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廃墟の子_エピローグ

 タイレルの町にたどり着けば、なんとかなる。その一念だけでひたすら北に向かって歩き続けていた。


 故郷を出たのは、十七の歳だった。十八歳だった気もするし、もしかしたら、十六だったかもしれない。まあ、年齢など今さらどうでもいい事だった。


 同じように外の世界に憧れを持っていた連中が集まって、外からくる行商人に取り入っていた。色々と聞き出しながら、一人になった隙を見て襲い掛かり、金と命を奪うとそのまま一人で南方の都市へと向かった。


 お人よしの行商人が気を許すまで待った作戦勝ちだった。出し抜いた他の間抜け共が真相に気づいて追ってくるとも思わなかったが、一応は報復を警戒して、しばらくは近場の居留地に近寄らなかった。これも余計な心配だったようで、数年後にあった同郷の幼馴染に聞けば、呆気なく事故死として処理されたそうで手間が省けた。


 最初に洞窟で暮らそうと決めた奴が一体、何を考えていたのかは分からない。

 兎に角、しけた村だった。怪物から隠れ住むように村人たちが逃げこんだ穴には、ケチなボロ小屋が築かれている。薄暗い洞窟内部に黴のように小屋が生えた居留地は貧しくて陰気で、何より狭苦しい。


 洞窟村で最も富裕な家族さえ、小屋一つに四人暮らしだった。それもベッドを二つ、三つ置けば一杯になってしまうような狭い部屋しか持てなかった。だが、それでも貧しいものたちを比べれば随分と恵まれていた。


 大抵の村人たちは天幕が住処であれば上等で、並べた鉄パイプを布で仕切った代物が住居として割り当てられていた。

 一家は、多段の鉄パイプ製ベッドのうちの二段が住居だった。特に生活インフラの傍は最悪だ。パイプの冷たい湿気で持ち物がかびたり、通風孔が一時も止むことなく囂々と唸り続けている。


 地表の汚染や変異獣ミュータントの跳梁が激しい土地では、地下鉄や下水道跡に暮らしている連中もいると聞くが、流石に洞窟村の貧乏人より惨めな暮らしをしているものは滅多におるまい。


 それでも安全には代えがたいのだと、生きてる限りありがたいのだと村人たちは囀っていた。太陽の下、変異獣に脅えながら、春から秋にかけて外の畑を手入れしに行くときだけが、唯一の娯楽で気晴らし。


 あとは一日中、苔と茸の畑を這いまわり、主食はキノコにでかい虫の肉が入りスープ、苔で作られたパン。岩肌を這ってくる人食いトカゲとやったりやられたり。普段は撃退するだけで精一杯だが、たまに仕留めると肉が増える。みみっちくいじましい暮らしを何世代繰り返してきたか、考えるだけで腹立たしかった。息が詰まる。こんなものは人間の暮らす環境ではない。


 村を出てしばらくは金のない暮らしが続いたが、洞窟の暮らしに比べれば、なんて事はなかった。

 最初に転がり込んだ居留地は、旧世界の巨大なドームの残骸に壁を築き、何とか安全を確保しながら、変異獣の襲撃に脅かされている不安定な土地だったが、田舎から出て来たばかりの若僧に金なんてある訳ない。

 大きな居留地なら、家賃の安い裏町に無人の廃屋も当然のように存在している。

 怪物が棲む区画と接した、なかば廃墟めいたスラムで暮らすしかなかった。

 家賃がない代わり命の保証もない危険な貧民窟で、その頃に廃墟民や廃墟漁りと幾らかの交流を持った。


 変異獣の大襲撃のどさまぎで金を盗んで何とか脱出したが当然、街には居られなくなり、さらに南の都市へと流れた。

 思い出したくもない記憶だったが、その頃の放浪生活で身に着けた知識や技能が、【住宅街】での行動に随分と役に立ってくれた。

 金だ。金が必要だった。成り上がるためなら、なんでもしてやる。


 つらつらと考えているうちに、やがて目的地が見えてきた。

 粗末な木柵と見張り塔に守られた、みじめったらしい貧乏人共の天幕の集まり。

 知った顔がいる。ジョゴ。何故か、こちらを見てライフルを構えた。

 なんのつもりだ。相変わらずむかつく野郎だ。ガルフの命令に犬みたいに従う事しか能のないくせに。脅しのつもりか……



 天幕の外から、発砲音が重なって響いてきた。

(……襲撃か?)

