廃虚の子_13 鉄の棺桶
ジルの部族は、小さな廃村に暮らしている。人が暮らしている村を廃村と呼ぶのは些か妙かもしれないが、放浪者であった数代前の先祖が崩壊前に建てられた廃村を見つけて移り住んでいた。幸いなことに廃村には怪物も幽霊も棲みついておらず、村人たちは貧しいがそれなりに安全な暮らしを手に入れて、今も放浪者たちとの交流は細々と続いていた。
何日か前、部族の暮らしてる廃村の広場で放浪者の一党が戦えるものを募集していたので、ジルは曠野へとやってきた。
仕事は狩りだと聞いていた。村では、あまり立場が強くない。狩りと銃にはそこそこ自信があるので、貴重な現金収入のある仕事につけたのは幸運だと思いながら、集合場所へと訪れると、そこには数十人も武装した男女が屯っていた。
てっきりコヨーテか、巨大鼠、或いは働き蟻相手に勢子でもするのかと思いきや、いきなり銃弾を十五発も支給される。
その時点で猛烈に嫌な予感が立ち込めていたが、ジルには幼い弟と妹がいて前金も受け取っていた。部族の有力者に頼み込んで参加した以上、逃げるに逃げられず、隊商相手の襲撃に参加することとなる。
さらに最悪なことに、隊商には恐ろしい銃の名手がいた。運がよければ、撃つたびに誰かの付近に着弾し、運が悪ければ、被弾した味方の悲鳴が上がっていた。
小便をちびりそうだぜ、と悪態をついていた仲間が額に弾を受けて脳漿をぶちまけた時、実際にジルはちびった。
地面に伏せながら、にっちもさっちもいかなくなって、兎に角、ひたすら怯えながら撃ち返していたら、いつの間にか戦闘も終わって、今度は隊商の生き残りに対する追跡が始まった。
捕まえたら賞金が貰えると言われたが、追いかけないで怒られるのが恐いので、ジルは後から適当についていった。
廃虚で見失ったので拘泥せずに帰還し、頭目のガルフにもよくやったと肩を叩かれた。
金と缶詰でも貰って家に帰れると思ったら、デブと巨漢に引き立てられて、暗い目つきをした陰険そうな男の前に連れていかれた。
幹部を名乗ったレギンと言う男が言うには、ミーシャが生きているかも知れないので、確かめる必要があるとの事だった。
「ミーシャ?」ジルが首を傾げると、レギンは馬鹿を見るような目で眺めて、鼻を鳴らした。
「お前が追いかけていた隊商の構成員だ」そんなの知る訳がない。
「腕利きの狩人だそうだな」
ジルを値踏みするように嫌な目で眺めまわしたレギンに捕まえないと報酬を出さないと脅されたので渋々、ついていくことを了承したが、今度は頭目のガルフに失望したような目で見られ、好きにしろと吐き捨てられた。
どうにも話が違うとようやくジルが気づいたのは、さっさと帰還した他の者たちが金と分配品を受け取っていたからで、ガルフに聞いてみれば、レギンの要望通りに給料は仕事を終えたらタイレルの市場で纏めて払うそうだ。
騙されたような気もするが、デブと巨漢に挟まれては逃げようがない。そうしてジルは、嫌々ながらミーシャの追跡に加わった。
パイプ式クロスボウとパイプ銃。それに弾薬と十数本のボルト。水と食料の入った背嚢。紐が肩に食い込んでいる。
「重た……なんで二つも武器持ってるの?馬鹿じゃないの」
ジルは、ぶちぶちと口の中で呟いている。
(……うへぇ、また骸骨が転がってるよ)
路傍のビルの谷間に白い骨が転がっていた。
この遺跡群に踏み込んで以来、目撃したのは多分、五つ目か、六つ目だが、正確には分からない。
幸いなのは、見かけた白骨の大半が人のものではない事だ。目の前のやつは骨格から見るに四足獣で、恐らく多少変異した巨大鼠と思えた。気になるのは、その狂暴そうな獣の頭蓋骨にさらに大きく嚙み砕いたような痕跡が残されている事だった。
レギンと彼の雇われ兵たちは、下手糞な地図を頼りに【住宅街】の西口からかなりの距離を歩いている。地図はジル自身が手書きしたものだ。
実際にミーシャの追跡に加わっていたのは、随員の中ではジルだけだ。
聞かれたことに応えていると、いつの間にか追跡に加わることになっていた。
さっさと帰還した者たちもいたのに、場を察せないでのんびりしているうちにレギンの手勢に加えられてしまった。ジルは要領が良くなかった。あまり好ましくない流れに巻き込まれているのは分かるが、どうすれば抜けられるのかも分からない。
