02_19 ポレシャの丘
キャシディとマギーが案内された先の応接間は、広くはないが落ち着いたモダン・スタイルで、アーチ形の格子窓からは活気に溢れた街並みを一望することが出来た。
「……隙間風が全くない新築には、滅多にお目に掛かれない」優美な曲線を描いた階段の木製手すりを眺めてマギーは感心した。
この場合の『新築』とは、大崩壊後に建てられた建物を差している。崩壊前の建築物と思しき遺跡を除けば、大抵の建物は何処かしらに不都合が出るもので、ポレシャの酒場や保安官事務所、議事堂すら補修部分はブルーシートや木切れを用いてる為、隙間風は避けようがない。
ヴィクトリア様式の箪笥と鏡台。透かし彫りの施されたシノワズリの椅子、穏やかな色彩の壁紙とカーテン。そして、高価な陶磁の茶器。例え模造品にせよ、趣味の良い調度や装飾を鑑賞したマギーは一時の眼福を味わった。
「……弾薬が何発買えるかな」同じように赴きある美品の数々を眺めながら、しかし、キャシディ副保安官は、統一感のあるアンティーク家具を揃えるに一体、幾らの歳月と資金を費やしたのだろうと即物的な思考を駄々洩れさせていた。
「三名の賞金首を射殺して、B分隊の死者は皆無」ソファに腰掛けたキャシディはさり気ない口調で、昨日の戦闘の経緯を報告した。対面のヘルナル中尉は、目を閉じながら静聴している。
「その後、戦況は膠着状態に……一定の打撃を与えたので無法者どもに退去を勧告。
無法者たちは、街道……ポレシャの領域から逃げ去りました」
ヘルナル中尉は、穏やかな微笑みを浮かべた。
「チェスター中尉の説明とは随分と食い違っているな」
「彼方はなんと?」
「A分隊は、長時間の戦闘で痛み分け。退却命令を無視したB分隊が追撃を行ったが、疲労した敵に蹴散らされたと」
「よくも、まあ」キャシディは、思わず鼻で笑った。
「チェスターは奇襲を仕掛けましたが、反撃に遭って指揮下を四名失っています。
A分隊が射殺したのは、見張りのみ二名。賞金も掛かっていない小物です」
キャシディの説明を、副保安官の背後に立っているマギーが継いだ。
「無法者にしろ、レンジャーにしろ、歩哨は危険な……言い換えれば、損耗の激しい役割です。勿論、まったくの素人では話になりませんが。最初に襲われるので大抵、それなりの腕はあるにしても下っ端が務めます」
「流れてる噂では、チェスター中尉が賞金首を討ち取った事になってるな」ヘルナル中尉はおかしそうに笑った。
(はて?果たして、彼はどちらを笑っているのだろうか)中尉を見ながら、マギーは心中で考えた。目の前のキャシディか。それとも同僚であるチェスター中尉か。
「噂……噂、か」キャシディは、声に僅かに苛立ちを滲ませたが、すぐに平静を取り戻した。
「正式な報告書で確かめていただいて結構です」
「正式な確認殺害戦果を三名と報告しているな」
副保安官の忍耐は、あっさりと崩壊した。
「……あの卑劣な臆病者」口汚く罵ってから、キャシディは自身の功績を証明しようと論陣を張った。
「チェスターが逃げ出す前に、彼の目の前でわたしが一名狙撃で無法者を射殺しました。お疑いなら、グレイ先生に死体鑑定を」
「それには及ばない。言っておくが君の言葉は疑ってないよ。キャシディ君」とヘルナル中尉。
副保安官と中尉は、何かを推し量るかのように沈黙しつつ、互いに相手をじっと凝視した。
「確かに、チェスター中尉にはおのれの功績をやや誇大に言い立てるところがある」
ヘルナル中尉は、やや慎重な口ぶりで発言した。
(おや、と。これはかなり大胆な発言だぞ)マギーは無表情のまま、二人の中尉の関係を頭の中で推し量った。聞き間違えではない。ヘルナル中尉にとっても、チェスターは競争相手なのか?それとも単に虫が好かないだけの人物か?