 椅子に座って取引の書類を見ていたガルフが銃を握って様子を窺っていると、程なくジョゴがやってきた。

「ガルフ?奇妙なのが飛び込んできた。

 変異獣ミュータントなんだが。こいつは……」

 足早でやってきたジョゴが、珍しく困惑したような表情を見せている。

 頷いたガルフが外に出ると、木柵のあたりで部下たちや周囲にいたならず者たちが輪になって何かを取り囲んでいた。

 囁き声からすると、木柵と見張りに守られたタイレルの市場の内側に、たった一匹で怪物が飛び込んできたらしい。ジョゴが仕留めたと囁きあっている。

「……珍しいな。一匹で迷い込んできたか。タイレルの市に近づいてくるとは変異獣ミュータントにも間抜けなのがいるものだ」

 ガルフの冗談に、しかし、ジョゴは笑わなかった。強張った表情のまま、人の輪をかき分けて先導すると、死んだ変異獣ミュータントを悍ましそうに眺めた。

「これだ……俺には判断がつかん」ジョゴはそう言って、ぶるりと体を震わせた。

 クロスボウと銃撃で穴だらけとなった変異獣ミュータントのあまりに人間めいた顔面を目にし、豪胆なガルフには珍しく引きつった嫌悪の表情を浮かべた。

 と、変異獣ミュータントが目を見開いた。真っすぐにガルフを見、口を開く。

「が……う……」

 次の瞬間、変異獣ミュータントは脳みそを撒き散らして崩れ落ちた。

変異獣ミュータントは好かん」

 変異獣ミュータントの脳みそを撃ちぬいたガルフは、断末魔の痙攣に襲われた化け物を睨みながらも酷く青ざめていた。

「どうしますか?」掠れた声のジョゴに、唾を地面に吐き捨ててからガルフは怒鳴るように命じた。

「薪と油を持ってこい。さっさと焼いてしまうんだ。灰も残さずな」


 運び込まれた油を怪物の上にまき散らすと、ガルフは懐から取り出した封筒を焚きつけにして火をつけた。

「……貴様の取り分だ。冥府の河で渡し守(カロン)への渡り賃にでもするんだな」

 悪夢でも振り払うかのように吐き捨てると、その夜は何もかも忘れるまで酒を飲むと決め、お気に入りの酒場へと向かって歩き出した。




 群青の空の下、まるで近世の城郭を思わせる自由都市ズールの城門を潜ると、入ってすぐの左手に木製の競り台が立てられていた。十数人の男たちが囲んでいる競り台の上には、鎖を首につけられた半裸の若い女性が佇んでいて、少女はドン引きした。


「17歳です。バーチの川辺の農家からやってきました。基本的な読み書き計算は習いました。子供を産んだことはありません」女の人がまるで商品の説明をするかのように自己紹介をし始めた。少女はさらにドン引きした。


 衝撃的な光景に少女は言葉も出なかった。競り台を指差しながら傍らのお姉さんに振り向くと、掌で目隠しされた。

「ハイ、あまりじろじろ見ない。おのぼりさんだとバレると、かどわかされるからね」とお姉さんが忠告する。

「こ、これが都会の洗礼か」

「なに言ってるのさ」

「んあ……」

「どうしても見たいなら、腕組みして、こんなん見慣れてますよって振りをする。周囲を取り囲んで値踏みしてるおっさんたちみたいな態度で、ちょっと離れて眺める感じで……」

 お姉さんの言葉を聞いた少女は、少しだけ落ち着きを取り戻した。

「い、いあ。そこまで見たいわけじゃない、です。びっくりしただけ。奴隷って此処でも売ってんだって……」

「あー、うん。奴隷は奴隷だけど……」

 妙に言い難そうに言葉を濁してお姉さんが手を離した。


 喧騒はさほどではないにしろ、城門にはいまも農夫たちや羊を連れた牧童、旅人や傭兵めいた人々が出入りしており、競り台付近に屯した人々は、隅でコソコソと囁きあう少女たちに注目してくる様子もない。


