第30話:「囁きの迷宮」
ヴェルサイユ宮殿・夜
蝋燭の灯りが揺れる回廊を、フランソワ・シャレットの足音が無音のように響く。彼が向かうのは、宮廷地下にある記録文書室——限られた者しか足を踏み入れぬ封印のような空間。
鍵をすり替え、扉を開けると、古文書の匂いが鼻を突いた。
その奥に隠されるはずのもの……侯爵派が王妃告発のために準備している「密書の原本」。
(このまま奴らに主導権を握らせれば、陛下は……)
鋭い眼差しで文書をめくる彼の手が止まった。
“王妃が国外の革命勢力と結託し、密かに王政転覆を画策している”と書かれた一通の告発草案…筆跡は、侯爵派の書記官・セヴランのものだった。
その紙を懐にしまうと同時に、背後からかすかな気配が走る。
「……いるな」
剣に手をかけ、シャレットは振り返る……が、そこに姿はなかった。
(監視されている。だが、証拠は手に入れた)
彼は迷わず闇へと身を溶かした。
一方、ピシグリューは厨房の裏手、かつて偽文書がやり取りされていた運び人の通路で、密かに罠を張っていた。
手には、偽造された“偽の王妃命令書”の模写……本物と見分けがつかぬ精巧な贋作だ。
「……釣れるかどうか、賭けてみるか」
その写しを侯爵邸宛てに“誤送”として運ばせたのは、顔なじみの下働きの若者。
渡った先で誰が受け取り、どこに保管するのか。密告者の足取りを炙り出すための、鋭い逆手だった。
(さて、お前たちの中で一番欲深く、油断した奴が……地雷を踏む)
その夜、ピシグリューは闇の中、黙して待った。
一方、ド・モードは礼拝堂で出会った内通者の情報をもとに、ある侍女の名前にたどり着いていた。
「ロザリンド……まさか……」
彼女はマリーに最も近く仕える者の一人。毎夜、王妃の書簡を整え、身の回りの世話も任されている。
(だが、過去に侯爵家に仕えていた経歴がある)
心に走る、疑念と警告。
王妃の私室
ド・モードは直接報告を控え、まずはロザリンドの行動を密かに監視することに決めた。
背信か、忠誠か。揺れる心の中で、彼は一つの決意をする。
(今、軽率な追及は“裏切り者”を刺激するだけだ。確証が得られるまで、慎重に動く)
その頃……
王妃の私室では、マリー・アントワネットが書斎に一人、蝋燭の灯りの下で手紙を読んでいた。
……この国に、真実はあるのか。
……誰が味方で、誰が敵か。
内からも外からも、彼女の立場は危ういものとなりつつあった。
扉の外、三銃士の足音が遠くに聞こえる。
彼女は筆を止め、そっと呟く。
「この迷宮の中で、光を見つけなければならない……たとえ、仮面の下が誰であろうと」
蝋燭の灯がかすかに揺れた……
それは、真実の風が吹き始めた予兆だった。




