四話 灰の頂 二
「お前ぇ、さっきボッタクったよなぁ……??」
昼前の陽光の下、ルルのジト目と恫喝する声が響いていた。
アルヴィスとベアトリーチェの硬い握手。
それは、今後の旅を共にするという硬い絆と縁の始まりを告げていた。
皆の体に酒が周り始めた頃、両パーティは酒場を笑顔で後にする。
「明日から、よろしくお願いします! 非常に楽しみです」
団欒の間に、外はすっかり月明かりが出ている。
アルヴィスは、月光を反射する金髪をサラリと揺らせ、手を振っていた。
「飲みすぎだって、セレス……」
「ぅんウッ……、キモチワルイ……」
呆れた表情で、セレスの肩を支えるルル。
法衣を纏う者とは思えない程の酔いつぶれである。
ベアトリーチェはそんな様子を、微笑ましいように眺め、手を振った。
「あぁ! ありがとな。こちらこそ、よろしく頼む」
愉快な三人組の背中を見送りながら、宿に向かう。
夜気は冷えているはずなのに、町はまだ眠っていなかった。
石畳の通りを、荷車の軋む音がゆっくりと横切る。
積まれているのは香辛料か、乾燥肉か、布地か——油紙に包まれた荷が月光を鈍く弾く。
軒先では、灯油の匂いと焼いた豆の匂いが混ざっていた。
簡素な露店がまだ数軒、灯を落とさず客を待っている。
辺境の町にしては、人の流れが絶えない。
交易路の分岐点。
あるいは、竜の国を目指す者の通過点。
ベアトリーチェは外套の襟を軽く引き上げ、歩を進める。
——竜王。
ルルの瞳を思い出す。
無垢な憧憬。
絶対者への、迷いのない信頼。
――第二魔王、絶界の暴竜……
口には出さない。
だが名だけが、思考の底に落ちる。
強大。
圧倒的。
それだけではない。
国を持つ力。
統べる者の力。
通りの奥では、鍛冶屋がまだ槌を打っている。
火花が夜に散る。
軍馬を引く商人が、手綱を握ったまま欠伸をする。
鎧を着た傭兵崩れが、酒瓶を抱えて壁にもたれる。
戦と交易は、常に隣り合わせ。
この町も例外ではない。
ベアトリーチェは足を止め、空を仰ぐ。
雲の切れ間から覗く月。
その向こうにあるであろう竜の国。
ルルは、何を見に行くのか。
祖国か。
理想か。
それとも、力そのものか。
「破壊の権化……か」
ふと、ルルの語る第二魔王の噂話を反芻する。
――絶界の暴竜、最古参の魔王だ――
笑い混じりの声だったが、軽蔑ではない。
どこか畏れを含んでいる。
――火力は魔王随一。あの人が本気で暴れれば、地図が書き換わる。西方の大山が歪んだのも、あの決闘の余波という話――
――そう、第八魔王との――
――負けたというのが、いまだに信じられない――
盃が打ち鳴らされる。
――負けたからこそ、今は静かなんだろう。しかし、もし再戦があった日には……――
「世界が持たないな……」
短い沈黙。
「はい……?」
前を歩いていたリュウドウが、怪訝な表情で振り返る。
「"荷物は持たない"? 持ってるのは俺ですよ」
「い、いや……、そんなことは言ってないさ……。独り言だ……」
ルルの語った憧憬と、畏怖。
その落差を、ベアトリーチェは胸中で量る。
地図を変える力。
それに焦がれる少女。
そして、目の前を歩く、仮面を被った畏怖。
――……やはり、どこか実感が持てない。
飛躍しすぎた実力、そして伝承。
しかし彼女らは、その世界に足を踏み入れる寸前である。
そう伝えるように、一際強い夜風がベアトリーチェの頬を掠めた。
刻は昼過ぎ、早々に出立の時である。
入ってきた門とは反対の方角の門にて、一同は出発の準備を終えていた。
遅れて、フェンネが合流をしてきたのだが、
