終末世界の過ごし方_05 食料品店
門の前でマギーは人目を避けるようにやや深めにフードを被った。或いは、都落ちした姿を知り合いに見られたくないと言う気持ちの表れかもしれない。
巨大な楼門を潜ると、まずは色取り取りの天幕を広げた市場が目に入った。
防壁内に連なる白亜の壁に朱色の屋根の家々から高い建物が顔を出している。商業ギルドや有力な商会、或いは傭兵団などが拠点としている石造りの尖塔や旧文明のビルの頂に、色鮮やかな旗が靡いていた。煌めく文字で優美な紋様が刻印された壁の傍らに漆黒の防弾アーマーを纏った歩哨の佇む姿は、息を呑む程に鮮やかに映えている。傍らのニナも、自由都市の風景にただ見とれていた。
麗しの【ズール】は、相変わらず美しい町だったが、訪れるたびにマギーの思い出にある景色よりも、少しずつ廃墟が増えている気がしてならない。
(何処の町も、人口が少しずつ減ってきているとは聞いたけれども……)
切れ長の目で観察しながら、マギーは憂鬱な気分に襲われた。
遠景では色鮮やかに映る石造りの尖塔も、外壁の色付きタイルが剥がれ落ち、所々の素地を剝き出しにしている。一見して廃屋と分かる荒れ果てた家屋もあれば、壁や屋根が崩れて廃墟と化した建物も見かけられた。崩れかけた集合住宅の壁に走った大きな亀裂から、太った鼠が這い出て街路を駆け抜けていった。
自由都市【ズール】に限らず、何処の居留地に行っても朽ちた廃墟が広がっている光景は珍しくない。自由都市【ズール】でも、人の手が入らぬ建物が、崩れるままにあちらこちらで放置されている。
単に修繕するに人手が廻らないのか、それとも立派な建物を修繕する資材が集められないのか、マギーには分からない。ただ、人が減りつつあるとの話は何処の旅先でも耳にした。
(まだ立て直しは効くはず。人も資材も在る所には在るのだから)
現に壁外にも人が溢れている。そう思いつつも、だからと言って、何かできる身でもない。マギーは、いまや商会の手代ですらなく、ただの渡り人にまで零落した身であった。
社会そのものに衰退の影が忍び寄っているのかも知れない、そんな風に思ってから、マギーは軽く首を横に振った。
(……偉そうだな、わたしも。知ってるのも精々、曠野と近隣の幾つかの町に過ぎないのに)
昔の雇い主であったオーの苦労性が、いつの間にやら感染していたと苦笑を浮かべる。
「離れないでね。治安はそんなに悪くないけど万が一もあるから」
マギーは、隣を歩いていたニナの手を握った。ちょっと戸惑ってから笑ったニナが握り返してきた。掌に伝わってくる熱と柔らかさに、マギーの肚の底から勇気と活力を湧いてくるようだった。
(小娘ひとりが世界を杞憂してなんの意味があるだろう。それより自分とこの娘の為にも、生活を切り開かないといけない)
一方のニナは、多少の戸惑いを覚えていた。以前、見て廻った時とは時間帯が違う為か。前回は賑わいにばかり目を奪われた自由都市の大通りからも、何処か異なる雰囲気が感じ取れた。
二度目に通ったことで大通りにも壊れかけた家や、寂びれた店舗が見かけられるのにニナは気づいたが、街路の交叉する辻から路地に入って、段々と道が細くなるつれて周囲にも陰鬱で危険な空気が漂ってきた。
(裏道かな……壁外の雰囲気よりも荒んでてちょっと恐いな)と改めて道を眺め、広場に面した尖塔の位置から中央市場を通り過ぎてることに気づいた。
「あれ?広場の市には向かわないの?」
ニナの浮かべた疑問に、マギーが掌で広場の方を向いてやや曖昧に口を濁した。
「ああ、うん」
それでニナは納得した。きっと顔見知りに在って、根掘り葉掘り聞かれたくないのだろう。二人の出会いとなった一件だが、マギーは幾人も仲間を失った。きっと一連の出来事をまだ消化しきれていないに違いない。
強力な待ち伏せにあって壊滅した隊商で、ただ一人の幸運な生き残り。或いは……と勘繰るものもいる。マギーに後ろ暗い処はないが、他人がそう見るかはまったく別の話だった。
マギーが裏切り者でないことを、ニナはよく知っている。その場に居合わせたからだ。生き残ったのがむしろ紙一重で、五分五分で命を落としても不思議がなかったほどの追撃を切り抜けたのだが、知らないものたちにそれが分かる筈もない。
都雀と言うものは、常に好き勝手に他人の噂を囀るものだ。そして多分、マギーは酷く傷ついた。厭世的になって、何もかも捨てて都落ちしても無理もない。