 競り台の上では、若い女性が言葉を続けていた。

略奪者レイダーの襲撃で収穫が駄目ンなりました。家族を助けたいんです。出来るだけ高く買ってください。頑張ります」

 女性の傍らに背の高い青年が進み出ると、声を張り上げた。

「さあ、この若く健気な娘の為に、旦那方は幾ら出せる?病気もないよ、健康で働き者!」

 売り込んでくる青年に対し、取り囲んだ人混みから陽気な声が飛んだ。

「おっと、質問タイムがまだだぜ。ドゼー」 

 そこから買い手たちの質問が投げかけられる。

「読み書き計算はどの程度出来る?」「家畜の世話は出来るか?豚は?」「レンガ造り手伝ったことは?」「陶器焼けるか?」

 競り台の上の娘は、質問に一つ、一つと答えていく。競り台の真横で椅子に座っていた男。丁寧なつくりの服を着て、首に輝くペンダントをつけた男が、ペンで紙に何やら記載していた。


 競り市の様子を眺めながら、お姉さんが淡々と説明してくれた。

「……このあたりだと、ズールはいちばんに大きな町だから、暮らしに困った人が身売りしにくるんだ」

「……身売り」

「ただ、大半は合法的な奴隷だけど、中には浚われてきて奴隷にされた人もいる」


 しばらく無言で歩き続けて、大通りを見下ろす巨塔の前で少女はつぶやいた。

「……恐いねぇ」

 文明崩壊後の技術で建てられたと思しき石塔が少し傾いてる。崩れてこないだろうか?

「恐いよ」

 お姉さんは深々と頷いた。

「この町の奴隷の扱いはマシな方だと思うけど……だからと言って、いざ奴隷にされちゃったら、後から浚われたとか、無理やりだったと訴えても殆んど無駄だからね」

 少女を背中から抱き寄せて、柔らかな髪の毛に顔をうずめた。

「用心しないと駄目……大きな町だと何処でも人攫いがいるから」


「さっき、かどわかされるって」少女は誤解を訂正せず、会話を続行する。

「表通りなら大丈夫。明るいうちに、あまり裏通りとか、防壁の外とかを出歩かなければ……」お姉さんは、陰鬱そうな表情で首を振ってから説明を続けた。

「町の住人だと、よそ者とかにかどわかされて、他所の市に連れていかれて売られる。よそ者の奴隷は、よその町で浚われて、町に連れてこられて売られる」

 隙を生じぬ奴隷売買サイクルの完成であった。洒落にならない話を聞かされた少女は、あうあー、と意味不明な喘ぎ声を漏らした。

「奴隷制は、お嫌い?」とお姉さん。

「昔、奴隷狩りに追っかけ廻されたので、奴隷商人は嫌い」

 少女の苦々しい言葉に、お姉さんはうんと相槌を打っている。

「自分が奴隷にされるのも恐い。でも、奴隷にならないと食べていけない人もいるみたいだし」広がる町並みを眺めながら、少女はため息をついた。

 町の生活にも廃墟のそれとは異なる危険が付きまとうようだ。それも覚悟していた。崩壊世界に楽な人生はないだろうけれど、幸せな人生は築けると少女は信じたかった。

 

 

「治安は良くないけど、この町は保安官とか大分まともな方です」

 単独行動しなければ、早々に酷い事にはならないとお姉さんは告げた。

「保安官がまともなのに、治安良くない?」と少女。

 言外に矛盾を指摘すると、お姉さんが肩を竦めた。

「人数少ないから。主に予算の関係で」

「ああ、うん」

 街路をのんびりと歩きながら、怪物の気配がまるでない事に違和感を覚えて少女は時々、足を止めて考え込み、それから、またのんびりと歩いた。多少、治安が悪くとも、やはり廃墟の危険さとは比べ物にならない。目に映る景色を楽しむ余裕さえあった。


