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黄昏のガンダルヴァ  作者: 猫弾正
零章 廃墟の子

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廃墟の子_11 【住宅街】北部


 少女はすんと鼻を鳴らした。

 僅かに開いた窓から朝の澄んだ空気が流れ込んできている。室内の匂いが変化していた。不思議と、空気の質は夜が明ける直前から変化する。


 曙光が微かに窓から差し込んでくると、起き上がって、まずは室内の状態を確認する。灰色の壁は安全、扉も、蓋も、窓にも異常はなし。

 窓の横合いに立ち、カーテンの隙間からそっと庭を観察するが、ゾンビも変異獣も庭には入り込んでいない。よし!


 今日も湿気はない。しばらく雨も降りそうになかった。乾燥してる土地故に身体が臭くならないのは助かるが、たまには贅沢に雨のシャワーを浴びたりしたい。


 裏手の公園には、池の傍らに野生動物や変異獣が住み着いていた。水の入手には困らないが、同時に危険も伴う。綺麗な水を作るには手間暇もかかるので、濡れたティッシュやタオルで体を拭くのに留めている。


「おはよう、今日も晴れだよ。いい加減雨降って欲しいよね」

 洗面所に置いた熊のヌイグルミに延々と話しかけ続ける。

 多分、廃墟に孤独な一人暮らしで頭がおかしくなりかけてるのだろう。

 だが、狂人は自分が狂っているとは認識しない。わたしは自分が狂ってると知ってるので狂人ではないのだ。と少女は認識している。


 少ない水で歯を磨き、うがいをして顔を拭いた。新しい歯ブラシが欲しいが、中々に見つからない。塩も欲しい。洗剤に石鹼も。蝋燭。乾電池。トイレットペーパーは見つからないだろうから、柔らかな葉っぱを貯めておく必要があった。

 逃げ道を増やす為のロープ。窓や扉を補強するための釘に木材。新しい槍も作っておきたい。拾った金属片を何か使えないだろうか。薪も取ってこないと。生きる為の贅沢を言ったら限がない。


 今日すべきことはなんだろう。ぼんやりした頭で考える。

 畑の見回りと、縄張りの怪物の痕跡の調査。水を汲んで、あとはトイレ用に葉っぱを集める。洗濯もしないと。服が臭くなるとゾンビや変異獣に嗅ぎつけられる。

 たまに一儲けを目論んで廃墟に乗り込んでくる略奪者や放浪民の集団が、あっという間に敗走するのは、きっと臭いからだろうと少女は決めつけている。

 汗と垢の染み込んだ衣服から据えた悪臭なんて漂わせていれば、少女さえも一つ離れた通りから気づくほどだ。変異獣なら、百メートル先から嗅ぎつけたって不思議はない。


 寝床から突然、唸り声が聞こえた。お姉さんが魘されているようだ。

 少女は猫のような目で客人をじっと見つめた。

 仲間たちの突然の死に加えて、廃墟暮らしはやはり慣れない人間の神経にはきついようだ。

(……入り口の包囲がもう少し弱まるといいんだけどな)

 最近は、二人一緒に寝ている。寒いし、お互いの体温は心地よくて安心する。もとより劣情に類するような感覚ではなく、猫や犬が身を寄せ合うようなものだ。


 お姉さんが半身を起こした。まだ薄暗い部屋を見回し、少女を見つけると腕を引っ張って抱きすくめる。寝ころんだまま少女の匂いをくんくんと嗅ぐと落ち着きを取り戻し、再び寝息を立て始めた。

 天井を見上げなら、少女は考えこんだ。

(不安なのかな?抱きしめられるのは吝かでもないけれど……早くしないと気持ちが持たないかも)

 今日中にももう一度、放浪者たちの包囲を確認しておく必要があるだろう。




 自宅から【住宅街】の西側までやってくるのに、少女の足で一時間足らず。普段はもう少しばかり時間がかかるが、西の通りの一部をうろつくゾンビたちは、つい昨日、お姉さんのバットによって粉砕されている。

 しばらくは怪物を用心深く避けながら物陰から物陰へと遠回りする必要はないだろう。少なくとも今日と明日の間くらいは。


 よいしょ、と給水塔へと昇った少女は目を瞬いた。

(……誰もいない?)

