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大英雄の修行旅、荷物持ちは最凶魔王  作者: 西奈 喜楽


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序章 出会い・出立

早朝、薄鈍色の空の下、ベアトリーチェは南門の石段に立っていた。

 門扉はまだ半ば閉ざされ、巡哨の影が長く伸びる。

 風は冷たく、城壁の上を吹き抜けるたびに、旗ざおの端がかさりと鳴った。

 彼女は振り返る。

 瓦屋根が波のように連なる都の屋根並み、遠くに見える王城と宮殿、灯りが残る兵舎の窓。その全てが、今の彼女の責務と約束を宿している場所だった。

 ――………………。

包帯の匂い、妙に軽い布地の感触が胸に刺さる。

 唇は動かない。

 だが目が湿るのを彼女は許さなかった。

 深く息を一度吸い、短く顎を上げる。小さな声で、しかし自分に確かに届けるように言った。


「皆、頼んだぞ。」


言葉は石垣に吸われ、ゆっくりと次の歩へと連なる。

 足が一歩、城門の外へ踏み出した瞬間、背中で門の鋼がわずかに軋む音がした。

 それは帰還の時まで聞くことのない音になるかもしれない、ベアトリーチェはそれを知りながら、歩みを止めなかった。


 旅程が遂に始まった。

 まずは第一リィド要塞都市を抜ける。

 兵站と哨戒が整備された堅牢な通路を通り、のどかな田舎町の細道へ。

 朝市の匂い、子供の視線、古い祠。

 帝都での喧騒とは異なる、日常の常理がそこにあった。

 彼女は町人に軽く会釈し、舗装のほつれを踏みしめながら先へ向かう。


やがて帝国領西方、第三リィド要塞付近の即席兵站デポに到着した。

 泥の地面に仮設の天幕と物資の山が並ぶその場所で、偶然にも第五魔王国から来た派遣哨戒部隊の将校と対面した。

「奇遇ですな、アウレリア総団長殿」

「これは、ご無沙汰しております。重ねて、この度はご協力に感謝する」

 互いの目を短く測り、硬い握手を交わす。

 握手は言葉に勝る約束。

 その後、仮設テント内にて彼女は配備図に目を落とし、指先で要点を確認する。

 予定された補給路、相互連絡の計画、即応小隊の配置。

 すべて彼女の下準備どおりに稼働していた。

 ――……なんとも重厚な騎士達だ。

 周りを見れば、第五魔王国の騎士らが六割。

 皆、完成された体躯と威厳ある空気感を放っており如何に訓練が行き届いているかが分かる。

 身につけている鎧は黒く、高級感すら漂う。

 ――中央軍でないのにこのレベルか……、さすが魔王国……。

 将校が歩み寄る。

「我々は地方都市の防衛騎士団に過ぎませんが、腕は確かです。ご期待下さい」

「全く持って心強い限りです。かつての共同演習での迫力も凄まじかった。……出来ることなら、第五魔王へ直接礼を言いたいものだ」

 彼女は礼儀を重んじる。しかし、それよりも魔王なる存在に対する好奇心も含まれていた。

 将校は苦笑しながら、

「魔王陛下は滅多に表に出る事はありません。此度の共同も、軽く耳に届いている程度でありましょうな」

「そう、ですか。何はともあれ、事が上手く動いていて良かった」

 その後は軽く挨拶を交わし、デポを出発した。

 ――…………あの将校殿、もしや私より強いか?

