02_22 此処の商人連中ときたら、油断も隙も無いんだから
『ズール』の大市場は、猥雑なる光景がまるで酔っ払いの悪夢のように広がっていた。
廃墟に増築を重ねて茸のような形状となった古びた建物、広場一杯に広がる色取り取りの大型天幕、紫の尖塔の影がその混沌を一層際立たせている。冬越えを終えた農民が、春の収穫を前に余剰の食べ物や家畜を売ろうとし、あるいは足りない食べ物を買い求めようと居留地や集落からズールの市場に集まっていた。
「スリに注意してくださいよ。春市は、盗人連中にとっても稼ぎ時なんだから」背の高い若い娘が、人混みをかき分けながら後ろを歩いてる同行者に注意を促した。
「大丈夫だぁ、おらの財布にはブリキの小銭しか入ってねえだ」驢馬の手綱を引きながら、壮年の農夫がそう笑い声をあげた。それにしても大市は、とんでもない盛況だった。目に映る範囲だけでちょっとした居留地を上回るほどの人々が押し寄せているようにも見える。
自由都市の住人の他、農民や自由労働者、戦利品を売ろうとする廃墟漁りや家畜を連れた蒼月の砂漠の遊牧民、雇われの牧者、市場の警備を行う警備兵や傭兵、行商人に鍛冶、乞食坊主に鉱夫たちなど様々な人種や職業の者たちで市場は溢れんばかりに賑わっていた。幾つかの天幕の下では、巧みに取引を進める狡猾な商人たちや、荒っぽい冒険商人たちが交渉や世間話を行っていた。つり銭の音や家畜の鳴き声、流れの鋳物師屋が鍋を直す音、荷物を運ぶ人夫の怒声が絶えず混ざり合い、喧騒や乾いた笑い声が響き渡る。
市場の路傍に並ぶ露店や木造の屋台には、様々なものが売られていた。錆びついた機械や壊れた電子機器、宝石や貴重な本、そしてその他無数の品々が市場のあちこちで売買されている。中には明らかに盗品と思しき品も混ざっていて、どこかで狂気のような表情を見せる商人や盗賊が、不気味な笑みを浮かべながら取引をしていた。
キャラバンを持つ行商人たちは、自らの馬車や荷車の上に遠方などで仕入れた珍しい薬草や香木、香料に香水、絨毯などの奢侈品。巨獣の卵やレアメタルのインゴッドなど貴重な資源を広げては、顧客に対して巧みに売り込んでいた。
また、行商人たちの隣ではカランの草原や蒼月の砂漠から訪れてきた遊牧民が、自慢の馬や羊を市場に連れてきていた。絨毯の上には香辛料や煙草、薬なども並んでいる。遊牧民の物々交換の文化は、遠来の土地の産物やスパイスをもたらして市場を彩ると同時に、さまざまな情報が交換される場をもたらしていた。
一方、鉱夫たちは廃墟や地下から採掘した鉱石や宝石を持ち込んで売り捌いていた。武装した屈強の鉱夫の顔には、長年の労働と人生の皺が刻まれており、訥々とした重々しい口調からも、生きざまを垣間見ることができた。
廃墟漁りを生業とする者たちも、市場にその成果を持ち込んでいた。荒廃した都市の廃墟から珍しい機械や崩壊前の貴重な電化製品を探し出すのを生業とするストーカーやスカベンジャーたちは、伝説の都市オラストルから持ち帰ったと豪語しながら戦利品を出来るだけ高値で売ろうと場所取りに余念がない。
騒がしい市場の隅を足早に突き進んでいた二人だが、壮年男が度々、足を止めては商品に魅入ってしまうので、若い娘は同行者と驢馬を引っ張らねばならなかった。
「ははっ、壊れたレーザー銃だとさ。本物かな?」
「どうみても玩具ですよ。ただ古代の記録は、映画だと思ったら実話。実話だと思ったら映画なんて事が珍しくありませんからね。特にゾンビ映画なんか、虚実の判断がとみに難しいですし」若い娘が肩をすくめる。
