序章 始まり
「リュウドウ。素朴な質問なんだが、『魔物』と『一般生物』の違いはなんなんだ?」
一行はトワイライト・リムの樹海を抜け、現在だだっ広い草原を歩んでいた。
先程迄の息苦しく夜のような薄暗い光景とは対照的に、羊雲が浮かぶ青空、微風に打たれ海原の波のように弛む草が広がっている。
膝下までの長さの草は、サラサラと心地の良い音を立てていた。
樹海内部の、木の軋む音、枝が折れる音、なによりミミゾエの鳴き声よりは遥かに長閑な雰囲気だ。
「良い質問ですね」
直ぐ横をゆったりとした足取りで歩いているリュウドウは、大学教授を連想させる鷹揚さで口を開いた。
「一重に、『先天的に魔力が代謝に組み込まれているか否か』でございます」
「代謝……か」
リュウドウの言う"代謝"が、単に身体を動かすことではなく、専門的な概念であると悟り、ベアトリーチェは眉間に皺を寄せた。
どこか腑に落ちないものを抱えたように、顎へそっと手を添える。
「エネルギー源に、『魔力』が組み込まれた特殊生体という扱いです。昨今は個体数が溢れかえっており、特殊ではなくなってきていますが……」
淡々とした口調のまま、リュウドウは続けた。
「魔力を代謝、蓄積、放射、神経伝達、組織強化に利用しています。基本的には人類や他種族のように、既存の循環器系ないしは神経を通して魔力をやり取りしております。中には、固有の魔力器官や魔力回路を持つ種も存在するそうです」
情報量の多い説明に、ベアトリーチェは小さく目を瞬いた。
「そういう括りだったのか……。なるほど、理解できた」
リュウドウの言は非常に流暢かつ詳細である。
「出会った時から身綺麗だと思っていたが……、君は知識量が凄まじいな。感服させられる」
感嘆混じりの声音で言うと、彼女は小さな息を吐き、肩の力を抜いた。
その一方で、リュウドウの語りは一貫して流暢で、淀みがない。
通り抜けた風が彼の白い頬を撫で、髪先を微かに揺らす。
「……昔から、読書が趣味で。その産物かと」
控えめな声音。
謙虚な、あるいは必要以上に飾らない返答だった。
「読書か……、羨ましい。私は活字がそもそも苦手だな……」
頭を傾け、ため息を小さく吐いた。
鎧の継ぎ目がわずかに擦れる音が響く。
「騎士団長ともあろう御方が、大丈夫なのですか?」
心配を滲ませるリュウドウの視線はまっすぐで、どこか柔らかい。
だが、その奥にほんの微量の呆れが混じっているのを、彼女は感じ取った。
「軍事に関する事なら読めるんだがな……。新聞の戦線状況なんかは良く読んでいた」
「……ある意味、職業病では」
くすりと笑うように、リュウドウが言う。
ふたりの間を、また一筋の風が静かに通り抜けていった。
「話を戻しますが。魔力とは変幻自在の万能物質です。魔物は生来より魔力を使いこなしている。故に、圧倒的に高い再生能力・強靭性・異様な形態を実現しております」
リュウドウは軽く息を吸い、視線を宙に向けて言葉を継いだ。
その声音は、まるで学術講義の続きを語るように淡々としていた。
「具体的には、細胞分裂の促進、筋線維の魔力強化、さらには外骨格のような魔力硬化組織を形成する種もいます。人類の生命活動が血液と酸素に依存するのに対し、魔物は魔力という第二の循環基盤を持つ。だからこそ、あれほどの異常な性能が成り立つのです」
説明を終えると同時に、リュウドウは視線をベアトリーチェへ戻した。
「ですので、魔力を扱わないと苦戦を強いられるでしょうね。先程のように」
口元をわずかに緩め、からかうでもなく、ただ事実として述べる。
ベアトリーチェは気まずそうに喉を鳴らし、剣の柄へ自然と手を添えた。
「…………やはり、魔導の知識が必要だな」
そう呟いた声には、先の戦闘を反芻する悔しさと、どこか吹っ切れた潔さが混じっていた。
「魔力の扱いに慣れた方がよろしいですね。見たところ、自然に微量の魔力を扱っているようですが……」
リュウドウはそう言いながら、彼女の腰に提げた剣へ視線を落とす。
ミミゾエとの戦闘を反芻する。
彼女の肉体、そして剣には僅かながら魔力が宿っていたのだった。
「中央統一帝国のドクトリンは、魔導を取り込んでいるはずでしょう」
促すような口調で問うと、ベアトリーチェは肩をすくめ、困ったように苦笑した。
「あくまで、魔導師による後方火力支援のみだ。騎士の練度は全て、身体と技術だな。しかし、我がロードスクヴェルト家にて受け継がれた技は、魔力との関係が深い。恐らくその名残りだろう」
言葉を区切り、わずかに視線を落とす。
そこには誇りではなく、長く抱えてきた負い目に似た影があった。
「私は、魔力の扱いで躓いた………。師範や継承者が少なくなってな………。独学による弊害だろう」
自嘲にも似た吐息が、空気を震わせる。
リュウドウはその心境を察したように表情を和らげ、静かに頷いた。
「なるほど……。
魔力の扱いは、戦闘において必要不可欠です。扱えなければ、話にならないと言わざるを得ません」
厳しい言葉だが、そこに侮蔑は無い。
ただ現実を示し、前へ進ませようとする者の声音。
