聖女なんて大嫌い!
お読みいただき、ありがとうございます。
誰に対しても優しく接し、清らかな心を持ち、一途で、けなげで、芯が強い頑張り屋さん。
少しドジで泣き虫だけど、愛くるしい見た目で、いつも笑顔を絶やさない。
人間や動物だけでなく、さらに妖精や神々からも愛される聖女――。
これは、そんな聖女をどうしても受け入れられない子爵令息(次男)、平民少女(弁護士の娘)、そして魔族の少年の友情と努力の物語である。
学園に入学してから半年が経った、うららかな春の日のこと。
生徒たちは思い思いに放課後を楽しんでいた。
今年、この学園には聖女と呼ばれる少女が入学した。
それに伴って王子や高位貴族の子、護衛の騎士も入学し、学園開闢以来の華やかさと言われていた。
一方で校舎の影になるこの裏庭には、花びらさえ飛んでくることはない。
彼らは、そこで出会った。
「悪魔崇拝主義になりそうだ」
「わたし、悪魔崇拝かもしれないわ」
学園の裏庭にひっそりと置かれた長椅子に座っていた二人は、奇しくも同じタイミングで似たようなことばを口にした。
驚き、顔を上げた二人の目線が合う。
それぞれ俯き考えに耽っていたため、まさか隣に人がいるなんて思いもしなかったのである。
だがこの際そんなことはどうでも良かった。
身分や性別もどうでも良かった。
子爵家次男アルフレッドは目で訴え、平民少女レイアは目で頷いた。
そこから、運命共同体は動き出したのである。
運命の出会いから2ヶ月が過ぎた放課後、二人の姿は裏庭の奥まったところにあるガゼボにあった。
初夏の日差しに新緑が輝き、世界は爽やかな美しさで満ちていたが、このガゼボ内には関係ないようである。
「あー無理! ほんっと無理なのよおー!」
木製のテーブルを拳でガンガンと叩くレイアを、アルフレッドはまあまあ、と宥めた。
いくらここが裏庭の木々に隠れた穴場だとしても、その物音で他の学園生に気付かれる可能性がある。
レイアは、ぎりぎりぎこぎこと地鳴りのような歯軋りをしつつ、握りしめていた拳をぎこちなく開いた。
そして今度は「ゆーるーすーまーじー」と小声で呟きながら机に爪を立てている。
深い紅茶色の髪と、レモンティー色の瞳をしたレイアは、平民クラスでは有名な才女だ。
ただし今現在、怒りの皺くちゃ顔に、平民クラス一番の成績を誇る才媛の影はない。
アルフレッドは慣れたものなので、あの人と同じクラスはきっついでしょうね、と思うのみである。
「だって信じられる!?あたしが、このあたしが、二週間かかってやっと解析できた魔法陣を!あの子が!
『妖精さんが教えてくれたんです』
ってサラサラ解いたあと、妖精まで召喚したのよおお!あたしの努力はなんなんだっつーの!
