第一章 一話 灰の道
「約やかな質問ですが、あなたは何故それほどまでに祖国を想えるのですか?」
英雄と魔王という、本来ならば決して並び立つはずのない二人の奇妙な一行は、ついに統一帝国領の境を越えていた。
遥か後方、なだらかな地平の向こうには、第二リィド要塞都市の裏門が小さく佇んでいる。眼前にしたときには、その威容と重厚さに思わず足を止めたものだが、今やそれは豆粒ほどの大きさとなり、旅立つ者を静かに見送る存在へと変わっていた。
道は薄茶色の土で固められた細道、その両脇を縁取るように、鮮やかな緑の草叢が風にそよいでいる。
点々と視界に入るのは、年季の入った木々や人の気配を失った廃屋、そして慎ましやかに営まれる小さな農場、いずれも、戦と権謀が渦巻く世間とは無縁の素朴で長閑な光景だった。
その道を、ゆったりとした歩調で進む旅の主役――ベアトリーチェは、身に着けた軽装鎧を微かに鳴らしながら、軍用ブーツで確かな足取りを刻んでいた。
黒を基調とした鎧と、背に負った剣は、陽光を控えめに反射し、その姿に過剰な誇示はない。だが、長身で引き締まった体躯と無駄のない佇まいが、彼女がただの旅人ではないことを雄弁に物語っている。
その隣を歩くのは、一見して旅に不釣り合いな青年だった。
仕立ての良いスーツに身を包み、背負っているのは剣袋でも背嚢でもなく、ブリーフケース1つ。修行行脚という言葉から連想される無骨さとは正反対の、非現実的なまでに中性的で端麗な容貌をしている。
精巧な芸術人形を思わせるその青年――リュウドウは、淡々と、しかしどこか配慮を滲ませた声音で問いを投げかけた。
漆黒の瞳は進行方向を見据えたまま、そこに詮索や疑念の色はない。ただ、何気ない疑問を確かめるような、穏やかな視線だった。
その問いを受けて、ベアトリーチェは一瞬だけ呼吸を整えるように、静かに息を吸い込んだ。答えを選びかねている、そんな気配が鎧越しにも伝わるほど、わずかな間が生まれる。
「…………やはり、この蛮勇っぷりはあの事件だけでは共感できないか」
自嘲するような呟きが、土道に落ちる。
「故郷ゆえ、仲間達のため、国民のため、というのが大きな理由だ」
そこで彼女は、言葉を区切るように口を噤んだ。
踏みしめる歩調は変わらないが、その沈黙には、軽くはない重みが含まれている。
それを察したのか、リュウドウは声を和らげ、言葉を添えた。
「失礼。話し難いならば、無理をなさらず……」
だが、ベアトリーチェは小さく首を振る。
「いや、そういう訳ではない……。ありがとうな、すべて話す」
そう言い切ってから、ベアトリーチェはそれ以上言葉を続けなかった。
歩みは止めず、ただ前を向いたまま、剣帯へかけた手にわずかながら力がこもる。
またもや鎧の擦れる音と、軍靴が土を踏む乾いた響きだけが、二人の間を満たしていた。
道は緩やかにうねり、農場の影が次第に遠ざかっていく。陽は高く昇り、草叢を揺らす風の匂いも変わった。
点在していた廃屋が途切れ、代わりに背の高い木立が視界を覆いはじめるころには、時間だけが静かに流れ落ちていた。
リュウドウは、その沈黙に踏み込もうとはしなかった。問いを重ねれば、彼女が背負うものを軽くしてしまう――そんな予感があったからだ。
ゆえに彼は、並んで歩きながらただ待った。
ベアトリーチェの胸中では、言葉にならない記憶が何度も浮かんでは沈んでいた。語ると決めたはずの過去は、いざ声にしようとすると、喉の奥で硬く絡みつく。彼女は一度、深く息を吸い込み、吐き出す。
騎士として鍛え上げた呼吸でさえ、その瞬間ばかりは僅かに乱れていた。
やがて、道が再び開け、空の広さを取り戻したころ。
ベアトリーチェは、ようやく決意したように視線を前に据えたまま、低く、しかしはっきりと口を開いた。
「姉がいたんだ」