「お前ぇ、さっきボッタクったよなぁ……??」
と彼女の顔を見るなり、ルルが突如恫喝を始めたのだった。
「チガイマスぅ……、ほほ、ほほんとに市場価格なんですよぅ……。……赤字にならない程度の調整でェ」
またもや、目と眉を綺麗な八の字に曲げ、涙を流している。
「おいおい……、辞めてやれ……。何があったんだ」
ベアトリーチェは額にうっすらと汗を滲ませながら、二人の間に半歩だけ体を滑り込ませる。
裏門は既に人通りが多く、野次馬の視線がちらほらと集まり始めていた。
対するルルは、肩を怒らせ、喉の奥で低く唸っている。陽光を受けた牙が、あからさまに剥き出しだ。
「んひぃぃ……」
フェンネは情けない声を漏らし、逃げ場を求めるようにベアトリーチェの胴へと抱きつく。
「どうやら……、昨日購入した武器用バンテージの値段が不服だったようで……」
アルヴィスは深く溜息をつき、ルルの肩を掴んで制止している。力任せではないが、逃がさぬという意思は明確だ。
「高いんだよッ!」
ルルは振り返りざまに叫ぶ。周囲の商人が肩を竦め、近くの露店主が苦笑する。
「ルルちゃん、出発しましょ……?」
セレスは一歩前に出て、柔らかく声を落とす。昨夜の陽気さは影を潜め、修道士らしく穏やかな佇まいだ。手には既に旅支度の鞄が収まっている。
「フェンネヲイジメヌンデ……」
半泣きの抗議が、くぐもって響く。
ベアトリーチェは困ったように片眉を上げる。
値段か、見栄か、それとも単なる意地か。理由はどうあれ、鬼と竜の血は昼から元気らしい。
「いざこざはさて置き、出立しますか。灰峠は遠いので」
フェンネの前に立ち、リュウドウは一同へ穏やかな視線を向ける。その声は高くも低くもなく、しかし不思議と場の熱を冷ます。
市場の喧騒が、少しだけ遠のいた気がした。
アルヴィスは手を離し、ルルは舌打ちを一つ。だが牙はゆっくりと引っ込む。
「……次は値切るからな」
「ほどほどにね?」
セレスが微笑む。
ベアトリーチェは抱きついたままのフェンネを軽く引き剥がし、外套を整えた。
朝の風が通りを抜ける。
遠くで鐘が鳴った。
交易の声、家畜のいななき、車輪の軋み。
喧騒は続くが、彼らの足取りは既に町の外へ向いている。
灰峠へ至る街道は、まだ薄い霧をまとっているはずだ。
些細な揉め事は、町に置いていけばいい。
ベアトリーチェは剣の柄に軽く触れ、歩き出す。
空は、思ったよりも澄んでいた。
「三人には言ってませんでしたね。我々は灰峠という危険地帯を通過して、直線で西方大陸側の海岸線まで向かう予定です」
「なんで危険地帯を?」
リュウドウの言に対するルルの純粋な疑問が、横を通り過ぎる馬車の音と重なる。
昨日とは打って変わり、三人の姿は旅の雰囲気を醸し出していた。
アルヴィスは軽装鎧とロングソード。その意匠は、銀を貴重とした無駄を感じさせない、洗練された見た目。
セレスの法衣は白地に黄色で、正に神聖な美しさと無駄の無さを印象づけられる。左手には錫杖も握られていた。
「修行が目的だからな。危険を避けて回り道をするつもりは無い」
「ストイックだね。気に入った!」
明るい声を弾ませるルルは、タンクとは思えないほど最小限に抑えられた軽装鎧。申し訳程度に、籠手と足部分は装甲が厚い。そして、背中には小柄な体躯に見合わない大型の戦斧が携えられていた。
「でも、なんでそこまで修行に? しかも竜の国を目指してるって、まさかアタシと同じ理由?」
歩きながらも、ルルの声は弾んでいる。
期待半分、探るような色が半分。
