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黄昏のガンダルヴァ  作者: 猫弾正
零章 廃墟の子

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廃墟の子_04 スーパーマーケット


 よろめきながら立ち上がったお姉さんは、『お袋』のマチェットを取り上げると、塀の向こう側へと放り投げた。余裕があったら、あのマチェットは後で拾っておこうとニナは場所を記憶した。


 『お袋』は動かないが、胸が上下しているので生きてはいるようだ。倒れている放浪者ワンダラーを一瞥したお姉さんは、捨てたナイフを拾い上げると、追っ手の気配を伺いつつ、周囲を見回している。


 自分を追っていた悪党さえ殺さなかったのなら、出て行ってもいきなりぶち殺される恐れは低いのではなかろうか、とニナは思った。放置していても、自力で逃げ延びそうだが、他の追っ手も、まだ周囲を探している。


(よし、交渉してみるぞ)


 とは言え、出ていく際には、かなりの緊張を覚えた。人との会話は数年ぶりだし、なにより曠野や廃墟では自力救済が原則だから、見知らぬ相手を警戒するのが当たり前だった。子供とて銃やクロスボウを用いれば、容易く大の男を殺傷できる。曠野では、法律になんの価値もなく、ただ力と良心だけが人の行動を抑する。


 二階の窓べりから手を掛けると、ニナは身軽な猫みたいに廃屋の庭先へと着地した。

 お姉さんは素早く反応し、ニナに対して身構えていた。

 ただ、攻撃はしてこないで、じっと見てくる。

 綺麗な顔、とニナは思った。話しかけないと。なんて話そう。語彙も言葉も浮かばない。ニナは頭が真っ白になった。

「抜け道を知ってる。こっち」

 ぶっきら棒に告げると、向かいの大型雑貨店スーパーマーケットの廃墟へとすたすたと歩いた。

 最悪な対応だと半ば混乱しつつ、他になにも思い浮かばない。ペラペラ喋るのは得意ではないし、と今さら欠点を自覚している。手遅れだ。


 大型雑貨店スーパーマーケットの入り口で、ニナが立ち止まって振り返ると、お姉さんは戸惑った様子を見せて佇んでいた。周囲を見回しているのは、他に廃墟の住人がいないか警戒しているか。或いは、他の逃げ道を探しているのか。



 廃墟の住人は文字通り、地上に残された文明の残骸に巣食った哀れな者たちと見做されていた。今ある居留地には、かつての都市や町の遺構を再利用しているものも多いが、それらの共同体と廃墟は大抵、明確に区別されている。


 と言うのも、廃墟のインフラは大抵、完全に崩壊しており、住人たちは食料以外の生産、或いは調達手段をほぼ持たずに、廃墟にへばりつくように暮らしている。

 廃墟の民は一般的に貧しく、物資に乏しい孤立した暮らしを送っている事が多い。大抵、数人から数家族の比較的に小さな集団が、変異獣ミュータント略奪者レイダーに脅かされながら、他と交流が途絶えた辺鄙な土地で隠れるように生き延びていた。

 放浪者ワンダラー廃墟漁り(スカベンジャー)と同じく、善良なものらもいれば、縄張りに迷い込んだ旅人に集団で襲い掛かって持ち物を奪うような、生きる為になんでもする者たちもいる。一部には、食料不足から忌むべき人喰いの習慣を持つに至った集団もいると囁かれていた。


 とは言え、危険な集団が存在している領域は大抵、それなりに噂となって警告が出回っている。ニナの暮らす【住宅街】は、ゾンビや変異獣ミュータントが巣食う危険な廃墟として知られていたものの危険な人間、或いは集団が暮らしているとの噂は流れていなかった。