自然と右手は、首にかけられているドッグタグをさすっている。
決して落とさないように、しかし肌身離さず持っておくように、普段は衣服の奥へ突っ込んでいるドッグタグ。
「一つ上の姉だ。確かに姉妹ではあるものの、私なんかとは全然似ていなかったな。顔立くらいだ」
リュウドウは目を細め、彼女の手中で輝くドッグタグを眺めた。
「過去形、ということは……、申し訳ありません。なんとも不躾なことを」
胸に手を当て、頭を小さく下げる彼の振る舞いは、まるで召使か、格式ばった場でのそれである。
ベアトリーチェは宥めるようにすぐさま明るい笑顔を称えた。
「構わないさ。そこまで堅くならないでくれ。軍人ゆえ、慣れている」
目の前に続く道程へ、目線を落とす。
「……姉の遺言なんだ。彼女と共に生まれ、育ち、愛した祖国を……、私は託された。敬愛した姉の思いを、蔑ろにするわけにはいかない、絶対にしたくない……。
彼女が守り続けた国と仲間を、私は背負っている」
「なるほど……、姉の想いを。素晴らしい。姉君はさぞ御立派な方なのですね」
目を細めて、小さな微笑みを滲ませた。
対してベアトリーチェは苦笑いを地面に零す。
「立派も立派さ。私と違い、凛とした落ち着きのある人柄だった。……几帳面で優秀。文武両道……。
何より、剣術の天才だ。私なんかより、何倍も強かった……」
ベアトリーチェは拳を握りしめ、視線を落とした。
かつての、長年奥にしまい込んでいた後悔と責任の念が喉奥に込み上げてくる。
「この危険な世界で、10年前まで騎士団長として帝国を守っていたんだ。私はその意思を継がねばならん……」
眉間に皺を寄せ、空を眺めた。
うっすらと、姉の背中を想いだす。
凛と姿勢の良い立ち姿、風に揺らめく美しい銀髪。
10年が経とうと、その記憶は一切薄れない。
「では、姉君と肩を並べるために、修行に励まないとですね」
僅かな相槌のみで、静かに聞き入っていたリュウドウは、にこやかに笑った。
その無邪気さが拭えない笑みは、ベアトリーチェへの慰めと激励が混ざっているように感じられる。
「いや、姉を越えるつもりで臨む」
真っ直ぐ、行く末を見据える。
胸に拳をあて、力強く告げた。
「剣の天才にはなれなかった。
だが、秀才になれる努力なら、今この瞬間からでも始められる。なら、私はそれを選ぶ……」
確固たる決意。
周りを吹き抜ける風が背中を押すように、草を揺らした。
「………………。」
リュウドウは相変わらず微笑みを浮かべ、ベアトリーチェを見据えている。
「帝国領を過ぎたな。……改めて、よろしく頼む」
太陽に負けぬほど、眩い笑顔を称えた。
対象的にリュウドウは涼しげな表情のまま、
「勿論です。幾らでも、指南致します」
と恭しく一礼する。
「やはり目標は声に出すのが一番良いな! やる気が出てきた」
ベアトリーチェは陽気な声を上げ、早るように足を早めた。
笑みを零しながら腕を大袈裟に振り、知らぬ間にリュウドウと距離を空け始める。
彼は苦笑いだけを落としながら、その様子を見守った。
――…………10年前に殉職した、前任の騎士団長……か。
口に手を当て、俯く。
先程の話を今一度反芻していた。
何やら含みのある考え事である。
――聖七天の一角より強い……、となると……。
しかし、
「待って下さいよ。こちとら荷物持ってるんですよ」
リュウドウは疑問を吹き消すように軽く鼻で笑い、ベアトリーチェの後を追った。
後に残るは、彼女らが付けた足跡と、それを称える土道のみだった。
2
「まずは魔力操作を覚えましょうか」
一行は小高い丘で休息を取っていた。
聳える大木が、心地よい木陰を作り、さらさらと葉の掠れる音色を流す。
リュウドウは事前に購入していたおにぎりを、焚き火で炙りながら、ベアトリーチェへと告げた。
狐色になりりつつある焼きおにぎりは、米の甘い匂いと、中味の具である干し肉の香ばしい匂いを漂わせている。