「……そうだな、修行の大いなる目標の一つだ」
ベアトリーチェは胸中で何かを決めたように、拳を固く握りしめた。
冷たい風が二人の間を通り抜け、その決意を祝福するかのように草葉を揺らした。
ベアトリーチェは、柄に添えた指先へ意識を落としながら、微かに息を吐いた。
先程から体の奥で、言葉にしがたい震えのようなものが続いている。
「だがな、君の言葉通り、先のミミゾエ戦や過去の戦闘で、魔力の感覚を掴みつつあるんだ」
ベアトリーチェは自らの掌を眺める。
「……今なら、魔力を利用できる気がする」
その言葉に、リュウドウはわずかに目を細めた。
評価するような、しかし探るような表情。
「ほう、それは中々良いですね」
淡々とした声とともに、リュウドウは一歩前へ出る。
黒い光沢を宿す革靴が、乾いた草をさらりと撫でた。
「では試してみましょう。斬りかかってください。魔力を籠めて」
ベアトリーチェの前に立ち、衝撃の台詞を平然と吐く。
「……は? お、待て。君に、だと?」
思わず声が裏返る。
彼の細い体躯に剣を向けるなど、どう考えても正気の沙汰ではない。
だがリュウドウは微笑を崩さない。
むしろ挑発めいた軽さすらあった。
「大丈夫ですよ。全力でどうぞ。手加減された方が、困りますので」
「…………本当に、良いんだな?」
「ええ。せっかく"掴みつつある"のですから」
逃げ道を塞がれた形になり、ベアトリーチェは深く息を吸った。
剣を鞘から抜くと、魔力の奔流を意識して腕へ集中させる。
柄を握りしめ、剣を構えた。
彼女の強靭な腕が、血管を隆起させる。
決心と共に地面を蹴った。
剣を振り上げ、上段の構えから真下に振り下ろす。
全身全霊の真っ向斬りだ。
空気を割くように、渾身の斬撃がリュウドウへと迫る。
次の瞬間。
「……っ!??」
甲高い金属音が響き渡った。
しかし、
リュウドウの左手が、何の抵抗もなく刃を受け止めていた。
握り締めてもいない。
ただ"添えた"だけのような軽い動作。
白い掌は傷一つなく、平然と刃を包んでいる。
「残念。籠ってませんでしたね」
優しげな微笑みとともに、彼はあっさりと言った。
ベアトリーチェは、絶句したまま固まる。
斬撃が通らなかったこと以上に、
自分では魔力を扱えたつもりだった錯覚が、胸奥に冷たい衝撃となって突き刺さる。
「…………ははっ。ダメだったか」
掠れるような自嘲の声が漏れた。
リュウドウは刃から手を離し、さも「当然」であるかのように軽く肩をすくめた。
「焦らなくていいですよ。無意識に扱えていただけであり、意識的操作に昇華できていないだけです」
その声音には責める色はなく、むしろ本気で彼女の成長を見守る者の静かな調子だった。
「当然、扱い方はしっかりとお教え致します」
リュウドウの静かな約束に、ベアトリーチェはようやく胸中のざわめきを落ち着かせた。
深く息を吐き、剣を鞘へ収める。
「……ありがとう。有難く、履修させてもらう」
その声音には、明確な目標を得た者の確かな芯があった。
リュウドウも微かに口元を緩め、それを祝福するように頷く。
「ですが……」
彼は言葉を区切ると、ふと視線を横へ滑らせた。
つい先ほどまでの穏やかな微笑が、ほんのわずかに形を変えた。
ベアトリーチェが眉を寄せる間もなく、リュウドウは草原の奥へ目を向けたまま呟いた。
「今は少しだけ、焦った方がよろしいかも」
「……え?」
淡白だが悪戯めいた口調。
だがその背後に隠れた"危険への確信"を、ベアトリーチェはすぐに感じ取った。
理由の見えない寒気が背筋を這い上がる。
乾いた風が草原を撫でた瞬間、草の揺れ方がどこか不規則に揺らぐ。
ベアトリーチェは喉の奥で息を詰め、リュウドウの目線を追った。
「先程の攻撃音で、勘づかれましたね」
リュウドウの声が落ちるより先に、
草原の向こうで、風が"鳴いた"。
ひゅう、とでも、ざらり、とでもない。
草同士が触れ合う柔らかさではなく、金属同士が擦れ合うような高い音が混ざった、不自然な振動。
次の瞬間、空気そのものが歪む。
耳鳴りのようでいて、腹の底から響くような、
電磁的な共鳴が微かに広がる。
遠方の草原一帯が、わずかに銀色を帯びて揺らめいて見えた。
風では説明できない"波"が、地表から揺り上がってくる。
「……なんだっ、あれは……!」
視界の端で、白銀色の毛並みが風に溶けるようにうごめく。
姿はまだ完全には見えない。
だが、群れで潜む魔物特有の"群体の気配"が、地面を通して確かに伝わってくる。
ベアトリーチェの心臓がひとつ強く跳ねた。
リュウドウはわずかに目を細め、低く呟く。
「さて、次なる魔物の登場ですね」
草原の匂いが変わった。湿り気が増し、金属のような冷たさが混じる。
遠くで一斉に草が伏せ、銀の背が風の中でゆっくりと持ち上がる。
次の魔物が、こちらを捕捉した。
ベアトリーチェが身構えたその刹那、
「!!!」
強烈な轟音が鳴り始めた。
まるで金属を破り切るかのような、鼓膜を直接刺殺してくるような強烈な音。
それは空気を、草木を揺らして鳴り響いている。
――……なんだッ!、この、不快な音は……!