「いや、第二魔王への憧れというわけでは……」
ベアトリーチェは苦笑を浮かべる。否定はするが、どこか曖昧だ。
そのやり取りを横目に、アルヴィスが穏やかに口を挟んだ。
「まぁ、徐々に双方打ち明けていきましょう。出会って早々に詮索は気が引けます」
柔らかな物言い。
配慮を守る線引きも含んでいる。
ベアトリーチェは一瞬だけ沈黙し、視線を横へ滑らせた。
隣を歩くリュウドウの横顔。
相変わらず穏やかで、何も語らない。
「いや……」
短く否定してから、視線を戻す。
「せっかく、共に旅をするんだ。多少は隠せど、秘密は少ない方が良いかもな」
足取りは止めない。
だが声音は、先ほどより低い。
「言える範囲で語るが、良いか……?」
「ええ、もちろんよ。むしろ嬉しいわ」
セレスは素直に微笑む。
その反応に、ベアトリーチェの肩の力が僅かに抜けた。
だが。
フェンネがぎこちない顔で裾を引く。
ベアトリーチェは屈み、耳を貸す。
「私も、聞きたいんですが……流石に陛下の事は隠した方が良いかも……」
かすれた囁き。
「あぁもちろん……」
ごく自然な顔で応じながら、すぐ横にいる"当の魔王陛下"を恐る恐る盗み見る。
リュウドウは、何も聞こえていないかのように前を向いている。
だが、その口元には微かな笑み。
「ルル……泪対策で、ティッシュの用意を……」
「なんでよ」
アルヴィスが小声で準備を促すが、ルルは怪訝な顔で払いのける。
小さな笑いがこぼれかけ——
そこで、風が止んだ。
土道が二手に分かれている。
一方は開け、馬車と行商が緩やかに行き交う明るい道。
もう一方は、樹々が頭上を覆い、影が濃く落ちる静かな道。
誰からともなく、後者を選ぶ。
足音が柔らかく変わる。
外界の喧騒が遠のく。
枝葉の隙間から差す光が、まだらに地面を染める。
空気が一段、ひやりとした。
アルヴィスも、セレスも、ルルも、自然と口数を減らす。
こういう道は、話をするのに向いている。
逃げ場が無いからだ。
ベアトリーチェはゆっくりと息を吸う。
「……私は、ある事件をキッカケに、修行をしている」
歩みは止めない。
視線は前へ。
「しかし、事件の解決も、襲われた故郷への尽力も、実力が足りな過ぎるんだ」
沈黙。
枝が鳴る。
「だから、修行だ」
言葉は短いが、重い。
「強くならなければならない理由がある。竜の国は、その為の最短だと思っている」
そこまで語って、一度だけ振り返る。
「——これが、理由だ」
わずかな苦笑。
森の奥から、鳥が飛び立つ音がした。
それを合図にするかのように、彼女は本題へと踏み込む。
ベアトリーチェは、前を向いたまま言う。
「実は、私は中央統一帝国の軍人でな……総団長を務めていた」
木陰の空気が、わずかに重くなる。
「数か月前、首都で大規模な襲撃事件が起きた。"中央統一帝国竜人強襲事件"……そう呼ばれている」
歩幅は変わらない。
「首都中枢が攻撃された。民間人の被害は甚大。同期は重傷、部下も……多くが戦線を離れた」
一拍。
「主犯と見られる竜人は、逃亡……」
事実だけを並べる。
声に震えはない。
「私は、その場で敵を退けた功績とやらで、"聖七天大英雄"なるものを授与された」
小さく息を吐く。
「……笑えるだろう。守りきれなかったのに、英雄だ」
土を踏む音だけが続く。
「実力不足だ。明らかに」
それは自嘲ではない。断定である。
「だから、勅令巡察を願い出た。修行と、事件の捜索を兼ねて。皇帝陛下は許可してくださった」
枝が擦れる。
「闇雲に旅をした。剣を振り続けた。強くなれば、次は守れると信じてな」