 終始、ベアトリーチェは世界の広さを早々に実感していたのだった。


 旅路の任務は要塞周辺の樹海での掃討行動。

 彼女は剣を抜き、樹間に潜む魔物の群れと刃を交る。

 獣の咆哮、木の裂ける音、血の熱さ。

 短いが激しい戦闘の末、狩りは終わり、地元民は安堵の表情を見せる。

 治安回復は彼女にとっても、修行の一端であった。


 さらに行路は南へ、隣国・聖レミエラ王国へと続く。

 王国の門をくぐると、知り合いの将校が待っていた。

 再会はぎこちない笑みと軽い握手。

 ベアトリーチェ本人の希望から、滞在中は軍事演習へと参加した。

 行軍の反復、陣形の組み替え、魔導師を交えた協働射撃の訓練。

 彼女は率先して動き、戦術を磨く。合間には盗賊団の討伐や、近郊で暴れる魔物の掃討にも参加し、被災地の民に手を差し伸べる。

 滞在中、紹介を受けて訪れた教会の薄暗い礼拝堂で、ベアトリーチェは一人、跪いた。

 襲撃当日の映像が脳裏をよぎる。

 取り逃がした竜人、崩れた防壁、火に包まれた屋根。血を流す戦友。

 言葉を選ぶように、彼女は胸の内の過ちを静かに懺悔した。

 告解室の蝋燭はゆらめき、彼女の影を長く伸ばす。

 懺悔を終えた足は再び西へ向かう。

 次なる目標は第二リィド要塞都市。

「君ならいつでも大歓迎だ。戦友として、切磋琢磨を尽くそうではないか」

 別れ際、友人将校が快活に笑っていた。

「もちろんだ! 近いうち、また会おう」

 ベアトリーチェも爽やかな笑みを浮かべる。

 将校の後ろでは、複数人の騎士が敬礼をして彼女を見送っていた。

 

 王国端を経て国境へ、そして帝国外縁へと抜ける長い道程。

 途中、小さな帝国領の町に立ち寄り、短く買い物と休息を済ませる。


以降の行程は、幾度もの訓練と小競り合い、夜営と短い休息が織り成したモザイクのように過ぎていった。

 旅は早送りされる映像のように短く、しかし確実にベアトリーチェを遠くへ運んだ。

 そして、やがて彼女は、想定もしなかった"出会い"と試練の待つ、外縁の地へと足を踏み入れるのである。


 *


 外縁地帯トワイライト・リム。

 統一帝国領、西南方面に位置する第二リィド要塞都市哨戒ラインの外れに位置する、準危険地帯である。


 現在、ベアトリーチェが滞在中の町はトワイライト・リムの数km南方にある。

「ほう、『人材派遣組合』か」

 掲示板に貼られているビラを、まじまじと眺めて呟く。

 『人材派遣組合』。

 それは、様々な仕事の案件をまとめ、仲介をする組織である。

 仕事内容は様々。

 護衛、捜査、魔物・害獣討伐、果ては雑用まで。

 仕事を受ける人物も多種多様であり、ベアトリーチェのような軍人も中にはいる。

 俗に言う、『ギルド』というものだ。

 かつては『冒険者ギルド』などとも言われていたが、時代の進みにより冒険者というものは次第に『放浪者』という扱いにされ、ギルドなどという言葉も正式には使われなくなっていった。

