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大英雄の修行旅、荷物持ちは最凶魔王  作者: 西奈 喜楽


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12/15

二話 灰の山

灰峠(かいとうげ)』。

 その名は、地図の上ではただの山道に過ぎない。

 だが一歩踏み入れば、人は試される。

 魔物ではない。

 牙を剥くのは――飢え、自然の脅威、崩落、そして人の悪意。

 英雄と魔王一行は、いまその危険地帯へと向かっていた。

 空は高く、風は穏やか。

 嵐の前触れとは思えぬほどに。

「いち……にぃ……。いち……にぃ」

「…………?」

 張り詰める空気を裂くのは、妙に間延びした声。

「いっち……にっ……さん……。にぃにっさん……」

「……??」

 道の中央で、ベアトリーチェは腕を大きく振り上げ、必要以上に歩幅を広げていた。

 背筋は伸び、顔は真剣そのもの。

 だがやっていることは、どう見ても行進練習である。

「いち、にー、さん……」

「声に出せ、とは言っていないのですが……」

 淡々とした指摘が飛ぶ。

 足を踏み出すたび、律儀に数字を数えるその姿は、傍から見れば健康のために散歩をする老婦人のようでもあった。

 危険地帯へ向かう騎士の姿とは、到底思えない。

 なぜこうなったのか。

 時は、数十分前に遡る。


「へー、良いですね」

 リュウドウの小さな賞賛。

 2人仲良く並んで歩き出した、土道。

 ベアトリーチェの身体には、魔力が十分に満ちていたのだった。

「やはり、成長が早い。どうです、体の調子は」

 少々困惑するように、ベアトリーチェは両手を広げ、自らの体を眺めた。

「なんというか……、暖かい感じ、かな……。調子はかなり良いが、よく分からん……」

 釈然としない感想を零す。

「当然ですね。今の段階は、単純に魔力を宿しているだけ。次は、『魔力による身体強化』に移ります。ここから、劇的に変わるでしょう」

「おー! ついにか!!」

 ベアトリーチェの瞳が、無邪気な光を輝かせる。

「まずは、魔力と身体の連動性を鍛える訓練をしましょう」

 リュウドウは和かに、人差し指を立てる。

「本訓練は、|∇·A⃗| → 0を"限定領域"で達成させる初期制御訓練です」

「おっ……、おぅ」

 しかし、表情とは裏腹に、彼の口から出た言葉は大学講義のように難解な物。

「通常の未熟者は、魔力を筋肉全体へ拡散させる、出力=力と誤認する、高密度化で魔導場発散を招く、という懸念があります。

 故に、本訓練の目的として、微小閉域制御の最適部位を一部に限定し、A⃗_total ≈ A⃗_(限定領域)と単純化することで――」

「ンンン! チョットマッテ、ムリ……。また私の頭をショートさせる気か?」

 頭から煙を出しながら、ベアトリーチェはしかめっ面を向けた。

 リュウドウはその様子へ小さな笑い声を漏らしながら、

「失礼。つい……、反応が面白くて」

「おいっ。こちとら史上最高成績がB-なんだぞ」

「え、低……。どうやって騎士団長まで行けたんですか……?」

 冷や汗をかき、ドン引きの様子である。

 こんな不名誉で、彼の乏しい人間味を引き出した事実は非常に不服な現実ではある。

 しかし、ベアトリーチェは気にも止めずに、

「普通の座学は諦めて、軍大学に進んだんだ。こう見えて、軍事学の成績は結構高い」

 鼻は高く、胸を張って告げる。

「参謀本部の下澄みとしてこき使われそう」

 下澄みとは、しばしば軍において上澄みの対義語として扱われる用語である。

 決して褒め言葉ではない。要は、人的資源における沈殿物を意味する。

「と、とにかく……。文系にも分かるように――むしろ、体育会系にも分かるようにお願いしたい……」

 またもやリュウドウは、クスりと笑みを残した。

 その様は、猫のような遊び心と麗しさがある。

「要は、身体の部位を限定して、魔力操作をマスターしていこうというものです。

 全身ではなく、腕のみ、足のみ、と限定し魔力操作と身体強化の感覚を掴もう! というのが目的です」

「なるほろ。やっと理解できた」

「それは良かった」

 軽く受け流しながら、リュウドウは前を歩く。

「では改めて。本訓練の詳細を説明します」

「ほんとに体育会系向けで頼む」

「もちろんです。貴方が理系アレルギーというのはよく理解できましたので」

 ひと呼吸置いて、淡々と。

「剣は持ちません。ただ歩く。それだけです」

「……それだけか?」

「ええ。足裏にのみ、魔力を"薄く"流し続けながら歩きます」

 ベアトリーチェの眉がぴくりと動く。

「薄く?」

「ええ。強化は禁止です。出力を上げてはいけない。速く歩いてもいけない。音も立てない、というつもりで」

「……縛りが多いな」

「縛りがあるから訓練になります」

 リュウドウは地面を軽く踏み示した。

「魔力を"力"として使わず。"感覚"として扱うように」

 低く、静かに告げる。

「足裏または脚の下部へ絞るメリットは、接地感覚が明確、体重変化と直結、小面積で局所制御しやすいという点です」

「……ふむ」

「全身に拡散させれば、雑になる。高密度にすれば、制御が荒れる。だから限定する。足だけです」

 ベアトリーチェは、自身の歩幅を見下ろす。

「つまり……、感じろと」

「そうです。白聖皇剣流の足運びは、地を読むことから始まると、観察のもと考えました」

 その言葉に、彼女の表情がわずかに引き締まる。

「なにより、剣術は下半身使いが重要ゆえ」

「……たしかし」

「では、感覚と神経に注力して始めてみましょう」

「よしきた。速攻で会得してみせる」

 