(……あぁ、逃げ出したい)ジルは、ため息を漏らした。
下手に振舞って殴られたり、怒鳴られたりするのも嫌なので兎に角、事が過ぎ去るまでは大人しく従っている。やり過ごすのだけがジルの知る唯一の処世術だった。
昼過ぎには、目的地にたどり着いた。放浪者たちがミーシャの姿を見失った場所だ。
「ミーシャを見失ったのは、この辺りなんだな」
念を押したレギンに、ジルが頷き返した。
「痕跡がある筈だ」と、レギンは地面に顔を近づけた。
どうやら自分で探すようで、ジルは少しだけ感心した。
犬のように地べたを這いまわるレギンを見て、大男が鼻を鳴らした。
「奴はなにしてるんだ?」
「知らねえ、金を貰えるならどうでもいいぜ」太っちょが唾を吐きながら言った。
顔を地面すれすれまで近づけ、這いまわっていたレギンが呼び掛けた。
「見つけたぞ!」
乾いて色褪せた血液は地面とほぼ同色で、殆んど見分けは付かなかったが、ほんの僅かな痕跡をレギンは見逃さなかったようだ。
「……やっぱり見落としてやがった」
レギンが瓦礫の下を覗き込んだ。瓦礫と地面の隙間に、人間が入り込める程度の窪みが広がっている。排水溝なのか。或いは、地中に配線を埋め込む予定だったのか。いずれにせよ、溝にはべっとりと血が付いていた。
「ここからでは、奥が見えんな。瓦礫の裏に回るか……それにしても、これを見逃した連中はどうしようもない馬鹿だ」
振り返ったレギンが、ジルを睨みつけてくる。
「そんなこと言われても知らんよ」
ジルは呆れたように言い放った。
ふとっちょと巨漢がにやにやと笑い、レギンは表情を歪めて益々、睨んできた。
報酬が後払いでなければ、今すぐにでも逃げ出したい。
或いは、レギンは下に対して高圧的な立ち振る舞いを好む性質なのだろうか。ジルの経験上、この手の狷介な性格の持ち主には下手に出ても碌なことにならない。
瓦礫は行く手を塞ぐようにうず高く積みあがっていたが、少し探せば、街路を遠回りして塞がれた瓦礫の裏手に廻れた。
窪みからは、近くの横穴に向かって血の跡が続いている。
排水溝らしき、真っ暗な横穴をレギンが覗き込んだ。
「ふん。いい度胸してやがる。下水溝に潜り込んだか。それにしても執念深い女だ」
地面に獣の足跡らしき、痕跡も残されているのにジルは気づいた。
血痕は引きずられたとも、這いずったともおぼつかない。
食い残しが見つかれば、手間が省けていいのだけど。ジルはぼんやりと思った。
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お姉さんが曠野へと姿を消した後、少女は折れた槍を拾い上げて、目元を擦った。
(槍は餞別にすればよかった。家から予備を持ってくれば……いや、家で予備をお姉さんに渡しておけば良かったのか。もう、できる限りの準備をしたつもりだったのに……)
鼻の奥がツンとしたが、泣く代わりに貰ったスカーフの匂いをふすふすと嗅いで、少女は気持ちを切り替えた。
お姉さんとは元気で別れたのだから、これ以上に望むことなんてないのだ。
地面に倒れた変異獣を一瞥し、少女はノートと鉛筆を取り出した。
死んだ変異獣は凄まじく醜悪で狂暴そうな外見の化け物だった。
その大きさと体色、特徴などを簡単に書き留めて、お姉さんとの戦闘の経緯と死因も追記する。
後ろ足が逆関節になっている。鳥のように。丁度、中間点。肌はとても硬い。指は長く、節くれだっている。
一分足らずで簡単に要点を取りまとめると、ノートを背嚢へと閉まって、少女は公園を立ち去った。
要件を済ませたからには、これ以上、長居すべきではなかった。
出来るだけ早く、北地域から離れなければならない。
北地域は怪物との遭遇は少ない代わりに、特定の地点は、絶対的な死地と言って過言ではない危険が渦巻いていた。例えば【学校】がそうだし、公園とはす向かいになっている【巨大集合住宅】も恐らくは数百、或いは四桁に迫るゾンビが蠢いている危険な建築物だった。