 しかし、民間の間ではやはり『放浪者ギルド』『派遣ギルド』などとも呼ばれている。

 そして、この町ではこのギルドの活動が盛んだ。

 理由は一重に、この町は外縁地帯トワイライト・リムが付近にあり危険ごとが耐えないためである。

 ――やはり、魔物討伐と貿易商人の護衛案件が多いな。

 放浪者らは、これらの案件を受注し解決をする。そして報酬を貰い受けるという単純明快なシステムだ。

 もとより放浪者を対象とするものでは無かったが、仕事の受け安さが評判を呼び、『放浪者ギルド』と呼ばれるに至る。

 ――……危険な案件ばかりだ。しかし丁度良い、修行の糧になるな。

 彼女は掲示板のビラを手に取り、早速組合の建物へと向かった。

 露店市場を抜け、一際大きな家屋の前に到着する。

 支部とは言えど、組合の建物の造りは周辺家屋とは一線を画していた。

 民家は木骨組の構造に漆喰の白い壁で構成されるチューダー様式が主流なのに対し、ギルドは左右対称のレンガ造りで尖塔と近代ガラス窓が目立つジョージアン様式であった。

 列強においてこの様式は珍しくないが、田舎町のど真ん中においては非常に目立ち、文明開化の気配を感じさせる。

 ――凄いな。

 都会っ子のベアトリーチェにはあまり響かず、彼女は短い感想を残しながら、鉄製リベットのついた木製両開き扉をゆっくり押し開けた。

 重厚な扉の隙間から、内装が覗く。

「………………。」

 最初に目に入ったのは大広間、真っ直ぐ目の前には受付カウンターがあり、途中両脇には丸テーブルが立ち並んでいた。

 ――カフェまで中にあるのか。

 左端にはドリンクの販売店まであり、広間にて休憩が取れる仕組みとなっている。

 テーブルを囲む人々の中には、酒を嗜む者までいる。

 ベアトリーチェは受付まで一直線に歩む。

 周りは軍人か放浪者ばかり。

 当然、無骨な見た目の者が多く女性はかなり少ない。

「…………。」

 多くはないが、ベアトリーチェには視線が集まっていた。

 見ない顔。は理由の一つに過ぎない。

 彼女は軍人然としていても、麗しき女性だ。そんな人物が高級そうな鎧と剣を身につけている。オマケに、ダークエルフのハーフという珍しい種族をしている。

 好奇の目を向けられるのも無理はない。

「この案件を受けたいんだが」

 敢えて視線を気にしないように、足早に受付へビラを渡す。

 受付役の若い男性は、「拝見致します」とビラを手に取り大きな丸眼鏡を指で押し上げる。

「……失礼ながら、こちらの案件は危険度が高いものとなっております。ご登録をされてないと受注は出来かねます……」

 そう、申し訳なさそうに告げる。

 案件内容は、「大型怪鳥の討伐。依頼主大根農家」と書かれており危険度は、「危険性無し」「下級」「中級」「上級」の内の「上級」と記載されていた。

「では登録を済ませたい。出来次第出発する」

 躊躇無く即答するベアトリーチェに、面くらった様子の受付役は、

「……かしこまりました。右手側のカウンターにて簡易登録をお願い致します」

 と答えた。

 ベアトリーチェは笑顔で「ありがとう」と挨拶を残し、そそくさと手続きを済ませ、またもや足早にギルドを後にした。

 ――よし、初のギルド案件か

 ビラに記載されている案件場所は、町の外れにある農園と書かれている。

「徒歩で行けるな……」

 初めてのギルド案件受注。難易度は上級。

 これまで数々の魔物や魔族と戦闘経験のある彼女だが、組合が難易度を上級と設定した魔物だ、良い修行になると踏んだベアトリーチェは嬉々として足を運ぶのであった。

 ――…………しかし、怪鳥が大根を狙うとは……。なんかシュールだな……。


 翌日昼過ぎ。

「なんとも、肩透かしを食らった気分だ……」

 彼女はギルドに怪鳥の生首が入った袋を提出しながら、そう呟いた。

 依頼主は農園を営む老夫婦だった。

 大根が目玉商品だったのだが、最近になって息子が帰省し、ついでという事で新しく酪農を始めたのだった。

 怪鳥はその酪農にて飼われている牛に目を付けたのだろう。

 夜な夜な、牛が丸ごと攫われるという被害にあっており、息子がギルドへ申請をしたのが一連の流れである。

 当然、牛を連れ去るほどの怪鳥は非常に巨大で翼を広げると民家を覆う程大きく、小型の竜と変わらない巨体っぷりであった。嘴は頭の倍は長く、鉤爪はレンガ壁をも穿つほどに強靭だった。

 しかし、一度竜族とまみえたベアトリーチェにとっては敵では無かった。

 故に、無傷かつ全く疲弊もしていない彼女は今、報酬の『セントラリア金貨』15枚を掌でジャラジャラと転がしていたのだった。

「だが、人の役に立つというのはやはり、気分が良いものだな」

 露天商を歩きながら、彼女は満足気に口角を上げる。

 ――今日はどんな案件があるのだろうか……。

 何の気なしに組合へと向かう。

 護衛任務でも討伐でもドンと来いという気分で、組合の木扉を押し開ける。

 昨日と変わらず、建物内は放浪者や現地住民の賑やかな声で満ちていた、はずだった。

 ――…………何の騒ぎだ?