「私も、最初に習おうと考えていた」
長閑な雰囲気のリュウドウとは異なり、ベアトリーチェは木の枝にぶら下がり、片手でL字懸垂をしていた。
足元には鎧が整然と並べられている。
既に20回は超えているはずだが、その綺麗なフォームと速度に変化は見られない。
覗いた二の腕は、筋肉と血管が隆起し、強固たる軍人であるという印象が改めて植え付けられる。
「先は長そうだな」
そう呟きながら、ベアトリーチェはスタッと着地する。
「そうでもありませんよ」
流れるような手つきで、ハンドタオルを手渡す。
ベアトリーチェは軽くお礼を言って、受け取ったタオルで汗を拭った。
「そうだったのか? 私が挫折したものの1つだ」
「ちょっとした才能と、優秀な師範があれば誰でも可能です」
「私には、どちらもいなかったなぁ」
しょんぼりと口を尖らせるベアトリーチェ。
リュウドウは対象的に、訝しむ表情を浮かべた。
「ですから、貴女は無意識に微弱な魔力を扱えていたと言ったでしょう。むしろ才能があるくらいです」
「おっ、ほんとか」
一瞬で表情を明るくする。
リュウドウは「ええ」と言って、喜んでいる彼女を他所に、視線を落とした。
――……むしろ、殆どの魔力無しであれほどの実力は。別の方向でも才能があるようだ。
「どうした?」
急に黙りこんだ彼を心配するように、ベアトリーチェは無邪気にも目を瞬かせる。
「いえ、お気になさらず」
一瞬、笑顔を浮かべる。
「とりあえず、魔力なる物の感覚を掴みましょう。基本中の基本における基礎です」
「……うむぅ、確かに。魔力がどんな感触なのか分からないと、不可能だな」
腕を組み、顎に手を当てて唸るベアトリーチェ。
風が吹くたび、葉擦れの音が静かに響く。
遠くで鳥が鳴き、どこかの農家が牛を呼ぶ声が聞こえた。
平和で、穏やかな、一日の昼下がり。
「やはり、剣の鍛錬のように、スラスラとは行かないか……」
額の汗を拭い、傍らに立てかけた愛剣に視線を落とした。
彼女の剣筋は、基礎においては完璧である。
何千、何万と振るってきた剣。その軌道には、一切の無駄がない。
しかし、そこに乗るべき魔力は、意志とは裏腹に陽炎のように頼りなく霧散していた。
「本来、魔導学なるものを体系的に学び、何年もかけてその理屈を感覚と実践に落とし込むものなのだろう?」
彼女は、溜息をつく。
「付け焼刃でどうにかなるものではないか……」
自嘲気味な呟き。
リュウドウは、その言葉に穏やかな——しかし、どこか悦びに満ちた微笑みを返した。
「ええ、左様ですね」
彼は、木陰に腰を下ろし、膝の上で手を組んだ。
「魔導学において、魔力操作とはどのように説明されるんだ?」
ベアトリーチェの素朴な疑問に、リュウドウは「そうですね」と、ほんの少しの時間、悩むように目線を落とした。
「一般的な魔導体系に従うならば、まずは『第一魔導神経の覚醒と、エーテル伝導率における熱量等価変換』の定義から入らねばなりません」
しかし、口から現れたのは何とも流暢な文。
彼の目が、わずかに光る。
「具体的には、生体内の魔力ポテンシャル P を、心拍数 H と呼吸圧 R の関数として定式化し——」
彼は、空中に指で数式を描くように動かした。
P(t) = αH(t) + βR(t) - γ(dT/dt)
という計算式らしき羅列が、うっすらと浮かび上がる。
「——ここで α、β、γ は個人の体質係数、T は体温です。そして、この P(t) の時間積分値が——」
∫[t0→t1] P(t)dt > P_threshold
「——閾値 P_threshold を超えた瞬間に、細胞壁の魔力透過性を意図的に引き上げる演算が必要となります」
リュウドウは、楽しそうに続ける。