「それにしてもズールの市はいいなあ」呑気に言ってる壮年の農夫。
「買い物する余裕なんてないでしょう」若い娘がピシャリと言った。
やがて交易商人や両替商の天幕が立ち並ぶ通りに差し掛かると、ふたたび雰囲気が一変した。行き交う人々の大半が若者であり、着古してはいるがしっかりした衣服を纏いながら、鋭く抜け目ない眼差しには未来への野心や欲望が煌めいている。この地域では、大勢の零細商人や駆け出しの行商人が、大物商人や商会の担当者たちに巧みに取り入っては下請け仕事を貰ったり、用があれば使い走りとして駆り出されつつも将来の成功を夢見ていた。
「……注意してください。此処の商人連中ときたら、油断も隙も無いんだから……いや、出来るだけ早くぬけましゅ」若い娘が愚痴りつつ、足を速めようとして
「おー、そこにいるのはマギーじゃない」横合いに声を掛けられた若い娘……マギーは表情を固くして語尾を噛んだ。それから仕方なしにその声の持ち主に振り返り、顔を見る。
路傍の茶店で、木箱の上に腰掛けていたターバンの娘がにんまりと笑っていた。
「おや、マロン。ひさしぶりですね」マギーは、少しだけ引き攣った微笑みを返した。
マロンにお茶を誘われたマギーは、少し考えてからうなずいた。自由都市『ズール』をちょくちょくと訪れてはいるものの最近の噂にはどうしても疎くなっている。お茶代と多少の時間で情報を補完できるなら、悪い話ではないと考えていた。
茶店の軒先に腰掛けた壮年の農夫は、物珍しそうに店内を見回している。右腕が不自由なのか。左手で不器用に財布を取り出すと、ブリキの少額貨幣を一枚一枚数えてから女店員に手渡した。
「お茶ください。暖かいの」
盗賊や略奪者、変異獣など脅威が蔓延った世の中で、不具となった人は珍しくもなかった。女性店員は片手が義手であったが、C型の手先を上手く使ってお湯を沸かしながらお茶を入れている。
手際よい所作に農夫が見とれていると「その手はどうしたの?」とお茶を出しながら、女店員の方から聞いてきた。
「居留地を襲ってきた無法者とやりあったのさ。二十人はいたかな。撃退したけどね。そいつら、賞金付きだったんだけど、俺のライフルが……」
「一発も撃たないうちに肩撃ち抜かれて、ひっくり返ったくせに……おかげで私は死ぬ思いをしたよ」
マギーがボソッと言うと、農夫はいかにも情けなさそうな顔で見てきた。
「すまぬ、すまぬ……まあ、ちょっと大げさだった。十五人くらいだったかも知れない」
「ふふ。でも、立派なものよ」ころころと笑いながら女店員がカウンターへと引き返していった。
「つい先日、悪漢と戦って怪我したばかりなんです。本来は、しばらくは安静にしてなきゃいけないのに」農夫を心配そうに見たマギーが呆れたように言いつつ、お茶に口をつけた。
「最近は、全く僻地にも強盗が出没するんだから」ぼやいているマギーに、マロンと呼ばれた娘が興味津々と言った様子で話し掛けた。
「彼、農夫にしてはハンサムだね」
「一応、言っとくと地元だと複数の娘やら未亡人やらが牽制し合ってますよ?」マギーの言葉を牽制として受け取ったのか、マロンはニヤッと笑う。
「マギーもその一人かな?」
「おぉう、やめてよ……趣味じゃない。最低でも私より強い人でないと」言いながら、マギーは煙草に火を付けた。
「私も、自分よりお金を持ってる人がいいね」とマロン。
「で、何かを探しているんだい?力になれると思うよ」マロンはにこりと笑みを浮かべ、マギーの横に腰掛けた。その目は油断なく何かを探っているようだった。