 そして、現在に至る。

「声に出さないと、こんがらがりそうでならんのだ」

「"自然な歩行"を心がけて下さい……」

 リュウドウは辟易とした様子で肩を落とす。

 無邪気に歩くベアトリーチェの背を眺めながら、ずり落ちかけたブリーフケースを背負い直した。

 だが。

 彼の視線は、すぐに彼女の足元へ落ちる。

 微細な魔力が、脚の下部、そして足裏に留まっている。

 濃度は安定し、指向性も一定。拡散も、暴発もない。

 修行前とは段違いだ。

 ――数時間弱で、ここまで……か。

 腕を組み、静かに息を吐く。

「中々、良いですね」

 口角がわずかに上がる。

 その姿は、まさしく弟子の成長を悦ぶ師範そのものだった。

「段々と分かってきたと言うか……感覚に慣れつつある」

 ベアトリーチェは満足げに呟く。

 歩調は自然。音も小さい。

 確かな前進だった。

「これなら、多少強さを変えても――」

 言い終える前に、足の運びが速まる。

 足裏へ流す魔力が、目に見えて濃くなる。

 圧が生まれる。地面へ沈む力が強まる。

「あっ、それは――」

 制止の声。

 だが、わずかに遅い。

 

 どっ…………――。


 鈍い衝撃音が、足元から響いた。

 微かな音量。しかし、何かが弾けたような低い音。

 ベアトリーチェの膝が、不自然に曲がった。

「えっ……」

 間の抜けた声が、彼女の口から漏れる。

 力が一瞬にして抜けたように、膝から崩れ落ちた。

「な、なんだ、なにが……っ」

 足に力が入らない、

 しかし、何より――

「う、いっデエエェへぇええッッ」

 突如の鈍痛。

 ベアトリーチェは右の脹脛、足裏を抑えながら大声を上げた。

「なんじゃこりゃああ」

 コミカルと形容出来る程に、涙目で足を高速で摩る。

「やっちゃいましたね。失敗です」

 意外にも、リュウドウは呑気な動きで彼女の傍らへ膝を付く。

「変に魔力出力を上げるからですよ」

「ングぅぅ、失敗……??」

「先程の説明にもあったように、∇·A⃗ ≠ 0となってしまった結果ですね。『魔導場発散』または『閉域破綻』と呼ばれる現象です」

「だから分からんてぇッ」

 情けなく、涙目で訴えるベアトリーチェ。

「一旦休みますか」

 リュウドウのお言葉に甘えて、ベアトリーチェは肩を預けて近くの岩に腰掛ける。

 靴と脛当てを外し、手で優しく撫で続ける。

「くそぅ……。痛みの引くスピードは速いのか……。筋断裂のような痛みだった…………」

 瞬間的な痛みの割に、既に足の容態は戻りつつあった。

 顔を近づけ、外傷が無いか確認をする。

「ふぅ……。調子に乗り過ぎた訳か……」

 見た目上の傷は見当たらない。

 安堵をするように、大きくため息を吐く。

「説明すると『魔導場発散』と呼ばれるものです。魔力の「入り」と「出」のバランスが崩れると、余った力が自分に跳ね返ってくる、というものです」

「……つまり、指向性がブレたということか」

「正解です。先程は変に出力を上げた影響ですね。『粗雑に風船へ空気を入れ過ぎた』と例えると分かりやすいかもしれません」

 穏やかな表情のまま、説明をする。

 『魔導場発散』。式としては、dM/dt ↑(単位時間あたりの魔力増加が大きい)。

 要は、一気に魔力を出そうとすると体の回路が処理しきれず、余った魔力が暴発したという事である。

「詳しい解説が必要でしょうか」

「いや……、ダイジョブ……。感覚メインの説明でお願いしたい……」

 リュウドウは肩を落としたベアトリーチェを一瞥し、「そうですか」と淡々とした短い呟きを残した。

 道を辿るそよ風が、草原を撫でていく。

 ベアトリーチェの髪が、ふわりと揺れた。

 彼女は立ち上がり、軍用ブーツの紐を結び直す。土で汚れた脛当てを、手で払ってから装着した。

「よし……」

 踵を岩にコツコツと当てながら、感覚を確かめる。痛みは、もう殆どない。

「もう、大丈夫ですか?」

 リュウドウは首を傾げた。

 その頭には、いつの間にかモンキチョウが留まっている。

 黄色い羽が、午後の光を受けて輝いていた。

「問題無い。次は自重するとも」

 ベアトリーチェは立ち上がり、軽く膝を屈伸させた。

「さっさと修行に戻った方が効率が良い」

「強かですね」

 リュウドウは、くすりと笑った。

 ベアトリーチェは言いながら、リュウドウの頭に留まるモンキチョウに指を差し伸べた。

 そっと、触れようと。

 だが、蝶は慌てた様子で飛びさり、ひらひらと舞いながら澄んだ空へ消えて行った。

「では続きですね」

 リュウドウは、ブリーフケースを持ち直した。

「もし、差し支えなければ魔力操作の範囲を広げてみましょう。足だけでなく、腕や指先にも流してみてください」

「了解した。あまり調子に乗らないようにする」

 ベアトリーチェは、深呼吸をした。

 そう言って、ゆっくりと歩き出す。

 今度は慎重に、一歩一歩を確かめるように。

 後に続くリュウドウのブリーフケースが、彼の歩調に合わせて静かに揺れていた。

 草原に、二人の足音だけが響く。

 風が吹き、草が揺れ、遠くで鳥が鳴いた。

 穏やかな、修行の午後。

「時に、用語解説をお願したい。リュウドウ教授」

「ふぉっふぉ、何かね? ベアトリーチェ学徒よ」

 巫山戯るように、老人の声を真似するリュウドウ。

「閉域なんたら……は難しいから置いといて、『魔導場発散』と言ったな。魔導場ってなんだ? 魔力とは別物なのか?」

「いい質問ですね」

 リュウドウは楽しげに、明るい表情を称える。

「おっしゃる通り、『魔導場』とは魔力でも、魔力回路でも、魔力の満ちた空間でもありません。式ではΦ = Φ(x, y, z, t) 空間座標(x, y, z)と時間(t)の関数、各点で『その場所の可能性』を定義し、魔力の流れとの関係は――」