 家の軒先のベンチに楽器などを演奏したり、飲み物を飲んで楽しむ家族や昼寝などしてる人々を見て、それで、自分が本当に廃墟を離れたのだと言う奇妙な感慨を少女に覚えさせる。


 ズールの門櫓には、重機銃の傍らで双眼鏡を構えた警備兵たちが見張りを行っていた。鉄の扉と合わせてあれほどの防備であれば、略奪者レイダーや怪物の群れにも容易くは破られまいという安心感と、それでも数多の都市が怪物の襲撃によって滅びているという事実が、どうにも眼前の光景を浮世離れして感じさせていた。


 せっかく安全な居留地へたどり着いたのに、誰かの悪意で少女が餌食にされても面白くない。なのでズールで注意すべき事項について、お姉さんは一通り説明しておくつもりだと言う。

「商人たちの商会連と密輸業者たちの同盟が町を仕切ってる。で、警備兵たちは拠点を守っていて、担当区域を巡回する感じ。農場持ちも私兵抱えてお大尽してるけど基本、身内しか守らない」

「有力者の寄り合い?」端的にまとめた少女も、はしゃぎ過ぎずに冷静に聞いてるようだ。お姉さんがちょっと感心して首を傾げた。

「で、担当区域外は、あまり治安がよろしくないです。とは言え、住人たちも武装してるし、街路ごとに小さな自警団みたいなのが……」と言って、指さした。

 屋根が半ば崩れた廃墟めいた家屋から、しかし、複数名の男女が鉄パイプやクロスボウ、銃を携えて屯っており、通り過ぎる人たちに鋭い視線を送っていた。剣呑な雰囲気に息を呑んで、それからくすくすと少女は笑った。怪物がいない土地なら、もっとゆっくりと暮らしていると思い込んでいた。どうにも人間とは何かと争わずにはいられない生き物らしいとおかしくなった。


「すると……よそ者が狙われやすい?」

 通り過ぎる人々の大半が、上は軍用アサルトライフルから、下は木製の杖程度とは言え、歩いている人々の大半がなにかしらの武装をしている事に少女も気づいていた。

「町の北が商会連。南は同盟が取り仕切ってる。意外と危ないのは城門付近かな。略奪者レイダーやらも物資を買い付けに来るから時々、銃撃戦なんかも起こる。賞金稼ぎが襲撃しかけたり、略奪者レイダーがよそ者の商人を襲ったり」

 お姉さんの説明を受けて、少女はしみじみとつぶやいた。

「物騒だねぇ」


 やがて、二人がたどり着いた広場は閑散としていた。見たところ、疎らに露店や屋台が開かれ、商品が並んでいる。

 まず目立つのは、入り口付近の鍛冶屋。ふいごを動かすたびに炉の炎が激しく揺れていた。刀剣。アーマーにヘルメット。銃にナイフから全身鎧まで売ってる。

 麦や米を天秤で量り売りしてる屋台。瓶詰の塩や香辛料を並べた店。野菜が並んで、夫婦らしき農民が呼び込みをしてる露店。包帯や薬品が並んだ金網の屋台。数台のバイクと部品が並んでる横では、簡素な厩が立てられ牛や馬、豚にヤギが忙しなく鳴いていた。


 穏やかに商談している姿もあり、また暇そうに腰掛けてる商人たちもいたり、ぽつぽつと集まっては、交渉したり、或いはただ歓談したり、お茶を楽しんでる者らもいた。

 市場の規模としては、さほど大きいものではないが、それでも見慣れぬ少女にとっては、凄い数の人出に興味深そうに目を輝かせて見入っていた。

「へぇぇ、わぁぁ、こんな数の生きてる人がいるとこ。初めて見た」

「生きてる人?」とお姉さん。

「ゾンビだと街路埋め尽くすの、見たことある」

 急に真顔になった少女が続けた。

「ヤバかった」

「うん」


 市場の隅から隅まで、少女の気が済むまで歩き回った。三十分でも一時間でも延々と回り続けて飽きることなく眺めつづけていたが、お姉さんは平然とそれに付き合った。



 実際のところ、危険な廃墟から生きて還れた直後のお姉さんは、生きてるだけで喜びを覚える穏やかな心持になっていた。いずれ心の鋭敏さや野心を取り戻すとしても、それは休養を取って、麻痺した心の一部がもっと柔軟になってからの事になるだろう。