「さらに、放出されるエネルギーの指向性を安定させるために、魔力ベクトル場 A⃗ の発散——」
∇·A⃗ = 0
「——を常に維持しつつ、空間の抵抗係数 μ を逆算し、マクス=フィラディ環流理論の魔導版を適用して——」
「あ、もう大丈夫です……」
大学講師顔負けの滔々とした解説を制止させるように、嘆きが漏れる。
ベアトリーチェは両手でこめかみを押さえ、深いため息をついた。
「頭が痛くなってきた……」
先ほどまでの軍人然とした凛々しさはどこへやら、膨大な数式の羅列に完全に戦意を喪失したようだ。
彼女の肩が、わずかに落ちている。
「やはり、難解ですよね」
リュウドウは、愉快そうに目を細めた。
「申し訳ありません。つい、話が弾んでしまいまして」
彼は立ち上がり、彼女の背後に静かに立った。
「では——」
彼の声が、優しく響く。
「——学問を飛ばしましょう」
「……え?」
「理屈は俺の脳が引き受けます。ベアトリーチェさんはただ、指先が教える『感覚』だけを——」
彼は、彼女の肩にそっと手を置いた。
「——その魂に刻んでください」
「感覚……?」
ベアトリーチェは、振り返ろうとした。
だが、リュウドウの手が、それを静止する。
「動かないでください。今から、少し不思議な感覚があるかもしれません」
「……ああ、頼む」
その瞬間——
リュウドウの指先から、驚くほど澄んだ「熱」が流れ込んできた。
「……っ!」
ベアトリーチェの目が、見開かれる。
それは、彼女自身の魔力とは比較にならないほど洗練され、統制されたエネルギーの奔流。
まるで、澄んだ水が体内を巡っていくように——いや、それは水ではない。
もっと温かく、もっと生命に近い何かだった。
リュウドウの驚異的な操作精度によって、彼の魔力は彼女の体内にある未使用状態の「魔力回路」を、まるで熟練の工匠が古びた機械を整備するように一つひとつ叩き起こしていく。
心臓から——肩へ——肘へ——手首へ——指先へ。
「わ、ワァ……、なんだゃこれェ……」
「驚かないでください」
リュウドウの声は、穏やかだった。
「今、貴女の心臓から右腕へ至る最短のバイパスを『定義』しました」
「……っ、定義、だと?」
彼の指が、彼女の肩からゆっくりと腕を辿る。
その軌跡に沿って、魔力が道を作っていく。
「肺に空気を溜める必要はありません。呼吸のリズムを整える必要もない。ただ——」
彼の指が、彼女の手首で止まった。
同時に、リュウドウの頭と美しい髪が顔の間近に来る。
――……うわ、いい匂い……。
雑念がベアトリーチェの思考を埋めた。
ここで、ハッとするように気を持ち直す。
――いかんいかん……、感覚に集中せねば……。
「——そこに道があると思い描くだけでいい」
リュウドウの魔力が、彼女の腕の中で螺旋を描き、指先へと収束していく。
ベアトリーチェの肌が微かに青白く発光し、大気の粒子が共鳴して震え始めた。木の葉が、風もないのに揺れる。
「なん、凄いな…………!」
ベアトリーチェの声は、驚きに満ちていた。
「お前の魔力が、馴染んでいく」
「それは、貴女の身体が優れているからです」
リュウドウは、微笑んだ。
「正しい道筋をなぞったに過ぎません。貴女の身体は、すでにその道を知っていた——それを思い出させただけです」
リュウドウの静かな熱情が、ベアトリーチェの無骨な騎士道に溶け込んでいくような、不思議な時間。
木漏れ日が、二人の影を揺らす。鳥の声が、遠くで響いている。
「……感じますか? 魔力の波が浸透していくのを」
「ああ……何となく……」
ベアトリーチェは、目を閉じた。
自分の心臓が、ドクン、ドクンと脈打つたび——魔力が、腕を伝って流れていく。
それは、もはや外部から流れ込んでくるものではなく、自分自身の一部として、そこに「ある」。
「よし」
リュウドウが、手を離した。
「一度離します。今の『熱』の余韻を逃さず、ご自身で再現を」