 直ぐさま、梅干しよりも顔に皺を寄せ、顰めっ面を浮かべるベアトリーチェ。

 その様子を尻目に、リュウドウは咳払いをした。

「オホン、失敬……。分かりやすく言語化するなら、魔導場とは、『世界がどのような状態を許容するか』を規定する情報的構造層です。自然法則の上位にあって世界の成立条件を規定する、可塑的な情報場であるとも言えるでしょう」

「ンおぉ…………」

「……もっと簡単に行きますか」

 申し訳なさそうに、リュウドウは声を抑えた。

 すい、と人差し指を空中で振るう。

「そうですね……、『世界のルールブックを書き換え可能な概念的層』という感じです」

 文字と図形が、薄らと空中に浮かび上がった。

 ベアトリーチェはそれを眺めながら、腕を組む。

「ふむ……。つまり、自然法則を変化させる……、とでも?」

「はい、その通りです。魔導場とは自然法則の上位にあり、自然法則を『調整する設定部門』のようなもの。例えるなら、自然界は中央軍、それぞれの法則は兵站部門、衛生兵部門、流通部門、そして前線とします。魔導場は参謀本部となるでしょう」

「見えてきたぞ」

「良かった。魔導場は可塑性を持っています。つまり、歪むんです。

 魔導師は、魔力を使って魔導場を歪める事が出来るのです」

 細い指が流暢に動き、絵柄を作り出した。

「…………ん、んー。歪めるとどうなるんだ?」

「魔導場が歪むと、結果的に『魔法』という事象が発現するのです。……ホントに理解できてますか」

「で、できてる……。魔導場とはつまり、概念的情報の層または、司令室。魔法は、魔導場により世界が新しい設定を受理した結果……、と?」

 頭に汗を滲ませながら、振り絞る。

 リュウドウは両手で親指を立てた。

「バッチリです」

 その様子を見てベアトリーチェは安堵の溜息をこぼした。

「ムズイヨ……」

「難解ですね……、同意します。火炎魔法に例えるなら、炎を『作る』のではなく、『ここは高温である』という定義を世界に登録する――そんな感覚に近いかと……」

 風が吹き抜ける。

 空中に浮かんでいた魔導式の文字列が、粒子のようにほどけ、静かに消えていった。

 残されたのは、静寂だけ。

 ベアトリーチェは、ゆっくりと周囲を見渡す。

 ――……魔導場、魔法。

 これまで、疑問を抱いたことすらなかった言葉。

 剣を振るう者にとって、魔法は"支援"であり、"兵器"であり、"戦術の一部"だった。

 だが。

――……世界を書き換える、か……

 胸の奥で、何かが軋む。

 火を起こすのではない。

 光を放つのではない。

 "そうである"と、世界に認めさせる。

 その発想の飛躍。

 帝国の火砲部隊が放つ灼熱。

 治癒魔法部隊が戦場で繋ぐ命。

 リルが引き金を引いた瞬間、夜を裂いたマスケットの閃光。

 姉が魅せた、白聖皇剣流の御業。

 あれらは、ただの現象ではなかった。

 膨大な理論。

 緻密な制御。

 そして、世界への干渉。

 当たり前のように使われる魔法。

 だが、その一つ一つの裏に、積み上げられた学問がある。

――私は……本当に何も知らなかったのだな。

 否定ではない。

 ただの事実。

 剣だけを見てきた自分の視野が、わずかに広がる。

 魔導は派手な奇跡ではない。

 理論で世界を捉え直す技術だ。

 胸の奥に、小さな熱が灯る。

 畏敬。

 そして、悔しさ。

 姉は――ここまで理解していたのだろうか。

 ふと、そんな考えがよぎる。

 だがすぐに、静かに首を振る。

――追いつく。いや、越える

 剣だけでは足りない。

 ならば、学ぶ。

 それだけだ。

 ベアトリーチェは、静かに拳を握った。

 世界は、思っていたよりも広い。

 そして――深い。

「まるで……、神秘じゃなく、立派な技術だな……」

 ふと呟きが漏れる。

 その言葉に、リュウドウは笑みを浮かべた。

「ええ、全くもってその通りです」

 空を仰ぎ、儚い笑顔を称える。

 まるで、世界を解き明かす、研究者のような出で立ち。

「錬金術が化学へ、占星術が天文学へ……、呪文や言霊が言語学へ……。

 まさに神秘が理論に変わりつつある、現代。

 魔導も、『神からの借り物』から、『工学』へと変貌を遂げています」

 右手を掲げ、指を動かす。

 道の脇に、古びた石碑が立っていた。

 道祖神だったものか、旅人を祝福する詩か、草に覆われ、文字は風化して読めない。

 だが、その佇まいには——かつて、ここが何かの「境界」であったことを物語る、静かな威厳があった。

 リュウドウは、その石碑の前で足を止めた。

 ベアトリーチェも、それに倣う。

「……ベアトリーチェさん」

 リュウドウは、石碑を見つめたまま——静かに、語り始めた。

「魔法とは、数千年の昔より、人類および諸種族が触れてきた神秘です」

 風が、草原を撫でていく。

 草が揺れ、波のように広がっていく。青く澄み渡る空には、白い雲がゆっくりと流れていた。

「それは古来、"神の御業の模倣"と語られてまいりました」

 リュウドウの声は、穏やかでそして、どこか遠くを見るような響きがあった。

「呪術、魔法、魔術——名は違えど、その本質は同じでございます」

 彼は、空を見上げた。

「大自然の理を借り受け、魔力という不可視の力を媒介とし、人は辛うじて、その美しき自然法則の一端を再現する」

 遠くで、鳥が鳴いた。

 長閑な、昼下がりの風景。

 だがリュウドウの言葉は、その穏やかさの中に——どこか、重みを帯びていた。

「魔導とは畏れであり、祈りであり、許しを請う行為でした」

 彼は、石碑に手を置いた。

 冷たい石の感触。

「……と、かつては信じられておりました」

