原田杜雄の金曜日
胃袋はどれだけ拡張できるのだろうか。
先輩と働き出して、もう5キロは太った。
「おい!岸!ちょっと来い」
僕が胃袋の限界を更新した直後に社内をふらついていたら、第一課所属の同期たちや後輩に呼び止められ、会議室に強引に引き込まれた。
「パワハラ田課長様は?」
「今日は金曜だから早く帰ったよ」
「やっぱりな」
「何?どうせ、どうでもいいことでしょ。戻るよ」
「おいおい!岸のくせに生意気だな。お前だいぶパワハラ田に影響されてんな」
ため息しか出ない
「鴻池ちゃんが何か凄いもん見たってよ!」
「私、見ちゃったんですよ。さっき原田課長が女の人と一緒にいるところ」
入社一年目の鴻池さんが目をキラキラさせて報告してくる。
「でも、なんか言い合いしてて。よく聞こえなかったんですけど、どうやら、ちょっと女の人の方が強気で。それで、原田課長が何か言った後に、女の人が課長のお尻蹴ったんですよ」
「な?やっぱりパワハラ田だって人の子なんだよ。普段は偉そうにしているのに彼女に弱い。むしろ、情けないよな。会社では威張り散らして、彼女にヘコヘコしてな。内弁慶じゃん」
「逆じゃね?逆内弁慶だろ」
嬉しそうに、あぁでもない、こうでもないと妄想を加速して盛り上がる
先輩に限ってそれはないだろう。そもそもプライベートのことを勝手に詮索するなんて、どういう神経なんだ。
でも、まぁ彼女はやっぱりいるんだな。
「彼女ブスだったりして」
我が同期ながら最低だ。
「それが、もう」
「やっぱり、あぁいう人に限って割とアレなんだよね」
「超美人で、背も高くてスタイル神ですよ。あれは絶対モデルさんか女優さんのどっちかですよ。原田課長と並んで立ってると、本当にドラマのワンシーンみたいで、東京ヤバイってなっちゃいました。やっぱり原田課長って超カッコいいんだなって。なんか社内で目撃するうちに慣れちゃってんだなって。外であらためて見るとヤバいですよ」
「・・・そうなの」
「へぇ・・」
一気に盛り下がる。残念でしたね。
「でも、この前あれだろ。みっちゃんがなぁ」
皆んなから「みっちゃん」と呼ばれている第一課のアイドル的存在の川藤さんが泣きそうな顔で訴えてくる。
「聞いてくださいよ!」
「原田課長がうちに来て、研究費の件で部長と言い合いになって」
イケオジと呼ばれている久保田部長だ。お洒落で常に笑みを絶やさない企画開発部の頼れるリーダーだ。
「部長も最初は余裕のある対応してたんですけど、だんだん反論できなくなって。なんだか見てると可哀想で・・」
「さっきから何度も同じこと言ってるよな?あんたの耳は飾りか?」
「だから、業績が伸び続けている状況なんだから、今のところは、このラインに予算を投入すべきで」
「それはお前らの仕事だ。今は俺の仕事について話している」
「今、新しい事業、それも介護分野なんて、おいそれと研究費は出せない」
「新規事業の開発って言ったのはあんただろ。若年層の減少し続けているんだ。今まで通り売れ続けると思っているのか」
「それは・・たぶん、絶対・・大丈夫だと思っている。うちの製品は自信を持って・・」
「たぶん絶対・・・一体何語を喋っている?俺は今まで誰に向かって話してたんだ?おい、そこのお前、部長と会話するには、どこの国の言葉を使えばいい」
「おい!失礼だぞ」
「それくらいは理解できるんだな」
「もういい!出ていってくれ」
「それは俺が決める。話を戻そう。報告書通り、主に車椅子、それから介助者が使えるサポート用の機器を開発する。これは工科大の篠崎教授の研究室と共同ではじめる」
「なんなんだ!お前は。だいだい、介護なんて、そんなもん」
「この会社の社訓が『革新的な商品の開発で、社会をより良くする』となっているんだから、それに則っているだけだ」
「綺麗事だ。社訓でビジネスはできない」
「なら、何のために、この会社が存在する?お前は何のために働いている?」
「それは・・・」