魔力の流れが、途切れる。
「えっ…………」
ベアトリーチェは、わずかに焦った。だが——その余韻は、まだ残っている。
心臓から、腕へ、指先へ——その「道」の感覚が、まだ消えていない。
彼女は、覚束ない手つきながらも、先ほど教え込まれた「道」をなぞるように魔力を練り始めた。
心臓に意識を集中する。
鼓動を感じる。
そして——
「……!」
何かを感じた。
しかし、先程のように魔力は言うことを聞いてはいなかった。
「…………今、……失敗した…………?」
ベアトリーチェは、自分の手を見つめた。
その目には、驚きと——そして、確かな手応えがあった。
「すまない……、せっかく……」
「いえ、十分ですよ」
対称的に、リュウドウは賞賛するように笑顔を浮かべた。
「"失敗する感覚"を、感じられましたね」
「……!!」
失敗する感覚。
胸骨の下あたりで、暖かい魔力が途切れた感覚。
「なるほどな……!」
松明が灯るかのように、ベアトリーチェの表情には笑顔と達成感の色が広がった。
「これなら、一人でも反復できそうだ」
彼女は、リュウドウを見た。
「感謝するぞ、リュウドウ」
「勿体ないお言葉です」
リュウドウは、深く頭を下げた。
「貴女が剣で世界を切り拓くとき、俺はその影として、常に計算を狂わせぬよう務めましょう」
木陰の下、再び剣を構える騎士と、それを聡明な瞳で見守る美少年。
リュウドウは、木の幹に背を預け、ベアトリーチェを静かに見守っていた。
その表情は穏やかで、どこか満足げだった。
三
「ふんぬぅううぅうう、ウウウウうッッ」
遂に魔力の感覚を覚え、大いなる修行の第一歩を踏みしめたベアトリーチェは、あれから三十分以上もの間、顔に青筋を浮かべる程に只管力んでいた。
両手には愛剣が握られ、身体中から汗が吹き出ている。
「んうううううぅウウウ!!!」
力み過ぎか、頬はリスか河豚のように膨らんでしまっている。
「便意を我慢しているようにしか見えませんね」
対してリュウドウは涼しげな態度で、文庫本を片手に野鳥と戯れていた。
大木の下、幹に背を預けて座っている。
傍らに置いてある、先程熾火調理をした焼きおにぎりを頬張りながら、
「はむ……。んー、美味しい。この焼きおにぎりよりも真っ赤になってますよ」
「ちょっ、あんま雑念を投げかけないでくれ……っ」
ベアトリーチェの腹が唸り、顔には壮年以上の皺が寄った。
彼女の顔は真っ赤だが、目を凝らせば体には薄らと流水のような、霧のような靄が纏われている。
魔力だ。
「ほんとに何をしてらっしゃるんですか?」
見かねたリュウドウが怪訝な表情を浮かべ、彼女が一体何をしたいのか問うた。
傍から眺めれば、ただロングソードを握って力んでいる奇人にしか見えない。
「体の内部に魔力を通せるようにはなった。次は、刀に流そうと思ってな……」
言いながら、「ふぅ」と力を抜く。
「焦りますねぇ」
「焦るさ」
リュウドウは腰を上げ、タオルとおにぎりを手渡した。
ベアトリーチェはおにぎりを一口で食べ尽くす。
「ウマっ」
豪快すぎる食べっぷりに、リュウドウは「わぁ、ベルゼビュートもびっくり」と呟いた後、
「流石に、剣に魔力を通すのはまだ早いですね。階段をトばさないよう」
と言って、彼女の剣を丁寧に受け取る。
手持ちのハンカチで刀身を拭きながら、
「早る気持ちも分かります。あなたの流派は、魔力が前提の技と言っていましたね」
その丁寧かつ、暖かな雰囲気は剣を手入れする侍女のようである。
ベアトリーチェは彼の正面に胡座をかいて座った。
「すまない……。気合いでどうにかなるものじゃないと、今思い知ったよ」
「体内での魔力操作が十分になってからですね。辛抱強く行きましょう」
拭き終わった剣の輝きを確かめながら、リュウドウはニッコリと柔らかな笑みを向けた。