堪らず、耳を塞ぐ。
その音が、直接心臓を握り潰してくるような感覚に襲われた。
そして、
「……?!」
ベアトリーチェの鼻から、血が吹き出した。
「……は、ォあ、……」
顔と頭に音波と共に浸透する激痛。
膝がよろけ、彼女の身体は力なく倒れた。
「おっと」
――……!
気づけば、リュウドウが身体を支えてくれていた。
この状況のなか、魔物の攻撃であろう鳴き声が畳み掛ける中、やはり彼は一切態度を変えていなかった。
「ご安心を」
微かに、リュウドウの声が耳に届くも、口の動きを注視しなければ聞き取れない程の轟音が続いている。
彼が手を、ベアトリーチェの耳元に添えた。
「な、あれっ?」
すると途端に耳奥の激痛が治まっていった。
三半規管が破壊されるような感覚も止まる。
「魔力で耳、頭部を保護しました。このような魔力を媒介にした攻撃への対抗策です」
「ありがとう、助かった……」
笑顔を見せる余裕は出来ても、未だに体がふらついており、まともに立てない状態だった。
「銀色の草が見えますか」
リュウドウが指さす先を見る。
彼の言葉通り、草原には銀色の草が点在していた。
現在はその草が小刻みに震えている。
「あれが、魔物か」
この音波の源であることはすぐさま察しがついた。
「あの魔物は『トコヨハウル』と呼ばれます。種類としては草食獣型の神経感応生物。
草原・丘陵地に群れで棲息しており、背面は見ての通り白銀色の毛で覆われ、遠くからは風に揺れる草原と同化します。
草食ではありますが、外敵に強烈な電磁的共鳴波を発することで精神を攪乱するという危険な生態です」
空気が地震のように震える中、リュウドウは意に介さず説明を続けた。
「鳴き声は低周波を含み、人間には『胸を締め付けられる』ように感じるそうです。
捕食者が近づくと群れ全体で共鳴し、音圧で相手の三半規管を破壊します。
また、先程鼻血を流したように、組織が薄い部位や毛細血管が破壊されるので、酷いと内出血も伴います」
ベアトリーチェは流れた血を拭い、揺れる草原を見据えた。
白銀色の背毛が、草原の波に混じるようにちらつき、不気味な"銀の筋"としてうねっている。
「……厄介すぎるだろ。勘弁してくれ」
ぼやきながらも、剣を抜き、片足を半歩引いて構えを取った。
だが、その横でリュウドウが片手を軽く上げた。
「お待ちください」
それは強制ではなく、柔らかな制止。
しかしベアトリーチェは、その"柔らかさの奥にある絶対性"を悟り、動きを止めざるを得なかった。
「今の貴女には……対応がやや難しい相手です。ここは、お任せを」
「……リュウドウ。何をする気だ?」
問いを最後まで口にする前に、リュウドウの身体がふわりと持ち上がった。
風でも魔法陣でもなく、重力そのものが彼に支配されている"ような、そんな浮上だった。
ベアトリーチェの喉が音を立てる。
魔物の共鳴が生み出す振動とは質が異なる、ぞくりとする霊圧めいた気配が広がる。
リュウドウは空中で静かに手を目の前に翳した。
その瞬間――。
空気が破裂したような衝撃波が草原一帯を包んだ。
先ほどまでの揺らぎとは次元の違う振幅。
地面が軋み、草が一瞬だけ押し潰されたように沈む。
続いて、白銀の群れが悲鳴のような共鳴音を上げた。
トコヨハウルたちは、一瞬で統率を失った。
逃げ惑い、四方へと散り散りに飛び出す。
大人の胴部ほどの大きさ。
虫のような手足をばたつかせて、草をかき分けがら逃げ回る。
中には方向感覚を失い、近くの木へ激突する個体すらいた。
「……な、何をした……?」
ベアトリーチェの声は震えていた。
だがそれは恐怖ではなく、理解を超える光景に対する純粋な驚愕。
リュウドウは風に揺れる黒髪を整え、淡い微笑を浮かべた。
「少しばかり"静かにして欲しい"と伝えただけですよ」
「……………………。」
度肝を抜かれた、と言わんばかりのベアトリーチェの表情を見たリュウドウは、クスりと笑みをこぼした。
「冗談です。トコヨハウルの弱点として、感応波を外乱されるとパニック状態に陥り、逃げ惑う。中には逃げ場を失って衝突死する個体もいるんです。
今のは魔力の放出を応用して、音波を放ちました」
草原は、先ほどまでの暴風のような振動が嘘のように静まり返っていた。
「な、……るほど。今の私じゃ、確かに何も出来ないな」
そう言って、トコヨハウルの死骸を横目で見る。
木にぶつかったその個体は、頭から血を流し、息絶えていた。
「……まだ生きていないか……?」
その死骸は、血を流しているものの、小刻みに毛が震えており微かに音波を発していた。
身構えるベアトリーチェを、リュウドウがまたもや宥める。
