【番外編】大蜘蛛レンの愉悦
──ちょっとした出会いが、人生を変えちまう事ってあるんだな。
俺はつくづく、そう思う。
特に最近は、そう思わされることばかりだ。
たとえば、クロード。
元は俺と同じ蜘蛛だったくせに、今じゃすっかり人間になって、貴族の執事をやっていた。
しかもその家の令嬢と結婚して婿入りまで果たし、貴族社会で悠々と暮らしているんだから、まったくもって驚きだ。
いや、それどころかアイツ、普通に紅茶を淹れたり、料理を作ったり、騎士団長を手玉に取ったりしてるんだから、もう意味がわからねえ。
クロードと俺は元々同じ蜘蛛だった。
それなのに、どうしてこうも違う道を歩んでるんだろうな。
俺は今もこうして森の中で、大蜘蛛として生きている。
誰にも気兼ねすることなく、気の向くままに巣を張り、森の風を感じながら生きるのは悪くねえ。
……だけど、たまに思うことがある。
もしも、俺もクロードみたいに人間になれたら──
それは、それで面白いのかもしれねえな。
そう考えるようになったのは、騎士団長ウィルと知り合ってからかもしれない。
最初の出会いは最悪だった。
俺はただ古巣を借りて暮らしてただけなのに、「化け蜘蛛討伐」の名の下に剣を向けられた。
おいおい、待てよ、と言いたかったが、あの時のウィルは本気だった。
まあ、勘違いも無理はねえ。俺みたいなデカい蜘蛛が、人気のない森で巣を張ってたら、そりゃ化け物扱いもされるだろうよ。
けど、いざ話してみたら、アイツはそこまで悪いやつじゃなかった。
最初は渋々だったが、事情を説明したら納得してくれたし、その後もこうして森に顔を出すようになった。
クロードの差し入れを持ってくるついでに、どうでもいい世間話をしていく。
それがいつの間にか、俺にとってちょっとした楽しみになっていた。
だから、ふと思うんだよな。
──もし、俺も人間になったら?
ウィルと同じ目線で会話できるようになったら?
アイツの剣を間近で見たり、騎士の訓練に付き合ったり、酒を飲んだりできるようになったら?
なんだか、悪くねえ気がする。
森の暮らしは嫌いじゃねえ。
むしろ快適だし、自由だ。
だけど、人間として生きるってのも、案外楽しいのかもしれねえな……って、最近思うようになった。
クロードは元蜘蛛だった。
なら、俺もそうなれる可能性がないわけじゃねえよな?
──ただ、一つだけ問題がある。
ウィルは、俺が人間になったら驚くだろう。
いや、間違いなく驚く。
そりゃそうだ。森に住む巨大な蜘蛛が、ある日突然、人間の姿になって現れたら、誰だって驚く。
でも、ウィルが本当に驚くのはそこじゃねえ。
そう、なぜなら──
俺は、メスの大蜘蛛だからな。
こればっかりは、どう説明してもアイツの理解を超える気がする。
俺のことを“クロードに殺されかかった男同士”みたいに思ってるフシがあるしな。
もし俺が人間の姿になったら、間違いなくウィルはこう言うだろう。
「ま、まさか……お前、レンなのか!? いや、そもそも……女性!??」
その顔を想像すると、どうしても笑っちまう。
アイツの驚きっぷりが目に浮かぶんだよな。
いや、そもそもクロードも俺の性別に気づいてるのか?
……いや、アイツは気づいてそうだな。
最初から知っていて、黙って楽しんでる可能性がある。
まあ、そんなことはどうでもいい。
問題は、俺が人間になったらどうなるか、だ。
クロードみたいにスラリとした優雅な姿になるのか?
それとも、森に住む魔女みたいな妖艶な姿になるのか?
どっちにせよ、ウィルの反応は楽しみすぎる。
アイツが頭を抱えて「何がどうなってるんだ……」って混乱する姿が、今から目に浮かぶ。
いやー、見てみてえな。
でも、どうだろうな。
俺は、今のままでも楽しい。
クロードみたいに人間の社会で生きるのも悪くないが、俺は俺のままで、こうしてウィルとたまに話したり、クロードの甘露煮を食ったりするのが、案外性に合ってる気がする。
人間になれたら面白いかもしれねえ。
でも、ならなくても、今のままで十分楽しい。
まあ、気が向いたら考えてみるか。
──その日が来たら、ウィルの顔がどんなふうに引きつるのか、今から楽しみだぜ!