 ベアトリーチェは、黙ってリュウドウの言葉を聞いていた。

 彼の横顔は——いつもの穏やかな笑みだけではなく、どこか真剣で——そして、悲しげにすら見えた。

 リュウドウは、石碑から手を離した。

 そして再び、歩き始める。

 土道を、ゆっくりと。

 ベアトリーチェも、その後を追った。

「だが、偉大なる研究が、その観念を覆しました」

 リュウドウの声が、風に乗って届く。

「魔導は"借り物"ではない」

 彼は立ち止まり、振り返った。

「魔導は"奇跡"ではない」

 その瞳には確固たる信念が宿っていた。

「魔導とは、解き明かされた自然から得た、人類の技術です」

 草原が、風に揺れる。

 まるで、彼の言葉に応えるかのように。

「魔力は神秘ではなく、体系です」

 リュウドウは、手のひらを開いた。

 その上に——小さな光の粒子が、浮かび上がる。

「魔法は恩寵ではなく、再現可能な現象です」

 光の粒子が、ゆっくりと回転する。

 それは美しく、幻想的で、そして、確かに"そこにある"。

「人は自然則を歪めたのではありません」

 リュウドウは、光の粒子を——そっと、消した。

「自然則を理解し、条件を満たし、顕現させたのでございます」

 彼は、再び歩き始める。

 ベアトリーチェは、その背中を見つめながら——黙って、ついて行く。

「閉じられたはずの(ことわり)は開かれ、曖昧だった奇跡は数式へと還元されました」

 道の先に小さな丘が見えてきた。

 その頂上には、一本の大樹が立っている。

「魔導とは、祈りから演算へ」

リュウドウの声が、静かに響く。

「畏怖から制御へ」

 丘を登る。

「信仰から理論へと至った人類の到達点でございます」

 土道は緩やかで、登りやすい。

 二人の足音だけが、静寂を破っていた。

 丘の頂上に着くと、そこからは広大な草原が一望できた。

 青く澄み渡る空。

 緑の絨毯のように広がる草原。

 そして、遠くに見える山々。

 リュウドウは、その風景を——じっと、見つめた。

「かくして魔法は、神の真似事ではなくなりました」

 彼の声は——どこか、誇らしげだった。

「それは道具となり、技術となり、文明となりました」

 風が、二人の髪を揺らす。

 リュウドウは、深く息を吸い込んだ。

 そして——ゆっくりと、吐き出す。

「だが忘れてはなりません」

 彼は、振り返った。

 ベアトリーチェを真っ直ぐに、見つめる。

「解き明かされた理は、なお理でございます」

 その目には——深い、深い何かが宿っていた。

「魔導場は保存を求め、閉域を破れば反動は返ります」

 彼は、一歩ベアトリーチェに近づいた。

「我らは支配者ではございません」

 その声は静かで、穏やかで——そして、絶対的だった。

「理解したに過ぎません」

 ベアトリーチェは——息を呑んだ。

 リュウドウの目が——いつもと違う。

いつもの優しさではなく、もっと深い何かが——そこにあった。

「そして理解とは、責任を負うことに他なりません」

 リュウドウは、空を見上げた。

 雲が、ゆっくりと流れていく。

「魔導とは、力ではございません」

 彼の声が——風に溶けていく。

「理を扱う覚悟でございます」

 沈黙。

 長い、長い沈黙。

 草原に、風の音だけが響いていた。

 ベアトリーチェはその言葉の意味を、噛みしめていた。

 理を扱う覚悟——

 それは——自分が、今まで考えてきた「強さ」とは、違う何かだった。

 リュウドウは——再び、微笑んだ。

 いつもの、穏やかな笑み。

「……さて、少々堅苦しい話をしてしまいました」

 彼は、ブリーフケースを持ち直した。

「休憩にしましょうか。ここからの景色は、素晴らしいですから」

「……ああ」

 ベアトリーチェは、小さく頷いた。

 二人は、大樹の根元に腰を下ろした。

 草の感触が、心地よい。

 風が吹き、葉が揺れ、木漏れ日が二人を照らす。

 ベアトリーチェの心の中には、リュウドウの言葉が、深く刻まれていた。

 理を扱う覚悟。

 彼女は——空を見上げた。

 青く、澄み渡る空。

 そこに——答えは、あるのだろうか。


 二


「で、どうです? 魔力操作の進捗は」

 いつも通りの声色。

 いつも通りの穏やかで、優しげだが――どこか生命の温度を感じさせない声。

「見てくれ」

 丘の上で、ベアトリーチェは嬉しげな態度を示す。

 手を掲げ、魔力を充満させた。

「………………。」

 温かな流水のように、身体の内部を、肉体の表面を魔力が通る。

「…………成りましたね」

 静かに、リュウドウは吐息を零した。

「感覚は完全に掴んだような気がするんだ。魔力の有り無しでは、力も、パフォーマンスも段違いに感じる」

「それが、魔力による身体強化です。指向性と出力を強めれば、魔力防御も可能になる。そして、」

 1拍置いて、彼はベアトリーチェの剣を眺める。

「剣に纏わせば、白聖皇剣流も仕上がると予想します」

 ベアトリーチェは静かに頷き、愛剣の柄を強く握った。

「やっと、スタート地点に立ったか……」

「では、早速剣に魔力を纏わせるとしましょうかね」

 微笑を称え、リュウドウは彼女の前に立った。

 穏やかな視線で、見守るように瞳を向ける。

 その漆黒の瞳に、困惑を浮かべたベアトリーチェの顔が映り込んでいた。

「自身の体でやっとだったのに、上手く出来るだろうか……。魔導場発散で剣が吹き飛ぶのは勘弁だ」

「体外魔力操作なので、ご心配なく」

 右手を上げ、微笑む。

「では始めましょうか。

 まず、魔力を刀身ではなく"柄"に流して見てください」