少しだけ声が低くなる。
「そして、大型古代竜に挑んだ」
ルルの肩が僅かに揺れる。
「近隣住民を脅かしていた個体だ。討伐できれば、証になると思った」
短い沈黙。
「……結果は、惨敗だ。死にかけた」
そこで初めて、隣を歩くリュウドウを見る。
「そして、助けられる。彼に……。修行の指導までも、になってくれている」
それ以上は言わない。
「私の旅は、ただの修行ではない」
視線を前へ戻す。
「帝国に二度と傷を付けさせないための鍛錬だ。主犯の竜人を殴り飛ばすための準備。もし裏があるなら、それも叩き潰す」
声は平坦だが、芯は硬い。
「そして……聖七天大英雄の名に、相応しくなるための旅でもある」
言い終える。
森は静かだ。
最初に口を開いたのは、アルヴィスだった。
「……総団長、大英雄。飛んだ大物じゃないですか…………」
感嘆ではない。理解の声。
「お言葉だが、その重みも一人で背負う必要はない」
彼は軽く笑う。
「僕たちも、強くなりたい。目的は違えど、進む方向は同じです」
ルルが小さく鼻を鳴らす。
「……竜人、か」
怒りではない。
「そいつ、アタシも殴っていい?」
冗談めかしているが、声は優しい。
セレスが一歩近づく。
「あなたが背負っているものは、私たちには完全には分からない。でも……」
微笑む。
「共に歩くことはできるわ」
フェンネは俯いたまま、小さく拳を握る。
「……すごいです。でも、無茶はしないでください」
リュウドウは、ただ歩いている。
やがて静かに口を開いた。
「彼女の気概は、嫌いではない。こうして、荷物持ちに従事したいと思わされます」
それだけ。
だが、その言葉は軽くなかった。
木陰を抜け、視界がわずかに開ける。
森の奥へ続く道は、まだ長い。
だが足並みは揃っている。
ベアトリーチェは、ほんの僅かに肩の力を抜いた。
一人ではない。
それだけで、剣の重みが少しだけ変わる。
二
「アタシも負けてられん! 竜人を殴り殺せるくらいには強くなってやるッ。急ぐよフェンネ!」
「なんで私……???!!」
フェンネの腕を引っ張り、ルルは足を速めた。
大きなバックパックが傾き、前のめりに倒れ込みそうである。
「ちょっと、ルル。やめてやれ……」
アルヴィスがまたもや苦笑いのような、引き攣らせた表情を称えた。
「離れるのは危ないわよ。霧も濃くなってきたし……」
額に汗を浮かべ、セレスは肩を縮めて周りを伺っている。
周囲は依然として深い木々に覆われ、道は影で埋め尽くされていた。
あまつさえ、進むに連れ霧が立ち込め始めており、視界はかなり悪い。
「灰峠が近い証拠ですね」
不穏な空気を拭うように、リュウドウの落ち着いた声色が響いた。
その言に、ルルは彼に振り返り声をあげる。
「灰峠ってどんなところ?」
「うごぉ……」
出立時の険悪な関係が嘘のように、フェンネは今ルルに掴まれてぐったりとしている。
「付近にある、トワイライト・リムよりは危険度が少ないと言われています」
そんなフェンネには目もくれず、リュウドウは解説を始めた。
「古来よりの火山活動により、慢性的な地熱と湿気が続いています。それゆえ、常に濃霧が立ち込めているとか。
危険なのは地熱や魔物ではなく、人間でしょう」
「ニンゲン、だと?」
ベアトリーチェの頬が引き攣った。
「ええ。地形と霧を利用した、匪賊が横行しています。採掘が盛んな場所でしたが、盗賊被害が相次いでおり、現在は閉山されています。
人間、地形、空気。そして、特殊な土壌により毒性を孕んだ植生。
今回は、自然と人が牙を剥く場所です」