それはマギーにとっては、甚だ不運だったかもしれない。
けれども……と、ニナは繋いだ手を強く握った。口が裂けても言えないが、同時にマギーと一緒に暮らせることは、ニナにとって望外の幸運だった。と思うのだった。
「……壁外の市は、治安良くないし、なにより物々交換が多い」
街路をのんびりと歩きながら、マギーは市内の商業事情を説明してくれた。
「出来れば、商業ギルドの通貨が欲しいんだけど。無理なら、ズール札でも構わない。この都市が発行していて近隣でも一応は使える。
商会手形は、よほどの大手商会以外、市内でも割り引かれるから出来るだけ避けたい」
ふんふん。とメモを取りつつ、ニナは頷いていた。が、実はよく分かってない。
そこはお互いに得手不得手があるので、マギーも一発で理解されるとは考えておらず、おいおい理解すればいいと長期戦の構えだった。
「……信用の大きな通貨ほど、贋札も多いから注意してね。大きな金額の紙幣は受け取らない。盗まれたり、贋札だった時に被害が大きいから」とマギー。
「大変だね」とどこか他人事のような感想をニナは漏らした。
「なので、今回は、知り合いの店に当たってみようと」
「あ、なる」ニナは、マギーの背嚢に詰まっている麦に視線を向ける。
「……幾らで売れるかなぁ」とニナ。
「百は固いと思うけれど、さほど期待しない方がいい」
マギーの言葉に納得し、知り合いのお店に行くのかな、と気軽に考えていたニナだが、細い路地に踏み込んだあたりで、段々と辺りの空気が変わってきた。
その一角には路傍や空き地に小さな天幕を張って暮らしている人々が屯っていて、肉を焼いている匂いが漂ってくる。大人たちや薄暗い裏通りの細い路地にたたずむ子供たちが闇の中から投げかけてくる暗い眼差しにニナは軽い不安を覚えたが、マギーが強く手を握ってきたので強張りつつも笑みを浮かべた。
一帯を通り抜けると、街路は再び広くなり、行き交う人々の顔にも明るさが戻ってきた。乾燥した街路に日差しを避けながら、男たちが軒先や木の下で寝転んでいる。棒切れに布を張った天幕の下で、昼寝してる幼女を守るように傍らに侍る茶色い大きな犬がのんびりと通り過ぎる人々を眺めていた。
「……壁の内側が必ずしもいい暮らししてるとも限らないんだね」
棒切れを振り回す子供たちが無邪気に笑いながら傍らを駆け抜けていくのを眺めて、ニナは考え込むように呟いた。
マギーにもの問いたげな視線を向けられて、ニナは恥ずかしそうに俯いた。
「こういうしっかりした防壁と警備兵に守られたところでの暮らしってどんなかなって、想像してた。思ってたのとちょっと違うのかな」
「……水」マギーが小さく呟いた。
「水?」
「……先刻、通り過ぎた地域には、水の配給がない。彼らはただの流民で、住人と違って水を安く買うことが出来ないんだ」
飲料水の量が、居留地の養える人数を決める。ズールも、ポレシャも、そこに違いはないとマギーは説明してくれた。
「井戸使えないなら、壁の外の人たちはどうやって……」とニナ。
水の調達手段に疑問をぶつけると、マギーは街中の彼方此方に置かれてる空き樽や塀の上に並んでいる皿などを示した。
「雨水を貯めたり、川から水を運び込んでいる。中にはひそかに井戸を掘ってる者たちもいるかも知れない」
あまり人数が集まらなければ、そうやって騙し騙し生きていけるものなのだと、マギーの言葉に、ニナは深々と嘆息した。
「壁の内側で井戸を使えず、雨水だけでは生きていけない。外から運び込んだ水が頼りになるけど、当然に高くつくのに背に腹は代えられない」
受けた説明を頭の中でまとめたニナだが、どうしても腑に落ちないと呟いた。
「……なんで?」
そんなに苦しい生活をしてまで、壁の内側に拘泥する意味はあるのだろうか。
「壁の内側にいる安心感は、あの人たちにとっては不便な生活と引き換えにしても代え難いものなのかもね……」
人それぞれに欲求は違うのだと、敢えて淡々とマギーは告げた。
壁の内も事情はひどく散文的で、ニナは落胆を隠しきれなかった。うちにあった都市生活への憧れが、今日一日でやや色褪せたのは間違いない。
歩きながら、二人はさらに奥へと向かう。中央広場を南下し、商店の並ぶ一角や、商会の多い区画に入って、隅の方で麦の看板を掲げた木造店舗をマギーが覗き込んだ。