「大丈夫ですよ。トコヨハウルの死骸は光を反射し、微かな残留波を発するため、放浪者からは『死してなお鳴いている』と伝承されています。
そのうち、魔力の漏出がおさまり、音波も止むでしょう」
白銀色の草原に倒れ伏した幾つもの影が、まだかすかに震えていた。
空気を撫でるような揺らぎが波紋となって広がり、ベアトリーチェの髪先をそっと震わせる。
音というより、"胸の奥を軽く押す"ような圧。その波は、先ほどの轟きに比べれば弱々しいものの、どこか名残惜しげでまさに、死骸が余韻を放つかのようだった。
霧散していく魔力が風に乗り、草原全体の銀色を淡く照らした。
さざ波が遠ざかるように、圧はゆるゆるとほどけていく。
「……消えてきたな」
ベアトリーチェは息を吐き、己のこめかみに触れた。まだ微かな響きが残っているが、もう立っていても苦にならない。
残留波が完全に断ち切られると、草原に本来の静寂が戻った。
風の音、遠くの鳥の羽ばたき、そして二人の呼吸だけが響く。
つい先ほどまで空気そのものが敵だったのが嘘のように、景色が落ち着きを取り戻していた。
「たしか、このまま北に向かえば………。やっと、『第二リィド要塞都市』に辿り着くな」
「ええ、そうです。あの丘を超えれば、都市が見えるはず。人心地つけますね」
リュウドウは草原の先を指さした。
遠くの丘が、夕光を受けて緩やかに黄金色を帯びている。
戦いの余熱が去った今、その向こうに続く道がようやく現実感を帯びて見えた。
「行きましょう。ここに長居すると、別の魔物が寄ってくる可能性もありますから。あなたの疲労も完治していないでしょうし」
「ああ……もう、トワイライト・リムは懲り懲りだ。危険地帯と言われるのも頷ける……」
ベアトリーチェは剣を軽く振って鞘に収めた。
リュウドウは微笑み、歩き出す。
「この先の旅路は、もっと過酷ですよ」
若緑の草原を渡る風が、先ほどまでの震えを忘れたかのように穏やかに二人の背を押した。
「ドンと来い。全て糧にしてやる」
*
一礼したノクティスを眺めながら、ベアトリーチェも手を振る。
『八百万魔導店』の木扉が静かに閉ざされ、「開店」と手書きで書かれた掛看板がカタりと音を立てた。
「……かなり、長居してしまったな」
ノクティスの聞き上手さ故か、これまでの顛末を事詳細に語ってしまった。
リュウドウはさぞ首を長くしているだろうと考え、ベアトリーチェは足早に通りを歩きだす。
大通りには、昼下がりの光が差し込み、城壁都市特有の薄い影を舗道に落としていた。
往来には、旅装束の放浪者や軍の補給班、商人たちが入り混じり、色とりどりの外套や荷車の帆布が風に揺れている。
遠くで鉄靴が石畳を叩く音が重なり、その上に、露店から上がる香草スープの匂いと油煙が淡く漂っていた。
街路の両脇に建つ店々は、要塞都市らしい頑健な造りだ。
上層の防壁へと続く連絡橋には、巡回兵が等間隔に立ち、風に煽られる外套を押さえながら人波を見張っていた。
通りを進むと、正面の空がぐっと開ける。
巨大な監視塔を中心に、階段状の区画が三段程積み重なる。
第二リィド要塞都市特有の壮観だ。
ベアトリーチェは歩きながら、視界に流れる光景の密度に自然と息を整える。
野営地の緊張とは違う、"街の喧騒"という穏やかな熱が、少しずつ彼女の肩を軽くしていった。
昼下がりの日向は、石畳の照り返しが白く光り、行商人の声が遠くまで響いていた。
「………………!」
ベアトリーチェは、通り沿いの掲示板に貼られた一枚の新聞に目を止める。
紙面は風に揺れながらも、見出しだけははっきりと読めた。
遠くに見える、彼へ一瞬視線を走らせる。
「魔王、体制……」
《魔王体制は何をもたらしているのか──三名の学術家が語る現状分析》
ベアトリーチェは自然と足を止め、紙面を指で押さえながら目を走らせた。
『かつて世界を統べていた神獣の時代と比較して、現魔王体制は圧倒的に理性的であり、秩序的である。そのため、過去の人々は"恐れつつも甘受した"側面がある』
『暗黒時代を破り、神獣を討ち果たしたのは他ならぬ彼ら魔王自身である。これによって世界が改善された事実は揺るがない』
通りを吹き抜ける風が、紙の端をぱたぱたと揺らした。
『とはいえ、魔王の強大な力は今なお世界の懸念材料であり得る。敵意はなくとも、"その気になれば滅ぼせる"という一点が、各国の外交姿勢に影を落としている』
そして、最後の段落。
『近年着座した第八魔王については、"史上最凶"とまで謳われるほどの力を有する。実際、過去に第八魔王国へ侵犯した諸国は、例外なく壊滅に追い込まれた記録が残っている。ゆえに専門家らは、一部の外交的成果を評価しつつも、均衡の脆弱さを指摘している』