ゾンビは時折、唐突に縄張りを変更する。先日まで、鉄道の駅に屯していた数千のゾンビが、ある日、突然に百貨店へと移動することがある。死の波は、強く、早く、立ちはだかるもの、途中にあるもの、目的地にあるものを全て打ち破り、踏みにじり、食らい尽くす。そこには何の理由もなく、なんの前兆もない。
【住宅街】に住み着くほど愚かな人間がいるとは信じられないが大昔には、そうした移民が現れたこともあった。彼らは怪物が少なく、立派な建物が残されているという理由で、比較的に安全な【住宅街】の外縁に住み着き、そこで畑を耕したり、家畜を飼って生活を営んだ。数十年が経過し、世代を経て余裕ができると、彼らは怪物を駆除しようと試み、そして死の波が起こって全てが飲み込まれ、以前よりも地獄の住人が増えて物語は終わる。
人間は、けして万物の霊長ではない。特に廃虚においては。
実際に移民たちの作戦行動が【死の波】の発生と関係があったかは分からない。
ただ、手記を残した先祖は、関連付けて考えているようだ。
【死の波】は、理由がなくても起きる。刺激せずとも、突然に数千のゾンビの群れが縄張りを移動する。夜起きるとも、朝起きるとも限らない。
だから、少女は北地域に留まるのは気が進まない。【死の波】が滅多に起きないものだとしても、何時かは絶対に起きて巻き込まれたらほぼ確実に終わる。そして起きる確率が高いのは、南と北だった。
北地域は滅多に来ない場所で、少女も地形に慣れていない。少なくとも西地域のように安全な逃走経路を構築してもいないし、怪物の分布や習性も把握してるとは言い難い。シェルターも、縄梯子も設置していない。
公園に到達するのに思ったよりも時間を喰って、日没までに自宅に帰れるかは怪しいところだが、足を速めれば注意力も散漫となる。
少女は、ゆっくりと確実に進んだ。大通りは視認性が良く危険で、細い通りは何かが潜んでいた場合に奇襲を受けやすく不安を覚える。心のお守りである槍はへし折れていた。
笑える。いつ死ぬかも分からない。何時もの事だ。考えられない。脳の一部が限度を超えた恐怖に占拠されて、思考が鈍っている。なので、使える脳のリソースを目先の事に廻す。怪物の気配を探りながら、一歩一歩を出来るだけ安全に急いで進む。先の事は考えない。焦燥もしない。近くにシェルターがないとしても比較的、北地域寄りの寝床には幾つか心当たりがあった。
西の地平が茜色の燐光に染まるころ、少女は小さなビルの階段の下に潜り込んでいた。廃墟漁りの死体が二つと変異獣の死体が一つ、仲良く転がっている。
変異獣は同族も食べるので、変異獣は骨だけが残されているが、廃墟漁りの死体の方は僅かな腐臭を漂わせているだけだった。内臓は食べられて空っぽだったので、例の甘ったるい強烈な臭いは漂っていない。
夕刻の光の下、ノートの余白に公園で見た変異獣の映像や情報を補完するように書き込んでから、少女は階段の下から這い出た。
多分、安全だろうが、逃げ場がないので階段の下では眠りたくない。
ビルの二階へと音を立てずに進むと、階段脇の扉を開けて中へと入り込む。
更衣室で、ロッカーの一つが横になって床に倒れている。
もうじきに日が沈む。入り口の前に手近なロッカーを移動させてドアを封鎖してから、窓からシーツ性のロープを下ろす。これで一応、出入り口が二カ所。
二階の窓は侵入できず、ドアも封鎖。取りあえず、最低限の安全を確保して、シェルターとしての条件は満たした。冷めた焼きジャガイモと乾燥リンゴを取り出し、口に含んで、ぬるい水で飲みこんだ。
夕食を済ませた頃には、隣接する建物に遮られた日当たりの悪さもあり、窓の光はコンクリートに反射した僅かな青い光が木漏れ日程度に差し込むだけだった。
部屋はほぼ暗闇に包まれており、文目も分かぬ中、手探りでロッカーを探し当てると、薄いシーツを敷いてのそのそと入り込み、棺桶みたいに蓋を半開きにして横になった。
蓋を動かした時に、微かに軋む音がして静寂の廃墟に響き渡った。
トイレは、外で済ませてある。夜の間に扉の前に臭いを嗅ぎつけたゾンビがやってきても、すぐには打ち破られないだろう。ただ、最悪、ぶち破られたら、鉄の棺桶に閉じ込められる事になるかも知れない。
それに窓から逃げられたとしても闇夜の下、不案内な北地域の街並みで、どれほど逃げ切れるかは分からない。変異獣や走るゾンビ、疾走者が近くにいたら、殆んどチャンスはないだろう。
