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金勇王  作者: 管澤捻
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第五章 ローズマリー・クィン02

「公爵カルディア」


 部屋の光景を横目に眺めながら、ノーマンがそう呟く。ロージーはポチに手の拘束を解いてもらいながら眉をひそめた。ノーマンがズレた眼鏡を直しながら淡々と語る。


「それが彼――デッドさんに適合された魔女です。強力な魔女であり並大抵の魔獣では彼に逆らうことすら困難。だが彼女――ノーラにはその彼と同格の魔女が適合されています」


 ノーマンの眼鏡越しに見えている瞳が静かに細められていく。


「彼女に適合した魔女は公爵ゾオーエー。彼女とデッドさんは適合された魔女の爵位が同格。ゆえに爵位による制約は機能しません。そしてノーラは不死の魔術を獲得している」


「不死の魔術?」


 目を見開くロージーに、ノーマンが「そう不死です」と口調を一段強める。


「魔女の細胞を適合すると、対象となる魔女の力の一端――魔術を獲得できる。ノーラの魔術は損傷の瞬間修復。試作品の魔獣は細胞が少量であり魔術も不完全でした。ゆえに修復が間に合わずに絶命しましたが、ノーラには適切な量の細胞が与えられている。ゆえに彼女は完全な不死の力を手に入れた」


「……そんなことって」


「信じられませんか? 無理もありませんが。しかしこれは幾多の試験を繰り返して得られた確かな事実です。彼女は決して死なない。彼女は永遠に存在し続けるのです」


 ノーマンの話している試作品。それが何かはよく分からないが、仮にノーラが不死であるならデッドに殺されてしまう心配はないようだ。それは安心材料だろう。だがノーラが魔獣のままでいいはずもない。ロージーは動揺を抑えつつ碧い瞳をキッと尖らせた。


「ノーラちゃんを助ける方法があるなら教えて」


「助ける?」


 不思議そうにノーマンが首を傾げる。その反応に苛立ちつつロージーは言葉を続ける。


「ノーラちゃんを人間に戻す方法よ。あるならすぐに教えてと言っているの」


「それを知ってどうするつもりですか?」


「どうって……もちろんノーラちゃんを人間に戻すのよ」


「なぜ?」


「彼女が魔獣のままだったら可哀想だからに決まっているでしょ!」


 ロージーは思わず怒声を上げた。怒りの表情でノーマンを睨みつけるロージー。だがそんな彼女の視線を平然と受け止めつつノーマンが「可哀想?」と可笑しそうに笑う。


「ロージーさん。それは見当違いです。ノーラは可哀想なんかじゃない。ノーラはようやく救われたんですよ。僕の手によって」


「……何を言っているの?」


「ノーラが先天性の心臓病を患っていることはお話ししましたね」


 ロージーの声が詰まる。普段明るく元気いっぱいのノーラ。その少女が密かに抱えている闇。彼女の母を殺した心臓病。ノーマンが遠くを見つめるように視線を上げる。


「薬でどうにか症状を抑えているが、すでに彼女の病は致命的なまでに進行している。発作の間隔もどんどんと短くなり、彼女はいつ病に殺されてもおかしくない状況でした」


「……そんなにひどい状態だったの?」


「はい。もはや現代医療では対処しようがない。彼女の死は確定されていたのです。もっとも、ここまで重度になる前に適切な治療を受けていれば話は違ったのでしょうけど」


「だったら……どうしてそうしなかったの? どうして治療して上げなかったの? こんな手の施しようがなくなるまで、どうして病気を放置していたのよ」


「お金がなかったからです」


 ノーマンが淀みなく返答する。ひどく簡潔な答え。だがその言葉はあまりに重い。理想だけではどうしようもない冷たい現実を表していた。言葉を失うロージー。ノーマンが嘆息してその表情に力のない苦笑を浮かべる。


「ノーラの病を完治させるには莫大なお金が必要なのですよ。しかし僕にはそのような貯蓄がなかった。魔女科学研究所に勤めていた際の稼ぎは妻の治療に全て使用してしまいましたからね。しかしその妻も治療を始めた頃にはすでに手遅れで亡くなってしまった」


 ノーマンが頭を振りまた口を開く。


「お金も妻も失った僕にはもうノーラしか残されていない。だから僕は研究員から距離を置くことにしました。僕は仕事にかまけて妻の病状に気付くことができなかった。それを反省して、今度は少しでもノーラの傍にいようと考えたからです。ロージーさん。貴女はその決断を立派だと言ってくれましたね。しかし結果的にそれは過ちだったのです」