 ギルドは大人数の人で溢れ返っている。賑わい、など明るい言葉は似合わず緊迫したような空気感と、どよめきが充満していた。

 中には怒号も度々飛び交い、涙を流す者までいた。

 ベアトリーチェは怪訝に周りを見渡す。

 不意に、一際過密状態の人混みが視界に飛び込んだ。

「あれは、案件掲示板か」

 人混みへと足を運ぶ。

「ちょっと失礼する」

 人を掻き分け、掲示板が見えるよう前進した。

 皆、一様にビラを眺めている。

 そのビラは他のものより一回り大きく、文字のインクも濃く大きかった。

「おっと……」

 もっと内容を確認しようとするが、人の波に流されてしまう。

 掲示板の前には長テーブルがあり、その上には掲示板に貼られたビラと同じ書類が束になって積まれている。

 組合内部にある掲示板に掲載されたビラは、基本剥がすことが禁じられている。案件を受けたい者は、この束から書類を手に取り、受け付けへと渡すというのが決まりである。

 ベアトリーチェは咄嗟に手を伸ばし、皆の注目を浴びているビラの書類を手に取った。

 近くのテーブル席に腰を掛け、案件内容をじっくり確認してみる。

 ――一体全体、何がそんなに人々を……

 その案件は、

「なっ……、なな、なんだこれは」

 仰天唖然、彼女は紙に書かれた案件を読んだ瞬間、開いた口が塞がらなくなった。

 『昨今危険性を増している、土属性大型古代竜(古竜)の討伐。報酬、セントラリア金貨300枚。条件、竜の駆除を証拠づける物を組合に提出。依頼主、近郊自治体連合』

 危険度については下方に記されているが、『超上級』と書かれていた。

「300枚など……、一年間は働かなくて済むぞ……」

 高額報酬。しかし、案件内容は桁外れに難易度が高い。

 古代竜とは自然災害のようなもの。

 魔物の中でも最強格の竜族。様々な種類の竜が現在は存在しているが、古代竜とは古より生きている全ての竜のオリジナル的種族である。その強さは人間が太刀打ちして良い物では決してない。

 剰え、案件に書かれている古代竜は大型である。

 一度暴れられれば、町は疎か小国が崩壊しかねない。

「………………。」

 しかしながら、彼女にとって竜とは因縁の存在である。なにより、人々に被害が及ぶともなれば、ベアトリーチェの正義感を揺さぶらない筈が無かった。

 ドンッ。

 突然、ベアトリーチェの背中に軽い衝撃が走る。

「おっと、すまないね」

 すぐさま聞こえた声の方向に目をやると、老年の男性が椅子を引いている所であった。

「いや、構わない。気にしないでくれ」

 彼は軽装の鎧を身につけており、腰には剣も携えられていた。

 そして首もとには、

 ――ドッグタグ? 軍人か。

 銀色に輝くドッグタグ。年齢的に退役軍人だろうか。

 席に着こうとした男は、ベアトリーチェの手元を見て、動きを止めた。

「おいおい、まさかあんた、その案件受けるつもりか?」

 ビラを指さして渋面を称える。

「受けようとした訳ではないが、気になってな。やはり、この騒動はこれが原因なのか?」

 背もたれに腕を掛け、男に体を向けた。

「そうだなぁ。とんでもねえ案件だからな。早朝に貼られたみたいだが、こんな依頼見た事ねぇ」

 皮肉るように、鼻で笑う。

「見ない顔だな、お嬢さん。旅人か?」

 男のフランクな問に、ベアトリーチェは頷いて

「ああ、そうだ。一昨日来たばかりだ」

「職業は見た感じ……、重騎士かね」

「どこをどう見たんだ貴様」

 ベアトリーチェも同じく軽装の鎧姿である。背負っている剣も大型では決してない。

 冗談なのかははかれないが、女性に対し外見重騎士は少々失礼である。

「近頃竜の被害が酷くてな、恐らく自治体が痺れを切らしたんだろう」

「……何故だ? 古代竜は大人しいものの筈だろう」

「どっかの放浪者か、匪賊がちょっかいを出したか知らんが、なぜか気が立ってやがる。近隣の民家や村で被害が相次いでいるらしい。……この町まで地震の被害にあってる」

 僅かに男は頬を引き攣らせる。

 確かに、付近に古代竜なるものが住み着いているなど、住民からすれば気が気でないだろう。

「だがな、これは自殺案件だ……。報酬に釣られると、生きて帰れねえ」

「まさか、既に受注した者が……?」

 微かに声が震える。

 男はゆっくりと広間の方を指さした。

「泣いてるやつとかいるだろう」

 無骨な指の先には、泣き崩れている者、絶望感のある表情をする者が複数いた。

 指の先、長椅子に腰を落とし、顔を覆って嗚咽を漏らす者がいた。

隣では、肩を抱き寄せて慰める仲間の手が小刻みに震えている。

酒の匂いが薄く漂い、木の床にぽたぽたと涙が落ちていた。

 広間の隅では一人の若者が椅子にもたれ、虚ろな目で床を見つめている。

「今朝から、だいたい8組の部隊が出発したんだが、全員戻って来ないんだよ」

 ――……!!

