第2扉 泉
やっと帰ってこれた。
そんなことを男は思っていた。
仕事の緊急事態で二晩も会社に泊ったのだ。
疲労困憊で課内の打ち上げにも参加せず、即帰宅を選んだ男。
男はスーツも脱がず、泥の様に眠りについた。
ようやく落ち着いた気分で迎えた土曜日の朝。
目が覚めた男は残っていた冷凍のご飯を温め、朝食兼昼食にする。
睡眠と食事で気を取り直すことが出来た男は支度をして扉の前に立つ。
今日の扉の様相は透明感のある薄い水色でシンプルな扉。
取っ手に当たる部分は木で出来ており、引く部分がない押し板であることから押して開く扉だとわかる。
男は扉を押して開く。
今度は森の中の様だ。
木漏れ日が眩しくなく、清々しい。
早速入ってみると、木々の香りが新鮮に感じた。
目の前には獣道と言うには少し整備されて歩きやすい一本の道があり、男はそこを進むことにする。
ある程度進んだところで、座るにはちょうどいい高さと大きさの切り株があり、少し疲れた男は休むことにした。
切り株に腰を下ろすと、ちゅんちゅんと雀の鳴き声に似た鳥の声がする。
木漏れ日と鳥の鳴き声に癒されていると、道の先の方から木々とは違う少し変わった匂いが流れてきた。
その匂いが気になった男は立ち上がるとその方へと歩みを進めた。
更に進むとログハウスというには余りにも簡素な掘っ立て小屋を見つける。
その中を覗こうと裏側を見ると壁がない。
小屋の中には棚と6個ほどの木で編んだ籠があった。
不思議に思いながら、辺りを見渡す男。
そこには先程の小屋から簀の子一直線に並べてある。
その一直線上の先を見ると大きな泉が見えた。
目測で自室の倍、14畳から15畳ほどの広さに感じる。
その泉から湯気と共に先程感じた匂いが漂ってきた。
これはもしや温泉ではないか?
男は泉に駆け寄っていき、その水を掬ってみた。
温かい、そして風呂の温度としてちょうどぐらいと感じる。
水で皮膚に刺激が受けないことも確かめ、問題ないと感じた男はそこに入ることにした。
先程の小屋の籠に衣服を脱ぎ棄て、泉に浸かる男。
岩肌が見える場所に座ると男はふぅ、と大きなため息をついて、ゆったりとした時間を過ごす。
泉で火照った身体を少し冷やすため、簀の子の場所まで戻り外に座る男。
そうすると泉の浅瀬部分に鳥が数羽やってきた。
その鳥は見た目がエナガに似ている様だった。
毛並みは真っ白で、大きさはバレーボールぐらいだろうか?
最近、ネットで有名になったシマエナガと比べると随分と大きく感じる。
お湯につかってゆっくりしているように見える。
数分間ぐらいだろうか?浸かり終えた鳥は木の枝に止まり、羽をばたばたと羽ばたかせて水気を取り、枝で休んでいた。
再び泉に浸かって、疲れを取る男。
ふと見上げると、先程の鳥は居なかった。
どこかに飛び立った様だ。
泉から上がるとびゅうっと強めの一陣の風が吹く。
その風が水気と火照りを吹き飛ばしたかのように心も洗われる。
タオルを持ってきていない男は乾かすことが必要と感じ、小屋で少し休むことにした。
しばらく休んで落ち着きを感じた頃には夕日が差し掛かっている。
服を着た男は帰るためにここを離れようとすると、先程の鳥たちが別れの挨拶をするかのように一瞬にして目の前を通り過ぎて行った。
茜色の空を背に男は帰り路の歩を進める。
暗くなってくると森は様相が変わる。
なんとなく不安を覚えながらも先を進むと、ひとつの小さい光が前を横切る。
一度は躊躇ったが、意を決してその小さな光が向かった先に視線を向けると、無数の小さな光が飛び交っていた。
よく目を凝らす男。
そこには日本ではあまり見なくなった蛍の様な虫が飛び交っており、幻想的だ。
ただ、日本とは違うのはその光が一色ではなく、赤・青・黄、緑にそれらの中間色など様々な光を放っている。
その幻想的な光景に少し見とれた男はふと思い出す。
帰れなくなるぞ、と。
名残惜しい光景に後ろ髪をひかれつつも扉の前に立つことが出来た。
男は余韻を感じながら、静かに入って扉を閉める。
気づくといつもの自室に座っていた。
少し濡れていた髪の毛に気づいた男は洗い直すか…と、風呂の掃除に向かった。