 ノーマンの表情が僅かに歪む。


「研究員を辞めて僕の収入は激減しました。しかし僕はお金なんかよりも、娘と一緒に過ごせる日々こそが大切だと考えていた。その大切な日々を捨ててまでお金に執着するなど浅ましいことだと考えていたのです」


「それが過ちだと?」


「いいえ。その考え自体を否定するつもりはありません。確かにそういう幸せもあるのでしょう。しかし僕は勘違いしていた。僕はお金に執着していなかったのではない。ただ無頓着だっただけです。お金が何を意味するモノなのかまるで理解していなかった」


 ノーマンがズレた眼鏡を直す。そして一拍の間を空けてから再度重い口を開いた。


「お金とは対価です。それそのものに価値があるのではなく、その対価により得られるモノにこそ価値がある。僕は妻の病気に気付くのが遅れて妻を亡くした。それは事実です。しかしお金があればこそ妻は僅かながら延命することができたのです。それはつまりこう言い換えることができます。妻との掛け替えのない時間。それをお金で買ったのだと」


「……そんなことは――」


「ないと言い切れますか?」


 ノーマンから問われロージーは沈黙する。幸福はお金では買えない。以前ならそう反論しただろう。聞こえの良い理想論を物知り顔で並べていただろう。だが今はそれができない。ほんの数時間前に思い知ったからだ。自分自身の境遇と照らし合わせて痛感したからだ。お金では買えない幸福も確かにある。だがそれと同時にこの世には――


 お金で買える幸福も確かにあるのだ。


「研究員時代、僕はお金に困ることはありませんでした。だから意識が欠けていた。不自由ない生活。安定した未来。それはお金により得られた幸福でした。しかし僕はそのお金を自ら手放した。そして三年前。娘の病が発覚したことで僕はそれを後悔したのです」


 ノーマンの口調が悲しげにまた強くなる。


「どうして研究員を辞めてしまったのかと。どうしてお金に執着しなかったのかと。僕にお金があれば、娘はもっと適切な治療を受けることができていたかも知れないのに。娘の命を救うことが――娘の幸福な未来を買ってあげることができたかも知れないのに。僕が世間知らずであるがゆえに、大切な娘を不幸にしてしまったのです」


「……だったら」


 ノーマンの悲痛な言葉。それに胸を詰まらせながらもロージーは尋ねる。


「だったら……どうしてノーラちゃんを魔獣に変えてしまったの? そんなにも大切なら、そんなにも愛していたのなら、どうしてノーラちゃんを実験材料なんかに」


「娘はもう助からない。しかしこれには一つだけ例外があります。それが魔獣化です」


 ロージーの目が見開かれる。ノーマンが深呼吸して昂った口調を静めていく。


「魔獣化は様々な恩恵を与えてくれる。身体能力の向上。そして優れた自己修復能力です。現代医療では不治の病とされる病気や怪我も、魔獣化に伴い完治する可能性がある」


「それじゃあ……ノーラちゃんを魔獣に変えたのは――」


「そうです。娘の心臓の病を治療するためです。もっとも娘の病は魔獣化による自己修復能力だけでは不足でした。だから魔女を選別して、娘に不死の魔術を与えたのです。これでもう娘は病に縛られない。お金により一度失われた未来を娘は取り返したのです」


「未来を取り返したって……でもノーラちゃんは魔獣になってしまったのよ? 心臓の病がそれで完治したとしてもそれじゃあ――」


「不幸だとでも言うつもりですか?」


 ロージーの言葉を鋭く遮り、ノーマンが瞳を冷たく輝かせる。


「ならば娘を見殺しにすれば良かったと? 苦しみ死にゆく娘を傍観していれば良かったと? 僕にそのようなむごい真似をしろと貴女は仰るのですね」


「そうじゃない……そうじゃなくて、別のやり方はなかったのかってことよ。病気が治ったとしても人間でいられないのなら、それは死んでしまったのと同じじゃない」


「確かに彼女には人間であった頃の記憶や人格は失われている。それは人としての死を意味するのかも知れません。しかしそれでも彼女という存在は残り続ける」


 ノーマンの右手に握られた拳銃。その銃口がゆっくりと持ち上げられていく。


「僕はそれで構わない。それしか娘にしてあげることができない。3Sで得られた収入も娘の薬代に消えてしまった。お金のない僕にはもとより選択肢などないのです」


 ノーマンの右手にある拳銃がその銃口をロージーに向ける。


「人格が消えようとも愛する娘が永遠に存在する。それが僕の――理想なんです」



======================



 ドラゴンが尻尾を豪快に振るう。デッドは痛む体を引きずりながら後方へと跳ねた。ドラゴンの尾が鼻先を掠めて通過する。ぞくりと背筋が凍えた。敢えて紙一重で躱したわけではない。ただ体が鈍重で動かなかっただけだ。