 放浪者たちが屯していた宿営地が空っぽになっていた。

 焚火の跡に、空となった木箱が僅かに転がっている。


(……どういうことかな、これは)

 給水塔の高い位置から、少女が宿営地近辺に視線を走らせると、奥の方に変異獣の死骸が転がっているのが見えた。

 比較的に小さな変異獣ミュータントとは言え、退けているのは流石というべきか。侮れない火力を持っているようだ。

「……変異獣ミュータントの襲撃を受けて、撤退したのかな」

 と、すると、いかにもありそうな話だった。

(罠……いや、考え過ぎかな)

 油断して出てきたところを叩く、もぐら叩きかとも疑うが、どちらにも確証はない。高い処からしばらく様子を窺っても、動く気配は微塵も感じられなかった。

 或いは、放浪者たちが双眼鏡など所持していて、遠方にて待機しているかも知れない。

 町の四方を見張るには流石に人数が足りないとも思えるが、隊商を襲撃するような輩であれば、盗賊稼業の経験も積んでいるだろう。人の通りそうな街道に監視を配置しつつ、双眼鏡などで視界をカバーしているかも知れない。

 兎に角も、放浪者たちの撤退をお姉さんに知らせるべきか。罠でなければ、脱出のためのこの上ない好機でもあるのだ。

(……ちょっと寂しくなるな)

 思いながら、少女は給水塔の梯子を滑るように降りていった。



 少女が家へと戻った時には、太陽は中天に差し掛かっていた。

「放浪者たちが姿を消した」

 天井の穴から顔だけ出した少女の言に、毛布に包まってまどろんでいたお姉さんは眼を見開いた。

「うん?」

「……宿営地には、変異獣の死体が転がっている。

 多分、襲撃を受けて、早朝の間に撤退したのだと思う」

 意識を無理やりに覚醒させたお姉さんが、勢いよく半身を起こした。

「全員?一人もいない?」

「一人もいない」

 告げた少女が、梯子からしゅるりと器用に床へと降り立ち、無人となった宿営地の様子を話した。

「人の気配も、動くものも見当たらない。積み荷も、毛長牛もいない。

 町の広さを考えると、待ち伏せという線も薄いとは思うけど」

「あったら、その時は仕方ないね」そう告げたお姉さんは、すでに気持ちを固めていたように見えた。

「北から出れる。もし、行くなら、すぐに荷物を纏めて。

 水と食料は用意してある。それに予備の小さな毛布も」

 少女の言に頷いたお姉さんが立ち上がった。どうやら、脱出の時間が訪れたようだ。





------------------------------



 本物の廃墟に足を踏み入れたのは、レギンにとっても初めての経験だった。少なくともこれほどに大規模な廃墟には。空気までが粘りついてくるような感覚を覚えて、レギンは喉を鳴らした。家屋や店舗が延々と連なっている平凡な街並みに見えて、しかし、【住宅街】の浅い処でも、幾人もの廃墟漁り(スカベンジャー)たちが帰らぬ人となっている。


 名にし負う【住宅街】は、熟練した廃墟探索者(スカベンジャー)のチームが、入念な準備を整えてから挑むような危険地帯だった。ところが今、レギンが連れているのは、尻が青い放浪者ワンダラーの若僧たちだった。小僧共はガンマン気取りか。銃を構えながら、楽しげな笑みすら浮かべている者すらいた。




 恐れ知らずというよりは、単に想像力が足りないだけだろうと、レギンは忌々しげに舌打ちした。金を積んで頼み込んだにも拘らず、ガルフは兵隊を融通するのを断った。ゾンビを危なげなく仕留めていた手練の放浪者たちがいれば、廃墟の中でももっと心強かったに違いないが、レギンに雇えたのは結局、徒党にも入れずに一匹オオカミを気取っていた間抜け共だけだった。


 太鼓腹のデブは暑くもないのに汗を吹き出している。痩せた黒髪の女は、神経質に視線を走らせているが、気を張っていると言うより、むしろ脅えているように見えた。

 糸のように細い目をした大男は、のっそりとした動きが頼りがいよりも鈍さを感じさせる。


 ガルフめ。冷たい野郎だ。一方的に利用してやるつもりが思惑を見透かされたとは考えずに、レギンはぶちぶちと口の中で昔馴染みへと文句を続けていたが、その間、雇った三人の若者たちは、呑気にお喋りしながら、彼の背後に続いていた。


