第五章 ローズマリー・クィン01
「ど……どういうことなの?」
3Sの施設。その地下にあるドーム状の広大な空間。床にへたり込んでいるロージーは呆然とそう呟いた。彼女の目の前には黒い鱗に覆われた魔獣――ドラゴンがいる。赤い瞳をギラギラと輝かせて敵意を剥き出しにしているドラゴン。ロージーはドラゴンの赤い視線に全身を射竦められつつ疑問を口にする。
「ノーマンさんは何を言っているの? どうしてここでノーラちゃんの名前が……」
ロージーの近くに立っているデッドが舌を鳴らす。咥え煙草のまま苦虫を噛み潰したような表情をしているデッド。いつも飄々としている彼には珍しい反応だ。彼のこの表情は一体何を意味しているのか。ロージーの胸中で不気味な不安が膨らんでいく。
「……魔獣の製造には二つの要素が必要だ。一つは魔女の細胞。もう一つは媒体だ」
デッドのポツリとした呟きにロージーは疑問符を浮かべる。どうしてここで魔獣の製造について話が始まるのか。困惑するロージーを無視してデッドが淡々と話を続ける。
「魔獣の特性はこの二つの要素により決定づけられる。魔女の細胞は魔獣の身体能力や覚醒する魔術に大きく影響する。往々にして高位の魔女の細胞を適合させると強力な魔獣が生まれやすい。そして媒体は魔獣の知性や身体的特徴に反映される」
「デッドさん……何の話をしているの?」
「魔獣の媒体は生物であれば基本的に何でも構わない。犬や猫はもちろん、昆虫であろうと植物だろうと、そいつに魔女の細胞を適合すれば魔獣を製造できる。だが知性の高い魔獣を製造しようと考えれば、必然的に媒体は一つに選ばれる。つまり――人間だ」
ロージーの背筋がゾクリと凍える。デッドが何を説明しようとしているのか。これからどのような言葉を口にするのか。それをロージーは直感的に理解してしまった。
凶暴な姿をした黒いドラゴン。その左前足の指先に巻かれているビーズのブレスレット。ロージーの視界がぐらりと揺れた。聞きたくない。耳を塞いで知らないふりをしたい。だがそんなロージーの想いを無視してデッドの言葉が現実を突きつける。
「目の前にいる魔獣は――ノーラだ。ノーマンの野郎、娘を実験体にしやがった」
ロージーは唖然とした。悍ましい姿をしたドラゴン。それがあのボブヘアの可愛らしいノーラだという。ほんの数時間前まで一緒に笑っていたノーラだという。予想していながらも外れて欲しかった現実。それを前にしてロージーは自然と体を震わせていた。
「し……信じられない……」
ロージーは掠れた声を吐きながら頭を振る。
「あ、あのドラゴンがノーラちゃんには見えないわ。そうよ……デッドさんも話していたじゃない。魔獣はその媒体にされた知性や見た目が反映されるって。あのドラゴンに知性なんか感じられないし、何よりノーラちゃんとは大きさが全然違うじゃない」
全てはデッドの早とちりだ。ノーラは今も自分の家で呑気に過ごしているに違いない。そんな希望を込めたロージーの反論。だがその希望もデッドがあっさりと打ち砕く。
「それは魔女の力が暴走しているからだ。魔女の力は強大だ。だがそれだけに制御をしくじれば魔女の力が暴走してその媒体は魔女に支配される。そうなれば何を媒体にしていようと関係ない。知性も見た目も獣同然の――つまり魔獣になっちまうのさ」
3Sがデッドを欲する理由。それはデッドが魔女の力を制御できる貴重なサンプルだからだ。だが力の制御と説明されてもロージーにはその理解が曖昧だった。それが彼女の中でようやく腑に落ちる。力の制御ができなければ魔獣はただの獣だ。ゆえに彼らはデッドの協力を得ることで知性ある魔獣を製造しようとしたのだろう。
「だ……だけど……」
それでもなおロージーは全てが思い違いである可能性にすがった。
「ノーラちゃんは……ノーマンさんの大切な子供なのよ。今日だって二人ともすごく仲が良さそうにしていた。ノーマンさんがノーラちゃんを魔獣にするだなんて……」
「研究員に道徳を期待するだけ無駄だぜ。連中は技術発展のためなら人権なんぞ欠片も考慮しちゃくれねえんだからな。そいつは俺が一番よく理解している」
「で、でもいくら何でも――」
「どうしても信じられないなら、ノーマンの野郎に直接尋ねてみるんだな」
デッドがそう投げやりに言う。ロージーは声を詰まらせながらノーマンに視線を移動させた。部屋の外からガラス越しにこちらを観察しているノーマン。彼がズレた眼鏡を指先で整えつつ穏やかな笑みを浮かべる。