「――っくしょうめ……まだ痛みやがる」


 脇腹に受けたドラゴンの一撃。その痛みがなかなか引かない。筋肉を貫通して骨や内臓まで手酷く痛めたのだろう。デッドは荒い吐きながら苛立ちに舌を鳴らした。勝負がついたと油断して魔女の力を緩めていたところに攻撃を受けた。ゆえにそのダメージも相当大きいようだ。前向きに考えるなら致命傷でないだけ運がいいとも言える。


(それが慰めになるわけでもねえが)


 ドラゴンが一声鳴いて牙を剥き出しに迫りきた。何とも荒々しい姿。あの怪物が元は十歳の子供だというのだから笑える。300年前に滅んだ異質な種族。魔女。その細胞の恐ろしさがよく分かるというものだ。


 デッドはそんなことを考えながら脇腹の痛みを堪えて跳躍した。そして迫りきたドラゴンの牙を跳び越えつつもドラゴンの眉間に全力で蹴りを打ち込む。ドラゴンが悲鳴のような声を上げながらその巨体を後退させた。


 デッドは床に着地してすぐ脇腹の痛みに表情を歪める。万全の状態ならドラゴンの首をへし折ることもできただろう。だが手負いの現状ではドラゴンの眉間に小さな傷をつけるのが精一杯のようだ。そしてその傷もドラゴンの魔術により即座に完治してしまう。


「くそ……マジで不死身か?」


 ドラゴンの魔術が倉庫で戦った試作品のそれと同じモノであるなら、再生能力の限界値を超えた致命傷を与えれば、或いは殺せるのかも知れない。だがその限界値が不明確だ。魔術に理屈は通じない。体を細切れにされても平然と再生する可能性もあるだろう。


「こりゃ逃げることも考えるべきか」


 ドラゴンはさしたる知能もない。隙を見て逃げることは難しくないはずだ。もっとも3Sの目的がこちらを捕獲なら出口に鍵くらい掛けているかも知れないが――


「まあその時はその時で考えるか」


 一度試して難しいようなら別案を考えればいい。デッドはそう楽観的に判断してそれとなく周囲を探った。逃げるならロージーも一緒に連れて行ってやる必要がある。


「にしても、あいつどこ行った? ウロチョロと面倒掛けやがって――あん?」


 デッドはここでふと気付く。先程からドラゴンが動いていない。まるで剥製にでもなったようにその体を硬直させていた。ドラゴンの奇妙な態度にデッドは眉をひそめる。


「一体何のつもりだ」


 ドラゴンをじっと観察してデッドはまた気付く。ドラゴンの赤い瞳。その視線がこちらではなく、こちらの足元に向けられていた。怪訝に思いながら自身の足元を見やるデッド。ドラゴンとの攻防により細かく砕けている床。特におかしな箇所もなく、デッドがまたドラゴンに視線を戻そうとしたところ――


 デッドの足元にある床の欠片が独りでに動き始める。


「――な!?」


 欠片同士が瞬く間に接着されていき、デッドの足を絡め取るようにして修復される。復元された床に足を埋めて動きを封じられるデッド。彼は瞬間的に自身の失態を悟った。


「まさか――これもドラゴンの魔術。修復できるのは自分だけじゃねえってことか」


 ドラゴンが「ぐごぉああ!」と声を荒げて駆ける。狩りにおいて獲物の動きを封じることは定石。ドラゴンが動きを止めていたのも魔術の効果を遠距離に届かせようと集中していたからだろう。知能がないと見くびっていたが意外に考えていたようだ。


 迫りくるドラゴンを見ながらデッドは床から足を引き抜こうとする。魔獣としての膂力をもってすれば、この程度の拘束など簡単に抜け出せるだろう。だがそのためには時間が必要だ。五秒から十秒の僅かな時間。だが今はその僅かな時間が致命的だった。


