノーラの病気のために無理していること……ノーラのために苦しんでいたこと……だけどノーラが辛い顔するとパパもっと辛そうにするから……だから……いつも笑うようにしてたの……」
「……ノーラちゃん」
「きっとパパはノーラがいないほうが……幸せになれたんだよ」
ノーラの意識が空間に溶け込んでいくように薄れていく。
「だからノーラはここにいるの。パパが大好きだから。パパに幸せになってほしいから」
今にも消えてしまいそうなノーラの意識にロージーは表情を曇らせた。
ノーラの言葉を否定するのは簡単だ。だがそんなことで彼女の気持ちは動かないだろう。彼女はとても賢い。自分の病気が父の重荷になっている。それを彼女はこれまでもずっと感じてきたはずだ。苦しんできたはずだ。その彼女に無責任な他人の言葉など通じるはずもない。彼女の心を動かすことができる人間がいるとすればそれはただ一人――
ノーラの父であるノーマンだけだ。
だからこそロージーは――
「ノーラちゃん……私ね。貴女のお父さんといっぱいお話ししたんだ」
ノーマンの想いを少女に伝えることにした。
「……パパと?」
すでに消えかけていたノーラの意識。それが震えながらまた存在を濃くしていく。ロージーは「うん」と頷いて、少女に手を差し伸べたまま静かに言葉を紡いでいく。
「たくさんお話ししたよ。だからノーマンさんのことたくさん知ることができた。それで感じたの。ノーラちゃんの言う通り。ノーマンさんはきっと苦しんでいたんだと思う」
詰まらない嘘を吐くのは逆効果だ。意識が剥き出しのこの世界では偽りなど容易に看破される。ロージーは直感的にそれを悟った。だからこそ見え透いたことは言わない。ノーラの意識が悲しげに揺れる。少女の反応に胸を痛めながらもロージーは言葉を続けた。
「ノーラちゃんの病気を治せないことを、ノーマンさんはずっと苦しんでいた。ノーラちゃんを助けられないから、ノーマンさんは辛い思いをしてきた。それは間違いないわ」
「……うん。だからノーラが――」
「でもねノーラちゃん。そうだからとノーマンさんは幸せじゃなかったのかな?」
ノーラの意識が言葉を止める。
ノーマンと最期に話した時、彼はたびたびお金がないことによる不幸を口にしていた。幸福が買えないことを嘆いていた。それは彼の嘘偽りない言葉だろう。だが彼が口にしていたその不幸はノーラに対して向けられたものだ。彼はただの一度だって――
自身が不幸だと嘆いてはいなかった。
「苦しいから、辛いから、だからその人が不幸だなんて、そんな簡単なことじゃないんだと思う。ノーマンさんが苦しくても辛くてもどうして頑張ることができたのか。それはノーラちゃんと一緒にいられることが何よりも――幸せだったからじゃないかな」
ノーラの意識がまた濃くなる。ロージーはやや言葉を詰まらせながら話を続けた。
「ノーマンさんはお話しをしている時もノーラちゃんのことを気にしていたよ」
「パパが……?」
「うん。ノーラちゃんのこと宜しくって」
嘘は吐けない。だがノーマンの死はまだ伏せておくべきだろう。ロージーは小さな罪悪感を覚えながらそう微笑んだ。ノーラの意識が揺らぎながら輪郭を形成していく。
「ノーラちゃんの幸せがノーマンさんにとっての幸せなの。そしてそれはノーラちゃんも同じでしょ。お父さんが幸せならノーラちゃんも幸せになれる。そうよね」
「……うん。パパにはたくさん幸せになって欲しいの」
「それならノーラちゃんもたくさん幸せにならないとね。大好きなお父さんのために」
ノーラの意識が少女の姿に変わる。
「ノーラ……戻ってもいいの?」
「もちろん。お姉ちゃんと帰ろう」
ノーラがニッパリと微笑んで――
ロージーの手を掴んだ。
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ふと気付いた時、ロージーは白い床に寝転がっていた。頭がぼんやりとしていて思考が回らない。ロージーは寝転んだまま碧い瞳を瞬かせた。霞んだ視界がクリアとなり目の前にいる少女を映し出す。瞳を閉じて眠っている少女。ボブカットにされた黒髪。年齢の割には小柄な体躯。衣服は着ていない。だがその左手首にはキラキラと輝く――
ビーズのブレスレットが巻かれていた。
「お前の茶番に付き合うのは今回限りだ」
デッドが煙草をふかしながらそう呟く。すぐ近くにいた彼を見上げながらコクリと頷くロージー。デッドが何やら苛立たしげに舌を鳴らしてコートを手早く脱ぎ始めた。
「ここにはもう用がない。帰るぞ。3Sの連中が逃がさないつもりなら強行突破する」
デッドが脱いだコートを投げ捨てるようにして裸の少女に掛ける。粗暴な彼らしからぬ紳士な対応だ。ロージーはクスリと笑うと目の前にいる少女に左手を伸ばした。スヤスヤと寝息を立てている黒髪の少女。その少女からもらったビーズのブレスレット。それが巻かれた左手を少女の左手に重ねてロージーは優しく微笑んだ。
「お帰りなさい、ノーラちゃん」