 ベアトリーチェは顔を引き攣らせ、息を飲み込んだ。

 既に犠牲者が発生していたのだった。

「案件を受けるには、中隊規模の部隊を編成するのが強制されてる。まさか一人で突っ込む訳ないと思うが、犬死だけは辞めてくれよお嬢さん」

「ご配慮、感謝する」

 小さく返すベアトリーチェ。声には揺らぎがない。

 そのまま視線は手元のビラへ落ちていた。

「……。」

 ビラには、古代竜の生息地が記されており、図解も付随されている。縄張りは赤線で囲まれており、被害地には無数のバツ印が書き込まれている。

「……外縁地帯トワイライト・リム中心部、か」

 独り言のように呟く。

 紙の端が、指先で僅かにカサリと音を立てた。

 男は椅子を軋ませ、ベアトリーチェの顔を覗き込むように半身を屈めた。

「にしてもお前さん、どっかで見た事あるような……。もしや有名人とかかね?」

 その問に、彼女は唇の端を上げ軽く苦笑を零すのみだった。

「いや、ただのしがない剣士だ……」


 別れ際、男は陽気に笑顔を浮かべて手を振っていた。

「突然に長話、すまなかったね。熱りが冷めるまで、この町を満喫するといい。頑張れよ若いの」

 明らかにベアトリーチェの方が年上なゆえ、少々むず痒さを感じつつも、彼女は律儀に礼を残し組合を後にした。

 終始、組合内の喧騒と嗚咽が頭の中に残っていた。

 瞬きをするたびに、絶望感で虚ろになった者達の様子が鮮明に想起される。

 街中を歩いていると、何度か地震に見舞われた。

 露店の果物が転げ落ち、住民らは恐怖を顕にして縮こませた肩を寄せあっていた。

 土属性の大型竜。

 その被害は、地続きならば想定出来ない広大さであるはずだ。

 ベアトリーチェは俯いて、顔に影を落とす。

 握っていたビラをくしゃっと潰し、彼女は組合を出立した。


 そして今、ベアトリーチェは外縁地帯トワイライト・リムの森を駆けていた。

 この場所の地形は深い森が散乱しており、その他は広い平原である。

 中心部には大きな岩場があり、昔は採石場として機能していた。

 しかし、広大ゆえに哨戒ラインが行き届かず、魔物が跋扈するようになってからは採石場は放置され、今や一帯は半ば未開拓の地として認識されている。

 そんな中を、彼女は魔物を切り伏せながら駆け抜ける。

 気づけば、木々の量は減り岩肌が目に着くようになってきた。

 ――………………。

 岩場に到着したのだ。

 古代竜の巣窟であるその岩場は、中心部が盆地のようになっており、露出した薄橙色の岩壁が周囲に切り立っている。

 足を踏み外せば、転落死しかねない。

 そんな盆地の中心に、一際堅牢で刺々しい岩群があった。

 ――あれは……。

 否。

 巨大な竜だ。

 ――あれが、古代竜……!!!