匪賊。
その言葉に、アルヴィスは眉間に皺を寄せた。
「被害か……。許せないな、天誅を下してやりましょう」
「アタシがぶん殴る」
ルルも、拳を掲げて息巻いている。背中の斧は使うつもりがないのだろうか。
「灰峠に入ったら教えてくれ。それまでも、匪賊らに気をつけよう……。……!」
ベアトリーチェが、目線はそのまま、リュウドウに声をかける。
しかし、その語尾は途切れた。
歩みを遅め、周囲を見渡している。
「商会や近郊集落でも呼びかけられていますが、匪賊の扱いは『生死問わず』だそうです」
変わらず、落ち着いた口調。
「おい」
ルルも、何か感じたように、表情を険しくする。
彼女らの鋭い勘が、何かを察知したようだ。
「いますね、近くに」
アルヴィスがすかさず剣を抜き取った。
刃の掠れる音が、霧に吸われる。
「な、なんと」
冷や汗を浮かべ、セレスは慌てた様子で錫杖を構えた。
一方フェンネはリュウドウの近くに寄り、小動物のように縮こまった。
「ウヒィ…………」
ベアトリーチェは、フェンネを守るように傍らで剣を構える。
「ベアトリーチェさん、修行の成果確認です。そして、新しい仲間への見せ場とも」
「はっは。そうだな、格好を付けさせてもらう」
億さず、笑みを称えるベアトリーチェに、アルヴィスは感服するように呟く。
「頼もしいです……。しかも大英雄様の腕を、直接見れるなんて」
「こちらこそ、君たちの連携を学習させてもらうぞ」
互いに距離を取り、周囲を見渡す。
木々、霧。
そして、草木の擦れる、音――。
ルルが、静かに戦斧を握った。
その大きな斧は、霧の中でも豪胆な黒い輝きを放っている。
「おい、お前ら!!」
霧の奥から突如として叫び声が上がった。
若さを感じる、男の粗雑な声。
ガサガサと草を鳴らして、数人の男らが現れた。
「ぅっ……」
フェンネのくぐもった呻き声が漏れる。
「ちょっと止まってろよ」
一方だけではない、7人程度の人物が、周囲を囲むようにゆっくりと歩みよってくる。
バンダナに口隠し、手には鉈や錆びた小鎌まで携帯されていた。
「放浪者だろ。この先は俺らの縄張り、んでここも巡回範囲。帰りたかったら、鎧だの荷物だの全部置いてけ」
声を荒らげるでもなく、張り上げるでもない。
淡々とした口調、そして提案と指示。
同じ悪事を何度も働いた、慣れている口調だった。
「戦闘員は、……4人かよ」
「ほとんど女じゃないか」
「無勢だぞー。さっさと剣降ろせ」
盗賊らは卑下たつぶやきを口にしながら、手に持った刃物類をプラプラと揺らす。
まるで、見せつけているように。
しかし、その声はベアトリーチェの、
「黙れ」
という、淡白な声に断ち切られる。
「さっさとかかって来い。欲しいなら倒せ」
軍人らしい、迫力があり、歯切れの良い口調。
そして、アルヴィスを尻目に、耳打ちをする。
「3人共、左を頼む。右は私に任せてくれ」
アルヴィスのその提案に面食らうも、直ぐに小さく頷いた。
盗賊らはベアトリーチェの言葉に一瞬圧倒されるも、ニヤつきを称え始めた。
そして、
「…………。」
ベアトリーチェの正面の男が、腕を振り上げた。
合図だ。
同時に、一斉に襲いかかる。
ベアトリーチェは半歩だけ軸を沈める。
――『白帝位』。
即座に白聖皇剣流の構えを取った。加えて、魔力を柄へ、刀身に流し込む。
――……魔力を柄へ、その先に……。自分の体の延長として……。
指先から掌へ、掌から芯へ。
ベアトリーチェの集中は一点を突破し、その美しき剣技は炸裂した。
――皇威・周極銀天……!!