しかも先生も彼女を褒めて、それで授業は終わり! ノートの提出さえ求められなかったわ」
「お、おお……」
予想以上の酷さである。
妖精さんが教えてくれてそれで終わりなのだとしたら、なんのための学園、何のための授業、なんのための頭脳なのだろう。
「しかも、来週はクラスで大教会見学に行くじゃない?」
聖女のおかげで、新しく生まれた学校行事である。
教会から歩み出てくる教皇が聖女だけに祝福を授ける――、そんな光景が互いの脳裏に浮かび、二人は揃ってげんなりした。
この国の宗教の根幹にある考えは、「神は差別なく人を救う」だったはずだ。
特別扱いは構わないのだろうか。
「ちゃんと祈れるかしら」
ウェーブのかかったセミロングの髪をかき上げて、レイアがため息をついた。
アルフレッドは自分自身にも言い聞かせるように答える。
「ここはなにも見ないふりをして、世界平和とか祈りましょう」
「悪魔とか呼んじゃったらどうしよう。あたしは着実に悪魔崇拝の道を歩んでいるわね」
「わからないでもないですね」
「へー、そうなのか?」
第三者の声に二人は凍りつき、おずおずと視線を声の主に向けた。
いつのまにかガゼボの中には、緑色の髪の毛をした12歳くらいの少年が立っていて、テーブルにあったクッキーをバリボリと食べていた。
レイアは、少年の頭から口元、お尻をまじまじと見つめる。そこには2本の見事なツノ、牙、そして尻尾があった。
魔族の見本のような魔族である。
魔族[マゾク] 南の方角にある島に住む。ツノや牙がある。魔法と力に優れた一族。支配欲が強い。以前は人間と争っていたが、現在は休戦中である。
教科書の文章を思い出し、レイアは腰を浮かし声をあげようとしたが、1秒で考え直した。
その心、学園生じゃないなら別に聞かれてもいっか。である。
冷静さが売りの才女です。
座り直して、スカートの皺を整える。
アルフレッドも右に同じであった。
領地にいる両親に、お宅の息子さんは危険思想!と連絡が行かないなら、なんでもいいのである。
「このクッキーうまいな。歯ごたえがあって気に入ったぜ」
「まあ、光栄ですわ。私の手作りです。もし良かったらもっと召し上がって」
「ここに座りませんか」
ほがらかに対応する二人に対して、魔族の少年はうげっと顔をしかめた。
「お上品にすんなよなー、さっきまでのほうがずっといいぜ」
「あ、そう? じゃ、お言葉に甘えて聖女の愚痴大会を再開してもいい?」
「おっと。レイアは本当に切り替えが早いですね」
「……と、いうわけなのよ!
そもそも、あんな愛されキャラなんてズルじゃない?
あたしだってなれるならそうなってみたいわよ!猫被らずに人気者になれるならなってみたいっつーの!」
クッキーを供にレイアの愚痴を聞いていた少年は、最後の欠片を飲み込んだあと、にやりと笑った。
「なあ、俺がその聖女?見てきてやろうか」
アルフレッドとレイアは同時に首をかしげた。
「聖女も、猫かぶってるかもしれねーじゃん? 知りたくねえか?裏の顔」
その囁きはまさに悪魔の所業。
二人は俯き、そして各々カバンの中に手を入れた。
「こちら、おかわりのクッキーでございます」
「家から持ち出したチョコレートです」
捧げ物に満足した少年は、セルヴァと名乗った。
「うああああー! 無理! まじ無理だー!」
一週間後、ガゼボに集った三人は向かい合って座っていた。
とは言えセルヴァは、テーブルを叩いてへこませている真っ最中である。
テーブルから落ちないように、クラッカーがのっているお皿を持ち上げるレイアと、魔法でテーブルに補強をほどこすアルフレッドは、「わかる」と力強く頷いていた。
ちなみに魔法が使えるのは基本貴族のみである。
聖女が規格外なのである。
「なんで、やられたらやり返さないんだよーー!」
セルヴァいわく、
ある日の聖女は、偉そうな少女に水をかけられた。
しかし「きっと何か理由があったのよ」と笑顔でそれを許し、後日友情が芽生えた。
愛された。
ある日の聖女は、メイドの嫌がらせで食事が減らされていた。しかしその少ない食事でさえ、神の祈りに捧げた。
神から愛された。
ある日の聖女は弱った子犬を助け、自ら世話をした。その後、子犬は聖獣であることが判明した。
聖獣界から愛された。
ある日の聖女は落とし物を拾い周りの人間に愛され、ある日の聖女は微笑んで挨拶して周囲の人間に愛され、ある日の聖女は歌を歌って精霊に愛された。ある日の聖女は転んで、土の神に愛された。