――壊滅……。
ベアトリーチェの眉が小さく動いた。
紙面から視線を離し、息を吐きながら歩き出す。
要塞都市の大通りは広く、人々のざわめきが層のように重なって耳へ届く。
ふと、通りの先に視線を向けた。
街路樹の影に隠れるように建つ小さなカフェ。そのテラス席で白いクロスのテーブルを前に、紅茶かまたは珈琲を嗜んでいる彼がいた。
長い脚を組み、背筋を伸ばし、陽光を受けても涼しげな表情のまま。
風に揺れる黒髪が、カップの縁越しに穏やかに揺れた。
リュウドウである。
ベアトリーチェに気付いたのか、彼は静かに微笑み、軽く手を挙げて合図した。
まるで新聞に書かれた"最凶"など別世界の出来事であるかのように、優雅で、涼やかで、誰よりも穏やかだった。
「……聞きたい事も、山積みだな……」
ベアトリーチェは苦笑をひとつ零すと、歩調を少し速めた。
「申し訳ない、つい長話を」
慌ててリュウドウに駆け寄り、ベアトリーチェは顳かみをかいた。
「もちろん、差し支え御座いません」
花のかんばせ、ならぬ、人形のかんばせという言葉が似合う、爽やかな微笑み。
右手に持つカップには、黒い珈琲が湯気を立たせていた。
「ひと休憩しますか? 先程あなたの分も頼んでおいたんですよ」
「そうなのか、ありがとう。では、1杯だけ……」
そう言ってリュウドウの対面の椅子を引く。
彼は相変わらず、優雅で儚げだ。
「…………。」
ふと、半ば無意識にベアトリーチェの目線はリュウドウの口元へ吸い込まれる。
ティーカップから離れた唇が、――化粧けなど微塵も無いというのに、薄紅色の端正に膨らんだ唇が、珈琲を味わうように小さく開閉される。
中性的な若い青年であるにも関わらず、婀娜っぽさすら感じさせられる。
――……………………。
テーブルに頬杖をついて、眺めていると、
「どうしました? もう置かれてますよ」
「えっ、あっ……」
はっとしてテーブルに視線を落とすと、目の前には既に珈琲が用意されていた。
――見蕩れて、気づかなかった……
失態に赤面をするベアトリーチェ。
取り繕うように、添えられた角砂糖を入れ、かき混ぜる。
「こちらの老舗喫茶店が供する限定ブレンド、『四境ブレンド』です。あなたの出身、統一帝国産のグラフト峻峰豆が使われているそうです」
「ん、……通りで……」
口に含み、じわりと熱が広がる。
同時に、一口で背筋が伸びるような、正されるような苦味が滲んだ。帝国産の豆が効いている証拠だ。
しかし、苦味が一瞬で過ぎたと思えば、ブレンド特有の爽やかな味わいと黒糖が混ざる奇妙な甘香が、ゆっくりと鼻腔を抜ける。
「……美味い」
祖国の味に感嘆するように、ベアトリーチェは微笑みを零した。
リュウドウは変わらぬ手つきで深煎りの黒杯を口へ運んでいた。
「つかぬ事をお聞きしますが、ノクティスさんには、今までの事を話していたのですか?」
左手で持っていた文庫本をぱたりと閉じ、テーブルに置きながら、ベアトリーチェへ言った。
「そうだ。私が何故旅に出たのか、も含めてな」
「なるほど……、あの一件のことですか」
あの一件。それは、他ならぬ「中央統一帝国竜人強襲事件」である。
ベアトリーチェは、第二リィド要塞都市までの道程にて彼に包み隠さず話していたのだった。
「彼女とは、旧友なんだ。愚痴を吐くつもりで語ったさ……。リュウドウも、親身になってもらって感謝する」
「礼には及びません。旅仲間として、当然です」
そう言って、珈琲を飲み干す。
「おかげで、目的地が決まりましたからね」
カチャりと小気味よい音を立てて、リュウドウは空になったカップを皿へと戻した。
湯気がまだ薄く揺らめき、その香りがわずかな余韻としてカフェの空気に滞る。
彼の表情は、何か確信めいた光を帯びており、これまでの旅路で曖昧だった次の一歩がついに輪郭を得たようにも見えた。
不意の発言に、ベアトリーチェは眉を跳ね上げる。
ここしばらく続いていた緊張の糸が、一瞬ほぐれたかと思えば、すぐに別の緊張が胸の奥で芽生える。
「こんな早い段階で、聡明だな。どこを目指すんだ?」
その問いかけは軽く投げられたものだったが、リュウドウが返した答えは、
あまりにも重く、鋭く、空気の密度を変えてしまう。
「魔王国です」
カラン、と。
店内のどこかで揺れていた銀製スプーンの音が、妙に遠くに聞こえた。
周囲の喧騒すら、薄い膜を隔てたように遠のいていく。
ベアトリーチェは背筋に寒気が走るのを止められなかった。
「最初に目指すは、竜の国『第二魔王国、統一ヴォルカン=ドラハト連合王国』ですね」