「私、出張のお土産のお菓子持ってたんで、部長に反論の時間を作るために、原田課長の空いてる手にお菓子を渡したんです。後ろから。原田課長もはいどうぞって」
「そしてら、原田課長、お菓子見た途端に手が震え出したんです。それで、汚い物みたいに払いのけたんですよ」
「サイテー」
「で、怖い顔して出てったんです。私・・次に原田課長に会うのが・・・もう怖くて」
おかしい。先輩がそんなことするはずない
「あれは、ちょっとないよね。てか、原田課長の顔、青ざめてなかった」
他の人も見ているのか。青ざめる?どうも変だな
「何か別の事情があったんだと思う。先輩に限って、そんなことで怒るとかないよ」
「お前!みっちゃんがどんだけ怖い思いしてるか考えろよ!」
「いや・・ごめん。川藤さん、僕から先輩に言っておくから大丈夫だよ」
「岸、カッコつけるなよ」
「なんで、俺がカッコつけるんだよ」
これじゃあ本当に先輩の言っている通り幼稚園だ
「あっ、お前今度の企画開発部の忘年会でろよ。第二課の代表として」
「なんで?」
「いい加減にしろよ。お前も同じ開発部だろ。特別扱い受けてるのはパワハラ田であって、お前ではない。初めて企画が通ったからって勘違いすなよ」
あぁ本当に面倒くさい。でも、まぁ仕方ないか。僕はあくまでも仕事のできない社員だ。先輩の分も付き合いとかしないといけないのだろう。
「わかったよ」
先輩がデート・・・やっぱり、しっくりこない。超越者であって欲しいのは僕の願望なことぐらい分かっている。
でも、なでだろう?あの容姿だ。モテて当たり前だが、先輩には、何かそういった匂いみたいなものが全くない。無機質とも違う。
寒々しいところで風に吹き飛ばされないように一人で立っているような「孤独」な感じと言えば良いのだろうか。
誰か好きな人がいるとか、温かみのある暮らしとはかけ離れている気がする。
月曜日、先輩がコーヒーを淹れている時に尋ねた。何か聞きたことがある時はいつもこのタイミングだ。というか、先輩が仕事のことで質問できる時間をわざと作ってくれている気もする。
「先輩?」
「なんだ」
怒るかな?
「金曜日って早く帰るじゃないですか。どこか行ってるんですか?・・・デートとか」
先輩が不思議そうに、僕の顔を見る。
「お前、掲示板を見てないのか?」
「掲示板?なんですか」
「掲示板というのはな、業務連絡すべきことや告知すべきことを」
「大丈夫です。見てきます」
第一会議室前の掲示板まで行き、隅々まで見る。特に大したことは張り出されていない。
商品が掲載された雑誌の切り抜きや今度CMに起用する女優の紹介、慈善事業でやっている「子ども食堂」ボランティア募集のチラシ、新しい海外の事業所の写真、社員のペット紹介コーナー。
どれも先輩につながりそうなことは何もない。
CMに起用した女優さんの記事を読む。この会社は基本的にテレビCMをしない方針だが、新発売の高性能ドライヤーでは珍しく売れっ子の女優さんを起用して制作する。
人気実力トップの三田凪子。舞台出身の確かな演技力と圧倒的な美貌で長い間トップを走り続けている。
そして、このドライヤーは僕が初めて企画を通した商品だ。ようやくここまで辿り着いた。
きっかけは先輩の散髪だ。会長が髪の毛がボサボサに伸びた先輩を見かねて、行きつけの理容師さんをわざわざ第二課に呼び寄せた。大人しく髪を切られる先輩は普段と違って可愛らしく見えた。
「先輩、なんだか連れてこられた犬みたいですね」
「こんな凶暴な犬でも大人しくなるんじゃのう」
「黙ってろ」
給湯室で洗髪され先輩が、髪をドライヤーで乾かしてもらっている時だ。僕はその様子をぼんやり眺めながら、なんとなく理容師さんに質問していた。
「ドライヤーってプロの人が使っているのと家庭用って違うんですか」
「風量が違いますね。あと熱源の違いですか。これはセラミックですけど、家庭用はそこまでじゃないと思いますよ」
「そうなんですね。プロ仕様か・・・家庭でもプロ仕様のドライヤーで素早く乾かして、且つ髪も傷めない・・・とか」