 取り合えず、お姉さんはニナが敵ではないと判断したのか。戸惑いを隠しきれないものの、ニナに向かって何か口を開きかけて


「……糞アマぁ」ひび割れた粘っこい呻き声が割り込んできた。


 放浪者ワンダラー『お袋』がゆっくりと起き上がってきた。忌々しげにお姉さんを睨みつけながら、しかし、足元をふらつかせている。


 素早く距離を取ったお姉さんは、銃撃を警戒したのか。低い姿勢で半身に構えていたが、『お袋』がポケットから錠剤を取り出すのを見ると、大きく息を呑んだ。

 不気味なほどに口を大きく開いた『お袋』が、伸ばした舌の上に錠剤を落とした。

 喉を大きく鳴らして嚥下すると『お袋』はお姉さんを睨みつけ「ぶっ殺すぅ」投げかけた声は奇妙に間延びしていたように響き渡った。


 『お袋』の相貌に、左右の腕に太い血管が幾つも浮き上がった。血管は青く変色し、はた目にも分かるほど脈打っている。充血した瞳が赤く染まる。

(……ヤバい)

 たった一つの錠剤に拠って明らかに異常な変化が起きていたが、ニナが危険を察知するのは早かった。

 異常さを感知した瞬間のニナの動作は、ほぼ反射的な反応に近かった。総毛立つ感覚が背筋を這い上るより早く、投擲した手槍が『お袋』の喉を貫いていた。


 お姉さんが目を瞠った。だけど、ニナもビックリした。練習は怠らず、実践も積んでいたが、普段はそこまで精密に命中したりしない。

 5~6メートルも離れた標的の急所を刹那の一瞬で貫くなど、神業過ぎてホントに自分が投げたのかしらん、と疑わざるを得なかった。


 しかし、本当に驚愕するのは此処からだった。

 確かに喉笛を貫いたにも拘わらず、『お袋』は命中した手槍を掴むと、無造作に抜き取った。間違いなく首を貫通している。下手をすれば、脊髄が損傷していてもおかしくない。信じられない激痛に襲われている筈なのに、放浪者ワンダラーはまるで怯んだ様子を見せない。『お袋』の襟元が、流れ落ちる鮮血で真っ赤に染まり、奇妙な事に、そこで初めてニナは自分が手元が留守になってる事に気づいた。

(あ、武器……あ、あ)


 赤い瞳が不死身の怪物のようにニナを射抜き、『お袋』は唸りを上げて少女へと向かって歩き出した。一歩。二歩。獣のような唸り声を立てている。ニナの心臓が割れ鐘の如く、音を立てて脈打っていた。無自覚なうちに手足が震えていたが、止められない。逃げろ、逃げろと意識は訴えているのに、肉食獣の牙を眼前にした草食獣のように恐怖で金縛りとなり、肉体が動かなくなっていた。


 お姉さんが動いた。

「ああ、もうっ!」『お袋』目掛けて歩き出しながら、ジャケットをするりと脱ぐと、相手の視界を遮るように投げつけた。

 『お袋』がジャケットを薙ぎ払う。瞬間、その眼窩にナイフが突き刺さっていた。


 激痛か、或いは怒りか。『お袋』が恐ろしい咆哮を上げた。人間の喉から発したとは思えないほど強烈な怪物めいた雄叫びがびりびりと空気を揺らした。



 ジャケットを投げつけた直後、ほぼ同時にナイフを投擲していたお姉さんは、流れるように間合いを詰め、『お袋』へと左の蹴りを放った。


 鞭のように鋭く速いその蹴りを、だが、『お袋』は信じ難い反応速度であっさりと掴み取った。


 歪んだ笑みを浮かべると、体躯からは考えられない怪力でお姉さんの身体を振り回し、地面へと叩きつける。ぐったりしたお姉さんの体を再び片手で持ち上げ、足を握り潰すかのように万力めいた力で締め上げながら、『お袋』が愉快そうに喉を鳴らした。


 太ももに喰らいつくように乱杭歯を剥いた『お袋』の動作は奇妙にゾンビの特殊個体に似て瞬間、ニナは絶望に表情を引き攣らせた。

(……お姉ちゃんがまた食べられる!)