 ドラゴンが急接近して顎を広げる。ドラゴンの口腔に並んだ鋭い牙。あれに噛み砕かれては如何に魔獣でもひとたまりもない。デッドの足はまだ床に捕らえられたまま。ドラゴンの開かれた顎がデッドの体を捉えてガキンと鋭い牙を噛み合わせた。


 部屋の空気がブルブルと振動する。足を拘束されて身動きの取れない獲物。その獲物に容赦なく?みついたドラゴン。避けることなど不可能。防御することさえ絶望的。ドラゴンの閉じられた牙から唸り声が漏れる。ドラゴンのその鋭い牙は――


 デッドから僅かに逸れて何もない空間を噛み砕いていた。


「――同調(シンクロ)率30%」


 デッドは冷や汗を浮かべながらポツリとそう呟いた。際どいところだった。あと一瞬でもこの仕掛けが間に合っていなければ本当に殺されていただろう。下準備に時間がかかるのがこの仕掛けの最大の欠点だ。だが一度その下準備が完了すれば――


 もはや負けることなどない。


 ドラゴンが頭部をもたげて顎を開く。床に足を拘束されたままドラゴンを静かに見据えるデッド。ドラゴンが頭部を振り下ろしてデッドに噛みついた。だがやはりドラゴンの牙はデッドには触れず何もない空間を噛み砕く。


 ドラゴンが前足をデッドに向けて振り下ろす。デッドの肩を掠めて通過したドラゴンの前足が修復された床をまた粉々に砕いた。ドラゴンが体を回転させながら尻尾を横なぎに振るう。ドラゴンの太い尻尾がデッドの髪を掠めて頭上を通過した。


「無駄だよ。もうお前は俺を攻撃することはできない。俺に対する攻撃をお前は()()()に避けようとしているからだ。この術中に嵌められたお前にもう勝ち目なんかないぜ」


 攻撃を続けているドラゴンを見据えて――


 デッドはその赤い瞳を怪しく輝かせる。


「意識の支配――それが俺の魔術だ」



======================================



 ノーマンの右手に握られた拳銃。自身に向けられたその銃口。一瞬後には自身を殺すかも知れない凶器。だが不思議とロージーに動揺はなかった。それがまるで詰まらない玩具であるかのように心が動かない。ロージーは銃口のことなど気にも留めず――


 ノーマンをただ見つめていた。


「……どうして泣いているのですか?」


 ノーマンからの疑問。その言葉を聞いてロージーは自身が涙を流していることに気付いた。自身の頬に指先を触れさせる。瞳からこぼれた大粒の涙が指先を濡らした。


「死ぬことが怖いのですか?」


 死に対する恐怖。それは状況を鑑みるに合理的な推測だろう。自分もノーマンの立場なら同じことを考える。だがロージーはノーマンのその問いに力なく頭を振った。彼女の返答にノーマンが表情を変えずにまた口を開く。


「ではなぜ貴女は泣いているのですか?」


「……分からない」


 ロージーは涙を拭うこともせず浮かんできた言葉をそのまま口にしていく。


「ただノーマンさんの話を聞いて……胸が苦しくて……何だか堪らなくて……それで」


「僕に同情してくれているのですか? それとも怒りを覚えているのですか?」


「たぶん……どちらでもない……私はきっと……()()()()()()んだと思う」


 キングストン聖女学院に通学していたその当時。父の会社が倒産して担保として売られた現在。そしてノーマンの話を聞いたこの瞬間。そこで自分が感じてきた素直な想い。ロージーはそれを淡々と話していく。


「私は裕福な家庭で生まれた。これまで一度でもお金で苦労したことなんてない。それどころかお金を欲しいとさえ思わなかった。だって私にとってお金はあって当然のものだから。だけど父の会社が倒産したことで私はヘヴンズライフに売られることになった」


 何不自由なく生きてきた社長令嬢。ローズマリー・クィン。その彼女がロージーへと転落するまでの経緯。ノーマンには何のことだか分からないだろう。だがノーマンは余計な疑問を口にせず沈黙していた。ロージーは一呼吸の間を空けてから話を再開させる。


「ヘヴンズライフに売られた私は会社の仕事を手伝うことになった。そこで私は色々な人を見てきた。お金のために暴力を振るう人。嘘を吐いて借金を誤魔化そうとする人。そもそも借金を返す気がない人。私はそんな彼らをずっと軽蔑していた。だってお金なんかのために、誰かを傷つけたり、騙そうとしているんだから」


