第四章 魔獣01
「うわぁ、なにこれぇ」
少女の目の前に広がる不思議な光景。それを眺めてノーラはぽかんと目を丸くした。
天井の高い広々とした部屋。そこに沢山の機械と奇妙な筒が置かれている。機械が何をするためのものかは分からない。ただその雰囲気は病室に置かれている機械と酷似している。ノーラは周囲にある機械を眺めつつ奇妙な筒に近づいた。
ノーラの背丈を遥かに超える巨大な筒。その筒はガラス製であり、筒の中には緑色の液体が満たされていた。ノーラは目をパチクリさせながら筒の中をじっと見やる。筒の中に満たされた緑色の液体。そこには――
奇妙な動物が浮かんでいた。
「パパ……この子、なんて名前の動物?」
そう話ながら背後を振り返る。ノーラの背後には一人の男性が立っていた。ボサボサの髪に無精髭。ブリッジの曲がった眼鏡。ノーラの父親であるノーマンだ。
「これは魔獣だよ」
ノーラの問いにノーマンが答える。普段とは異なり清潔な白衣を着ているノーマン。その彼がズレた眼鏡を指先で直しながら筒の中に浮かんでいる奇妙な動物を見つめる。
「300年前に魔女が使役していた怪物。魔女の細胞により製造される人工生物だ。ここは魔獣を生み出すための施設だからね。この部屋にいる動物は全て魔獣なんだよ」
「んん~……じんこうせいぶつとかよく分からないけど、ここにいる動物はみんな同じで『まじゅう』っていう動物なの? だけどみんな見た感じが全然違うよ?」
ノーラは周囲の筒を眺めた。部屋に置かれた無数の筒。その中には見た目のまるで異なる動物がそれぞれ浮かんでいる。全身毛むくじゃらのゴリラのような動物。大きな羽を生やした鳥のような動物。全身がうろこで覆われたトカゲのような動物。周囲をキョロキョロと眺めるノーラ。少女の無垢な疑問符にノーマンがまた抑揚なく答える。
「魔獣は媒体となる生物と適合する魔女の細胞によって見た目が変化する。ひとつとして同じ姿にはならないんだ。比較的媒体となる生物と似た姿にはなるけど例外もある」
「……やっぱりよく分かんない」
父の説明に対する理解を諦めてノーラは再び目の前にある奇妙な動物に視線を移す。
「この子たちはみんな眠っているの? 水の中で眠っちゃって溺れないのかな」
「魔獣は仮死状態で呼吸はしていない。溺れるようなことはないから大丈夫だよ」
かしじょうたい。またもよく分からない単語だ。ノーラは「ふうん」と生返事してもう一度部屋をぐるりと見回した。筒の中で静かに眠っている奇妙な動物たち。ノーラはクルクルと回していた視線をピタリと止めてノーマンにニコリと微笑んだ。
「でもパパは凄いね。ここってパパが働いているところなんでしょ?」
「そうだよ。もっとも僕はしがない研究員だからね。この組織が具体的にどのような活動をしているのか。僕の研究がどう扱われているのか。詳しく知らないんだ」
ノーマンが自嘲するように微笑んで「でもね」とゆっくりと頭を振る。
「僕はそれで構わない。組織の目的なんてものはどうでもいい。研究員に過ぎない僕には何の関係もないんだよ。僕はただ研究を続けられる場所が欲しかっただけなんだ」
「パパ?」
「知識の探究こそ僕の全てだ――その先に僕が求めているものがあるはずだからね」
ノーマンの瞳が冷ややかに輝く。父の淡々とした姿にノーラは突如不安を覚えた。
父はいつも優しくて温かい。誰よりも娘である自分のことを愛してくれていた。そばにいるだけで何よりも安心できた。そのはずだった。だが目の前にいる白衣姿の父はどこか異質だ。冷ややかで余裕がない。そばにいるだけで胸が苦しくなる。まるで何かに追い立てられているように。まるで心がそこにないように。目の前にいるこの人は――
本当に大切な父なのだろうか。
「――うっ」
心臓を絞めつける激痛。ノーラは胸を押さえるとその場にうずくまった。全身から汗を滲ませて短い呼吸を繰り返すノーラ。苦痛に耐えながら少女はどこか冷静に理解する。持病による心臓の発作だ。薬により抑止しているが強いストレスなどに晒されると症状が誘発されることがある。ノーラの視界が徐々に霞んでいき意識が遠の――