銀線が円を描いた。
爆ぜる衝撃。
風圧が地を薙ぎ、落ち葉が宙へ巻き上がる。
足元の土が抉れ、霧が一瞬で裂けた。
「ゥがぁあッ……」
先頭の匪賊が横へ吹き飛ぶ。
刃が触れた者は、鎧ごと裂ける。
受けた短剣は粉砕。
衝撃波に弾かれた者は、踏み込みを止めるしかない。
「は……っ、なにしやがったッ」
残る者たちは、距離を取りながらも狼狽を隠せない。
声が震えていた。
ベアトリーチェは構えを解かない。
呼吸は乱れていない。
白煙のような魔力の残滓が刀身に揺れ、そして消えた。
「す、すっげ……」
アルヴィスすらも、目を丸くして呆気に取られている。
「おい! 変に散らばんなっ!」
盗賊のリーダーか、一際体格の良い男が怒鳴った。
その声に慌てるようにして、体制を立て直し、陣形を組んでいる。
その隙に、ベアトリーチェらも互いに背を預けるように固まった。
背中と背中が触れ合う距離。
四方へ視線を配る。
先程の一撃で主導権は握った。
だが、数はまだ上。
匪賊の矢が引き絞られる音がした。
森の空気が張り詰める。
次は、乱戦。
ベアトリーチェは剣をわずかに傾けた。
「隙を突いてくる攻撃は、私が受けよう。専用の型がある。好きに動いてくれ!」
「ありがとうございます。流石は、アウスデリアの騎士様だ。左側までも吹き飛んでましたよ……」
アルヴィスは剣を敵に向け、頬を引き攣らせながらも笑みを零した。
「回復と、バフは任せて……! 攻撃も出来るから、遠慮なく合図を」
おっとりとした印象とは打って変わって、非常に凛々しい顔つきのセレス。
「"好きに動け"か。じゃあ、アタシが暴れるしかないね!」
犬歯を剥き出し、笑い声を上げたルルは叫ぶ。
「ルルは、たしかタンクだったな。先陣を任せてもいいか?」
ベアトリーチェは半歩退き、彼女の斜め後ろへ位置取る。
本来なら、盾役の背を支える形だ。
「もちろん、任せろい! あたしの実力、見せつけてやるよ!!」
言い終えるよりも早く、地を蹴る。
――速い。
大型の戦斧を持っているとは思えない踏み込み。
「付与魔法・起動『防御』!」
青い魔力が爆ぜるように展開し、彼女の体表を覆う。
空気が歪むほどの魔力圧。
防御特化。
正しく、タンクの起動。
「バカか、このガキッ……」
匪賊が嘲る。
ロングソード、鉈、槍。
三方向から同時に振り下ろされる。
受けるつもりだ。
ベアトリーチェは即座に援護角度を測る。
しかし。
鋭い金属音と共に、火花が散る。
ルルは、一歩も退かない。
剣は弾かれ、刃は滑り、槍は軌道を逸らされる。
防御は、成功した。
「オラぁッッ!!!」
次の瞬間、彼女は笑っていた。
「ルル! 押さえてろ!」
ベアトリーチェが制止をかける。
だが、遅い。
ルルは攻撃を弾いた反動を利用し、そのまま跳躍。
その体が、宙に浮く。
青い魔力を纏ったまま、身体を回転させ、巨大な戦斧が遠心力で唸る。
「がぁあああっ……!!」
その一撃は叩き落され、地面が爆ぜる。
衝撃波が半円状に走り、三人まとめて吹き飛ばされた。
タンクの動きではない。
殲滅役のそれだ。
さらに着地と同時に踏み込み――
横薙ぎ。
膝蹴り。
柄での打突。
重装とは思えぬ連撃。
防御魔法を纏ったまま迎撃をものともせず、前線を蹂躙していく。
「なっ……??! タンクじゃないのか?!」
ベアトリーチェが呆然と呟く。
その目は滑稽な程に丸く見開かれていた。
ルルは血と土埃の中で、牙を見せる。
「攻撃が最大の防御じゃあ!!!」
理屈は乱暴。