「戦いは不得手ですが、絡め手は得意なようです」とキャシディ。此方はすでにチェスターに対する敵意を隠そうともしていない。しかし、ヘルナル中尉は、それ以上、誹謗中傷ともとれる言葉は一切、口にしなかった。ただ穏やかに微笑んでいる。
(……慎重な人だな)戦場には出ない事務屋と聞いていたが、マギーはむしろ感心した。ヘルナル中尉も過去に、チェスターの卑劣さに割を食ったのか。或いは、同僚の卑劣な性分を見抜いていたのか。マギーには分からないが、単純に共通の敵、とはならないようだ。しかし、チェスター中尉に対する評価と認識が、ある程度、一致している事で今は満足すべきかも知れない。いずれにしても一筋縄ではいかない慎重さだが、それはそれとして話が分からない人ではない、とのキャシディの人物評も間違いではなさそうだ。
「……エリスをチェスターの分隊に廻すのではなかった」後悔を漏らしつつ、正規の報告書である編成と死傷者のリストを示しながら、キャシディは戦闘の推移をより詳細に説明した。チェスターの出した戦闘詳報と読み比べながら、流石のヘルナル中尉が閉口した。キャシディの報告書を信じるならば、民兵隊主軸のA分隊にはまったくいい所がなく、無法者の戦術に嵌ったことになる。それが事実なら、なおさらに受け入れがたいだろう。
「いずれにせよ、逃げ込んできた少女が無法者の仲間で降伏してきたのか、本人が言うように逃亡奴隷なのか、その時点では判断の付けようがありませんでした」とマギー。
「事の推移から本人の言うように逃亡奴隷と思しき節も窺えましたが、しかし、スタンフィールド氏の傷も深く、これ以上の戦闘とメイヤーの所有物に手を出すのは、割に合わないと考え、引き渡して居留地に転身するべきと判断しました」説明の続きを引き受けたキャシディが、説明を終えた。
「割に合わない……かね?」とヘルナル中尉が問いかける。戦闘において、キャシディは完全に人を数字に置き換える。それが気に喰わない人もいるが、ヘルナル中尉はどちらだろうかとマギーは少し警戒した。
「少女と、ジョナスにも気の毒なことをしました」直接に応えず、キャシディは間をおいてから、結論を口にした。
「メリッサの行為は正当だと考えていますが、ジョナス君の行動も不問に処すべきと考えています」慎重に紡いだ言葉の意味に気づいて、ヘルナル中尉が一瞬、沈黙した。二人の間の空気が緊迫したことに気づいたマギーは、いざとなれば逃げられる部外者の気楽さで会話の行き先を興味深げに見守った。
「……メイヤーが相手ではな」話題を転じてくれたヘルナル中尉。
「ご存じで?」とキャシディ。
「噂だけは耳にしている。一応は、民兵の幹部だ」言ったヘルナル中尉が目を閉じた。
「話は分かった。君の言い分が正しいのであれば、非は息子にあるのだろう」
さても、話の分かる御仁だな。こちらに都合が良すぎる気もするが。二人の会話を聞いていたマギーへとヘルナル中尉の視線が向けられた。
「これは、仮の話だが……メイヤーからその気の毒な少女を買い取る事は出来るかな?」
首を振ったマギーは、言い辛そうに高級奴隷娼婦の相場を口にした。
「別れ際、連中から売る先を聞きだしました。が、割に合いません。高級娼婦ともなれば、五千クレジットとか八千クレジットとかかなりバカみたいな大金が掛かります。それ以上を吹っ掛けてくるかも知れません」
大物奴隷商人だけあってメイヤーは性質が捻じれてる。取れるなら、搾り取れるだけ搾り取ろうとするに違いないとマギーは警告した。
いかにポレシャの名家と言っても、容易い金額ではない。無論、ヘルナル家はそれ以上の資産を持っているが、大半は不動産や家畜、畑などの形で所有している。
崩壊後世界では、取引での物々交換の比重は大きく、現金の神通力も中世の時代より弱っていた。発行している都市や商会の滅亡で、通貨の価値が消滅しうる世の中で、信用ある通貨と言ったら貴金属に宝石、食料、弾薬、工業機械などで、現金だけを蓄えるのは自殺行為だった。怪物の氾濫や略奪者の大規模侵攻、都市同士の戦争など局所的なインフレや物資不足で、金があっても地域の何処でも何も買えないと言う事態に陥る事だってある。