 友人と一緒に散歩する満足感に浸りながら、会話を行って知識の擦り合わせや少女の感性、思考形態などを把握しようと努めていた。別に利用しようと目論んでる訳ではなく、長く付き合いたい相手の好悪や得手不得手を把握しておきたいとお姉さんは考えている。


「市場は毎日、開いてるけど。建築資材に食べ物や水なんかの消費財は、大半が実は買う人が決まってる。需要と供給で」とお姉さん。

 人口の少ない町となると三日に一度であったり、週に一度開かれる定期市となる。小さな居留地では、行商人が来た時だけ人が集まるのも珍しくない。

 ふんふんと、感心した様子で頷いていた少女だが、彷徨っていた視線が美味しそうな焼き菓子の上で停止した。お姉さんが二つ買って銀の貨幣で支払った。少女に一つ寄越してから二人でベンチに座って、ゆっくりと味わう。

「よそ者でも、余り物は買える。余り物だけだけど……」

 お姉さんの説明は、経済に拠った解説が多かった。分かりやすく嚙み砕いてくれるが、少女も退屈した様子は見せない。確かに品揃えと言い、市場の規模と言い、想像していた通りに面白く、興味は尽きなかった。


「面白いねぇ、楽しいし」ベンチに腰掛けて休息する。

「それは良かった。うん、本当に……」とお姉さん。

 満足げにため息をついた少女が、お姉さんに寄り掛かった。

 しばしの時間が流れる。冷たい果汁水を買い求めて、啜りながら市場を眺めていると、広場の片隅。食べ物の屋台の足元で、小動物がすばしっこく鼠を捕まえているのに気づいた。

「わ……猫」

 つぶやきに鼠を加えた猫は一瞬だけ振り返って少女を眺め、それから街路の脇を通って雑踏の彼方へと消えていった。

「……来てよかった」


 特に為すこともなくのんびりと市場を眺めていたが、お姉さんがぽつりと呟いた。

「さて、そろそろ行くか。気は進まないけど、絞られてくるよ」

 広場に面した古い建築物の一つ。亀裂の走ったビルの下部に、石造りとレンガで新しく増築された居住区が融合した建築物に向かって歩き出した。

「商会連の建物。オーの商会もあそこに事務所を置いてる」お姉さんが告げた。

「……絞られる?」訝しげに少女が言った。

「悪い知らせをもたらした人物が責められることは、古来からしばしばあるね」

 文明の崩壊は、モラルや法律に関しても深刻な後退をもたらしている。

 孤立した小さな居留地など、有力者が白と言えば黒も白となるし、逆に白が黒となることも珍しくない。ズールはそれよりは随分とマシな土地ではあるが、今のところ、襲撃でたった一人だけ生きて帰ったお姉さんに疑いが掛けられた時、必ずしも法律が守ってくれるとは確信できなかった。

「えぇ……だってあんなに頑張ったのに」少女が言うと、お姉さんは肩を竦める。

 盗賊バンディット略奪者レイダーのスパイが略奪の手引きしたとの話が、少なからずあると説明した。


「オーは人物だったけど、副会頭は曲者で、会計係は小心者。姪御さんはレギンがお気に入りだったし、お孫さんたちもまだ若い。素直に報告したら、拗れるかも……」

 腕組みした少女が考え込んでから、憂鬱そうなお姉さんに提案した。

「……逃げちゃわない?」

「オーには世話になったからね、義理は果たさないと」お姉さんは苦く微笑んだ。

「だけど……」

「でも、まあ、一緒に泥船で沈む程ではないかな。

 雲行きが怪しくなってきたら、雲隠れするけど一緒に来てくれる?」

「もちろん、いいよ。うん。当てはある?」

 少女が問うと、お姉さんはメモを渡した。

「一応ね」

 屈みこんで少女の額にキスしてから

「じゃあ、行ってきますか」

 気を取り直したお姉さんが商業会館へと向かって歩き出して

「いってらっしゃい」そう言って、少女は微笑んだ。




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