だが、敵は確実に消耗されていっている。
ギィンッ
凄まじい金属音が鳴り響く。
ルルの倍はあろうかという巨躯が、ロングソードを振り下ろし、彼女を押さえ込んでいた。
すかさず、後ろから双剣の盗賊が襲いかかる。
完全に隙を突かれた一撃。
だが、
「ぉグ……」
瞬足の銀閃が、2人の匪賊をまとめて切り裂いた。
「!!」
ルルの行動に呆けていたベアトリーチェは、はっと意識を向ける。
無駄のない、高速の斬撃は、
「アルヴィスさすが! 助かったよ」
「大胆過ぎるんだよ、いい加減直しておくれ……」
相変わらずの、辟易とした表情を称えているものの、その佇まいは剣士として、騎士として洗練されている。
「死ねェ!!」
突如、木の影から男が飛びかかってきた。
だがそれも、瞬刻に失敗する。
「汎用攻撃魔法……、『雷弾』」
小さく、美しい声が響き、同時に霧を照らすような光弾が匪賊に直撃した。
断末魔は無く、光弾は破裂音をたてながら炸裂し、匪賊は力なく倒れる。
命中したのは魔導弾、セレスの魔法だ。
目をやると、セレスが両手で親指を立てていた。
ルルとアルヴィスは感謝の笑みを向け、敵の掃討を再開する。
ルルが受け止め蹴散らし、仕上げにアルヴィスが一掃。
「見事な連携だ……」
ベアトリーチェはその様子に魅入っていたが、
「他の奴ら! 弓矢もボサっとしてんじゃねぇえ!!」
盗賊の声が響いた。
瞬間、彼女は周囲の殺気が増したことを感じ取る。
剣を構え直し、魔力を再度身体に充満させた。
――虚鞘・無間……。
居合の構えのように、体を屈め、重心を地面スレスレまで下げる。
力を込めるのではない。
逆だ。
余分な力を抜く。
指先、前腕、肩、首。
緊張を一つずつ解きほぐしながら、代わりに魔力を流し込む。
しかし足には、次の瞬間地面を蹴り飛ばせるだけの力と体重をかける。
地面の冷たさが、足裏を通して骨へと伝わって来た。
しかし脚部には、密度の高い力が静かに蓄えられている。
今この瞬間に跳ぶことも、斬ることも可能だ。
剣は鞘へ――否、鞘に納めず、すぐ横へ置いた。
"納刀"という行為すら省く。
ただ、スピードのみを追求し、起点を曖昧にする構え。
呼吸を、心拍を、魔力を凪ぐかのように流れを整える。
一息、深く吸い。
ゆっくりと吐く。
鼓動が耳に届く。
どくん。
どくん。
その音が、やけに大きい。
やがて、世界が変わる。
音が消えたわけではない。
むしろ、すべてが過剰に鮮明になる。
ルルの叫び声は遠雷のように低く響き、
アルヴィスの刃が風を裂く音は細い銀線のように耳をかすめる。
矢を番える指の擦れ。
弦が引き絞られる際の、かすかな軋み。
湿った土を踏む足裏の圧力。
それらが、ばらばらではなく、一枚の布のように繋がっている。
空気の流れが見える。
熱の移動が分かる。
魔力を知らなかった今まででは、出来なかった。
魔力の、エネルギーの流れ。
彼女はそれを、掬い取る。
未来を読むのではない。
ただ、今この瞬間に存在する"兆し"を拾い上げる。
たとえ、目の前に高速の一撃が飛んで来ようとも、反応しうるかのような、感覚の拡張。
時間が、引き延ばされる。
矢はまだ放たれていない。
だが、弦は震え始めている。
剣と意識が重なる。
刃は鉄ではない。
線だ。
世界に引く、一閃の軌跡。
呼吸が止まる。
鼓動が一瞬、消える。
そして。
最初の矢羽根が、微かに震えた。
それが、合図だった。
「………………!」
ベアトリーチェは目を開けた。
――清流・縁脈!