とは言え、それでも持ち運びしやすい現金は、大抵の状況で一定の価値は保持している。動かせる現金。特に商業都市連盟発行の外貨であるギルド・クレジットの銀貨や真鍮を中心とした貨幣は、高い信用で広範な地域に流通している。それだけに価値も高く、誰もが手元に置きたがっている為、特に短時間で集めようとすれば余計に手数料とて掛かる。流石にヘルナル家でも、数千のギルド・クレジットを右から左には動かせまい。
「払える金額ではないな」薄く笑ったヘルナル中尉が手を振った。
話はそれで打ち切られ、キャシディとマギーは、ヘルナル中尉の邸宅を辞した。
「キャシディには、味方が増えたのかな?」庭を歩きながら、マギーが呟いた。
「……どうだか、な」キャシディは、肩を竦める。
ヘルナル中尉は、発言に慎重な代わり、露骨な嘘はつかないタイプに見えた。なにも約束してはいないが、いい手ごたえだとマギーなどには思えたが、キャシディの顔色は冴えなかった。
「前に会った時よりも痩せている。鏡台の前に、コデイン。かなり強めの鎮痛剤がおいてあった……具合が悪そうだし。どれだけ頼りになるやら」カウボーイハットを被りながら、キャシディは低く呟いた。
「それよりも噂だ……手柄を取られている。風評は軽視できない。しかし、市民一人一人に一々説明して廻る訳にもいかない。どうしたものかな」
居留地の広場では、立ち並んだ屋台や露店が様々な商品を誇示していた。小麦や鶏肉、香ばしいパンやサンドイッチを売る居留地の屋台、布を敷いて野菜や果物を売る近隣の農民。通りすがりにまだ使えそうな家具を示す浮浪者、欠けた陶磁器を売る廃墟漁りに魚介や甲殻類を売る漁民と言った常連の他に、行商人や遊牧民、小規模な隊商などが色も彩な布地や装飾品、シナモンやナツメグ、胡椒などのスパイスも運び込んでいた。
多彩な商品に工具、武器、家畜までもが陳列され、売り込みの声が口々に飛び交い、足を止めた客と商人たちが物々交換や価格交渉を行っている。
居留地の新参者と思しき家族連れが、ニナの目の前で広場を何周も歩き回っている。目を輝かせている幼子の微笑ましい姿を一瞥し、ふっと笑ったニナは、揚げ芋を齧りつつ考えこんだ。
『民兵隊、思ったよりも頼りになるな』
『賞金首を三人も仕留めたってさ。大したものだ』
『チェスター中尉殿がおられれば、居留地も万全じゃの』
『保安官の隊は、まだ若い娘さんが亡くなったそうだ』
『なにやってるんだか。ちょっとだらしなくないか』
『仕方ないさ、まだ小娘だ』
大通りや屋台の近くで耳にした民兵隊への称賛と保安官への不満の声である。
これで、四度。朝から数えて六人目。
渡り人が三人、近隣の農民が一名におそらく廃墟生活者が二名。
「……不愉快だぞ、これは」不満げな猫のように、ニナは喉の奥で唸った。
食べ終わった揚げ芋の包み紙を丸めてゴミ箱へ投げつける。外れた。歩み寄って拾う前に、街路にいた浮浪者が拾い上げて、ドラム缶の炎の焚き付けにした。
居留地の中央広場を取り巻いている石段をベンチ代わりに、ニナは腰を降ろした。
噂が流れている事情は分かる。保安官らと無法者どもの間で銃撃戦があったとなれば、居留地に住むものにとって他人事ではない。
特に街はずれなど、渡り人や自由労働者と言った根なし草ばかりが暮らしている。流れ者であれば、誰もが一度は盗賊に有り金を奪われた経験はあるもので、無法者どもの敗走を耳にして快哉を上げる気持ちはニナにも分かる。
問題は、功績と失敗があべこべになっているところにあった。何処で、どうしてそうなったのか?ニナは事の一部始終をマギーから教えられている。
聞いた話に拠れば、射すくめられて壊滅寸前に陥ったチェスター隊をキャシディたちが救援し、しかし、戦闘に突入した副保安官たちを見捨てて、民兵隊は敵前逃亡したとのことだった。