早く家に帰りたいな。明日の朝まで見つかりませんように。夜を無事に越えられるように。それとお姉さんが無事でありますように。
まだ興奮で眠れそうになかったが、兎も角も、自身と友人の無事を神々に祈りながら、少女は眼を閉じた。
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西口付近に戻ったレギン一行は、手近な建物に避難して夜風を凌いでいた。
手斧を持った巨漢、ダグが近くの廃屋から壁を引きはがして運んでくると日が落ちる前に焚火をつけて寝床を整えることが出来た。
芋やパン、肉を焼いてる焚火は、そこらの家具やら廃屋の壁を破壊して焚き付けにしている。【住宅街】でも外縁一帯に骨組みだらけとなった廃屋が目立つのは、廃墟に潜る廃墟漁りや、近隣を通りかかった遊牧民に旅人やらがこうして建材を持ち去っては、暖を取っているからだろう。
辺りに危険がないか見回っていた肥満体の男トニーが戻ってきた。
「金目の物が何か一つくらいあるかと思っていたが、ホントになにもねえな」
銃を肩に当てながら、肩をすくめている。
「金属製の窓枠まで剝がされてやがる」
廃屋は、まだ充分に壁と屋根が残されていたが、窓ガラスは何枚か割れていた。とは言え、さしあたって冷たい夜風を凌ぐには事足りたし、怪物が彷徨う廃墟の大通りに対しても見通しが効いた。
外の様子をそれと無く警戒している黒髪の女、ジルが窓の外に視線を向けながらレギンに質問を投げかけた。
「住宅街で人ひとりをどうやって見つけ出すんだい?」
焚火の傍らで暖かさを味わっていたレギンが、真鍮製のスキットルを大きく呷ってから手の甲で口を拭った。
「明日からは、【住宅街】のもっと深い処を探す」
巨漢のダグが肉と焼いたジャガイモを腹に詰め込めながら唸った。
「そいつが生きてりゃ、ガルフたちがいなくなったことにも気づいてるだろうよ。
俺たちが探してる間に、入れ違いになきゃいいがな」
「出血から見て、奴は深手を負っている。廃墟から出てくれるなら、しめたものさ」
太鼓腹のトニーがでかいげっぷをした。
「他の生き残りがいないとも限らないぜ」
俺の顔を見たのは、オーのおいぼれとミーシャだけだ。レギンはそう思ったが、部下たちに事情は説明しなかった。
「元々、俺の狙いは老いぼれのオーとミーシャさ。
あとは、ミーシャだけ仕留めればおしまいってことだ」
レギンの微笑みを胡散臭そうに眺めていた黒髪のジルが銃の手入れを止めた。
「何日、探すつもり?ずっとは付き合えないよ」
巨漢のダグも、太鼓腹のトニーも、ジルの質問に口を閉じるとレギンを眺めた。二人とも、手元に銃を置いて一瞬たりとも放そうとしない。
内心、レギンは舌打ちする。三人は金で雇っただけの一匹狼だった。オーに銃弾をぶち込んだジルをはじめに少しは腕の立つ連中を雇い入れたが、外界から孤絶した廃墟に滞在していて、全員が短い付き合いで銃を持っている。報酬が後払いな事と、強力な徒党を率いるガルフとの伝手だけがごろつきたちに対するレギンの統率を利かせている。それでも下手に対応を誤れば、連中はレギンを始末して引き返しかねない。
「3日だな。3日探して見つからなかったら、タイレルに引き返す」
仕方なしにレギンが約束すると、ジルは用心深そうにそっと目を細めた。
「……3日ねえ」
雇い兵たちが顔を見合わせていた。どうやら納得したようだ。
ガルフは、タイレルで三日待つと告げた。身内には面倒見のいい男だが、さすがにそれ以上に猶予を与えてくれるとは期待しない方がいい。
できれば五日は欲しかったが、三日あればミーシャを追い詰めるには充分だろう。
ジルが手入れを終えた銃を抱きかかえて、立ち上がった。
「それじゃ、あたし寝るから」窓からも扉からも遠い部屋の隅で毛布に包まり、欠伸をした。
「もうちょっと親睦を深めないか?」太鼓腹を揺らしながらトニーが誘うが、ジルは通りの先を親指で示した。
「話相手が欲しいなら、あっちの通りにかわいい女の子がいたよ」
窓を覗き込んだ巨漢のダグが星明りの下、小さなビルの谷間で踊るように揺れる死んだ娘たちを見出して、低い声で静かに笑った。




