廃墟の子_20 廃墟の歩き方
【住宅街】全域がどの程度の面積を持つかは、少女も正確には知らない。土手や高架に遮られて全域を見渡すのは難しく、歩測で測ろうにも、町を横断するような幹線道路はゾンビの群れや巨大蟻などの怪物が文字通りに巣食っている。高所から見回してみた際に、おおよそ十キロ四方ではないかと辺りをつけてみたが、もう少し大きいかもしれない。いずれにしても、街の彼方此方で瓦礫に街路が塞がれ、或いは巨大な亀裂によって分断されている為、少女の手元の知識と器具で、製図やら測量を行うのは残念ながら不可能だった。
それでも少女は、必ず役に立つと考えて高所から幾度となく【住宅街】を観察しては、怪物の分布や街路の状態やらを調べ続けてきた。今のところ、その経験と知識は、今まで役に立ってきたし、今も少女とお姉さんの命を繋いでくれている。
目的地は西の出口と見定めながら、怪物やら瓦礫やらの為に進路はジグザグと曲がりくねり、西に進んだかと思えば、南から東へと戻り、さらに南へと進んでようやく西へと大きく進む。
激しい銃撃戦の直後だからか。それにしても怪物たちの挙動が奇妙に浮きだっていて、普段は使える道のいくつかにも危うさを感じて迂回せざるを得なかった。
判断を誤ったかもしれない。引っ越すのであれば、自宅を知られるリスクを冒しても、中央方面を経由して西口へと進む手もあったのだろうか。
縄張りを守る巨大蟻は常に増して好戦的であり、巨大鼠たちは臆病に穴に閉じこもり、野犬たちが落ち着かなげに咆哮を繰り返している。もっとも警戒すべき変異獣どもの直立する姿を時折、低い建物の屋根に見かけたが、連中が何に対して警戒しているかは、廃墟暮らしの少女にも分からなかった。
ただ、変異獣の群れや巨大蟻が警戒を密にしている以上、その索敵範囲内には入らない方が無難に違いない。
「昨日から今日に掛けて……どうにも怪物たちの動きが違う」
訥々と口にして改めて確信した。激しい銃撃戦のさなかでも、滅多にこうはならない。
静かにやり過ごした筈の怪物たちが、なのに、通り過ぎた後も奇妙に騒ぎ立てる。これでは振り切るのは難しいかも知れない。
だからなんだ、という訳でもない。傍らのお姉さんには分からないようだし、それでも生き残ろうと足掻いていた。不安にさせるべきはないかも知れないけれども、少女も廃墟の異様な気配には心細さと脅えを抱いていた。
追撃者たちと廃墟の異変がどう繋がっているのかは、少女にも分からない。
ただ一刻も早く【住宅街】を離れた方がいいと言う、直感にも似た奇妙な圧迫感だけが段々と強くなってきている。
しかし、明確に害意を持った人間の一党から逃げ続けるのは、かつて体験したことのない苦しく、辛い状況であった。かなりの距離は保っているが、連中は恐れを知らないように怪物の縄張りや近道を突っ切ってくるために、思うほどには距離を引き離せない。追われる恐怖は時間とともに神経を削り続け、それに伴って着実に少女の集中力と判断力を低下させていた。
ゾンビたちが犇めき、変異獣が彷徨い、巨大な蟻たちが巣食い、冷たく妖しい気配の漂う近寄りがたい場所もあって、危険な領域を熟知している筈なのに、見誤って危うく踏み込みそうにもなる。ほぼ休みなく移動し続けるのは初めての経験だった。
廃墟には、確実に危険な場所は存在していても、確実に安全な領域は存在していない。廃墟における基本的な移動速度は、おおよそ時速2キロ半。所々の曲がり角や建物の出入り口で足を止め、様子を窺いながら進むため、実際には、さらに遅くなることもままあった。
少女の経験則に拠れば、低速での移動が最も安全で、さもなくば、時速9キロから12キロのかなり速いペースで移動し続けるしかない。それ以下での移動速度では、周囲を警戒しながら進むには向いておらず、かつ、怪物に気づかれて襲撃も受けやすくなる。