「……今はその彼らに納得していると?」


「彼らが間違っているという気持ちは変わらない。だけど私に彼らを非難する資格なんてなかったの。だって私はお金についてあまりに無知だったから。あまりに無頓着だったから。どうしてお金なんかにそこまで執着するのか。私はそれを理解していなかった」


 盲目的に彼らを責めていた自分。そんな過去の自分にロージーは頭を振る。


「だけど今なら少し分かる。全てを失った今なら分かる気がする。私が当たり前に過ごしてきた幸せな日々。でもそれはお金で支えられていた幸せだった。執着するのは浅ましいと嘲笑していたお金で買っていたものだった」


「そこまで分かっているのなら、僕のやろうとしていることも理解できるでしょう?」


 ノーマンが抑揚なく語る。


「お金のない僕は彼女を幸せにできない。幸せを買ってあげることができない。どうせ幸せにできないのならせめて、その存在だけでも残してあげたい。それが最善なんです」


「でも私はそれを――やっぱり認めたくない」


 ロージーは上擦る声を抑えながら言う。


「幸せになるためにはお金が必要だってことはもう分かってる。だけど私は認めたくない。お金だけが全てだなんて認めたくない。お金がないと幸せになれないなんて認めたくない。だってノーマンさんとノーラちゃんはあんなにも幸せそうだったじゃない」


「その幸せも3Sの研究員としてのお金で延命されていたものに過ぎない。もしそのお金もなければノーラはもっと早くに死んでいたでしょう」


「そうかも……そうなのかも知れないけど……」


 頭の中がグチャグチャで自分でも何を話したいのかが分からない。理屈などない。論理性もない。ただ感情だけが先行している。子供が駄々をこねるように喚いているだけだ。それは理解している。ひどく馬鹿げている。それでもなおロージーは涙ながらに言う。


「私は――負けないで欲しかった。お金なんかに負けないで欲しかった。お金がなかったから不幸だなんて言わないで欲しかった。お金がなくても幸せだったと笑って欲しかった。二人にはそうであって欲しかった。だってそうじゃないと――あまりに辛いよ」


「……貴女は今、幸せですか?」


 ノーマンの唐突な問い。その意味。ロージーはそれをすぐ理解する。


 自分は今、幸せなのか。父の会社が倒産して、裕福な暮らしが失われて、見ず知らずの男と同居させられて、犯罪まがいの仕事を手伝わされている。幸せであるはずがない。苦しくないはずがない。何度も元の生活に戻りたいと考えた。何度も挫けそうになった。


 だがそう感じながらも心の中でくすぶり続けている想いがあった。捨てられない想いがあった。それはただの意地なのかも知れない。ただの負け惜しみかも知れない。それほどに詰まらない想い。ロージーは涙に濡れた碧い瞳を見開いてその想いを口にした。


「今の私はきっと幸せじゃない。でも私は負けたくない。お金がないから不幸だなんて言いたくない。お金がなくても幸せだと笑いたい。だから私は――お金と闘う」


「お金と……闘う」


 オウム返しにされたノーマンの呟き。ロージーはコクリと頷いて言葉を続ける。


「お金に無頓着なわけでもなく、お金に執着するでもなく、お金の意味をきちんと理解したうえで闘う。お金に踊らされるんじゃない。私がお金を()()してみせる」


「……それでもお金に負けてしまったら」


「その時は……仕方ないわ。こんチクショウって笑ってやる」


「……そうですね」


 ノーマンの表情が微笑みへと変わる。


「僕もまだ負けたつもりはありませんよ」


 ノーマンの右手に握られた拳銃。その銃口がロージーから逸れていく。ぽかんと目を丸くするロージー。ノーマンが拳銃を静かに動かしながら言葉を淡々と紡いでいく。


「全ての鍵は彼――デッドさんが握っています。彼は魔女の力を制御した希少な実験体。魔獣でありながら人の姿を保っている。彼ならば彼女を戻せるかも知れない」


「デッドさんが……?」


「しかし僕には彼を説得できない。彼を含めて大勢の人を実験材料とした僕の言葉など彼には届かない。もしそれができる人間がいるのなら――貴女のような人なのでしょう」


 ノーマンが自身のこめかみに銃口を当てる。


「娘を――ノーラを宜しくお願いします」


「――ノーマンさん!」


 ノーマンが躊躇なく引き金を引いた。



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