 岩肌と思われた表層が、ゆっくりと脈打った。

 地層にしか見えなかった節目が開き、幾重もの瞳が光を反射する。

 その瞬間、盆地全体がわずかに震えた。

 呼吸ひとつが、熱風となって地を撫で、砂礫を巻き上げていく。

 ベアトリーチェは思わず息を止めた。

 生き物だ。

 この巨塊は、確かに息をしている。

 圧倒的な巨大さとスケール、そして圧。

 不意に、古代竜が前足を動かす。

 頑強なそれはまるでプレートが移動しているかの様だ。

 かつて統一帝国を襲った翼竜とは比べ物にならない大きさ。

 足の爪一本でベアトリーチェの背丈を埋めそうである。

「……………………!!」

 瞬間ベアトリーチェは険しい表情をした。

 遠くからで見えにくいが、竜の足元には銀色に光る鉄塊と赤い染みがいくつも残っていた。

 犠牲者の残骸である。

 ドクン。

 恐怖と、焦燥感により鼓動が強く脈打つ。

「皆の勇姿を讃える……」

 唇を噛み締め、ベアトリーチェは黙祷をするように胸へ手を翳した。

「これ以上、犠牲も被害も出させない……!」

 そう言って剣を抜いた。

 重厚な刀身は木漏れ日を反射し、白銀色に輝く。

 ――竜人に勝つため、竜の一体や二体倒せるようにならねば話にならん……!

 かつての忸怩たる思いを糧に、立ち上がった。

 その途端、

「!!」

 竜と目があった。

 その刹那、古代竜は口を大きく開いた。

 喉奥から、橙黄色の光が輝き始める。

 かつての出来事が想起し、ベアトリーチェの背中に悪寒が高速で駆け抜けた。

 咄嗟に地面を蹴る。

 ゴオオオオ……

 古代竜の口から、いつぞやの竜人とは比較出来ないほどの太さの火砲が放たれる。

 音割れしているかのような轟音が響き渡り、周囲を焼き尽くす。

「なん、…………という……。」

 ――凄まじい威力……!!!

 スタッと盆地に着地したベアトリーチェは、火砲が直撃した場所に目をやる。

 木々は当然、巨大な岩すらごっそりと円形に抉れて炭化していた。数秒経った今でも、湯気が立ち上り溶解した岩は煌々と光っている。

 深呼吸をして早る鼓動を収める。

「当たれば即死か……」

 剣を両手でしかと握りしめ、構える。

 古代竜が轟々とした咆哮を上げる中、ベアトリーチェは真っ直ぐに突進した。

 剣の(きっさき)が風を引き裂き、砂礫が鎧を叩く。

 左前足を狙い、跳躍して横なぎを食らわせる。

 直撃した剣は、鋭く重々しい音を響かせた。

 しかし、瞬間見るまでもなく体中が理解する。

「?!」

 ――なっ、固いっ……

 岩のような足には、切り傷など一切ついていなかった。

 斬撃を受け流すどころか、ほとんど弾き返した。

 ドッッッ――!!

 音が聞こえると同時に、ベアトリーチェの顔は、体は潰れ歪曲した。

 ――?!、……!

 蹴り飛ばされたのだ。

 まるで大山に張り手を食らったかの如く、鳴動したその一撃は、彼女を弾丸のような速度で吹き飛ばし、遠方の岩壁へと激突させた。

 皮膚から内部に伝う凄まじい痛みが過去の記憶すら引き裂く。

「……かっ、ゥッ。ゴボッ、ブフっ」

 赤い染みが壁に尾を引き、ベアトリーチェはズルリと地面に落ちる。

 鉄の味が喉から立ち上り、口から多量の血が吹き出た。

「……………………。」

 息もままならないまま、彼女は自らの吐血を、震える手で触る。

 ねっちょりと糸を引く血。

 指先は痺れ、掌に熱と冷たさが広がる。

 剣は握られており、あまりダメージは少なくないがなんとか振るえる程度だ。

 しかし反対側の腕と足は、折り紙の様にへし折れている。

 ままならない息をする度に、激痛が走る。肋骨と骨盤も無事ではないはずだ。

 口の中ではゴリゴリと礫か小石の感覚がある。恐らく砕けた奥歯だろう。

「……フゥっ、ふっ」

 それでも、深く息を吐き、剣を杖にして立ち上がった。

 意識だけははっきりとしている。

 その残酷さに、吐き気が湧いた――。

「な、な゛んでだ…………。こんな……ッっ」

 口の端から血の泡が吹き出る。

 言葉も吹き出る泡のように割れ、呻きに変わる。

 ――こんなはずじゃない……、わたしは、強くっ……。

 胸の中で、自分が自分を責め立てる声が響く。

 頬を引き攣らせる間もなく、古代竜の足がベアトリーチェ周囲に影を作る。

 ズンッ

 重力が曲がるような一撃が、身体を抑え付けた。

 踏みつけられたベアトリーチェは、

「ぐっ、……ぬううゥゥっ」

 死力を振り絞り、剣で押し上げる。

 骨の髄まで響き浸透する鈍痛が、全身を駆け抜けた。

 ――私は……っ、何のために……!!