「さて。メイの奴、いるかな?」
扉のベルを鳴らして、店内へと入る。こじんまりとした店内には中央にリンゴやキャベツ、芋などを並べた箱や籠が並べられ、壁際の棚にはお酢やお酒の瓶に、酢漬けした食べ物などが並んでいる。食料品店の窓には鉄格子がはめられており、部屋の奥にはショットガンを抱えた皮鎧の人物が壁際に寄りかかっている。接客していた男性店員も背中に単発の金属パイプ銃を背負い、腰に鉄の警棒を吊るしていた。
最初、入ってきたマギーを胡乱な目で見た男性店員だが、フードを取ると顔を綻ばせ、建物の奥へ向かって声を張り上げた。
「お嬢さん。お客さんですよ」
「……お嬢さんはいませんよー」とやや間延びした返答があった。
「レオーネの使いじゃありません。マギーさんです」と男性店員。
「マギー?」
くせ毛の娘さんが、廊下の奥からひょこっと顔を出した。声を作っていたのだろう。返答の時と変わっている。それから二人を見るとパァッと輝かせ、腕を広げて歩み寄ってくると、マギーの横にいたニナへと抱き着いた。
「可愛い!この娘ください」
「なに言ってんの?」マギーが強い腕で引き離した。
生きてた!と旧友との再会を喜んでくれたくせ毛の娘さんだが、奥の部屋で机を挟んで話し合うも、交渉は思うようには進まなかった。
「……六十?」とマギーが眉根を寄せた。
「うん、六十。うちだとそんなもの」くせ毛の娘さん。
申し訳なさそうに、だが淡々と付け加えた。
「急ぎでないなら、他所に行った方がいいと思う」
麦菓子を貰ったニナだが、緊張感あるピリピリした会話に食が進まなくなってしまった。
マギーは無言を保った。怒ってる様子を見せるでもなく、考え込んでいる。
「別に急ぎではないけど……随分と値切ってくれるね」マギーは少し鋭い目でくせ毛の娘さんを眺めた。
「……怒って席を立つかと思った」とくせ毛の娘さんが言った。
怒らないよ、とマギー姉さんは耳を掻いてから、言葉を続けた。
「ただ、60って、あなた……相場の四分の一じゃないか」
「それ店舗の小売価格。農民たちだと120が相場ってところだよ」と食料品店の娘さん。
「それでも相場の半分でしかない。どういう事」マギーは淡々と述べた。
「別に後ろ暗い品でもないし、切羽詰まってもない。買い叩き過ぎじゃないかな」
くせ毛の娘さんが、手元から書類を取り出した。
「ええ、と。値段の説明するね……まず、売るのに時間が掛かる」
「たった五キロだよ」とマギーだが、食料品店の娘は首を横に振った。
「そう五キロ。農民たちが売る時の価格は、100キロとか200キロのまとめた価格です」
書類を机に置いて、見てと促した。
「これが今年の大手商会の十キロ当たりの買取価格なんだけど……」
一応、関係者以外に見せたら駄目なんだよ、と付け加えながら、くせ毛の娘さんが平気で見せてきた。
「……280……240」マギーが低く呟いた。
壁際で黙って見てたニナは、その数字を脳裏に刻んだ。
「うちだと260とか220。ただ、これは一等級の小麦と二級小麦の価格」
ふん、とマギーが頷いた。
「で、農村と長期契約して、百キロ単位、二百キロ単位で取引してる。
よく分からん麦だと、買うのに10キロ180かな」
すると、確かに五キロ当たり90まで買取価格は落ちる。くせ毛の娘さんがつけた値も少量、かつ等級不明とあれば、妥当な値に落ち着いてきた。
「……きみの店、パン窯を持ってるじゃない」とマギーは言ったが、これは苦し紛れにすぎない。
「君の麦の品質が分からんのに?常連に変なの出せないよ」
くせ毛の娘さんは、持ち込まれた麦を見て、触って、手触りを確かめてから。
「まあ、悪くはない。質としてはポレシャ産のやや古いのと同じくらいか」
ズバリと当ててきた。
それから改めてマギーに向き直ったくせ毛の娘さんは、友人の弱みを指摘してきた。
「それに今、オーが亡くなって、商業免許持ってないでしょう?」
「正規の市場で売れなくても、壁外や闇市なら商売できる」と眉根を寄せたマギーの反論。
「それは、確かに」頷いたくせ毛の娘さんだが、言葉の矛先は緩めなかった。
「でも、商業免許って言ったのは、弱み指摘したんじゃなくて、君の責任が……えっと、責任の所在が分からんです。マギー」
沈黙したマギーに、くせ毛の娘さんは淡々と言葉を続けた。
「それに壁外だと、引き取って売れるまで時間が掛かる。