時速12キロの小走り。10分、600秒で2000メートルを走り抜ければ、大概の怪物を振り切れる。ただし、少女であっても、怪物の気配を探るのは困難な上、隠伏もまったく不可能となる為に、体力に加えて、神経もかなり削られがちだった。
つかず離れずで追尾してくる侵入者たちに追われながら、緩い歩調と駆け足を繰り返した少女は、ひどくへばっていた。基本的に粗食の廃墟の民は、瞬発力はあっても、基礎体力に欠けているのだろう。小休止したお姉さんは、見張りながら少女に甘い缶詰を与える。
中々に連中を振り切れないでいる。足跡を追尾しているのか、痕跡を見つけ出しているのか。人間を追跡する技術に関して、追跡者たちはそれなりの水準に達しているようだった。
曠野に巣食う盗賊や放浪者などは、こと人間狩りの腕に関してだけは単純な略奪者や探索を主とする廃墟漁りを上回っている。
複数の分岐路を経由することで追跡者たちをやり過ごした二人は、この間に距離を引き離そうと試みるよりも、休息することを選んだ。距離的な余裕もあるし、なによりも少女の消耗からそうせざるを得なかった。
建物と建物の隙間の細い路地で、飲食店裏口の階段に腰掛けた少女は、さかんに太腿を摩っていた。狭い空間には、怪物が巣食っている事も多いが、路地裏の近くに巨大蟻の巣があって近寄る怪物は滅多にいない。そして巨大蟻であれば、斥候の蟻が接近してきても足で振り切れる。路地の前後から巨大蟻たちに挟み撃ちされる恐れもあるが、お姉さんは小まめに表通りを覗いては、警戒している。
壁を張って音もなく頭上から近寄り、巨大な牙で噛みついてくる巨大蜘蛛も恐ろしいが、数が少ないので割り切って警戒を敢えて減らしている。巨大蟻への注意を怠ってしまうのが、最も危険だと考えたからだ。結局のところ、遭遇頻度の多い怪物を主体に警戒するしかない。
しかし、脅威の頻度としては巨大蟻に大きく譲るとしても、恐怖の対象としては上回るほどに恐ろしい巨大蜘蛛の餌食となるのだけは御免こうむりたい。
牙でバリバリと頭から人間を食べてしまう種類もいれば、一時的な麻痺毒を獲物に打ち込む毒々しい色合いの奴もいて、特に保存食を作る奴は最悪だった。獲物を蜘蛛の糸でぐるぐる巻きの繭にして高い所の巣に吊るすので、犠牲者はどろどろに溶かされながら何か月も眉の中で苦悶の声を上げ続けるのだ。その惨さと言ったら、ゾンビに捕まった仲間もあっさり見捨てるような冷酷非情な密猟者の一団すら態々、貴重な弾薬を使って繭にされた商売敵の廃墟漁りにとどめを刺してやるほどの慈悲を発露すると言えば、想像がつくだろうか。
廃墟漁りどもが実しやかに囁くところでは、マンホールには人間の足を掴んで引きずり込む触手めいた怪物なども生息しているらしいが、そっちは少女も見たことはない。とは言え、一部の廃墟漁りたちがマンホールを恐れるように忌避したり、焼夷弾を投げ込んで快哉を上げた姿は目撃していたので、嫌な話になるが実際に襲撃されたのだろうとも思えた。それにしても、噂で囁かれる怪物たちが全て実在しているならば、【住宅街】は人が一日たりとも生存することが難しい魔境にも思えてくる。
死ぬのが避けられない状況なら苦痛は少ない方がいいのだけれども、どうにもそう都合のよさそうな怪物などはおらず、巨大蟻の肉団子となった犠牲者の断末魔……百戦錬磨と言った態のタフそうな男や意思の強そうな女たちが身も蓋もなく凄まじい苦悶に泣き叫ぶところからするに、廃墟に巣食っている怪物どもは慈悲の心とは無縁のようだ。
判断を誤っただろうか。とも少女は思った。家に閉じ籠っておくべきだったかもしれないし、お姉さんと合流して浮かれていたのは否めない。
