パワハラ田の生態
先輩の言動はかなり問題がある。今のご時世を一人で逆流し続けている。ナイアガラの滝でも余裕で登っていく。
そして本当に頂上まで登りきった。いや、まだまだ登り続けて月に辿り着こうとしている。
元々、我が社「コノエ電機」は高度成長期に誕生した中堅家電メーカーで、初期は創業者の近衛氏によって革新的な商品を出して名を上げていた。
しかし、近衛氏が一線を退いた90年代頃から大手が出した商品のジェネリック版を作るようになり、主に単身者向けの安い商品がメインの家電メーカーとなっていった。
そこに約10年前、派遣社員として我らがパワハラ田モラハラ雄氏がこの会社で働き始めた。
先輩はコミニケーション能力に難があることから「慇懃無礼で」「顔だけで使えない」奴とレッテルを貼られ、行く先々の上司たちに嫌われた。
実際は合理的でない部分を指摘し、正社員たちのプライドを傷つけたのが真相らしい。
終着駅として、全くやる気のない企画開発部に配属された。しかし、そこから先輩の快進撃が始まる。
先輩は無駄な機能を排除したデザイン重視のシンプルな家電を企画し、もはや息することも面倒だと言い出しそうな当時の部長が機械的にハンコを押して、商品化した。
その商品が創業以来の大ヒットとなり、そこから同様の家電を次々と企画した。出せばヒットで、大手家電量販店の売り場を広げていった。
そして、正社員になって権限を与えられると、デザイン性を重視しつつも、用途ごとに特化した高機能の家電「koe」シリーズを立ち上げ、付加価値を上げていった。
その結果、「コノエ電機」の新ライン「koe」は憧れのブランド家電になった。富裕層のキッチンからリビングに至るまで「koe」の家電で占められている。もちろん、若者たちにも「コノエ」の安価だがお洒落な家電は絶大な支持を得ている。
二流家電メーカーがほんの10年足らずで高品質でオシャレな家電メーカーと認識されるようになった。さらに、海外での業績も伸び続けている。
衰退の一途を辿る日の丸家電メーカーの中で唯一の勝ち組と言っていいだろう。もちろん、業績は墜落直前の低空飛行から、まさにV字回復以上の成果だ。
おそらく、この業界で「パワハラ田モラハラ雄」の名前を知らない人間はいないだろう。
「松下、盛田、パワハラ田」とさえ言われている。
ただ、当の本人が病的なほど人付き合いをしないので、この会社以外で先輩を知る人間はほとんどいない。
ライバルメーカーの間では「パワハラ田」氏の噂で持ちきりだ。
「本当はそんな人間はいない」
「一人でここまでするなんて、ありえないでしょ。パワハラ田というチームなんでしょ。コノエさんの戦略は何から何までお上手ですな」
「ヘッドハンティングしたアメリカ人がリーダーなんですよね」
当初は実在はしない説が有力となっていた。
しかし、最近では・・・
「歌舞伎町でキャバ嬢の守り神をしていた元ホストって聞きました」
「50代ぐらいの首のない全身刺青のアジア人らしいですね」
「元タクシー運転手で万引きGメンが本業の主婦って本当ですか」
「普段は覆面レスラーの元CIAでイケてるタスマニア人」
「パラレルワールドから逃げてきた罪人」
「休職中の社員が凧揚げ中に発電所と接触して生まれた家電超人」
なぜそれを信じている?
パワハラ田課長は実在する。
コノエ電機全社員のプライドはその眩しすぎる業績(と罵詈雑言)によってズタズタに切り裂かれ続けているので、誰もがあまり語りたがらない。
謎が謎を呼び業界内での噂はエレクトしっぱなしだ。
先輩と一緒にエレベーターに乗り込もうとした時、先客に会社の重役達が勢揃いだったことがある。
僕は躊躇したが、先輩はお構いなく乗り込んだ。
「そうだ、この階に用事があるんだった」
「あっ私も」
重役たちが一斉にエレベーターから降りた。怖い先生から逃げる生徒みたいだった。
そんな先輩の周りは嫉妬の嵐である。
「あいつはスタンドプレーすぎる」
「年上を馬鹿にしている」
「偉そうに」
「社長に媚を売っている」
「元反社」
「女が何人もいる」
「他社メーカーから情報を盗んでいる」
根も葉もない噂や誹謗中傷が乱舞している。
先輩は誰に対しても面と向かって言いたいことを言うが、他の社員は言えないことを隠れて言う。
「コノエ電機」は東京近郊のビルに入居していたが、2年前に東京の一等地に新社屋を建設した。
通称「パワハラ田ビル」
「でかい墓石みたいだな」
先輩が本社ビルのオープニング式典を遠巻きで見ながら言った感想だ。
「先輩、式典に出なくていいんですか?」
「どうでもいい。俺はまだ生きている。墓にはまだ入らない」
兎にも角にも、僕が長きにわたる就職浪人を経て5年前にこの会社に入社できたのも先輩のおかげた。
売り上げの増加により猫の手も借りたい程忙しくなり、社員を増員する必要があったからだ。先輩はその時点で、すでに伝説的な人物だった。もちろん両方の意味で。
残念だが、僕は全てが先輩と真逆。仕事はできないし、相手の顔色ばかり窺ってしまうので、言うべきことも言えない。容姿も言わずもがなだ。
なぜ、そんな先輩のいる第二課は僕1人だけなのか。大所帯の第一課とすごい差だが、もちろん先輩はこの会社にとって最重要人物だ。企画開発課の平社員に留めて置くわけにもいかず、どうすれば良いのか上層部で会議に会議が重ねられた。