「気分転換がてら、貴方の剣技について話してはくれませんか」
「え……?」
「列強に分類される大国を守ってきた、その剣技について知りたいのです。話せる範囲で結構」
リュウドウは鞘に剣を納め、ゆっくりと草むらに寝かせた。
その所作は丁寧で、まるで古い書物を扱うような慎重さがあった。
ベアトリーチェは少しばかり悩む素振りを見せる。眉をわずかに寄せ、視線を宙に泳がせた。
軍の機密に触れる部分もある。
どこまで話していいものか——
「まぁ、全然大丈夫だが……」
――しかし、……リュウドウとはそんな、打算的な関係ではありたくないからなぁ……。
腕を組み、自らの愛剣に視線を落とした。
鞘に収まった剣が、午後の光を鈍く反射している。
「長くなったら申し訳ない。そのまま、気軽に話させてもらうぞ」
「はい、どーぞ」
リュウドウが頷きかけた——その瞬間、彼は珍しく、言葉を継いだ。
「その前に……」
ベアトリーチェが顔を上げる。
リュウドウは変わらず、穏やかな笑みを称えていた。
「魔力の流れを意識しながら、お願いします」
彼は指を一本立てた。
「時間を効率良く使った方が良いでしょう。話しながらでも、魔力の循環は維持できるはずです」
「あぁ、おっす……、すんません……」
ベアトリーチェは、まるで教官に叱られた新兵のように、苦笑いを浮かべた。
――……そうだった。今は修行中だったのだ。つい、話に集中してしまって……――
彼女は姿勢を正し、深く息を吸い込んだ。
呼吸を意識する。
心臓の鼓動を感じる。
そこから腕へ、指先へと流れる魔力の道筋を——
「ふー……」
ゆっくりと息を吐き出す。
体の中を、わずかな熱が巡り始めた。まだ不安定だが、確かに流れている。
「よし……」
ベアトリーチェは目を開け、リュウドウを見た。
「では、私の扱う剣技はオォッフ……」
気張りながら話した影響か——あるいは、慣れない魔力操作なるものを行いながらのマルチタスクゆえか。
彼女は素っ頓狂な声とともに、息を漏らした。
魔力の流れが、途端に乱れる。
体の中で暴れるように逆流し——そして、縮こまって消えた。
「……っ」
ベアトリーチェの顔が、わずかに赤くなる。
今の声は——あまりにも間抜けだった。
リュウドウは、くすりと笑った。
「これはこれは……、あまり力まないように」
彼は手を差し伸べるような仕草をした。
「話すことと、魔力を流すこと——両方を『同時に』行おうとするから、体が混乱するのです」
「……そうか?」
「ええ。呼吸と同じように、『意識しすぎない』ことが肝要です。魔力は、貴女の一部。話すことも、貴女の一部。どちらも、自然に——」
リュウドウは、自分の胸に手を当てた。
「——ここから、流れるままに」
ベアトリーチェは、溜息をついた。
「……わかった。もう一度、やってみる」
彼女は再び目を閉じ、呼吸を整えた。
今度は、力を抜いて。
自然に。
魔力が、ゆっくりと流れ始める。
「……よし」
今度は、目を開けたまま。
「私の扱う剣技は——」
息を吸う。魔力が、腕を伝う。
「——『白聖皇剣流』と呼ばれる、実戦特化の剣術だ」
今度は、うまくいった。
魔力の流れが途切れない。話しながらでも——循環が続いている。
ベアトリーチェの顔に、わずかな笑みが浮かんだ。
*
「白聖皇剣流は、ロードスクヴェルト家の相伝。
実戦主義。基礎徹底。堅実。
余計な飾りはない。
起源は西方大陸『シェラティア大陸』。祖が持ち帰った型を、帝国流に鍛え直した。
叩き上げの騎士として台頭し、伝統派の貴族に疎まれもした。
だが、国防で結果を出した。それで十分だった。
帝国が列強に数えられた背景には、我らの剣もあった――そう聞いている」
「ふむ……、非の打ち所がない、といった剣術ですね」
「そうだな……、しかし…………、少々問題があってな……。理論上は強い、が。