「何やっても愛されるってどーゆーこと!? 怒ったりしねーのも意味わかんねぇし! むりむりむりマジ無理! 人間って、ああいうのじゃねーだろ! 人間らしさってゆーかさぁ!」
「うんうん。魔族に人間らしさを語られると思わなかったけど、気持ちはよくわかるわ」
「彼女を見ていると、自分らしく精一杯生きよう、という気持ちがすべて無駄なんじゃないかって思いますよ」
クラッカーをバリンボリンと噛み砕いて、セルヴァは「悪魔崇拝まっしぐらだな」とうそぶく。
三人はテーブルを挟みあって円陣を組んだ。
運命共同体の歯車は、さらに勢いよく動き出したのであった。
やがて季節は巡り、金色の落ち葉がガゼボの周りを彩っている秋の日のこと。
木々の葉っぱが全て落ちたら、このガゼボも目立つかもしれない、どこか他に良いところを探しましょうかなんて話しているときだった。
「そういえばここにくる途中で、聖女が囲まれてたぞ」
噛み応えのあるマドレーヌを頬張りながら、セルヴァが口にした。
「はいはい、いつものことでしょ。人気者だから」
「セルヴァ、口に残っているものを飲み込んでから話したほうがいいですよ。そのほうが話しやすいでしょう?」
ごくん、と飲み込む。
「そうじゃなくて、なんかご令嬢?みたいな奴らに囲まれて、髪とか引っ張られてた」
にひひ、ざまあみろって感じ?
ところが一緒になって笑ってくれると思っていた二人は、ため息をついてから立ち上がった。
「じゃあ私、職員室行くから」
「僕はたまたま通りかかったふりで足音を立ててきますね」
訳が分からないセルヴァは二人の顔を交互に見上げた。
「え? え!? なんで?」
「だから先生呼びに行くのよ。下手に平民の生徒が間に入ると拗れるから」
「僕は一応貴族なので、目撃者になろうかと」
「いや、だからなんで!?」
セルヴァもテーブルに両手を付いて立ち上がった。
「せっかくのチャンスじゃんかよ、加担したり見て見ぬふりしたりしねーのかよ」
「「しない」」
二人揃って冷めた顔で、でもはっきりと否定した。
「気に入らないからいじめるなんて、ダサい真似はしないわ」
「だって嫌いなんだろ?」
「嫌いだからって、いじめていいわけないでしょ」
「なんでだよ、やられる方も悪いんじゃねえの?」
「ああ、そこからなのね」
レイアはセルヴァの頬をそっとなでた。
ほっぺたにくっついていた食べかすが、小さな音を立てて地面に落ちていく。
金色のマドレーヌは、金色の落ち葉に混じって見えなくなった。
「いい? 嫌われるのは本人に問題があるのかもしれないけれど、いじめるのはいじめる側の問題なの。
人を嫌いになるのは人の自由。人は誰でも誰かを嫌いになる自由がある。自分の心だから、誰を嫌いになったっていいのよ」
「うん……」
それはわかる。
「みんな自分の自由にできる心がある。そして誰にも他人の心を自由にする権利はない。自分の中の嫌いだと言う気持ちのために、他人の心や体を犠牲にするのは間違っている」
よく分からなくなってきた。
「嫌いっていう気持ちは、暴れん坊よね。胸の中でぐるぐる回って、イライラして、吐き出したくなる。でも自分の心だから、自分で面倒をみなくちゃダメなのよ。自由ってことは、責任があるってことなの」
「わかんねーよ……」
「じゃ、こんなのはどう? 嫌な気持ちを楽にするために、人を殴るのはどうなのかしら?」
「それは、ダサい」
「そうそう、それと同じことよ。自分の感情は自分で始末をつける。自分の心のことで相手の心を歪ませたりしない」
「でもオレ…………」
セルヴァは靴の先で地面を掘り返した。
「ん?」
「それなら、お前らの心、歪ませてない?」
「なんで?」
「だってオレ、なんか、お前らに会ってから、変だ。なんか、急に会いたくなったり、笑わせたくなったりする。お前たちに、オレのこといつも考えてほしいと思う。あれ? これ、オレが歪ませられてんのか?」
レイアもアルフレッドも、混乱するセルヴァを見て花が咲いたように笑う。
「それはきっと、好きってことね」
「セルヴァ、難しく考えることはないんです。権利、自由、責任とか、難しいですよね。僕なんてただ悪意が怖いだけですから。
醜いとか、汚いとか、怖いと思うことはしない。素敵だと思う行いをする、それだけです。
そして僕はセルヴァといられることを素敵だと思っているんですよ」
ふうん、ところで。
いい加減助けに行かないと、やばいんじゃないの?