「ノーラ!」
ここで父の声が聞こえた。ノーラはハッとして意識の手綱を握りしめる。いつの間にか父に強く抱きしめられていた。父の温かくて大きな体。それが弱々しく震えている。娘のことを心から心配している。それがよく理解できた。やはり目の前にいるのは普段通りの父だ。自分にとって何よりも大切な家族だ。それを確信してノーラは安堵する。
「もう……大丈夫だよ……パパ」
気分が落ち着いたためか胸の痛みが引いていく。ノーラは抱きしめてくれている父の背中をポンポンと叩いてそう言った。父の体がゆっくりと離れていく。まだ表情を強張らせている父。不安げなその父を少しでも安心させようとノーラは無理に微笑んだ。
「いつもの発作だよ。お薬も飲んでいるんだからそんな心配しなくても大丈夫」
「心配するよ。いつ悪化するか分からないんだ……本当に大丈夫なんだね」
ノーラはコクリと頷くとパッと立ち上がってその場で体を回転させた。自分が元気であることを父にアピールしたのだ。実際のところはまだ胸に小さな痛みがあるも、それを態度には微塵も表さない。「えっへん」と胸を張るノーラに父の表情が和らいでいく。
「それなら良かった。だけど心配だから、どこかの部屋で休むことにしようか」
「ううん。本当に大丈夫だよ。せっかくパパがお仕事している場所に連れてきてくれたんだもん。もっと色々なところを見てみたいよ」
「でもね……」
「おんなのこからのさそいをことわるなんて、おとこのくせにいくじがないのね」
「だからそれは何の知識なんだい?」
ノーマンが溜息を吐いて、諦めたようにふっと苦笑する。
「分かったよ。だけど無理はしちゃ駄目だよ」
「分かってる。ほら、パパ」
手を差し出すノーラ。ノーマンが立ち上がり差し出された少女の手を握った。
「それじゃあ行こ。今度はもっとカワイイ動物さんがいるところがいいな」
「うーん、困ったな。ノーラの好きそうな場所はちょっとないかも知れないよ」
「そうなの? でも、パパとお出かけできるだけで楽しいよね」
「二人でお出掛けるのは久しぶりだもんね」
「ノーラの病気が治ったら、もっと色々なところに連れてってくれるんだよね。ノーラ頑張って病気を治すから、治ったら動物園とか遊園地とかたくさん連れて行ってね、パパ」
「……そうだね」
ノーラに手を引かれながらノーマンがポツリと呟く。
「また二人でお出掛けできるといいね」
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頬にくすぐったさを覚えて、ロージーは目を覚ました。目を開いてすぐに白い天井が視界に映る。見慣れない天井だ。状況が分からず困惑するロージー。そのままぼんやりと天井を眺めていると彼女の頬に何かが触れる。
「ひゃあ!」
ロージーは反射的に上体を起こした。尻の下からキシキシと鳴らされる軋み音。どうやら自分はベッドに寝かされているらしい。ロージーは目を一度瞬かせて視線を下した。ベッドに何やら黒い毛玉が転がっている。
「……ポチ?」
よく見るとそれは額から角を生やした子犬――ポチであった。前足をクイクイと動かしながら赤い瞳をパチクリさせるポチ。どうやら先程頬に触れたのはポチの前足らしい。
「えっと……ここはどこかしら?」
ポチの頭を撫でながらロージーは部屋を見渡した。伽藍洞とした白い部屋。家具はベッドだけで窓は見当たらない。生活感がないことから客室など特別な場合にだけ使用される部屋だろう。ロージーはそう推測しつつベッドから足を下した。
ベッドから立ち上がりすぐロージーの体がふらつく。寝起きだからか。頭がまだぼんやりとしている。ロージーはプルプルと頭を振ってベッドにいるポチを胸に抱いた。