基礎を徹底すれば派生は自在。
使い手に合わせた最適化も容易い。
多様な敵にも応じられる。――強い流派だ。
だが、難易度が高い。型を身体に落とすまでが長い。加えて秘匿性が強く、師範も減った。
なにより、我が家は常に国防の前線に立ってきた。継ぐ者より、散る者の方が多かったたんだ。
……途切れかけているのが実情だ」
神妙に、ベアトリーチェは溜息を残す。
内の魔力が、呼応するように、悲しげに揺れた。
「私も基礎は叩き込まれた。だが、魔力の扱いは杜撰も良いところだ。白聖皇剣流を名乗るには、まだ足りない。
……というより、唯一の生き残りであるのに、私の腕前は屑も同然。名乗るどころか、技名を扱うことすら恥ずかしい……」
「……………………。」
「先程も言ったが……姉は、私とはまるで違った。
私が物心ついた頃には、すでに師範である父上を圧し、歴戦の軍人を退けていた。あれは、正しく神童だったな。
私が一つの型を身に付けるのに三夜。
姉は――一夜で、一系統を終えた。
教わるのではない。理解していた。剣が、初めから身体にあったように。
……私は違う。
型は刻み込むものだ。
何度も繰り返し、潰れ、ようやく残る。
不器用故の、……安直な鍛錬方法さ。
だからこそ、私の剣は遅い。
だが――消えはしない」
ベアトリーチェは剣を撫で、視線を落とした。
「姉は、生まれた時から剣に選ばれていた。
私は、剣に縋りついているだけだ。
だが……それでもいい。
掴み続ける者だけが、残ることもある。
…………諦めるつもりは、死んでも――無い」
「…………!」
突如、ベアトリーチェの体内を、乱れながら動いていた魔力が――
「未熟は、言い訳にしない」
僅かに整う。
握り締めた柄に、確かな重みが戻る。
「私は、越えていく」
全身を魔力が、端正へと変貌した魔力が満ちた。
「……未完成でいい。止まるつもりはない」
リュウドウはその光景に、目を見開く。
散っていた力が、エネルギーが、魔力が――、一本に整った。
彼女は剣を握り直す。
「積み上げる。いつか完成を越えるまで」
愛剣を掲げたその顔には、迷いのない決意が宿っていた。
先ほどまで乱れていた魔力は、今は細く、しかし確かな流れとなって刃に沿っている。
つられるように、リュウドウの口元にも微かな笑みが浮かんだ。
「さすが、ですね」
目の前にいるのは、未だ完成には遠い騎士。
だが、その瞳に宿る気概と不屈は、曇りなく澄んでいる。
かすかな溜息と共に、王としての評価を落とす。
「未熟であることを知り、なお前に進む。――それは、何より強い」
「…………さて」
ベアトリーチェは剣を鞘に収め、改めてリュウドウへ向き直る。
表情には、先ほどの静かな決意とは別の、どこか楽しげな光が混じっていた。
「少し、しんみりとしてしまったな。だが今は違う」
軽く拳を握る。
「目の前に最凶の師範がいるんだ。やる気しか湧いてこない」
「…………………………。」
声には出さず、リュウドウは肩を揺らす。
「荷物持ち、ですよ」
「そうだったな。はは……」
二人の笑いは小さい。
だが、その響きは確かに軽かった。
リュウドウはゆっくりと立ち上がり、視線を遠くへ向ける。
「では、次の修行へ。道中も無駄にはしません。すべて、力に変えていただきます」
「任せろ」
ベアトリーチェは拳を胸に当て、背筋を正す。
その姿は、まだ未完。だが、確実に前を向いている。
リュウドウは静かに告げた。
「次なる目的地は、危険地帯『灰峠』」
その名は、風に紛れて低く響く。
「楽しみにしていてください……」
未完成の騎士は、ただ静かに笑った。
その歩みが、やがて完成を越えると信じて。
途中に出てきた訳の分からん数式については、覚えなくて構いません。
特にストーリーへの支障は無いので。
( ꒪Д꒪)ブンケイヤガナ