恥ずかしくなったセルヴァが落ち葉を蹴飛ばしながら言うと、二人は慌てて駆け出して行った。
数年後の冬の夜のこと、酒場の個室でアルフレッドが机につっぷしていた。
癖のない淡い金色の髪の毛が、汚れた木製の机の上に散らばっている。
「予算が足りないんですよ! もゔむりー、むーりー」
かわいそうに。
レイアはそっと背中をさすり、セルヴァは布巾で涙の川をせっせと拭いた。
アルフレッドのブルーグレーの瞳から、とめどなく涙が零れ落ちていく。
「もちろん! それはもちろん、貧困層への補助は必要ですよ! 病院だって無料だったらありがたいですよね、僕だってわかってます!
でも、お金がないんですよおおおー」
どうして彼女にはそれがわからないんだああ、と泣きながらも、聖女と口にしないアルフレッドに宮仕えの悲しさを見た。
「王宮経理部は本当に大変よね」
「あっ、あなたは、いいですよね、法務部の秘書でっ、うっ、ううあ」
「ああもう、アル、鼻水垂れてんぞ」
布巾で顔を拭ってやるセルヴァと、優秀でごめんねと微笑むレイア。
お酒が飲める年齢になっても、三人の会合は月一回ペースで続いていた。
セルヴァの年齢はイマイチ不明であるが、大人の人間に化けられるようになっていたので、まあいいかと二人は思っている。
なにせ、愚痴の話題には事欠かないのだ。
聖女は学園を卒業したあと、王太子殿下の婚約者となり、一年後にめでたく婚姻した。
今は聖女兼王太子妃殿下である。
王太子妃になってもその優しさが陰ることはなく、そして——、
経理部は大災害であった。
「うう、僕が子爵の次男で、計算しかできない男じゃなかったらあ」
「これ、飲むたび毎回言ってるな」
「言わせてあげなさいよ」
「二人ともひどいぃぃ、でも好きですー!」
外の空気は冷え切っているが、室内はグラスが湿るほど暖かい。
アルフレッドも、レイアも、セルヴァも、赤い頬をきらきらと輝かせて笑っていた。
ところで、三人は知らないのである。
聖女は「魔族が王都にいます、その魔族は強大な力を持ちやがて世界を暗黒にうんぬんかんぬん」と以前から予言していた。
そのため王宮では軍拡が進められており、さらに予算がなくなっているのである。
そして三人は知らないのである。
セルヴァこそ実は魔王の隠し子であり、本来は強大な魔族としてこの国の脅威となる予定であったことを。
しかしながら、二人と仲良くなったセルヴァは親を探すこともなく人間を滅さんとすることもなく、酒場で笑いながらエビを齧ったりしている。
この会合が世界を救っていることを、誰も知らないのである。
嫌われることで世界を救うとは、ああ、なんて尊い聖女の愛よ!
レイア: お菓子を作るといつも歯ごたえのあるものが出来上がる。
アルフレッド: 甘いものが好き。学園生活を通して歯と顎が鍛えられた。
セルヴァ: 歯ごたえがあるものが好き。二人と一緒に食べるものが一番好き。
最後までお読みいただきありがとうございました!
もしよろしければ感想や評価を頂けると励みになります