ただ、まあ、今は楽しかった。普段の日々は辛くもないが、楽しくもない。ただ生きながらえるだけだ。友だちと一緒に冒険している今の方が喜びがふつふつと湧いてきている。同時に足手纏いには、なりたくないとも思う。
蹲ったまま少女が太腿を摩ってると、気遣わしげにお姉さんが声を掛けた。
「足の痛みは?」
「大丈夫」
何か言いかけたお姉さんだが、金属の棒で地面を叩くような音が響いてきた。巨大蟻が近づいてきてると、素早く壁に寄って、そっと表通りを覗き込んでみる。
ほんの五、六メートル先の街路を、兵隊蟻、と呼ばれる人間大の巨大蟻が通り過ぎていった。
働き蟻と呼ばれる蟻より二回りは巨大で、顎も外殻の厚さも比較にならない。銃弾を撃ち尽くすつもりで戦えば、これ単体には勝てるだろうが、巣の近くで発砲してしまえば、音を聞きつけた蟻の群れが押し寄せてくるだろう。
自力ではどうしようもない状況に緊張を隠せないお姉さんだが、幸い、兵隊蟻は目と鼻の先の獲物たちに気づいた様子もなく、そのまま街路の先へと去っていった。
ホッと安堵の吐息を漏らしたお姉さんが、足音が遠ざかるのを確認してから伏せている少女へと再び話しかけた。
「どこが痛むの?」
「……少し足が痛い。太腿」
今度は素直に答える。恐らく軽い筋肉痛だろう。
「動かないで」少女の足に触れたお姉さんが、張り具合を確かめた。
「……あまり休んでいると追いつかれる。蟻も来るかも」
「それでも、ここなら近づいてくれば見通せるし、逃げ道もある」
言ったお姉さんが、背嚢を下ろして手当てに使えそうなものを探してみる。
「……靴もいいのを探せればよかったんだけど」
再び音が響いた。何か怪鳥めいた甲高い叫び声が、周囲の建物に響き渡って反響を繰り返す。いい兆候とは言えない。二人はじっと動かずに様子を窺った。怪物たちが周囲の様子を探りに動き回る為、隠れた方が無難だろう。とは言え、周囲に隠れ家の準備もなく、安全を確認してない建物に踏み込むのも躊躇われた。
少女は背嚢から取り出した熊の縫いぐるみを抱きしめていたが、やがて囁くようにポツリと言った。
「……足手纏いになるとは思ってなかった」
「まあ、そういう事もあるさね」気楽な口調でお姉さんが応えた。
「お姉さんだけなら、さっさと町から出られるね」と少女。
「……で、君はどうするの?」
「自宅にでも帰るよ。おいてっても良いよ」
「はい、却下」包帯を取り出しながら、お姉さん即答。
少女の足元に屈みこんで、同じ程度の小さな声で応える。
「背負ってでも連れていく」
「気持ちは嬉しいけど、いいのかな。追いつかれるかも」
追撃者たちは銃器だけでなく、かなり大型のクロスボウも有していた。3人一組で行動してのクロスボウの威力であれば、ちょっとした怪物二、三匹にも対処できる。
ひたすら避けるだけの二人とは、状況が異なっている。二人が時間を掛けて迂回する怪物相手でも、場合によっては正面から短時間で突破してくる。
とは言え、地理を理解し、怪物の縄張りや習性に詳しい少女にも強いアドバンテージは存在している。
追ってくるだけの3人組に対して、やり過ごし、或いは距離を保ち続けているのも、けして偶然ではなかった。ただし、先々の危険に対処しながら進んでいる為、体力や精神力も少なからず消耗していた。
何処まで続くだろうか、危惧したお姉さんは心を決めたように告げた。
「迎え撃つ」
少女がハッとして顔を上げた。泣きそうな表情を向けられて、自棄になるのも違うな、と思い直したのか、お姉さんがほほ笑んだ。
「だめなら、日没まで粘る。それで夜陰に乗じて突破する」
廃墟をよく知る少女が沈黙している。無理だと思ってるのかも知れないが、お姉さんも勇気づけるように言葉を続けた。
「出入り口に近づければ、それだけ怪物は減るからね」
お姉さんの考えを吟味してから、少女も頷いた。確かに、出入り口に近い区域まで到達できれば、無謀ではないかも知れない。