 思考が咽び泣くように痙攣する。

 陛下の前で強さを誓ったあの日の灯り。

 大成を望んで、旅立ったあの日の朝。

 師の言葉、共に戦い共に笑った仲間たちの顔と声。

 血と鍛錬と眠れぬ夜。

 戦闘の耐えない旅路。

 だが今、ここに残っているのは努力の残骸ですらなく、痛みと虚しさだけだった。

 ――……皆に責任を、押し付けてまで……、ここまで来た……っ……。

 正義感だけが先走り、実力が追いつかなかった。

 あの時も同じだった。

「うゥウウウ……ぅッ……ッっ!」

 仲間たちの顔が、ウォードン、レシア、リルの顔がフラッシュのように巡る。彼らは自分のために、笑い、賭け、信じてくれた。

 強くなって戻らなければ、あの笑顔と敬礼は灰になってしまう。

 腕が震え、世界が白く滲む。

 拮抗するのは意思だけだ。体はとうに不服従だ。

 ――私は、行かなきゃ……、ならないっ。彼らのために、強くならねば……ッ!

 その小さな決意が、折れかけた指先に力を与える。

 血に濡れた剣で竜の足を押し上げ、ベアトリーチェは歯を食いしばりながら、再び立とうとした。

 ズン……

 古代竜の足が、ベアトリーチェを踏み潰した。

 ノイズのような、骨が砕ける音が耳鳴りの如く響く。

 足が退けられるも、彼女は意識を失いかけていた。

 肋骨は潰され、呼吸は刃物で切られたかのように浅く、痛く、空気を飲み込むだけで精一杯だ。

 ――だめだ、……ここで……。

 全身が熱い。

 血ではなく、まるで鉛が体を巡っているようだ。

「……ここでっ、ッ、終わるわけにはッ」

 だが、反射のように手が震え、剣で足を押し返した。

 砂利と皮膚が嫌な音を立てる。

 彼女は歯を食いしばって再び体勢を立て直した。

 前足が振り下ろされる。

 翼が空気を裁き、岩屑が舞う。

 筋肉が、骨が断末魔を上げていた。

 攻撃を受け流す度、ベアトリーチェの背中からは何かが引き裂かれる感覚が走った。

 が、それでも剣は離れなかった。剣を離したら、確実に潰れる。その恐怖だけが彼女を支えていた。

「…………!」

 古代竜の口が、ぎらりと光る。

 口蓋の奥から、金属を溶かすほどの熱と圧を帯びた光線がほとばしる。

 岩が軋み、近くの石塊が瞬時に溶け出して歪む。

 空気が煮え、皮膚の表面が引き攣るような熱さが襲った。

 避ける間もなく、火砲の一撃がベアトリーチェを捉える。

 ゴオォ……――。

 歪曲した足で無理やり地面を蹴り、横へ避ける。

 間一髪で、火砲の直撃を免れた。

 しかし、

「…………ッ――――!」

 筋肉と腱が瞬間に蒸発するように熱で削られ、皮が炭化する匂いが鼻腔を満たす。

 気づいた時には、左腕の感覚が無かった。

「あっ、あぁ…………」

 左腕と、肩半分が欠損していた。

 視界に映らない左腕と、焼けた肉の匂いが脳内に突き刺さる。

「……アア、あぁアアアぁ……、嘘だァ……」

 血と涙で濡れた口元から、断続的に声が漏れた。

「あづい……、熱……。いだいぃ……」

 膝から崩れ落ちたベアトリーチェは、剣を握ったままの右腕と体を捩って、逃げる。

 ――……ごめん、すまない……っ。みんな……っ

 砂利の擦れる音が、まるで自分の死を先取りするように虚ろに響く。

「はァっ……。嘘だ、うそだ」

 ――なぜ、……なんで、なんでだ……

「嘘だウソだ、ウソダ嘘ダ嘘だっ……」

 古代竜が再び頭を傾け、銃口のように光る口を彼女へ向けた。

 狙いを定められた瞬間、世界はまた熱くなる予感に満ちた。逃げる距離はもうほとんどない。

 泣き声が喉に詰まり、唇は震え、瞳孔が開いて視界が靄のように滲む。