またひとつ、胸の奥で何かが跳ねる。
あの国名は、どれだけ遠く離れていても、どれだけ時代が移り変わっても、
圧として記憶に刻みつけられる。
それほどまでに、他国を畏怖させた覇権国家だった。
――……第二魔王国。
その名を胸中で反芻した瞬間、ベアトリーチェは掌に汗が滲むのを感じた。
拡張軍事主義、殲滅戦、吸収、征服。
帝国ですら二の足を踏むほどの軍事と力の化け物。
そして何よりそこには、
第二魔王が君臨している。
世界の竜を統べ、古代竜の母なる存在。
破壊と火力の象徴であり、歴史に名を刻む暴君の代表格。
自然と、喉の奥がひりついた。
「な、なぜ……そこを目指そうと?」
自分でも驚くほど弱い声が出た。
恐怖か、警戒か。それとも予感か。
胸の内でさざ波が立つのを押しとどめながら、彼女は慎重に問いかけた。
「あなたの祖国を破壊したのは、竜人ですよね。第二魔王国は竜族、竜人族が繁栄している地。なにか事件の手がかりになると思って」
リュウドウの声音は静かだった。
だがその静けさは、芯の強さを帯びていた。
淡々と語りながらも、彼なりの責務と誠実が滲んでいる。
「そうか……! 竜人族ともあれば、少ながらず関係があるはず」
胸の奥で霧がひとつ晴れた気がした。
だが次の瞬間、自分の言葉に引きずられて、新たな恐れがぞくりと湧く。
「それに、その地で研鑽を積めば……。
第二魔王と、竜王か。まさに力の権化だな、戦慄する」
ベアトリーチェがため息混じりに呟くと、
リュウドウは、ほんの少し呆れたように眉を上げた。
「なにか勘違いしてらっしゃいます? 第二魔王の2つ名が『竜王』ですよ」
「あれっ」
ベアトリーチェは椅子の背もたれにわずかに寄りかかり、
言葉の意味を飲み込むまで数秒固まった。
竜王その称号を持つ存在が治める国へ、いま自分たちは向かおうとしている。
「しかし、あなたの読み通り、第二陛下は力を象徴する。単純なぶつかり合いなら、魔王屈指です。良い修行にもなりそうだ」
リュウドウの声音は、怖気よりもわずかな期待を孕んでいた。
可能性が同居した、不思議な色をしていた。
「第二魔王国は確か……、西方大陸だったな」
ベアトリーチェは、地図の記憶を手繰るように言った。
その声には慎重さがありながらも、どこか覚悟が宿っている。
「そうですね、西方大陸『ヴァルマリア大陸』の南部。火山帯の付近に領地を構えています」
リュウドウは淡々と返しながら、指先でカップを軽く回す。
彼の態度には不思議な落ち着きがあった。
それは恐れを知らないという意味ではなく恐怖を理解した上で、ものともせずなお進む者のそれだ。
しかし、彼も魔王の一角。当然と言えば当然である。
「では、最初に向かうは西方大陸だな」
ベアトリーチェの言葉が、ふたりの旅路の方向を確固たるものへと変えた。
地図上の点でしかなかった土地が、今や明確な目的地として心に沈んでいく。
「ええ、研鑽の旅にて、目指すべき地は幾つかありますが、まずは事件の解明が急務でしょう」
リュウドウは、ゆっくりと立ち上がる。
パラソルの端から差し込む光が、彼の黒い髪をやわらかく照らした。
その背に、確かな決意の影が落ちていた。
ベアトリーチェもまた、胸の奥で熱が灯るのを感じる。
恐怖と覚悟、その両方を抱えながらふたりはついに、魔王の領域へ歩みを進める決断をした。
「配慮に感謝する。……あの竜人の目的、事件の真相を暴き出さないとな。理由次第では……、あの済ました顔にもう一撃叩き込んでやる」
そう呟き、ベアトリーチェは拳を強く握り締めた。
その顔は苦渋と怒りが滲んでいる。
祖国を、仲間を痛めつけた竜人への憤怒。
そして、頭に浮かぶ"彼女"との約束……。
「責任と愛国心が強いことはなによりです」
目の前でリュウドウが微笑みを浮かべる。
「旅の本番はここからですね。その竜人に、単独で勝てるようになるため御助力を惜しみません。
微力ながら、魔王の第八席としての加護をお与え致します」
リュウドウは両手を胸に当て、朗らかに告げた。
その穏やかな風貌は、まるで教会の聖女の様に温かみがあり、なにより美しい。
「感謝しきれない……。改めて、よろしく頼む」
ベアトリーチェは爽やかな笑みを称え、席を立った。
つられてリュウドウも、ゆったりと立ち上がる。
「では向かいましょうか。アウスデリア帝国領とはお別れです。よろしいですか?」
「構わない。前々から、踏ん切りはついている」
その声は力強く、侘しさなど微塵も感じない。
ベアトリーチェは澄んだ瞳で、要塞都市の大通りを振り返った。
「………………。」