 ニナが小さく悲鳴を漏らした瞬間、『お袋』に掴まれていたお姉さんが体を捻り、両手を『お袋』の足に絡めた。

「よっ、と」

 不安定な姿勢にも拘わらず、両手で【足場】を確保したお姉さんの跳ね上がった右の踵が『お袋』の眼窩へと叩き込まれた。


 お姉さんの強烈な踵蹴りは愛用のナイフの柄を大きく眼窩へと押し込み、刃が脳幹に到達した『お袋』は大きく痙攣すると、朽ち木のように音を立てて地面へと崩れ落ちた。


「……今度こそ……動かなくなったかな」

 地面に大の字になったお姉さんが疲れた声を漏らした。




 【安売りアダムス1号店】は、地域に密着した皆様の大型の雑貨店(スーパーマーケット)です。壁に貼られた色褪せたチラシには、そんな売り文句と共に常連でにぎわっていたと思しき頃の店内のイラストが描かれていた。

 実際に賑わっていたかどうかは別として現在、諸々の食べ物や日常品などが綺麗に陳列されていたケースは塵に埋もれた残骸と化し、イラストでは清潔で掃除が行き届いた店舗は、食べ残しの残骸と糞尿が至るところに撒き散らされた肉食の大型変異獣(ミュータント)の巣窟へと変わり果てている。


 大きな柱の影に隠れながら、お姉さんは微かな震えを抑えきれなかったが、傍らの廃墟民の少女は、唇に人差し指を当てた仕草ジェスチャーをしながら緊張した様子もなく微笑んでいる。

 二人からほんの五、六歩背後の床では、数頭の変異獣ミュータントが倒れた放浪者の中年女『お袋』のはらわたを貪っている。


 食事中の変異獣ミュータントたちの咀嚼音が耳に入ってくるので、お姉さんは自分がこれから食べられる気がして、まるで生きた心地がしない。中年女がこと切れていることは誰の眼にも明白だったが、建物の外で騒いでいる放浪者たちには納得がいかないようでなにやら騒いでいる。

「お袋!お袋ぉ!」

「まぁ。親子二代揃ってならず者とか碌でもない生き方ね」と少女が囁いた。

 お姉さんが柱の影からそっと覗くと、玄関口で叫んでいた若者をやや年かさの青年が抑え込んでいた。

「やめろ!手遅れだ!」

「離せよ!兄貴!」

 怪物は、音と血の匂いに惹きつけられる。危険な【廃墟】であるにも拘らず、若者が青年に振り返って叫んでいる。

「忘れたのか。俺たちは仲間を見捨てない。それが誓いだ。そう誓った。まして、おふっん……」

 口上途中で横合いから飛び掛かってきたゾンビに首筋に食らいつかれ、若者は大出血しながら地面に倒れ込んだ。大きく悲鳴を上げているが、すぐに途切れた。

 家族二人を立て続けに失った青年を眺めて、少女が小さく吹き出していた。何が可笑しいんだろう。とお姉さんはぼんやり思った。

変異獣ミュータントも偶には役に立つね」

 楽しげにそう口ずさむ少女の横に座り込んでいるが、人が惨たらしくゾンビや変異獣ミュータントに食べられている状況で、まるで楽しんでいるかのような少女もお姉さんにはちょっと恐かった。

(地獄かな、ここ?)

 震えるしかない彼女おねえさんたちの周囲には、見るからに獰猛そうな大型変異獣が数頭うろついて恐ろしいうなり声をあげていた。連中の顎ときたら、人の頭蓋骨でも嚙み砕けそうに凶悪な形状を誇ってる。

 今は玄関で騒いでいる放浪者ワンダラーたちに気を取られているようだが、何時、お姉さんたちに気づいて襲ってくるかも分からない。

「……ゾンビまで出てきた」掠れた声でようやっと囁いたお姉さんの袖を引っ張り、少女が耳元で囁いた。

「ついてきて。裏から出る。普段、屯してる集団ホードが玄関に廻ったなら、手薄になってるはず」


「でも、用心してね。貴女たちが沢山ぶっ放したから、あいつら気が立ってる」

 傍らの少女の楽しそうな囁きに、なんとも言えない微妙な表情を浮かべて心の中で反論する。

(ぶっ放したのは私たちじゃない)

 地面に転がる腐肉と骨を避けながら、瞬時に外の光景を見極めると、少女は低い姿勢で猫のように身軽に壊れた窓から外へと舞い降りた。

(……この子をどの程度、信じていいものかなぁ、あいつらの仲間ってことはなさそうだけど。廃墟民だよね)お姉さんは、それほど優雅にはいかずに壊れた人形みたいにぎこちない動作で謎めいた少女の後に続いた。





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