 ベアトリーチェは力なく岩に上半身を凭れかけ、歪んだ表情で虚ろに竜を眺めた。

「………………。………………全てを、裏切ったのか……」

 走馬灯のように、彼らの敬礼している姿が思い浮かんだ。

 ベアトリーチェはゆっくりと剣を手離した。

 ――……せめて終わりは……。

 そう頭の中で呟いて、天を仰ぐ。

 すると、

「……?!」

 竜の後方、上空に人影が見えた。

 幻覚ではない、確かに人が浮かんでいる。

 その人物は、空中にひとり直立で留まっていた。

 距離は遠いが、確かにこちらを向いており静謐な佇まいだ。

 ――……まさか、案件を受注した魔導師か……?!!

 目を見開き、驚きの表情を浮かべる。

 彼女は最後の力を振り絞り、口を開いた。

「そこの魔導師ィィ!!!!」

 体がギシギシと音をたて、至る所から血が吹き出る。

「逃げろッ!! 逃げるんだァッッ!!」

 死に際、彼女の頭にあるのは、

「せめて……、せめて私を囮に逃げてくれエェェェ!!!!!」

 声が枯れ果てるまで、叫んだ。

「頼む、頼むからァっ、逃げてくれエェッッ!!!」

 直後に激しく咳き込み、血を吐いた。

 魔導師はこちらを眺めている。

 その声が届いたかは定かではない。

 ――せめて、彼だけは……。

 空しく、ベアトリーチェはぐったりと脱力した。

 上空の人物が、ゆっくりと腕を上げた。

「…………………………。」

 ベアトリーチェの視界が歪み始める。

 黒い衣服が風に揺れた。

 周囲の時間が、一瞬だけ軋むような感覚が走った。

 腕が振り下ろされる――、その寸陰。

 ……――――――。

 世界が滲む程の閃光が幾筋も走った。

 御光のように、鋭く、冷たく、純粋な光の薄幕。

 光は薄い刃、または一直線に落ちる光背(こうはい)のような形で、まるで瞬間的に現れたかのように高速で降り注ぎ、古代竜の首元を、胸を、胴体を断ち切った。

 首を切り落とされた巨躯は、咆哮も断末魔もなく、崩れ落ちる巨岩のように力なく崩れ周囲を震えさせた。

 光が注ぐと同時に、上空の人物がゆっくりと、降下してくる。

 降りるというよりは落ちる、優雅に降り注ぐような雰囲気で距離を縮めた。

 ――……………………。

 遠目でも分かる、その容貌は非常識なまでに美しく、中性的な青年だった。

 微笑を湛えた、その顔は不思議と残酷さを含んでいた。

 楽しげな、血の匂いに似合わぬ微笑み。

 だが、死の香りを香水のように匂わせるオーラ。

 ――……一体、なにが……

 ベアトリーチェは驚愕と安堵、そしてもうひとつ、深い疲労に飲まれながら、視界の端でその青年の姿を追った。

 血が口の端を伝い、体温が急速に冷えていく。

 瞳が重くなり、涙は熱を保てぬまま凍りつくように硬くなる。

 ――すまない、みんな。本当に、ごめん……

 謝罪は、世の終わりを告げるように小さく、そして深く消えていく。

 肩の付け根から先はもう無く、世界は断片になっていった。

 青年の姿が、彼女の視界に最後の像として残った。微笑む顔は遠く、そして穏やかだった。

 意識はゆっくりと、しかし確実に落ちていく。

 脳内のノイズが静まり、最後に残ったのは自分の名前でも、夢でもない。

 ただ、仲間たちの笑顔の断片だけだった。

注:本作における「古代竜」は、数多の竜族の始祖にしてオリジナルといえる存在です。

中でも今回登場した土属性の大型古代竜は、スキル一つで地震や地盤沈下、地殻変動さえ引き起こす「歩く天災」そのもの。

その体格も強さも文字通り桁外れです。


お疲れ様デス、ベアトリーチェさん( ꒪Д꒪)

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