「変異獣はよ、見たことがねえ。死んだ奴は別だがな」

 太鼓腹が言うと、大男が拳を突き出した。

「デカい蟻なら見たことがあるぜ。殴り殺してやったがな」

「夜のあれは、不気味だったなぁ。まあ、思ってたより小さかったが」

 黒髪の言葉に、太鼓腹は頷いた。

「廃墟にはよ、あんなのが何匹も潜んでいるそうだ。野良犬やネズミくらいならともかくよ。あの化け物に群れで襲われると思うとぞっとしねえな」


「お前ら、廃墟は初めてか?」

 頼りになりそうもない連中だったが、兎も角もレギンは、こいつらに背中を預けなければならない。隊商のミーシャの痕跡を探して捕まえるか、その死体を見つけるまでは。

「犬やネズミを見ても、迂闊に発砲するなよ。

 動物なら、こちらの人数が多ければ、そう襲ってこない。

 一、二匹ならやり過ごせ」

 言い聞かせると、太鼓腹が聞き返してきた。 

「ミュータントはどうするんだい?レギンさんよ」

「そん時はためらう必要はない」

 レギンは口を歪めて言った。

「連中は、人間を見たら逃げるか、さもなきゃ襲い掛かってくるからな」




------------------------------



 【住宅街】には外界へと通じている街路が幾つかあった。

 少女の知る限りでは、北口に二カ所と東口に一カ所、そして西口に二カ所。無論、他にも外へと通じる街道は存在しているが、安全は保障できない。

 怪物との遭遇が少なく、比較的安全に曠野と往来できる出入口は、その五カ所に限られていた。


 或いは、熟練の廃墟探索者などであれば、少女の知らない他の経路ルートを知っていても不思議ではない。

 しかし、殆んどの廃墟漁り(スカベンジャー)は町に浸入する際に、西口以外を使うことは滅多にない。少女とて、出来れば西口以外の往来は勧めたくなかった。



 昼から夕刻に差し掛かろうという時刻で、少女は足を止めた。

 立ち止まった少女が振り返って、ふんす、と胸を張った。

「学校です」

「学校ですか」

 半ば瓦礫と化した邸宅に身を隠しながら、目の前に広がるのは広大な敷地に建てられた平屋の大型建築物。

「図書室に忍び込みたいけど、ちょっと凄くむりっぽ」

 校庭の金網にゾンビが体当たりして、少女は身体をこわばらせる。

「一応、出入口の一つです。ただし、此処はお姉さんでも難しいと思う」と少女。

 正面の建造物を観察したお姉さんは、絶句して少女を振り返った。

「何十匹もゾンビがいるように見えるんだけど」


 敷地内にも数匹彷徨っているが、ガラス窓越しにおびただしいの人影が校内を蠢いているのが分かった。

「もとは学校だけど……今も生徒たちが居残り勉強してる」と少女。

「転校してクラスメートの一人になるつもりはないよ?」

 お姉さんが疑問を呈すると、少女が頷いた。

「敷地を進むと校庭があって、金網を越えた街路が北の曠野に繋がっているけど、お勧めはしない」

 少女は背嚢から目覚まし時計を取り出した。

「どうしても通りたいなら、お姉さんが校庭の入り口に辿りついたら、反対側でこれを鳴らして引き付けるけど……」

 敷地をうろついているゾンビは兎も角、校庭には馬鹿にならない数が

彷徨っている。

 校庭をうろついてるゾンビと密度を観察してから、首を振った。

 行けなくはないが、他に安全なルートがあるなら無理はしたくない程度に危険な場所だった。

「……却下で」とお姉さん。

「そう。次は公園だけど、知ってる中で多分一番マシと思う」


 それでも町の北区画は、怪物の分布は東や南より薄いのだと少女は説明した。 

 少女が所有する町の歴史を記したパンフレットによれば、北地区は町の人口増加に伴って後から開発された商業地区とのことで、実際に歩けば、町の中心地よりも比較的、大型施設が目立つものの、その他はほぼ変わりない静寂に満ちた街並みが続いている。


 油断できる場所ではないが、かといって用心を怠らねば、危険を回避できる訳でもない。慎重に慎重を重ねて移動していた密猟者たちの徒党が、いきなり湧いた変異獣の群れに襲われ、理不尽に壊滅したのも目撃したことがある。


 廃墟は、深ければ深いほどに危険で、その癖に必ずしも見返りがあるとも限らない。廃墟漁り(スカベンジャー)密猟者ストーカーたちを見てると、他に喰う道がないとしても、割に合わない仕事だと少女は思っていたが、今現在、好き好んで似たような真似をする羽目に陥っていた。


 先導しながら少女は度々、突然に立ち止まっては慎重に曲がり角から様子を窺う。

 そのまま進むこともあれば、来た道を引き返したり、近くの廃屋に隠れて長時間息を潜めたりもした。目の前の公園や通りを無視して民家に入り込むと、壁を越えて隣家に侵入しながら態々、遠回りする事もあり、巧みに回避したのか、幸運に恵まれたのかは分からないが結局、怪物には一度も遭遇しなかった。

 お姉さんには怪物の気配も感じられず、また一度も目撃しなかったので時折、思わぬ処から響いてくる遠吠えや唸り声を耳にしなければ、辺りに怪物がいる事さえ疑わしいと錯覚したかもしれない。


 二人が目的地への公園に着くまで怪物に遭遇しなかったのは、果たして幸運だったのか。


「ここが目的地。公園を真っすぐに通り過ぎれば、町の北側に出られる」

 弾んだ声で、同時に慎重に公園に足を踏み入れてから、すぐに立ち止まって少女は呟いた。

「……しまった」

 少女の視線の先、子供用のそりが転がっているコンクリート型滑り台の上で、灰色の影がのそりと身を起こした。

「……滅多にいないのに、よりによって」

 硬い足取りで後退る少女の表情は、恐怖に強張っていた。

「わあ、こいつ私より大きくないか?」掠れた声で言いながら、お姉さんがバットを構える。

 二足歩行で地面に降りたった灰色の影。トカゲと犬を掛け合わせたような邪悪な外見の変異獣ミュータントが、不快な悪臭を漂わせながら、二人を見つめて鈍く瞳を光らせた。



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