「いんじゃないか」
「はい!やってみます!!」
そこから先輩の叱咤激励罵詈雑言人格及び先祖否定のおかげで企画会議もなんとか通過して、実験に実験を重ね、初の家庭用高級ドライヤーの試作品ができた。
ただ、デザインがなかなか決まらない。従来のドライヤーの域をでない。
そこで、ダメ元で売れっ子デザイナーに依頼してみた。
パワハラ田初代アシスタントで世界的なIT企業で実績を積み、そこから独立してロスに事務所を構える工業デザイナーTOUKO FUJIMA Officeにメールを送った。
送信して1分も経たないうちに電話が鳴った。
「ファッーー-ク!ウチ、忙しいねん」
「すいません。是非お願いしたかったんですけど」
「なんで謝るんよ。これ、あんたの名前やけど、誤植?」
「誤植じゃないです。何とかここまで漕ぎ着けたんですが、納得できるデザインにならないんです。すいません、他をあたります」
「誰がやらんてって言うた?」
「え?じゃあ」
「ウチ髪めっちゃ傷んでんのよ。できたら、1ダースよこせよ」
「もちろん!」
藤間さんのデザインは完璧だった。今までの常識を覆しながらも、パッと見でドライヤーと分かる無駄のない洗練されたフォルム。
koeブランド初のドライヤーで僕のデビュー作でもある商品が完成した。
CMに起用した女優の記事を読むだけで心が躍る。この女優さんの起用も僕が決めさせてもらった。
「ハリウッド進出も成功した三田さん。自立した女性を体現する三田さんを起用することによって〜」
目力が凄い。なんとなく先輩に通じるところのある人だ。芯のあるイメージで、この人しか考えられなかった。
社員のペット紹介・・・営業部の課長が小型犬と写っている。
「僕の家族を紹介します」か。
着飾った小型犬の目が死んでいているのが気にはなる。
「子ども食堂」そんなことをしていたのか。恥ずかしながら初めて知った。調理スタッフと学習サポート。まさに「社会をより良くする」だ。ちょっと、この会社を見直した。
毎週金曜日16時・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・毎週・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・金曜日・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・16時・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・マジか
「先輩!なんで言ってくれなかったんですか!」
「だから掲示板というのは」
「子ども食堂ですよ!言ってくださいよ!」
「なんで言う必要があるんだ。あそこで募集しているだけで充分だろ」
「誰も見てませんよ」
「社員なら見るべきだろ。そのための掲示板だ。俺は、動物虐待の記事を毎月楽しみにしている」
「そうですけど・・なんで誘ってくれないんですか?」
「言ってどうする?無理にやらされるもんでもないだろ」
「・・・・・そうですけど」
「あくまでもボランティアだ。強制されるもんじゃない」
「・・・はい、仰るとおりですけど・・・いつからやってるんですか?」
「確か5年前だな。ジジイに言って無理やりはじめた」
「・・・・気づいていませんでした。すいません」
「わからん。なんで謝る?」
「だって、全然意識が、なんか、その・・いえ・・あの僕行きたいです。お手伝いさせてください」
「手伝う?だからボランティアと言ってるだろ。やるんだったら来ればいいだけだろ。俺の許可なんていらん」
「やります!」
「じゃあ今週な。実は別のスタッフが海外出張でな。ちょうど人手が足りんところだ。まぁお前が来てくれたら助かる」
助かるって言われた!泣きそうだ
本当にこの会社の人は誰も先輩のことを理解していない。そして僕もだ。先輩と一緒にいて少しだけ分かった気になっていただけだ。