マギーが出鱈目を言っているとは、ニナは考えない。失敗は失敗、敗北は敗北と、マギーは取り繕う事なくニナには話してくれる。彼女の日記は、同じ失敗を避ける為の蓄積と、次に備えての思索が記された青写真でもあるから、見栄も衒いもなく、あるがままが記録されていた。
(……それが必要な場合を除けば、マギーは見栄を張らない。私に嘘を付いたこともない)
ならば、マギーを信じるに足る充分な理由があった。
市民区画の中央広場までやってくると、軽々しく噂を口にするものは目にしなくなった。それだけ街外れの渡り人や自由労働者にとっては、無法者の敗走が快事だったのだろう。しかし、一方で、今も落ち着いた雰囲気を保つ市民たちにとって、巨大蟻の大侵攻や、略奪者徒党との大規模戦闘でもなければ、さほど興味を引くほどの案件でもないのかも知れない。
今日も朝からマギーは忙しく動き回っている。何やら昨日の戦闘の後始末があるとの事で、民兵隊の偉い人に会いに行ってるらしい。
蟻の侵攻以前と変わらぬ雰囲気を取り戻しつつある中央広場を、ニナはぼうっと眺めた。延焼した建物の跡地に木材で骨組みが組み立てられ、幾人かの人夫が忙しく立ち働いている。とは言え、そこは崩壊世界。木材ですら伐採や運搬に危険が伴う為に割と不足しがちで、工事は遅々として進んでいない。居留地中心部の重要な建築物の再建工事でさえ、当初からスケジュール通りに行かないのも織り込み済みで、現場にも何処かのんびりとした牧歌的な雰囲気が漂っていた。
ニナは気を抜いて白い雲を眺める。地を這うものには、空を見上げる時間が必要なのだ。
(……可哀そうなマギー。せっかく大工仕事に有りつけそうだって喜んでいたのに、無法者相手の銃撃戦に駆り出されて)雇われに過ぎない身で奔走させられるのは気の毒だが、危険な曠野に腕利きの斥候は貴重だし、一カ所に長く留まれば良くも悪くも柵も増える。遅かれ早かれ、厄介ごとが寄ってくるのは避けられなかったか。
寄らば大樹、とも言う。利用されるだけの立場で終わりたくないならば、何処かで誰かと組んだ方がいいのは分かる。ニナの見るところ、キャシディ副保安官は能力も人格においても不足はない。ニナも好感を抱いているので、贔屓目が入ってるかもだが、マギーが一定の利用価値を示し続ける限り、捨て駒にされる事は無いだろう。忙しく使われそうではあるが。しかし、なまじっか有能だと逆に心労が絶えないな、とニナは同居人の心労を慮った。
……チェスター中尉、本当に格好良くてさ。
俺も、あんな風になりたい。
青空を眺めつつ呆けていたニナの耳に、不愉快な話声が届いてきた。
眉を顰めたニナが一瞥すれば、広場の木陰に座って駄弁っているのは、見かけた事もない子供らの一団。ニナの顔見知りでもなければ、知ってる他の子供グループでもない。
(むむ?知った顔が一人もいないぞ?)
子供らは、旅塵に塗れた粗末な服を着ていた。肌も薄汚れている。少なくとも街外れの渡り人の子ではない。飲料水は別として、定期的に身体を洗える程度には水に困ってない。かと言って、近隣の廃墟生活者や浮浪児とも雰囲気が異なっていると、ニナは見て取った。
何者かな?多分に、長い旅の果てにポレシャへと辿り着いたばかりの流れ者だろうか。
(或いは、あれがチェスターに救われた一行の子供たちかな)
救ってくれた相手を慕う気持ちが分からないでもない。不愉快な気持ちを抑えつつ(……五度、九人目)ニナは脳内リストに書き加えた。
渡り人が三人、近隣の農民が一名に廃墟生活者が二名。それに……
『それでどうなった』
『俺たちを無法者から守って、居留地まで守り届けてくれたんだ』
『保安官は逃げ帰ったらしいけど。チェスター中尉に文句つけてるって』
『負け犬の癖に。何様だよ』
そして、クソガキ三名である。
キャシディへの嘲りの声に「……はぁ?」手近な棒切れを掴んで立ち上がったニナは、ずんずんと見慣れぬ子供たちに向かって大股に歩み寄っていった。