テーブルには珈琲の代金として、既にセントラリア銀貨が1枚置かれていた。
二人はゆったりと歩みだす。
陽光を反射した銀貨が、美しく白銀色に輝いていた。
通りを出ると、冷えた石畳の空気が頬を撫でた。
昼前の大通り先には鍛冶屋の槌音が響き、兵らの掛け声と、商人たちの呼び込みが重なり合って、要塞都市らしい濃密な喧騒をつくり出している。
しかし、二人の足取りは静かだった。
ベアトリーチェは、もう一度振り返る。
黒壁で組まれた高楼、壁面を覆う旗章、重厚な城壁。
アウスデリア帝国の防衛の象徴ともいえる軍事都市は、彼女に多くの記憶を残した場所だ。
だが、その表情には未練はなかった。
「行こうか……」
「もう、迷いはありませんね」
ベアトリーチェは微笑を返し、裏門へ向け歩みを進めた。
通路は城壁の影になって薄暗く、鉄骨が軋む低い音がどこかで響く。
訓練帰りの兵士たちが、二人を見て一礼し、敬意のこもった眼差しで見送った。
ベアトリーチェも、歩みながら丁寧な敬礼を返す。
その生真面目さ、全ての兵に満遍なく送るその礼儀は、まさに騎士の鑑である。
裏門へ辿りつくと、既に数名の衛兵が整列していた。
哨戒兵の一端ではなく、その装備から皆それなりの階級を所持しているとベアトリーチェはすぐに勘付いた。
「これは……。お見送りを、してくれるのか」
「おっと、不味い……」
面食らって周りを見渡す彼女の横で、リュウドウが慌てて顔を俯ける。
半身をベアトリーチェの後ろに隠し、ポケットへゴソゴソと手を突っ込んでいた。
「……大丈夫か? どうした」
怪訝な様子で、ベアトリーチェは後ろを向く。
「いや……」
彼は苦笑いを浮かべながら、
「要所の兵士さんですよね……。顔バレしちゃいます」
「た、確かに……っ。どうしよう……」
二人で仲良くといった風に、オロオロとする。
ベアトリーチェは振り返り、膝を屈めた。
「私の鎧を着て、顔を隠そうっ」
「確かに顔は隠せますが、怪し過ぎでしょう」
「私の外套に隠れるとか……」
「上半身だけ突っ込むということですか……。どう考えても無理では……、さらに怪しい」
「……いっその事、打ち明けたらどうだ……」
「大陸規模の号外新聞にデカデカと乗りたいなら良い案ですね……。俺は嫌です……」
「うわぁ……、どうしたものか」
情けない声を漏らすベアトリーチェ。
そんな空気を断ち切るように、後ろから猛々しい声が響いた。
「アウレリア総団長殿!!」
「ふぁっ?!」
致命的な隙を付かれたように、驚きの声を上げる。
ベアトリーチェは反射的に姿勢を正し、声のする方向へ体を向けた。
そこには、黒い顎髭を蓄えた屈強な兵士が立っていた。
爽やかな笑みを浮かべながら、こちらへ歩み寄っている。
「ご苦労さまです、総団長殿!」
そう言って力強い敬礼をする。
「ウァイズ司令官殿?!」
ベアトリーチェも即座に敬礼を返した。
今、目の前にいるのは第二リィド要塞都市を管理、運営する司令官その人だ。
「まさか、わざわざ見送りに来てくれたのか」
「もちろんです! 偉大なる国防総長を、黙って通すなど無礼極まりないでしょう! はっはっは!!」
豪快に笑い声を上げる。
その快活さに、ベアトリーチェの頬が綻んだ。
久しぶりに、帝国の空気を嗅いだ気持ちだった。
「そうか、誠に感謝する。『勅令巡察』の命、しかと達成して見せよう!」
「お任せしましたぞ。帝国の威厳を、轟かせて下さい」
そう言って、互いに熱い握手を交わす。
同時に、後ろの兵士らが敬礼をし、ブーツと鎧の掠れる音が一斉に鳴った。
「こちらの門をくぐれば、帝国領の外です。途中までは哨戒ラインが届いておりますので、ご安心……を――……?」
言いながら、司令官は怪訝な目つきでベアトリーチェの後ろを除き見る。
「ど、どうしたね……」
苦笑いと冷や汗が大量に溢れ出る。
「お供をお付けしたのですか?」
その目線は、俯いて必死に顔を隠しているリュウドウへ注がれていた。
「あ、ああぁそうだ。『荷物持ち』としてな、同行させている……」
声がつまり、手に汗が滲んできた。
司令官は顎を摩り、目を細めるも、
「なるほど! 途中で雇ったのですね。それは効率的ですな」
と、合点がいったように手を叩いた。
そして、リュウドウに手を差し伸べる。
「お嬢ちゃん、道中大変だろうが、アウレリア総団長殿の傍なら安全だ! 我らが団長殿の荷物持ち、頼んだぞ!」
ベアトリーチェは汗を流しながら、見守ることしか出来なかった。
司令官は依然笑顔を称え、握手を求めている。
親切にも偉丈夫な体躯を屈め、リュウドウに視線を合わせようとしている。
「はい……、もちろんで御座います」
リュウドウはゆっくりと顔を上げた。