壁外の市では、量り売りで、100gや200g売るのに一々、値段交渉から始まる。
こういう言い方はあれだけど、貧乏人相手だと五キロ売るにも何時間も掛かったりする」
マギーは、お手上げだといった風に手を上げたが、くせ毛の娘さんはとどめを刺しに来た。
「綺麗な女の子二人で売り子だと、甘く見た浮浪児のかっぱらいやお貰いさん、乞食坊主に巡礼も寄ってくる。飢えた子供を抱えて切羽詰まったお父さんお母さんも出て来るかも知れない。
客層は違うけど、等級外の小麦を売るのに、うちの店でも量り売りして手間暇掛かるのは同じ」
ニナは交渉を打ち切るかも、と思ったが、マギーは、ふぅっとため息を漏らした。くせ毛の娘さんは、そこで掌をマギーに向けて逆手で広げた。
「で、六十は昔のよしみ」
「よしみぃ?」胡散臭げにマギーが唸った。
「60なら私も利益だせるから、幾らでも引き取る。五キロ単位で」
付き合いを継続してもいい、と言外に告げた。
「これからも?」とマギーが辛辣な口調で言った。
「どうせ、農民から90で買ったことにして買い付けに紛れ込ませるんだろ」
「精々80だよ」
くせ毛の娘さんが微笑んだ。
「……親父さんにいいつけるぞ」それがマギーの精々の反撃だった。
不機嫌さを隠しきれないマギーお姉さんに、くせ毛の娘さんは淡々と告げた。
「まあ、壁外で頑張れば、百は稼げるかもね。他の店に行った方がいいかも」
別に断られても構わないし、受けても構わないと思ってる風情で、くせ毛の娘さんはそんなことを宣った。
「……支払いは?」とマギー姉さんの言葉に、くせ毛の娘さんがほほ笑んだ。
「そこは全部ズール紙幣で。流石にギルド通貨は出せない。零細だし」
「……都市紙幣で六十か」考え込んだマギー姉さん。
「……レオーネの店の手入れの時に官憲から庇ってやったのに」ぽつりとつぶやいたそれが、マギー姉さんの最後のあがきだったらしい。
「君には負ける。随分と楽しんだろ。あの夜……」くせ毛娘さん。
「分かったよ。六十で」マギーは不機嫌そうに相手の言葉を遮った。
(……随分と慌てた様子。分かった。六十で?)
言葉を聞き咎めたニナの視線を感じているだろうに、マギーは何も言わなかった。くせ毛娘ももう触れようとしない。
「……なにを楽しんだの?」
ニナの問いかけは無視された。
「うん、今後ともよろしく」くせ毛娘さんが握手を求めて、机越しにマギーに手を伸ばした。
「……よろしくぅ」低い声で呻いたマギー姉さんが、手をぎゅうっと握り返した。
「痛い!潰れるぅ!マギィ?!」
「まあ、悪くない。六十は」
金庫の箱から取り出された紙幣を数え終わり、ゴムに纏めてから内ポケットに仕舞い込んだマギーが呟いた。
ニナが凝視していても、頑なにマギーは先刻の言葉に触れなかった。
「これ以降も引き取ってくれるみたいだし」
明らかにお姉さんの負け惜しみだったが、ニナは何も言わなかった。
その日、食料品の髭の親父が帰宅すると、留守を任せた娘が朗らかに挨拶してきた。
「あ、お父さん。お帰りなさい」
事務所の机に残された茶器に茶菓子を眺めた髭の親父は、マホガニーの衣装掛けにダッフルのコートとベレーを掛けながら娘に尋ねた。
「だれか、客が来てたのか?」
「マギーが来てた。オーのところのマギー」
「ああ、彼女か」髭の親父は、ゆっくりと頷いた。
「生きてて顔を見せに来てくれたの」古い友人との再会がよほどに嬉しかったのだろう。食料品店の娘は大変に上機嫌だった。
「で、それは?」と親父さんは机の上の買い付け伝票と台の上の麦袋を眺めた。
「これは買い付けた麦。5キロだけど、80で調達出来ました」
くせ毛の娘さんが胸を張った。
「ん、80か。もう少し値切るべきだが、悪くないな。ただ五キロか。もう少し調達できんかね」
「このご時世だし……」娘さんは肩を竦めて、親父さんも額をつるりと撫でた。
「……何処も食料不足か。まあ、小さい商売からコツコツとな」
頷いてる親父さんに、娘は笑顔を向けた。
「それで悪いけど、先に手数料貰える?代理人やらへの支払いもあるし」
「仕方ない奴だ。多少の現金は手元においておけと何時も……」
札入れを取り出した親父さんだが、ふと気づいて途中で手を止めると娘を睨んだ。
「支払いとは、まさか、もうレオーネの店には行っておらんだろうな?」
「……まさかぁ、もう賭博はコリゴリだよぅ」