「柄だけでいいのか?」

 言いながら、ベアトリーチェは剣を抜き取った。

 鉄の擦れる音が綺麗に響く。

 両手に持たれた剣は、昼過ぎの陽光を白く反射し、静かに輝きを放っている。

「柄から刀身の内部へ、内部から外部へと、洞窟を掘っていくように、徐々に進めて行きます。

 無理に魔力を使おうとしないように、あくまで魔力は"道具の延長"として。刀身は"身体の一部"として、意識するよう心がけて下さい」

 指先で刀身をなぞりながら説明をする。

「剣を持っている時は、絶対にこの意識を継続すること。そして――」

 リュウドウは一息置いて、後ろへと下がった。

 彼の袖と髪の毛を、そよ風が掠め取っていく。

「白聖皇剣流の技を積極的に使ってみて下さい」

 手を手刀のように、振り下ろしながら笑顔を向けた。

「白聖皇剣流を……。しかし……、私は……。

 いや、……分かった、やってみよう」

 言い悩みながら、言葉を詰まらせる。

 技の知識は全て頭に入っている。

 練習も、鍛錬も数え切れないほどやってきた。

 しかし、今持ち合わせているのは、杜撰で稚拙な技の物真似に過ぎない。

「魔力を扱えるようになったんだからな……。使わないならば、ただの間抜けか」

 剣を横に傾けて、刀身を眺める。

 綺麗に磨かれ、手入れの行き届いた刃は、鏡のようにベアトリーチェの顔を写していた。

「先程の練習メニューを繰り返しながら、次の村に向かいましょう」

「近くにあるのか?」

「はい、数km先に見えました」

「……どんな視力をしてるんだ」

 小高い丘の上ではあるものの、当然周囲を見渡せど森林が続くばかりである。

「近頃は匪賊の活動が盛んになっているそうです。修行には丁度良さげですね」

 丘をゆっくりと下りながら、リュウドウは穏やかな声音で告げた。

「らしいな。各地で被害報告を耳にする。なんだ、流行り病みたいに周期でもあるのか……?」

 ベアトリーチェは肩を竦める。

 軽口ではあるが、その視線は既に周囲を観察している。

 土道は踏み固められ、荷馬車の轍が幾重にも刻まれていた。

 交易路としてはそれなりに往来があるはずだ。

 だが――。

 今は、不自然なほど静かだった。

 鳥の声が減っている。

 風が、森の奥で滞留しているような感覚。

 周囲の木々は深みを増し、枝葉が重なり合い、木陰が道を覆う。

 陽光は細く裂け、地面にまだらな模様を落としていた。

 足裏に伝わる土の湿り気。

 踏み荒らされた跡。

 ベアトリーチェは無意識に視線を落とす。

 ――轍が乱れている……。

 片方だけ深い。

 急停止の跡。

 そして、靴底の跡が複数。

「……最近、ここで何かあったな」

「ええ。しかも、そう遠くない」

 リュウドウの声が、僅かに低くなる。

 その時だった。

 風に混じって、か細い音が届く。

 木立の向こう。

 怯えたような――

「……や、やめて……!!」

 短い悲鳴。

 荷物や衣服の擦れる音。

 男たちの、品のない笑い声。

 ベアトリーチェの足が止まる。

 一瞬の沈黙。

 次の瞬間には、踵が地を蹴っていた。

「右手、林の奥。三人……いや四人だな」

「ええ、任せますよ」

 その声音に、揶揄はない。

 純粋な信頼だけがある。

 木々の隙間を抜けた先――

 奥に、走って逃げる小柄な女性の姿。

 追いかける匪賊達。

 刃物をぶらつかせる男。

 状況は、最悪ではない。

 だが、放置できるほど軽くもない。

 森の静寂が、次の瞬間、鋼の音で裂かれた。


 三


 木々は、音を吸う。

「ンあああ! 助けてええぇぇ!!」

 獣道の輪郭は影により曖昧で、数歩先すら黒く溶けている。

 その影の中を、必死に駆ける小柄な姿があった。

 背負子は大きすぎるほど大きく、左右に揺れ、今にも彼女ごと倒れそうだ。

 革靴は泥を噛み、裾は濡れ、息は途切れ途切れ。

 彼女は泣きそうだった。

「む、むり……無理ですぅ……!」

 否、もう号泣していた。

 背後から、重い足音が四つ。

 霧の向こうで、低い声が笑う。

「逃げ場はねぇぞ、商人」

「荷物だけ置いていきな」

「くそ、逃げ足速えな」

 匪賊は四人。

 短斧、刃毀れした曲刀。

 慣れている。追うことにも、奪うことにも。

 彼女は振り返らない。振り返れない。

 泣きながらも計算している。

――荷物を投げれば助かる……? でも半分は前金分……ああでも命の方が高い……いやでも……。

 迷っている間に、足を取られた。

 ずるり、と滑る。

「おぉっふ……っ」

 背負子の重みで体勢が崩れ、前のめりに倒れかける。

「あっ――」

 短斧が振り上がる。

 その刃が影を裂いた瞬間、別の音が重なった。

 鋭く、短い衝突音。

 匪賊の手首が弾かれ、短斧が地に落ちる。

 もう一人が振るった曲刀は、いつの間にか横から現れた銀の軌道に叩き払われていた。

 木々の中から、長身の騎士が一歩踏み出す。

 静かに構えた剣先は、ぶれない。

 ベアトリーチェだった。

「その荷は、この子の命より重いのか?」

 声音は冷静だが、眼は笑っていない。

 匪賊の片方が唾を吐く。

「関係ねぇ。女一人――」

 言い終える前に、地面に伏していた。

 踏み込みは見えなかった。

 影が揺れただけだ。

 残る一人は一瞬ためらい、踵を返す。

 だが、逃がさない。

 鞘で顎を打たれ、膝を砕かれ、静かに沈む。

「ひぇっ……」

 音が、消えた。

 落ち葉が、何事もなかったかのように漂う。

 彼女は地面にへたり込んだままだった。

 涙で、視界がぐしゃぐしゃだ。

――た、助かった……? 生きてる……?