「お話しは終わりましたか? ではそろそろ魔獣の戦闘実験を始めさせてもらいます」
デッドとの会話はノーマンにも聞こえいただろう。だがその会話の内容を否定する素振りはノーマンにない。彼はただ淡々と状況を進めようとしているだけだ。
「もし私たちに協力する気になって頂けたのなら、いつでも仰ってください。彼女は僕の命令には逆らえないよう刷り込んでいます。すぐに戦闘実験を終わらせますので」
「舐めてくれんじゃねえか。理性のない魔獣ごときに俺が負けるかよ」
表情に強気な笑みを浮かべるデッド。ノーマンが静かに目を細めていき――
「結構。では――行きなさい、ノーラ!」
実験の開始を告げた。
ドラゴンが一声鳴いて駆け出す。全長五メートルあるだろうドラゴンの体躯。だがその動きは巨体に似合わず俊敏だった。尻もちをついた姿勢のロージーはすぐに立ち上がることができない。ドラゴンが顎を開いて肉厚の牙を剥き出しにした、その時――
「――ポチ!」
デッドが鋭く叫ぶ。
デッドの声に反応して、お座りしていた黒い子犬――否。像ほどに体を大きくした魔獣のポチが立ち上がり、身動きのできないロージーの襟をパクリと咥える。「え?」と目を丸くするロージー。唖然とする彼女には構わずポチが踵を返して脱兎のごとく駆けた。
「ん――きゃあああ!」
ポチに襟を咥えられたままロージーは乱暴に運ばれる。犬のような姿形をしているだけあり、単純な走る速度であればポチはドラゴンを圧倒していた。数十メートルの距離を瞬く間に走り抜けて、ポチがドラゴンの攻撃が届かない安全圏まで退避する。
その場に一人残されたデッド。無防備に立つその彼にドラゴンの顎が迫る。獣が用いる原始的であり効果的な攻撃手法。捕食。ポチに襟を咥えられたままロージーは表情を強張らせる。ドラゴンの牙が棒立ちのデッドに触れ――
ここでデッドの体が上空に跳ねて、ドラゴンの巨体を軽々と跳び越した。
「……え?」
人間ではあり得ない跳躍力。目を疑う光景を前にしてロージーは言葉を失う。獲物を見失いキョロキョロと視線を巡らせるドラゴン。動揺する魔獣の背後に軽やかに着地してデッドが咥えている煙草をペッと床に吐き捨てた。
「悪く思うなよ――ガキンチョ」
デッドの瞳が赤色に染まっている。またもロージーは驚愕して息を詰まらせた。血の色に変化したデッドの赤い瞳。それはドラゴンやポチと同様の色合いをしている。魔女の力を制御したサンプル。魔女科学研究所で製造された魔獣。つまりこれが――
「デッドさんの本当の力?」
ドラゴンがデッドの姿を見つけて振り返る。敵意を滲ませた赤い瞳でデッドを見据えるドラゴン。魔獣のその視線を同じく赤い瞳で平然と見返しているデッド。彼の表情からは先程までの動揺が完全に消え失せて、この戦いに対する自信だけが覗いていた。
「ま、待ってよデッドさん!」
ポチに咥えられた宙ぶらりんの体勢でロージーは慌てて声を上げる。
「もしそのドラゴンが本当にノーラちゃんなら殺さないで! お願いだから!」
「……馬鹿言ってんじゃねえよ」
ロージーの懇願をそう一蹴してデッドが赤い瞳を凶暴に輝かせていく。
「手加減しようものならヤられるのはこっちだ。相手がガキンチョであろうと何だろうと、身を守るためには相手を殺すしかねえんだよ」
「で、でも――」
「どうしてもガキが殺されるところを見たくないなら、そこで目でもつぶって――ろ!」
迫りきたドラゴンの顎をデッドがまたも軽々と回避する。このままではノーラがデッドにより殺されてしまう。だがデッドが言うように何もしなければノーラに殺されるのはこちらだ。一体どうすればいいのか。この状況で自分に一体何ができるのか。
(何とか……何とかしないと……)
ロージーは心が圧し潰されそうになりながらも思案する。諦めてはならない。ノーラを助ける方法がきっとあるはずだ。それが希望的観測であると理解しながらもロージーは必死に頭を回転させた。そして彼女はふとガラス越しに見えるノーマンに目を止める。
(そうだ……ノーマンさんなら)
自分は魔獣について詳しくない。その自分がいくら頭を悩ませても妙案など浮かばないだろう。だが3Sの研究員であるノーマンなら魔獣についての知識も豊富だ。もしノーラを助ける方法があるのなら、彼がそれを知っている可能性は十分あるはずだ。