「まだ、かなり進む必要はある。だけど、確かに……」
「あいつらにやられるのと怪物にやられるの、どちらにしても同じだよ。
チャンスがある方に賭けよう」
少女の足に包帯を巻きつけ、ゲートル代わりにしてみたお姉さんは具合を尋ねた。
「どうかな?」
「うん」
足の痛みが幾らかは薄れた少女は、びっくりしながら立ち上がった。
「悪くないね。これなら、まだ歩けそう」
追撃者たちは一旦やり過ごしたものの、しつこく追跡してきている。いずれ空振りと気づいて、引き返してくるだろう。
五分程度の僅かな休憩でも、気力はかなり戻ってきて二人は先を急ぐことにした。
体力の消耗を抑えるため、今度は抑えた歩速で進むために会話を交える余裕があった。街路を注意深く進みながらも、どうしても疑問に思う事を少女が口にした。
「あいつら……何者なんだろう。廃墟をそれなりに知ってる。
いきなり攻撃してきて、追ってきている。でも、どうして?」
少女の口にした疑問に、お姉さんも分からない、と首を横に振った。廃墟での追跡など、追う側にとっても、かなりの危険を伴う行為だった。まして二人は、廃墟の民と荷を失った行商人に過ぎない。危険を冒してしつこく追撃してくる動機など分かる筈もなかった。奴隷商人に売るとしても割に合わない、とお姉さんは考えるが、実は奴隷の相場など知らない。少女の方は、美人と美少女だから割に合うのかな、などと少しうぬぼれて考えてみる。
町の西に近づくにつれて怪物が減ってきた。街路を移動するのをやめて、細い路地から細い路地へ。建物の隙間を縫うように進んでいく。
怪物が巣食っているかも知れないので、踏み込む前に地面の状況を調べて、足跡や痕跡を入念に探している。挟み撃ちが一番恐い。出た先にゾンビの群れなどがいるかも知れない。巨大鼠や野犬相手でも怪我を負うのは避けたいが、同時に危険を冒さないと距離を稼げないジレンマに見舞われていた。
「あいつらが何者かは分からない。ただ、捕捉されたら拙いと言うのだけは、分かってる」先を進むお姉さんが、吐き捨てるように言った。
「そうだね」
「出来るだけ、やり過ごそう。夜まで粘る。出入り口近くまで到達出来たら、夜陰に乗じて【住宅街】から離脱する」
「うん」少女が相槌を打った。
最良は、このまま追跡者と距離を保って日没前に【住宅街】から離脱すること。
次善は、日没前に出入り口に到着し、夜陰に乗じて離脱する事。
第三は、連中をやり過ごせそうな隠れ家を何処かに確保すること。
「連中に捕捉されるか、或いは、夜までに目的にたどり着けなかったら……迎え撃つのにいい場所はないかな」
最悪に備えてお姉さんの言葉に、少女が足を止めて何か言いかけた。
「……いざとなったら」
「置いていくのは無し」
怒りの込められた声音に少女は竦みあがった。
見捨てないと言う宣言でありながら、お姉さんの纏う雰囲気はすこし恐かった。
「違うよ」やや強張った声で少女は首を振るう。
一人だけ逃げて、生き延びたとして、つまらない人生だとお姉さんは低く呟いた。
友だちを見捨てて、自分一人だけ逃げ延びるのは御免だった。
「いやだね。もう逃げるのは嫌だ」お姉さんは勝手な独り言のように漏らしてる。
「キャラバンのこと?」少し躊躇して少女が尋ねるも、お姉さんは苦い表情で「ずっと前だよ」とだけ呟いた。
聞かない方がよさそうだと悟って、少女は話題を切り替えた。
「……大きな建物は大抵、怪物の巣窟になってるけど」
頭の中の地図に計画を書き込みながら、少女は言葉を続けた。
「迎え撃つに悪くない場所に幾つか心当たりあるよ。上手くいけば、戦わずにやり過ごせるかもしれない」
ただ、廃墟に関して、連中も素人ではない。巨大建築物の出入口近くに隠れて、中に誘導するような手が通用する手合いとも思えなかった。