 恐る恐る見上げる。

 黒の鎧。整った顔立ち。

 鞘を背負うその姿は、どこか幻想めいている。

「立てるか?」

 差し出された手を見て、商人は一瞬、固まる。

――……かっこいい……。

 そして次の瞬間、背後からひょい、と別の顔が覗いた。

 柔らかな微笑み。

 影の中でも崩れない、端正な顔。

「おや、お久しぶりです」

 世界が止まった。

「あぁ、どうも……、ご無沙汰しております……」

 反射で返す。商人の条件反射。

 だが、視線がその顔を正面から捉えた瞬間。

 脳が、理解する。

――あれ? この感じ……この圧……この微笑み……。

 数秒の沈黙。

「んんんああああッッッ?!?!????!」

 霧が震えた。

「だ、だだだ第八陛下?!?」

 腰が抜ける。

 今度こそ完全に尻餅をつき、背負子が後ろに倒れ、乾物の袋が転がる。

「ちちち違います違います! あの時の紅茶はちゃんと原価でしたから! ぼ、ぼったくってません! 本当です!」

 吃りながら両手を振る。

 次いで、眉と目が見事な八の字に崩れ、涙が一気にせり上がる。

 笑うでも泣くでもない、絶望と混乱の合体事故のような顔だった。

 見事なまでの情けなさである。

 リュウドウは、にこやかに首を傾げる。

「ええ、承知していますよ。今日は買いに来たわけではありません」

「そ、それはそれで怖いです……」

 ベアトリーチェは、目の前の光景を見て一瞬だけ呆然とした。

 先ほどまで命の危機にあった少女は、今や別の意味で瀕死である。

 森の街道に、情けない声が響く。

 可哀想で、必死で、けれど荷物だけは離さない。

 それが、行商人フェンネ・フィリーティの――

 記念すべき、最悪で最良の出会いだった。


 *


 倒れ込んだ匪賊を確認し、ベアトリーチェは剣を鞘にしまった。

「一先ず怪我は無いようだな……。なんだ……、二人は知り合いなのか?」

 目の前にはメンタルが瀕死の少女、後ろにはにこやかなリュウドウ。

 全く状況が把握できない。

「んぁあ……、なんでぇ魔王ぅがぁ…………」

 等のフェンネは話が出来るような状態には見えなかった。

「彼女は大陸を巡る行商人です。以前、何度か商い事で関わりがありまして」

「行商人……」

 リュウドウの穏やかな説明を聞き、ベアトリーチェは死にかけている少女を眺めた。

「……はい、……初めまして」

 のそのそと立ち上がりながら、ベアトリーチェへ手を差し伸べる。

 その小さな手は握手を待っているようだった。

「よろしくお願いします……。行商人の、フェンネ・フィリーティと申します……」

「あぁあ、こりゃどうも……、初めまして」

 条件反射的にベアトリーチェは握手を返し、頭を下げる。

 髪は淡い黒色、肩より少し下で一つに結んでいる。目はややたれ目で、怯えた小動物のような印象。

 服装は一部継ぎ接ぎのある、こぢんまりとしたものである。

 しかし、最大の特徴はその荷物だった。

 小柄な体躯の倍はあろうかという、どデカいバックパック。左右には小袋や瓶が吊るされており、重量は計り知れない。

 ベアトリーチェはその荷物群に目を見張る。

 ――よく走れたものだな……。

 行軍を行う軍人の荷物よりも大きく、大陸行商人であれば常に移動をしている筈だ。

「行脚をしている、ベアトリーチェ=アウレリア・ロードスクヴェルトだ」

「えっ?」

 彼女の自己紹介に、またもやフェンネの表情が固まる。

「まさか……、最近就任した大英雄の……?」

「あ、あぁそうだ……。あまり活躍出来ていないが。よくご存知で」

 少し照れくさく、顳かみを抑えながら答える。

 フェンネの額に冷や汗が浮かんだ。

「し、失礼致しました……!!! 改めて、こう言う者です……」

「そこまで、丁寧する必要はないぞ……」

 申し訳ない気持ちを抱きつつ、頭を下げながら手渡された名刺を受け取った。

 ――さすが商人……。

 名刺に書かれていた旨は、フェンネ・フィリーティ、『大陸商会連合協会』加盟、管轄は大陸間。

「『商人ギルド』というやつか……。エリートじゃないか」

「下っ端です……」

 荷物をがさりと揺らし、またもや頭を下げた。

「ギルドの業務委託案件で、第八陛下と知り合いまして……。以来、こき使われて――ォごっ、ご贔屓にしてもらってますぅ……」

 リュウドウの視線を感じ取り、言葉を詰まらせた。

「彼女の活動範囲は相当に広い。恐らく、旅の手助けとなるでしょう」

 彼はベアトリーチェの横で、穏やかに呟く。

「へぁっ……。また、同行ですか……?」

「まぁ、行商人なら知識も多いだろうしな……。連れ回す気はないが、目的地を教えてもらっていいか?」

 名刺をリュウドウの背負っているブリーフケースにしまいながら、おずおずといった風に訊く。

「……?」

 しかし、ベアトリーチェの耳がピクリと動いた。

 同時に、彼女の表情は固まり、鋭い視線が周囲を警戒する。

「フェンネさん、こちらへ」

 リュウドウが優しく、彼女を引き寄せる。

 微かに響く、草木を掻き分ける音。

 それは乱暴に、枝を、葉を破り、金属の擦れる音を鳴らしていた。

「残党か、仲間だな」

「えぇッッ?!」

 リュウドウが庇うよりも早く、フェンネは彼の背中に隠れた。

 残念ながら、その巨大な荷物は完全にはみ出ている。

「丁度いい。ベアトリーチェさん、次こそは貴女の御業をお見せ頂きたい」

「存分に見届けてくれ。修行の成果だ」

 叢より聞こえる、粗雑な話声。人数は3人程度か。

 対するベアトリーチェは、剣を抜き取り構えた。その表情は明るい。

「おいっ!!」

 木枝を掻き分け、匪賊が姿を表す。

 3人。

 中心の大柄な男が、声を上げた。

「わひぃ……」

 背後でフェンネの情けない声が漏れる。

「たった一人の騎士に負けたのかよっ。何してんだ無能が」

「女じゃん、情けねぇな」

「エルフか、金になるかもしれん」

 手には鉈、ファルシオン、ロングソード。

 恐らく、先程の盗賊の仲間なのだろう。

 身内を憂うこともなく、彼らは品層に欠ける笑い声を出している。

「女騎士! 3体1だ、どうする?」

 大柄の匪賊がファルシオンを向け、ベアトリーチェに問うた。

 淡々とした声色。嘲るでも、笑うでもなく、静かな問。今足元に倒れている賊よりも、慣れている。

 ベアトリーチェは静かに、答えを向けた。

「無論、全員纏めて」

 剣を構え、魔力を体に、そして柄に流す。

 重心を沈め、剣の型を体現した。

 ――白聖皇剣流……。

 その構えは、刃をやや寝かせ、切っ先は相手の喉元より低く、重心は深く、踏み込みは最小。相手に先手を取らせる構え、しかしそこには立錐の余地も隙は無し。

 ――『白帝位(はくていのくらい)』……!