「あなたの『力になれる』は『カモを見つけたぞ』と言う意味でしょう」直接の問いかけに応えずに、マギーはマロンの肩をやや強引に抱き寄せた。
「でも、久しぶりに顔見知りに会えて嬉しいですよ」と囁いてみる。
「その割には、顔が引きつってるように見えるけど」マロンも笑顔で探ってくる。マロンの肩越し。見えない位置でマギーが目配せすると、同行者が分かっている、と頷いた。
「そっちの人を紹介してくれないの?」とマロンが同行者に視線を向けた。
「……彼女はマロン。商人です。信用しないでください。大事な驢馬を巻き上げられちゃいますよ」マギーは、くすくすと冗談めかしてから同行者を紹介した。
「こっちはキャロル。旅の道連れです」敢えてスタンフィールド氏とは呼ばずに名前で呼んだ。小さな村落の住民には姓を持たない者も多い。マギーは嘘を付くのが得意ではない。妥協策として出来るだけ出身地を誤解するように、本当のことを述べる。
「ちょっと遊牧民の通貨が欲しくてね」とマギーは渋々と明かした。
「商売の話かい。そういう話なら大歓迎だよ」とマロンが応じた。
途端にパッと笑顔になるマロンだが、マギーは冷めた眼差しで見据えつつ尋ねた。
「今、いくらくらいでゴールが買えます?」
「そちらの手持ちは?」とマロン。
「ギルド・クレジットを少し。まだ、取引するとは決めてないぞ」マギーは用心深く、釘を刺した。
「んん、今の相場だとギルドクレジット15.5に対して10ゴールだな。友人だから、特別に14.5で取引するけど。110ゴールまで売れるよ?」
「さようなら。またお茶しましょうね」提案を聞いたマギーが即答した。
「ちょっと待って!」マロンは留めようとするが、マギーは厳しい声で返した。
「ぼり過ぎでしょう、なに考えてるんですか」
ズール市の為替取引は需要と供給に応じた変動相場制だが、相互の必需品の供給と武力の拮抗によって、通商都市連盟と遊牧民の関係は半世紀以上安定している。クレジットに対する遊牧民通貨は、時期にもよるがおおよそ1:0.9~1.1で推移していた。
「今はちょっとゴールが品薄なんだよ」マロンが現状について語るも「まあた、口から出まかせを」マギーは胡散臭そうに鼻を鳴らした。
「嘘じゃない。嘘じゃないって!」ほら、とマロンが手元のメモ帳の1頁を開いて見せた。そこには、各通貨の取引相場と日付が記されている。
「カモ騙す為の小道具とか」マギーがなおも疑い深く問う。
「疑い深いな……もうっ」渋い表情のマロンが仕方ないとため息を吐いた。
「でかい商会……ええい、タラント商会がゴールを買い集めてるんだ」種を明かしたマロンに、マギーは驚きを隠しきれずに「マジで?」と呟いた。
「でかい取引したがってるらしくてね……さすがに、内容は知らないけど」
マロンの言葉にマギーは考え込んだ。ズール市の人口が多分、四千。周辺人口も含めれば一万二千から一万四千。遊牧民と定期的な取引を行うズール市では、ゴール銀貨や紙幣はかなりの量が流通していて、商取引の補助通貨に使われるほどだ。近隣地域で保有している遊牧民通貨は、百万やそこらでは効かないだろう。
遊牧民の幾つかの有力氏族は、現物か、ゴール通貨の取引しか受け付けないから、大きな商会が数万から数十万の取引為にゴールを買い集めれば、多少は値上がりしても不思議はない。しかし、五割を越える暴騰は少し信じがたい。普段の取引に使う分を除いて浮動している遊牧民通貨が買い占められただけで、膨大な総量のゴールが、ギルドクレジットに対して50%近い値上がりするものだろうか?