ベッドとは対面の壁に視線を向ける。視線の先には一つの扉があった。他に出入口らしきものも見当たらないので、その扉がこの部屋の出口なのだろう。ロージーは扉の前まで近づくとドアノブを掴んだ。だがドアノブはガチャリと音を立てるだけで回転しない。
「やっぱり鍵が掛けられているわね」
何となく予想していたがロージーは嘆息してドアノブから手を離す。あまり信じたくはないが自分は監禁されているらしい。ロージーはそれを自覚して眉をひそめる。
「そもそもの話……私はどうして眠っていたのかしら」
眠る前の記憶を探る。デッドの指示により今日は朝から滞納者の取り立てを行っていたはずだ。そしてその合間に相談があるというノーマン宅を訪問した。だがノーマンと雑談をしている最中に強い眠気に襲われて――
「そうよ……確かその時に紅茶に睡眠薬を入たとか――」
ロージーは青ざめて自身の恰好を再確認した。仕事服である黒いスーツ。特に乱れている様子はいない。少なくとも一度脱がせてから再度着させたような痕跡はなかった。とりあえず最悪の事態はないと判断してロージーは安堵する。
「でもだとすると……一体何が目的で?」
これが誘拐だと仮定して、犯人はほぼ間違いなくノーマンだろう。なぜ彼はまだ出会って間もない自分を誘拐などしたのか。
「他にノーマンさんが話していたのは……私に協力して欲しいとか……それと――」
3Sの研究所に案内すると。そこまで思い出してロージーはまた表情を青くする。3S。魔獣を製造している危険な組織だ。もしノーマンの話が事実なら、ここが3Sの研究所なのだろうか。ロージーは背筋を凍えさせて扉から慌てて離れた。
「3S……ここがヘヴンズライフの探していた組織ってこと? だけどどうして……ノーマンさんは3Sとは無関係だって話していたのに……」
話ながら自分に呆れる。どうしても何もない。魔女科学研究所の元研究員。ノーマン・エッジ。彼は|第二世代魔女科学研究所《SecondSorceressScience》に関与していながら嘘を吐いていたのだろう。
「何にしろ……これは相当まずいわよね?」
強制的に眠らされて危険な組織に拉致された。お世辞にも平穏な日常とは言えないだろう。今のところさしたる被害も受けてないが、これから先もそうだとは限らない。
「どうすればいいのよ……」
自分が誘拐されたことを会社は把握しているのか。警察はもう動いているのか。そもそも会社は自分を探してくれるつもりがあるのか。担保に過ぎない自分など簡単に見捨てるのではないか。様々な不安が一挙に頭を過ぎり、ロージーは瞳に涙を浮かべた。
「どうして私ばかりがこんな目に会うの」
父の会社が倒産して貸金業に担保として売られた。犯罪まがいの取り立てをする人間と同じ部屋で暮らす羽目になり、ベッドで眠ることも許されず床で一晩を過ごした。社会不適合者とも言える滞納者からはひどい暴言を受けることもあり、そして今度は危険組織による拉致監禁だ。あまりに不遇すぎる。
「私の何が悪かったって言うのよ」
泣き言など言うつもりはなかった。どんな苦難も乗り越えるつもりだった。自分にはそれだけの強さがあると信じていた。だがもう駄目かも知れない。これまで気丈に振る舞うことで守り続けてきた心。その心が折れかけていることを絶望的に自覚する。
「私がお金をなくしたからなの」
お金をなくして全てが変わった。これまでの豊かな生活も。ともに笑い過ごしてきた友人も。希望に満ちた未来さえも。全てがお金とともに自分の手を離れてしまった。
「お金がないと幸せにはなれないの」
人の幸福はお金では買えない。幸せとは努力でのみ獲得できる。以前、デッドに向けて投げつけた自身の言葉。その言葉が脳裏で虚しく反響する。自分は何も理解していなかった。お金に執着するなど浅ましいと口にしながら、当然のように過ごしてきた不自由ない生活。だがそれもまた大金にて購入した商品に過ぎなかったのだ。
「だれか……助けてよ……」