 隙も、ブレも無い完璧な構え。

 その気迫が、匪賊を圧倒した。

「……お前は援護だ。二人でかかるぞ」

 大柄な男の左に構えた、ポニーテールの賊が、静かに指示を出す。

「…………。」

 ベアトリーチェは沈黙と構えを崩さない。

 2人の匪賊が、地面を踏みしめた。

 そして、

「死ねぇッ!!」

 ポニーテールの男が、鉈を振りかぶり、高速で斬りかかって来た。

 地面を蹴り、高速で間合いを詰める。

 鉈が、ベアトリーチェの顔に迫り来る。


 ギィンッ


 火花が散るほどの、鋭い金属音が鳴った。

「……はっ…………?!」

 匪賊が息を飲む。

 振り上げられた、ベアトリーチェのロングソード。

 気づけば、鉈は真っ二つになっており、刀身が中を舞っている。太い刃は回転しながら、木の幹に突き刺さった。

 刹那、冷や汗が吹き出る。

 構えに、完全に手玉に取られたのだ。しかし、そんな後悔をする間もなく、容赦ないベアトリーチェの追撃が襲った。

 ――『白騎刹閃(びゃっきせっせん)(ろう)』。

 白く、美しい瀑布が振り下ろされる。

 それはまさに水の様に滑らかで、高速だった。

 鮮血が舞い、匪賊の体に紅い帯が描かれる。

「……………………。」

 男の体が地面に倒れた。

 瞬間移動のように、斬ると同時に前方に移動していたベアトリーチェは、その体を後目にする。

 匪賊らは息を飲み、フェンネは空いた口が塞がっていない。

 唯一、リュウドウが笑みを浮かべていた。

「……美しい」

 甘美な視線を、彼女の剣に注ぐ。

「クソがあッ!」

 大柄な男が、怒号を上げてファルシオンを振りかぶった。

「来いっ」

 冷静に、ベアトリーチェは今一度構えを取る。

 その麗しき剣筋は、再び牙を向いた。


 四


「さすが、大英雄様……っ。めちゃ強じゃないですか……」

 リュウドウの背に、鼠の如く縮こまるフェンネ。

 彼女の視線の先には、大木を連想させる体躯の匪賊を軽々と圧倒するベアトリーチェが映っていた。

「流石に、適当な賊に遅れを取るような人ではないでしょう」

 冷静な態度を崩さないリュウドウは、静かにその戦闘を見据えている。

「というより……、陛下が相手をしたほうが早く終わるんじゃ」

「彼女の手伝いは最低限に、との契約ですので。俺が直接関わるのは、……このような事態のみです」

「契約……? っひゃ?!」

 言い終わる前に、フェンネの視界にはロングソードを持った匪賊がいた。

 その細い長身を屈めて、二人を睨みつけている。

「はっは……。あの女意外と強ぇからよ……、人質になってもらうぜ?」

 卑屈な笑み、そして微量の焦燥が浮かんでいた。

「イヤああぁ……っ。勘弁してくださいい!!」

 涙目で、フェンネはリュウドウの肩を掴み、隠れた。

「陛下っ……! 助けてぇ……ッッ。なんか商品割引しますからぁッ!!」

「なら、断る理由は尚更無いですね」

 リュウドウはその言葉に、和かな笑みを浮かべた。

「あ? よく見りゃお前、中々良いツラしてんな……。こりゃ高値で売れるな――」

 言葉は、そこで途切れる。


 ゴチャッ


 血と骨が弾ける音が、端的に響く。

 断末魔も無く、匪賊はリュウドウの裏拳によって吹き飛んだのだった。

 中を舞った匪賊の体は、数メートル先の木に衝突する。

 しかし、リュウドウの一撃はまるで、小さなハエを払うように些細であり、小さな仕草だった。

「うぇっ強ぉ……!」

 肩から顔を覗かせたフェンネが、鼻水を垂らしたまま目を見開く。

 リュウドウはポケットから出したハンカチを、彼女に手渡す。

「…………手が汚れてしまったな」

 目を細め、自らの手の甲を眺めた。

 声は低く、声色も暗い。

 それは、なにゆえの独り言なのか。どこから来る、不平なのか。

「すみません、汗だけ拭かせてもらいました……」