「……高騰見込みに拠る買い占め要素も含めれば、五割は有り得る、のか?」うーむ、と首を傾げたマギーだが見当もつかない。下手の考え休むに似たりである。
「どうにも、いささか相場が悪いな」独り言のように呟くと、あっさり席を立った。
「悪いけれど取引は出来ない。ただ、話を聞かせて貰ったので、これでお茶でも飲んでください」言い放ってテーブルに置いたのは、しわくちゃのギルドクレジット紙幣が三枚。
「羽振りがいいね?」興味津々の様子のマロン。
「私の財布に興味あるのかな?ん」とマギーが冷ややかな笑みを浮かべた。
「まっ、待て待て待て。誤解さ」冒険商人の元用心棒から剣呑な気配を感じ取ったマロンが、慌てて後退りする。
「油断ならない奴」鼻を鳴らしたマギーは、女性店員と義手で話が盛り上がっていた農夫の肩を叩いた。
しわくちゃの紙幣を伸ばしながら、マロンは友人に別れの挨拶を送った。
「へへ、親友。あなたなら無駄話でも歓迎だよ」
「無駄足踏んだかねぇ」キャロルさんが皮肉交じりにため息を漏らすが、マギーは冷静に返した。
「いや、マロンの話だけで決めつけるのは早いです」言葉を交わしながら驢馬の手綱を引いて遠ざかっていく二人を他所に、マロンはクレジット紙幣を透かして眺めてから「偽札じゃない」と呟いた。
「お茶代、か。割のいい仕事にでもありついたかな、あいつ」
驢馬を引いたマギーと農夫に扮したスタンフィールド氏は、防御施設を兼ねた区画を区切る橋門の下で立ち止まった。
通行人が誰も二人に注意を払ってないのを確認すると、内密に話をする為に太い円柱の影に移動した。
「いい演技です。ナイス田舎者」そっと顔を寄せたマギーが、小さな声で賞賛した。
「演技なんてしてないぞ、この野郎」白眼を剥いたスタンフィールド氏。
すみません、と気まずそうに謝るマギーに憮然しつつも、スタンフィールド氏は「さて、どうする?」と次の行動を尋ねてみた。
「さっきはああ言いましたが、マロンは底の浅い嘘はつかないでしょう。ゴール通貨が高騰しているのは、まず間違いないかと」とマギーは淡々と述べた。
「意外と面白い話が聞けたしな。もう二、三。当たってみるのはどうかな?」スタンフィールド氏は軽く笑みを浮かべながら返した。
「噂を仕入れるのはいいとしても、ここの業者は相手にしない方がいいですね」強い口調のマギーの断言に、スタンフィールド氏は少し驚きを見せた。
ふむん、と頷いて、スタンフィールド氏が尋ねる。
「さっきのマロンちゃんとかは、信用したらいけない感じかな?」
「マロンですか?」
「友人ではあるが、仕事に噛ませようとはしなかったね」
女給と話し込んでいたように見えたスタンフィールド氏だが、意外に観察力を発揮している。
「悪い奴ではありません。むしろ比較的、善良です」マギーは頬を掻いた。意外な答えなのか、顎を左手で撫でながらスタンフィールド氏が考え込んだ。
マギーは囁くように言葉を続けた。
「しかし、マロンに限らず、ここら辺の商人を相手にしない方がいいかと」
「商人を?」スタンフィールド氏が疑問を口にする。
「そう、貧しい零細商人です。皆、浮き上がるのに必死ですから」マギーが親指でそっと示した先では、商店主に怒鳴り声で用事を言いつけられた丁稚の小僧が、必死に街区を駆けだしていた。
「貴方にとって三千ゴールは…」マギーが言いかけた言葉を、スタンフィールド氏は手を振りつつ遮った。
「ねえ、君。三千は僕にも大金だぜ?」心外そうに云ったスタンフィールド氏に、マギーは軽くほほ笑んだ。
「でも、その為に今までの人生を捨てようとは思わないでしょう?取り返しのつかない金額じゃない」
「それはそう」スタンフィールド氏は認めた。
「大金を前にすると人は狂います。特に一攫千金を夢見る連中にとっては、人生を変えられる金額です。何十年も下働きして報われなかったものには、小さな店を構える事もできる」マギーが低く囁くような声で告げた。
スタンフィールド氏は、不快そうに身じろぎした。年齢の割にナイーブなところがある。あまり人が裏切るとか、そういった話は聞きたくないようだ。とは言え、彼は冷静な判断が必要とされる状況で目を背けるほどに愚かではない。
「マロンが信用できたとして、大金を両替するのは一人では無理です。周囲の者に声を掛けるでしょう」マギーは淡々と言葉を続けた。
「商会の下っ端仕事をするものには、質の悪いものも混ざってます……金の為なら友人でも売る。一度ならず目にした光景です」そう告げたマギーの相貌には、柱の影が深く落ちていてどんな表情をしているか、スタンフィールド氏からは伺えなかった。
「だから、取引するのは最低でも店舗持ちです」案内人と護衛を兼ねたマギーの忠告に「君に従うさ」ため息ひとつついたスタンフィールド氏はそう言って深々と頷いた。