我が社が出した答えは先輩には自由に働いてもらう。先輩は元々一人で仕事を進める。それならばと第二課を設けて個室をあてがう。そこで思う存分商品開発をしてもらう。
先輩のおかげで忙しいので人材は貴重だ。やめてもらっては困る。部下はアシスタントとして1人にする。その2代目アシスタントが僕だ。
初代アシスタントで工業デザイナーだった藤間さんという方は、世界的な巨大IT企業にヘッドハンティングされた。大変優秀な方だったみたいだ。先輩の下についたばかりの頃、一度だけ会って色々とアドバイスをしてもらったことがある。そのおかげで先輩との接し方も少し理解できた。
「藤間さんってどういう方だったんですか」
「お前、あのキテレツと会ったんだろ」
「会いましたけど・・・その時は先輩への用事だったじゃないですか」
「あんな口の悪い人間はいない」
「それ、先輩が言いますか?」
「アメリカ行きが決まって、FUCKの言い方だけ練習してたな」
先輩の口癖が移ったのだろう。僕もそうなるのだろうか。
先輩と一緒に働き始めて3年が過ぎた。徐々にだが分かったことがある。
常に罵られるけど、怒られるとは少し違う。先輩の罵りポイントは周りに流されたり、言うべきことを言わないことだ。
それは僕の一番苦手なことだけど、先輩に罵られるうちに、少しつづだが克服?いや、慣れてきた。
それと、これは一番驚いたことだが、先輩に対して何を言っても「冷静」に答えてくれるし、先輩の考えを教えてくれる。批判めいたことを言ってもだ。
極端に上下関係や気遣いができない、というか、そういった概念が欠落しているだけだ。上に媚びないが、下にも命令しない。上を敬ったりしないが、下にも当然気遣うこともない。
誰に対しても一貫している。同じ人間同士、対等な立場から発言している。言葉がキツいだけだ。もちろん、それが大問題なのだが・・・。
その証拠に無駄なお茶汲みや雑用もさせらることもない。自分のことは自分でする。むしろ先輩がやってくれることの方が多い気がする。
僕が淹れたコーヒーを一口飲んですぐに捨てた。
「泥水の方がうまい」
以来、コーヒーは先輩が淹れてくれる。
終業後に一杯飲みに付き合わされることはない。残業もしない。必ず定時に終われるように仕事をする。
最初は難しかったが、先輩の叱咤激励罵詈雑言の中で何とか定時までに仕事を終えられるようになってきた。
日常の中で発見をしろ。生活の中にヒントはある。先輩の教えだ。残念ながら充実はしてないが、それでも映画を見たり、展覧会を見に行ったり趣味の時間が増えた。
そんな日常から思いついた幾つかの企画を発案したが、今のところゴミ箱に直行している。
先輩は私生活や過去のことは一切教えてくれない。なぜか決まって金曜日は早く退社する。金曜日毎に、違う女性と会っていると噂が流れているが、どうだろう。あくまでも僕の所感だが、先輩にそんな雰囲気はない。
先輩には孤独が似合うと言えば失礼かもしないが、そんな感じだ。
僕は全社員から同情されているが、先輩と一緒にいることは全く苦痛ではない。顔色を窺う必要もないし正直でいられる。むしろ、この課に配属される前の方が嫌なことだらけだった。
最初は死刑宣告だと思ったが、今では先輩の元でずっと働きたいと思っている。
やめて欲しいこともある。よくお昼ご飯をご馳走になる。それはそれでありがたいことなのだが、注文する量が尋常ではない。
何人分も注文する。そして、全て僕に食べさせる。
初めて第二課に配属されて、先輩に挨拶をした時だ。
「この度、第二課に配属されました岸誠です。今まで営業部にいました」
先輩は顔も上げずに大学の研究室の論文を読み続けている。大手のような研究室を持たない我が社は、常に率先して最先端の技術を学ばないといけない。
「自殺した無能社員の地縛霊かと思ってたら、生きてる無能社員か」
「すいません」
「褒めて欲しいんだったら他にいけ。河原で空き缶でも拾ってたら、誰かが褒めてくれるだろ。俺がシルバー人材センターに推薦状書いてやる」
「褒められたことがないので、褒められて伸びるタイプかどうかも分かりません」
先輩が手を止めて、初めて僕の顔を見た
噂でしか聞いたことがない伝説上の生き物と初めて目があった瞬間だ。
目力で意識が遠のく。
「年齢は?」
「26です」
「俺のところに飛ばされるなんて、よほど仕事ができないのか、それとも全く仕事ができないかのどちらかか」
「自分なりに頑張ってはいるんですが」
「今のは質問じゃない。俺の独り言だ」
「・・・」
先輩が論文を閉じて、立ち上がる。殺されるのかと思った。
「腹減った。飯食いにいくぞ」
定食屋に入ると、先輩はすごい量の食事を注文した。
カツ丼、うどん、いなり寿司、おはぎetcがテーブルに並ぶ。
流石だ。仕事のできる人は胃袋から違う
「さぁ食え」
「え?」
幸いなことに、第二課に配属されることが決まって以来、緊張からか全く食事が喉を通らなかった。緊張の糸が極限を超えて、ついに切れたのか、急にお腹が減ってきた。
僕は無我夢中で食べた。
「けっこう食えるんだな」
「すいません。第二課に配属が決まってから、緊張して、ろくに食事が・・アッ、すいません」
「これからは、しっかり食べて、しっかり寝ろ。不健康な奴はいらん」
どうやら僕は合格したらしい
「はい!」
カツ丼をかき込みながら先輩を見る。
先輩が微笑んでいた。
とんでもない破壊力だ。やばい。男の自分でもドキドキしてしまった