瞬間、ベアトリーチェの体が消えた。
消えたように、高速で技を繰り出したのだ。
矢が、霧の奥から現れた。
空気を割くように、甲高い音を立てながら数本が襲い掛かる。
しかし、ベアトリーチェはその全てを、正に流水の如き滑らかな動きで叩き切っていった。
――『華車』『白瀬』『白影』。
多様な技が、水に流れ行く花筏のように、滑らかに繰り出されていく。
回転する斬撃、弧を描く高速の斬撃。
「…………ふぅ」
等々、目にも止まらぬ速さで全ての矢を叩き斬ったのだった。
矢の勢いは死に、弓兵の息を飲む音が聞こえて来る。
「ファ……っ、凄いぃ……」
弓矢の射程圏内にいたフェンネは、リュウドウにしがみついたまま感嘆した。
「めちゃ強じゃないですかぁ……」
そう呟きを残す。
しかし、途端に高速の矢がフェンネに襲い掛かった。
「んぎぃやああッッ!」
ピタッ……。
涙を吹き出し絶叫するが、なんと矢はリュウドウが指先で摘んで止めていたのだった。
「あっ?! ……すまない! 大丈夫か?!」
ベアトリーチェの額に冷や汗が滲む。
慌てて駆け寄るも、リュウドウは相変わらず涼しげな表情を崩していなかった。
「"リュウドウがいるから"と慢心しましたね。お気をつけください」
こんな状況に見合わない、優しげな笑みを称える。
「す、すまん……」
「はっはっは。お気になさらず。フェンネさんとセレスさんの安全は保証します。戦闘に集中していいですよ」
落ち込んだ様子のベアトリーチェをフォローするように、手をヒラヒラと振ってみせる。
「助かる、ありがとう……!」
ベアトリーチェは感謝の言葉を残し、弓兵の殲滅に取り掛かった。
「匪賊に襲われた際はどうやって対処してたんですか、フェンネさん」
手に持った矢を、まるで鑑定士のように丁寧に観察しながら、リュウドウは呟く。
「ここまで危ない場所なんか通りませんよ……。護衛を日雇いするか、護身用の道具でなんとかやり過ごします……」
「なるほど。匪賊なんて、フェフェンのフェンということですね」
「たまに私の名前を捩るのは何なんですかァ……」
決して少なくなかった匪賊の人数はあっという間に削れ、今やルルが相手取っているリーダー格と思われる巨躯と、槍使いのみであった。
巨躯はルルが、槍使いはアルヴィスが圧倒をしている。
が、
「うっぬうぅぅ……」
巨躯の大振りを上から受け止め、ルルは唸り声を漏らす。
大剣が今にも小柄な体躯を押し潰そうとしていた。
――クソっ……、セレスにバフ頼むべきかな……っ。
「ルル! 任せろ」
「!」
ベアトリーチェの声が、横から響いた。
鏡のような輝きを放つ剣を振りかぶり、高速で距離を詰める。
――……あれを、試してみるか。
巨躯の匪賊が反応するよりも早く、瞬速の技を叩き出すため、魔力を集中させた。
短く息を吸う。
刹那、ベアトリーチェの目にも止まらぬ斬撃が降り注いだ。
――聖寂・白皇無影……!!
魔力を扱える今なら、出せると確信した技。
「…………?!、」
だが、虚しくもその一撃は成り立たなかった。
魔力操作のズレと、特定の身体操作の不慣れにより、技は破綻した。
匪賊の腕に浅い切り傷を残したに留まっている。
「あぁ……?!」
「えっ?」
ルルと盗賊の大男が戸惑う中、ベアトリーチェは苦虫を噛み潰したような、悲痛と気まずさに満ち溢れた表情を称えていた。
「………………っ、クソァッ!!!」
ヤケクソで、恥ずかしさを吹き飛ばすように、強烈なアッパーを男に炸裂させる。
「ゴッほっ…………」
顎にクリーンヒットした殴りは、皮肉にも華麗に意識を彼方へと飛ばした。
「あー……? まぁいいや、ありがとう」
戸惑いつつも、ルルは素直に笑顔を向ける。
「格闘家の方が向いてるんじゃない……?」
「……悪口だぞ、それ」
「あっちも終わったみたいだね」
アルヴィスの方を向き、戦斧を背負い直した。
彼女が言い終わる前に、匪賊が血を流しながら地面に倒れこむ。
「二人とも、怪我は?」
綺麗な金髪を揺らし、彼は剣を納めながら言う。
先程から、アルヴィスの技は目に捕らえることが不可能な程に速い。
「大丈夫だ。皆強いな、さすがだ」
ベアトリーチェも剣を納めながら、感嘆する。
「そうっしょ」
ルルが胸を張り、アルヴィスは苦笑いを浮かべて謙遜の言葉を残した。
「一先ず、人心地ついたな……」
息を吐き、後ろの3人に目をやる。
笑顔で親指を立てているセレス、安堵の表情でへたりこむフェンネ。
そして、まるで「お疲れ様でした」と言わんばかりの、穏やかな笑みを称えたリュウドウが手を振っていた。
戦闘の余韻も程々に、今一度一行は「灰」へと歩みを進める。
▶ アルヴィス
▶ ルル
▶ セレス
が仲間に加わった!