ベアトリーチェは内心、驚愕したが彼の顔には、ハンカチが当てられていた。
作り笑いを浮かべて、ハンカチで口と鼻を隠している。
リュウドウはそのまま、抑えている手とは反対の左手で、握手を交わす。
「む、どうしたんだね君」
当然、司令官は訝しんでいる。
すかさず、リュウドウは告げた。
「少々風邪気味でして……。ゴホっ、けほッ。申し訳ありません」
嘘の咳を吐きながら、顔を逸らす。
――ナイスだ、リュウドウ……。
ベアトリーチェはホッと胸を撫で下ろした。
「それはいけないっ」
司令官は慌てたように、ポケットへ手を入れた。
「これをやろう、大分マシになる筈だ」
そう言って取り出したのは、乾燥させた薬草の束だった。
「少女に長旅は厳しいだろう、遠慮なく使いたまえ」
「これは、ご丁寧にありがとうございます」
少女と勘違いされている事を受け入れているのか、リュウドウは少し声を高くして応じた。
にっこりと微笑みを称え、薬草を受け取る。
「なんと男前な兵士様、惚れてしまいそうですわ」
胸に手を当て、猫なで声を出す。
その仕草は正しく『御令嬢』である。
「い、いや。紳士として、と、当然じゃあないかっ。はっは!」
頬を赤らめ、動揺する司令官。
リュウドウの悪ノリに、手玉に取られる寸前であった。
――おいおい……。
ベアトリーチェは、司令官とリュウドウに呆れを隠しきれていない。
「はしたないですよ、司令官」
後ろの兵士達から、揶揄いの言葉が投げかけられる。
「うるさいぞっ貴様ら!」
「良かったじゃないか。美少女に逆ナンされるなど、滅多に無いぞ」
腕を組んだベアトリーチェも便乗するように、笑みを浮かべた。
司令官は姿勢を正し、オドオドと苦笑いを称える。
「生憎、失恋したばっかりですので……。当分はよろしいですな……」
「まあ、それは残念ですわね」
リュウドウは懲りずに、くすくすと笑みを零す。
司令官は彼の肩に手を置き、息を整えるように声を掛けた。
「もっと若くて、容姿の良い男を捕まえなさい……。そこの騎士などどうかね」
そう言って、ベアトリーチェを指す。
その顔には薄ら笑が滲んでいた。
「おい、私は女だぞ」
目を細め、ベアトリーチェは顔を引き攣らせる。
周りの兵士達は口を抑え、破顔を零す。
他愛のない軽口が飛び交い、笑い声が城門を埋めつくした。
重い鋼鉄門は半ば開かれ、城外へ続く道がまっすぐに伸びている。
門の向こうには、乾いた草原と、遠く霞む山影。
そして、まだ見ぬ大陸――ヴァルマリアが待つ。
一人の衛兵が、胸に拳を当て敬礼した。
続いて、周りの兵士達も姿勢を正す。
ベアトリーチェは真っ直ぐその視線を受け止め、小さく頷いた。
「世話になった。直ぐに戻るとまでは言えんが……無事であることだけは約束しよう」
「お気をつけて。風向きが悪い日は、魔物も活発になりますゆえ!」
ウァイズ司令官が、大きな声で敬礼をした。
軽い冗談に、リュウドウが陰でくすりと微笑む。
「では、参りましょう。ここからが、旅の本番です」
門を抜けた瞬間、要塞都市の喧騒が遠ざかり、外の風が頬を撫でた。
世界の匂いが変わる。
重厚な城壁に囲まれた暮らしでは決して味わえない、開かれた空気だ。
ベアトリーチェはしばらく視線を要塞都市へ注いだまま歩いた。
背後では衛兵たちが、門の前に立ったまま見送っている。
見えなくなるまで、ずっと。
やがてリュウドウが、柔らかく口を開いた。
「ベアトリーチェさん。あなたが求める答えも、戦う力も。きっと、この先で見つかると思います……」
「ああ。……そうであってほしい」
空は澄み、雲は薄く伸び、旅路を照らす陽光が二人の影を前方へと導く。
第二魔王国、『竜の国』統一ヴォルカン=ドラハト連合王国。
その名を胸に刻み、二人は新たな一歩を踏み出した。
ここから始まるのは、ただの旅ではない。
運命を変えるための、決定的な第一歩だった。
人物紹介:ウァイズ司令官。
ウァイズ・フォン・ダイバー
年齢:35歳(老け顔)
帝国西方防衛の要である第二リィド要塞都市の司令官。
中央軍で実績を積み、さらにリィド前線での現場経験も豊富な優秀な軍人として抜擢された。
リィド要塞都市は帝国国防の要所であり、巨大な城塞都市として西方・南西・南方の三方面を防衛している。
第二リィドはその中でも西方方面の防衛を担う重要拠点であり、司令官には中央軍でも屈指の人材が配置される。
ウァイズは実力・人格ともに部下からの信頼が厚く、現場でも一目置かれている存在。
落ち着いた判断力と実務能力を備えた、典型的な叩き上げの軍人である。
なお最近、愛人に振られた。