(だけど……ノーラちゃんを魔獣に変えたのはノーマンさん自身)
その彼がノーラを助ける方法を素直に教えてくれるとは思えない。だが残された可能性はそれだけだ。ロージーは「ねえポチ」と背後を振り返りながらポチに話し掛けた。
「あそこに男の人がいるでしょ。あそこまで私を連れて行って欲しいんだけど、いい?」
ポチに言葉が通じるのか。そんな不安を抱いていたロージーだが存外あっさりとポチは指定した方向へと駆け出した。ドラゴンとデッドの戦いから一定の距離を空けつつポチがノーマンへと近づいていく。そしてノーマンとの距離が十メートルを切ったところで、ポチに運ばれていたロージーはふと気付く。
「あれ……そういえば入口は?」
ガラス越しに見えるノーマン。その彼がいる部屋への入口がどこにあるか分からない。だがそのような問題などお構いなしにポチがどんどんと体を加速させる。そしてポチが減速しないまま跳躍して目の前にあるガラスを頭からぶち抜いた。
「にぃあああああああ!?」
ガラスの破片が周囲に飛散してノーマンのいる部屋に散らばった。身を縮こませていたロージーは、自身に怪我がないことを確認して、体の緊張を解いていく。どうやらポチが頭頂部からガラスに突っ込んだため上手いこと破片を避けられたようだ。
(ただ単に運が良かっただけって気もするけど)
何にせよノーマンのもとに最短距離でたどり着けた。ポチが咥えていたロージーの襟を離す。ロージーはふらつきながらも床に着地すると視線を移動させた。彼女の視線の先。そこにはマイクを前にして穏やかに微笑んでいるノーマンがいる。
「ノーマンさん……お話しがあります」
ロージーの緊張した言葉に、ノーマンが無言のままズレた眼鏡を指先で直した。
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デッドは赤い瞳をギラギラと輝かせながらドラゴンの攻撃を回避した。床に叩きつけられたドラゴンの前足が床を軽々と陥没させる。まともな人間がこれを受ければ骨ごとペシャンコだろう。デッドはそんなことを考えながらドラゴンとの距離を空ける。
「なかなか手の内を見せてくれねえな」
牙をガチガチと鳴らすドラゴンを見据えながらデッドはそう独りごちる。彼が先程から回避に徹している理由。それは遊んでいるわけでも、ましてや魔獣の媒体にされた子供に同情しているわけでもない。彼はただ警戒していた。魔獣が行使する特殊能力――
魔女の力たる魔術を。
「魔術の効果によっては下手に仕掛ければ手痛い反撃を喰らうこともあるからな。できれば魔術の効果をこの目で確認してから仕留めてやりたかったが」
このまま逃げ続けるのも癪だ。何よりも全ての魔獣が魔術を扱えるわけでもない。製造されたばかりの魔獣はまだ魔女の力を上手く扱えないことも多々ある。このドラゴンが物理的な攻撃ばかり続けるのもまだ魔術を扱えないだけかも知れない。
「仕方ねえ。こいつが魔術を使えるのか使えねえのか。それは分からねえけど――要は魔術を使う隙さえ与えなきゃいいだけの話だろ」
デッドは力強く地面を蹴りつけた。
デッドとドラゴンの距離が瞬時にゼロとなる。デッドは即座に跳躍すると、ドラゴンの顎を下から蹴り上げた。ドラゴンの巨体が宙に浮かんでそのまま後方に倒れる。大抵の魔獣ならこの一撃で首が吹き飛んでいただろう。大したものだ。デッドはそんな感想を抱きながらも空中で体勢を整えて、仰向けに寝転んだドラゴンの腹部に踵を打ち込んだ。
「ゴボギャァアアアアアア!」
ドラゴンの全身を包み込んでいる鱗。それがデッドの踵により呆気なく砕かれる。口から大量の血を吐き出すドラゴン。内臓を損傷したらしい。だがこの程度では魔獣にとっての致命傷とはならないだろう。ドラゴンの腹に乗りながらデッドは追撃の拳を振り上げた。だがここでドラゴンが勢いよく身を起こす。
「――ちっ!」
デッドは素早くドラゴンの腹から退避した。さすがにあれだけ強力な魔獣を一度の攻撃で仕留めることはできなかった。だが深追いすればそれこそ魔術の餌食になる危険性もある。デッドは二歩三歩と後退しながらドラゴンの動きを注視した。
ドラゴンが身を起こしてデッドを睨みつける。赤い血を滴らせながら赤い瞳を尖らせるドラゴン。その敵意は未だ衰えることがない。だが冷静に観察するとドラゴンのその巨体が不安定に揺れているのが分かった。
