第5話:カトリーヌの影
リュシアンはジュールに別れを告げ、再び街を歩き出した。胸の中で膨れ上がるのは、カトリーヌの面影だった。彼女がこの時代にいる――その確信だけが、彼の足を動かしていた。
街並みは異様だった。豪奢な宮殿の近くでは、貴族らしき人々がきらびやかな衣装を身にまとい談笑している。その一方で、貧しい人々が道端に座り込み、疲れ果てた顔で空を見つめていた。リュシアンはその光景に息を呑んだ。
「これが……革命前夜のフランスか」
彼はふと、遠くにそびえる壮大な建物に目を向けた。黄金に輝く門、広大な庭園、そしてそびえ立つ宮殿――ヴェルサイユ宮殿だった。その華麗さに圧倒されながらも、彼はどこか冷たいものを感じずにはいられなかった。
「カトリーヌ……」
そう考えた瞬間、背後から誰かに腕を掴まれた。
「おい、あんた!」
驚いて振り向くと、ボロボロの服を着た小柄な少年が立っていた。目には怯えがありながらも、必死さが伝わってくる。
「頼む、助けてくれ!妹のソフィが捕まっちまったんだ!」
「捕まった?どういうことだ?」
ルイと名乗るその少年は、荒い息をつきながら言葉を続けた。
「衛兵たちが俺たちみたいな貧しい奴らを次々に捕まえてるんだ。妹は何もしてないのに!」
リュシアンの胸がざわついた。ルイの焦りようから、放っておけば何か取り返しのつかないことになるかもしれない。
「案内してくれ!」
ルイに連れられ、リュシアンがたどり着いたのは貧民街の一角だった。そこでは、武装した衛兵たちが無理やり人々を荷車に押し込んでいた。
「なぜこんなことを……」
リュシアンは息をのんだ。その視線の先で、小さな少女が衛兵に捕まって泣き叫んでいた。
「ソフィ!」
ルイが叫んだ。しかし、衛兵は冷酷に言い放つ。
「このガキども、王家の施しを受けておきながら文句を言うとはな。しつけが必要だ」
「やめろ!」
リュシアンは思わず駆け出した。しかし、すぐに衛兵の一人が剣を抜き、リュシアンを威嚇した。
「余計な口を挟むな」
絶体絶命――そう思った瞬間、澄んだ女性の声が響いた。
「その子を離しなさい!」
衛兵たちは驚き、声の主の方を振り返った。そこには上品な衣装を身にまとった若い女性が立っていた。背筋を伸ばし、堂々とした態度で衛兵たちを見据えている。
「この方は……」
「私は王妃の命を伝える者です。このような横暴な振る舞いを許すつもりはありません。今すぐその子を解放しなさい」
衛兵たちは一瞬顔を見合わせた後、渋々とソフィを解放した。少女は兄の元へ駆け寄り、ルイは泣きながら妹を抱きしめた。
リュシアンは安堵しつつも、目の前の女性に目を奪われていた。その顔には、どこか見覚えがある――
「あなたは……?」
女性は微笑み、静かに答えた。
「あなたとは、また会う気がするわ。その時まで、どうか気をつけて」
そう言い残し、彼女は去っていった。その背中を見つめながら、リュシアンの心はざわめいていた。
「彼女はいったい……」
女性の姿が見えなくなった後、リュシアンは改めてルイとソフィに目を向けた。彼らを安全な場所まで送り届けながら、彼の心には新たな決意が生まれていた。
「この時代で、カトリーヌを必ず見つけ出す。それが俺にできる唯一のことだ」
リュシアンの冒険は、次第に大きなうねりの中へと巻き込まれていく――。