ロージーの目から涙がこぼれそうになった、その時――
部屋にある唯一の扉が外側からノックされた。
ロージーはハッとして扉に振り返る。碧い瞳に溜まった大粒の涙。それを乱暴に袖で拭いつつロージーは扉を睨みつけた。一度沈んでいた感情をどうにか奮い立たせて待つこと五秒、ノックされた扉が静かに開かれる。
「ああ……もう目が覚めていましたか」
扉を開いたのは白衣姿のノーマンだった。誘拐の首謀者と思われる人物。その登場に緊張感を高めるロージー。ノーマンがズレた眼鏡を指先で直しつつ部屋へと入る。
「体調はどうですか? 頭が痛いとか体が怠いとか何か気になる症状があれば話してください。ここには多種多様な薬やサプリメントが常備されていますからね」
「……ここはどこですか?」
ノーマンの言葉を無視してロージーは強気にそう尋ねた。犯罪者に弱気なところを見せれば付け込まれる。そう考えて気を引き締めるロージー。彼女の問いにノーマンがにこやかに微笑みながら予想通りの答えを口にする。
「3Sの研究所。その仮眠室です。ただし有事での利用を想定して、外側からしか開けられない鍵のついた特別な部屋ですけどね」
「有事?」
「誰かを監禁する時など――つまりはロージーさんに対してしたようなことです」
誰かを監禁する部屋があるなど普通ではない。だがノーマンの口調は至って平然としていた。足が震えそうになるのを懸命に堪えながらロージーは質問を続ける。
「どうして私を監禁なんて……一体何が目的なんですか?」
「ロージーさんは人質になってもらいます。デッドさんとの取引を円滑にするための」
「デッドさんと取引?」
「はい。もうそろそろデッドさんも施設に到着するはずですよ」
「え――デッドさんがここに来るんですか!?」
幾つかの疑問を置き去りにして、ロージーはつい前のめりに口調を強くした。ノーマンが「はい」と頷いて無精髭の生えた顎をポリポリと掻く。
「3Sの人間が彼を連れてくるはずです。それまではこの部屋で待機をお願いします」
「どうしてそんな……3Sはデッドさんとどのような取引をするつもりなんですか?」
魔獣を製造する危険な組織。その彼らが貸金業の一社員に過ぎないデッドに一体何の用があるというのか。ロージーの疑問を受けてノーマンが苦笑を浮かべる。
「やはりそうですか。貴女は彼が何者であるか何も聞かされていないんですね」
「デッドさんが何者か?」
「彼は3Sの前身――魔女科学研究所で製造された魔獣です」
ロージーは「は?」と目をきょとんと丸くした。デッドが魔獣。ノーマンは一体何を話しているのだろうか。ロージーは唖然としながら胸元に視線を下した。胸に抱いている黒い子犬のような生物。魔獣であるポチが赤い瞳を不思議そうにパチパチと瞬いている。
「混乱するのも無理ありませんね。ですがこれは事実です。彼は魔女の細胞を適合した人工生物――魔獣です。ただし自らの意志で魔女の力を制御できる特別なサンプルですが」
「魔女の力を制御?」
「魔女科学研究所では数多くの魔獣を製造しました。その中で力の制御に成功したのは僅か数例しかいません。その貴重なサンプルである彼を3Sに迎え入れたいと考えています。彼の協力があれば魔獣製造技術を飛躍的に向上させることができますからね」
理解がすぐには追いつかない。ロージーは困惑しながらもまた疑問を口にする。
「で、でもデッドさんはヘヴンズライフの社員ですよ。デッドさんが魔女科学研究所で製造された魔獣だというのなら、どうして貸金業者なんかに?」
「その理由は借金ですよ」
「借金?」
「魔女科学研究所がヘヴンズライフから融資を受けていたことはお話ししましたね。しかし魔女科学研究所が解体されることとなり借金の返済が困難となりました。そこで魔女科学研究所はヘヴンズライフに取引を持ち掛けたのです。その取引と言うのが――」
ノーマンの瞳が冷たく輝く。
「貴重な研究成果でもある彼を売り払うことです」