「これでもやはり魔術は使わず……か」
本当に魔術が使えないのか。それとも戦闘では役に立たない魔術なのか。どちらにせよ魔術を敢えて出し惜しみしているわけでもなさそうだ。
「まあいいさ。次で確実に仕留めてやるよ」
ドラゴンが「ぐぎゃぉおおおお!」と吠えながら背中の翼を羽ばたかせる。部屋の中に強風が吹き荒れてドラゴンの巨体が少しずつ上空へと持ちあがった。天井付近まで上昇して眼下を見下ろすドラゴン。デッドは上空を見上げながら「へえ」と目を丸くした。
「その羽はただの飾りじゃなかったんだな。惜しいな。こんな狭苦しい部屋の中でなければ色々な戦い方もできただろうによ」
このような室内では空を飛べたとしてもできることは限られている。その選択肢のうち、ドラゴンは最も一般的な手段を選んだようだ。上空に浮かんでいたドラゴンが翼を畳んで落下してくる。その巨体を活かして獲物を押し潰す気だろう。上空を見上げたまま膝を屈めるデッド。ドラゴンの巨体がどんどんと高度を落としていき床に激突した。
床が激しく振動する。ドラゴン捨て身のボディプレス。その破壊力は絶大だった。爆弾でも破裂したように大きくひび割れていく床。そこにはドラゴンの巨体と同じサイズの陥没がくっきりと残されていた。ドラゴンの落下時間は一秒弱。回避行動が取れる時間ではないだろう。普通の人間であればの話だが。デッドはそんな感想を抱きつつ――
ドラゴンの首めがけて上空から蹴りを打ち込んだ。
ドラゴンの長い首がくの字に折れる。分厚い体躯を有するドラゴンにおいて比較的細いその首は明確な弱点だった。鱗が砕かれてドラゴンの赤黒い体表が露出する。デッドは即座に右足を振り上げると剥き出しとなったドラゴンの体表に踵を全力で叩きつけた。
肉が潰れていく感触が足に伝わる。デッドは構わずにドラゴンの首にズブズブと踵を突き刺していった。ドラゴンの頭部がもたげて悲鳴のような音を鳴らした。耳をつんざくドラゴンの絶叫。だがその声も徐々に掠れて消えていきしばらくして止んだ。
ドラゴンのもたげていた頭部が床にゴトンと落下する。デッドはペシャンコの首を踏みつけながらドラゴンの頭部を確認した。舌を出したまま沈黙しているドラゴンの頭部。そこに埋め込まれている赤い眼球はうっすらと濡れており何もない虚空を見つめている。デッドは嘆息してドラゴンの首から足をどけた。
「ん? ロージーの奴、どこ行った?」
待機させていたロージーの姿が見当たらない。偶然出口でも見つけて一人部屋を出ていったのか。それともどこか部屋の隅で震えているのか。何にせよ遠くに離れていないのならすぐ見つかるだろう。デッドはそう楽観的に考えて煙草を一本咥えた。そしてライターで煙草に火をつけようとして――突如脇腹に強い衝撃を叩きこまれる。
「――!?」
気を抜いたところへの一撃。デッドは声も上げられず床を激しく転がった。脇腹の激痛に息が詰まる。脳をつんざく耳鳴り。視界にチカチカと瞬く火花。咥えていた煙草が見当たらない。どこかに落としたらしい。デッドは額に脂汗を浮かべながら不意打ちを受けた場所に視線を移動させた。視線の先には太い尻尾を揺らしているドラゴンの姿がある。
「……どう……なってやがる?」
痺れる肺を懸命に動かしてデッドはそう悪態を吐いた。状況から察するに、先程の不意打ちはドラゴンの尻尾による一撃だろう。それは理解した。だが不可解だ。生命力の高い魔獣でも首をペシャンコに潰されれば即死せずとも直に絶命するはずだ。それがどうしてこのドラゴンは平然と動いているのか。
ここで異変が起こる。ドラゴンのペシャンコにされていた首。それが風船でも膨らますように復元されたのだ。さらには破壊されていた鱗もみるみると再生されていき、ものの十秒ほどでドラゴンが無傷の状態へと修復される。異常な光景を前にして唖然とするデッド。だがすぐに彼はこれと同様の現象をつい最近目の当たりにした事を思い出す。
「この再生能力は……倉庫で襲ってきた試作品野郎と同じか?」
魔女の細胞を半端に適合された試作品。不完全な魔獣。ドラゴンの異常な再生能力はその試作品と近しい。否。その再生速度からドラゴンの再生能力は試作品のそれを上回っている。デッドは「……なるほどな」と独りごちて無理やり笑みを浮かべた。
「こいつがテメエの――魔術か」