少女は思考を加速させる。実際のところ、【住宅街】で大型建造物に踏み込むと言うのは、息を潜めるにしろ、通り抜けるにしろ、すこぶる危険を伴った賭けには違いない。巣食っている怪物の数も、まず十や二十では効かない。ただ、一方で、変異獣の群れとでも上手く嚙み合わせれば、連中とてただでは済まない。
だから、踏み込む対象は吟味しなければならない。踏み込んで、かつ無事に出られる建物となると、ゾンビの巣食った商業ビルや、巨大蟻の巣となった工場跡くらいだろう。変異獣を見かけるショッピングモールは危険すぎる。しかし、怪物が鈍足では、連中にもあっさりと抜けられる恐れがあるし、あまりに強力だと抜ける間もなく此方がやられてしまう。
行くとしたら、ゾンビの巣食った商業ビルの方だろうか。
早歩き程度であれば追いつかれないし、踏み込んで一気に駆け抜ければ、騒音に集結してくるゾンビを時間差で踏み込んでくる追跡者たちに当てることが出来るかも知れない。
「気が進まない程度に危険だけど、真正面から戦うより、生き残れる余地はありそう」
「……ゾンビの巣というのは、危険すぎないかな」とお姉さん。
少女は諦めて正直に告げた。
「あいつら、強いよ」歩きながら告げた少女の懸念は正しく、お姉さんは沈黙した。
「銃が上手い。お姉さんは……」
「撃ち慣れてないのは認める」
残念ながら戦い慣れていないし、複数名での連携など訓練したこともない。
そして本質では、それ以上の差があった。連中は多分に人を殺傷するのを楽しめる性根の持ち主と思えるが、対するお姉さんは出来れば人を傷つけたくない感性の持ち主で、それは少女も同じだった。
悪漢に襲われて、撃つべきと分かっていても一瞬の躊躇を覚えてしまう。こと闘争に関する限り、両者の精神性の違いで、致命的なほどの差が生じかねなかった。
今までは、それでも仲間や状況に助けられて何とか生き残ってきたが、今回ばかりは分からない。自身が主体となって矢面に立つ状況では、一瞬の躊躇が命取りになるかも知れない。
憮然としてお姉さんが告げた瞬間、前方でガタン、と物音が響いた。
少女は凍り付き、回り込まれたかとお姉さんは慌てて銃を構える。
戸口から焦げ茶の無愛想な野犬がのっそりと顔を出し、二人を視認するとそのまま引き返していった。
「……犬か」
固まっていたお姉さんが銃を下ろすと、強張った笑みを浮かべた。
「犬はいるのに、猫は見かけないね」
「猫か。わたしも絵本でしか見たことない」
再び歩き出しながら、どうでも良さそうに少女が呟いた。
「可愛いよ。居留地には結構、うろついてる」
「へぇ」
曲がり角に差し掛かるたびに先の街路を覗き込み、怪物を見かける度に迂回したり、目に入らない範囲の壁や塀、放置された車体を利用して通り過ぎる。
「犬もね。あんな悪そうなのじゃなくて、優しい顔したのがいる」
「……悪そうって。確かにそうだけど」少女がくすくすと笑った。
街路から公園に入り、抜けて西の商業区画に入ってきた。怪物の姿は大分、少なくなっている。二人は無言で足を速めた。ここから先は、早足程度の速度でも滅多に怪物には遭遇せず、襲われても逃げ切ることが出来ると判断して、移動速度を切り替える。
食事を取ったのが正午過ぎ。荷造りをしておよそ2時間半の移動の後に、襲撃を受けた。それから2時間は移動しているから、日没までは残り2時間少し。
粘れれば、なんとかなる。相手も猶予は分かっていて急追してくるかも知れないが、凌ぎ切れる自信はあった。廃墟には、無数の建物が立ち並び、数多の分岐路が存在していて、逃げきるだけならけして不可能ではないと思えた。
危険な領域から脱しなければ、日没まで凌ぎ切れても、その先に訪れる夜の闇を生き残れるとは限らない。夜陰に乗じて逃げ切れるだろうか。