 フェンネはそう呟きながら、ハンカチをリュウドウへと返却する。

 商人故か、そのハンカチの高級さを理解したのだろう。鼻水は袖で拭っていた。

「お気になさらず」

 持ち主のリュウドウは、全く意に介していないのか、ごく丁寧な声色で応じる。

「あちらも終わりそうですね」

 そう言いながら、視線をベアトリーチェへと向けた。

 手元では、手の甲に付着した血をハンカチで擦り取っている。

「凄い、見事な剣術というか……」

 フェンネも、戦闘に目を向ける。

 その口からは感嘆の声が漏れていた。

「がァ……!!」

 大柄の匪賊が、巨大なファルシオンを振り下ろす。

 しかし、その一撃は、

 ――……『聖・朧流し』。

 ベアトリーチェの剣に、まるで添えられるかのように受け流され、地面に突き刺さった。

 意図しなかったカウンターにより、男の体が前のめりに傾く。

 そのまま、

「ごっはッッ」

 ベアトリーチェは後頭部に剣の柄を叩きおろした。

 白目を向いた匪賊は、力なく地面に倒れこんだ。

「ふぅ……」

 剣を、静かに鞘へ戻す。

「2人とも、怪我は――」

 後ろを振り向き、身を案ずる声をかけるが、その言葉は不意に途切れた。

「ご心配なく」

 目の前には、吹き飛んでいる匪賊。そして和かなリュウドウが相変わらずの綺麗な姿勢で立っていた。

「……そのようだな」

 心配を損するように、息を漏らす。

「あの……」

 やっとこさ、リュウドウの背から出てきたフェンネは、ベアトリーチェの前にたった。

「助けて頂き、本当にありがとうございました……。是非とも、御礼をしたいです……」

 そう言って頭を下げる。

 背後の荷物が、大きく揺れた。

 ベアトリーチェは微笑みを称え、明るい口調で返した。

「そんなものはいいさ。人を守るのが、仕事だからな」

 フェンネの肩に、優しく手を置く。

「近くに村があるそうだ。一緒に向かおう」

「はいっ」

 フェンネは明るい笑みを、初めて見せた。

 その愛嬌に、ベアトリーチェはつられてクスリと、微笑を零す。

「では行きますか」

 リュウドウが2人に声をかけ、ゆっくりと歩き出す。

 斯くして、英雄、魔王、商人の奇妙な一行は再び足を運んだ。

人物紹介:行商人フェンネ


フェンネ・フィリーティ

年齢:19

性別:女性

身長:150cm前後

体重:非公開


大陸を渡り歩く若き行商人。

定住することなく各地を巡り、商品を売りながら生計を立てている。


性格はかなりの怖がりで気弱。

強く出られると泣きそうになりながら従ってしまうタイプ。

しかし一方で、商売の話になると途端にしたたかになる。


彼女には商人としての本能がある。

それは「動き続ける方が安全」という考え方。

停滞こそが危険だと知っているため、恐怖を感じながらも前へ進み続ける。


巨大なバックパックを常に背負っており、それが彼女の商売道具。

長年使い続けているため傷だらけだが、破れるたび自分で縫い直している。


また、彼女はいつもランタンを持ち歩いている。

それは祖父の形見であり、本人にとって非常に大切な品。


もっとも──

そのランタンは、どうやらただの灯りではないらしい。


なお、第八魔王リュウドウとは以前から何度か関わりがあるようだ。


※フェンネは「大陸商会連合協会」に所属する行商人でもある。

この組織は、各地の商会や豪商たちが協力して設立した大陸規模の商業連合であり、貿易の仲介や契約の保証、輸送網の共有などを通して商人たちの活動を支援している。

世界の商業を管理する機関ではなく、あくまで商人同士の助け合いによって成り立つ連合体。

その長い正式名称と、「会」という文字が2文字も含まれているややこしさから、一般には単に「商人ギルド」と呼ばれている。

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