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終末世界の過ごし方_26 漸減

 南のゴンドラに面した壁内部は、幅の広い三叉路となっている。ベンチが設置され、小さな街路樹が梢を伸ばせる程度の空間が広がっていたが、シエルが逃げ出した時には、幾つもの人間の死体が転がり、津波のような巨大蟻の大群に埋め尽くされる悪夢のような光景が広がっていた。


 今、三叉路には数えるほどの巨大蟻しか見当たらない。度々、外壁から乗り込んできては、すでに屯していた巨大蟻と共に小集団で大路を北か、東へ進んでいくのだが、北からは殆んど戻ってくる様子が無く、時間と共に数を減らしていた。

 それどころか時折、傷だらけの働き蟻や時に兵隊蟻が戻ってきては、よろめきながら壁の向こうへと消えていく有様だ。


 しかし、一方で東から戻ってくる働き蟻は、須らく顎に白い塊を運んでいる。恐らくは、市内の五カ所ある食糧庫のうち、いずれかが破られたに違いない。食料の備蓄は均等ではない。三番倉庫か、五番倉庫が破られていたとしたら、少なくとも備蓄の三割が駄目になっている。それだけでも、ポレシャにとっては途轍もない金銭的損害だった。


 三叉路に近い知人の家の屋上で、水筒で唇を湿らせながらシエルは鼻を鳴らした。

 家の扉は破られて家の中には血だまりだけが広がっていた。お返しという訳ではないが、周辺をうろついていた僅かな巨大蟻たちは、民兵たちとシエルの手によって屍となって転がっている。

(……皮肉だなあ。居留地でもかなり地価の高い一帯だったのに)姿の見えない知人一家がどうなったかはシエルにも分からない。二人の狩人ハンターは干し肉を噛んでいた。家の中にいた働き蟻は始末してあるし、屋上へ通じる蓋は閉めてある。絶対はないにしろ、取りあえずは安全な筈だ。


 最初に蟻の侵入口となった防壁の南側街区では、武装した居住者が屋上から街路を進む巨大蟻を銃撃。これに対し、戦士蟻などの大型は家屋の頑丈な扉を喰い破り、或いは団子状となって屋上まで這い上がって、襲われた居住者に若干名の犠牲が出た。その際、民兵の主力は居住者たちを庇いつつ巨大蟻と交戦。かなりの弾薬を損耗しつつも、引き換えに戦士蟻と兵隊蟻を複数、仕留めている。勿論、働き蟻も多数削っていた。僅かな居住者と引き換えに、元から多くはない戦士蟻を複数仕留めたのは、南の防壁一帯に顔見知りも多く、言い方としても最低ではあるので口には出さないが、良い取引だとシエルは考えた。


 シエルの観察するところ、戦士蟻は十数匹に一体程度の割合に思える。防壁内の家屋の扉は、分厚く頑丈で重たい。六センチ程の木製か。厚みのある金属製。戦士蟻でも木製扉を破壊するには時間が掛かる。

 その後は、再利用可能なクロスボウや即席の罠、バリケードなどを併用して弾幕の損耗を抑えながら、住民が閉じ籠ったバリケードを突破できる大型を失った巨大蟻相手に消極的な交戦を行って、時間を稼ぎつつ損耗を強いていた。

 民兵が採用している戦術は悪くない。働き蟻は脆弱ではあるが大半を占めている。これを削ることで巨大蟻の攻め手を奪った。大型蟻でも短時間で住居を攻略することは出来ず、屋上まで這い上がる為の数に必要な働き蟻は削り続けている。有能な軍人なら、もっといい手を思いつくかもしれないが、シエルの頭脳では民兵はベストを尽くしていると思えた。


 兎に角、民兵がゲリラ戦を上手く行っているのはシエルにも理解できた。

 モンスターパニックの映画では、軍隊は神出鬼没に路地から現れる怪物に翻弄される展開が多いが、少なくともポレシャでは民兵は地の利を活かして有利に戦っていた。或いは、六百発の銃弾が無くてもポレシャは勝てたかも知れない。遮蔽物のない防壁外の農地では巨大蟻の大群に押される一方だったが、勝手知ったる町で迎え撃てば、こうも戦えるものかと感心する。


 いずれにしても居留地ポレシャが態勢を立て直しつつあるのは、シエルにも理解できた。巨大蟻の大群が南防壁を乗り越えた光景には、一瞬、もう終わりかとも諦めかけたが、一つ一つの家屋がトーチカじみた武装と頑丈さを兼ね備えたポレシャの大通りを進むうち、蟻共も数を大きく漸減して突破力を喪失しつつあるようだ。もとより、怪物の侵入に備えて家屋の配置と設計がなされた居留地だけに、長い歳月を掛けて整備してきた防衛計画やらが想定通りの効果を発揮したのは、まことに結構なことだ。


 問題は、巨大蟻どもが居留地から大人しく追い払われるかだ。

 巨大蟻どもがあっさりと片づけられるような生易しい相手とは到底、思えなかった。それとも、惨めな敗走でシエルの心に蟻への恐怖が焼き付いただけだろうか?勿論、買い被りであるならそれも構わない。敵を侮るよりは、恐れ過ぎていた方がずっとマシだ。


 民兵たちと合力して若干の働き蟻を仕留めたが、シエルには戦況も分からなければ、家族や知人の無事を確かめる術もなかった。

 巨大蟻の戦力は尽きたのか。それとも、壁の外に予備兵力が控えているのか。

 近隣の家屋に潜んだ民兵と共に、精々、足止めするつもりだが、大群が流れ込んで来たら手の施しようがない。

 今、シエルの運命は、巨大な嵐に翻弄される木の葉のようなものだった。

「……嫌だな、本当に」と、シエルは苛立ち紛れに舌打ちした。

 東の空はすでに深紫に染まっている。日没が刻々と近づいてきていた。

 シエルは巨大蟻の習性には詳しくない。連中が夜目が効くのか。それとも鳥目なのか。或いは、音や匂いなどで判断しているのか。いずれにしても、夜の帳の下であの怪物どもと戦いたいとは思わない。


 唐突に、階下から音が響いた。心臓が嫌な感じに高鳴った。

「……扉がノックされている?」錯覚ではない。喉が渇いた。

 破られたはずの扉の残骸をノックするなんて、どんな間抜けだろうか。それとも巨大蟻か?この家の住人はもういないが、中に踏み込んできたのか、乱雑な足音が響いた。

 それから、どしん、ばたんと暴れるような物音が響いてきて、すぐに静かになる。 

 階段を昇ってくる軋むような音。シエルが狩猟用ライフルを構えて狙いを定めてると、屋上の蓋がそっと開いて、恐る恐ると顔を出したのはなんとマギーだった。

 互いに一瞬だけ当惑した視線を交えてから、ともかくもマギーの方からシエルを認めて、やあ、と呼びかけてきた。

「どうしてここに?」手を振りながら、マギーはそんなことを問いかけてくる。

「……それはこちらの台詞だよ」シエルは言葉を返した。

「臨時徴用された。松明を配っている。保安官が屋上に松明を灯せってね」松明を掲げながら、マギーはそう言葉を続けた。

「これを屋上で燃やしてくれと。夜に蟻が街路を這いまわるかも知れないから。

 設置する鉄の器具みたいなのまで渡されて。で、屋上に設置します?」

「した方がいいね。すると、包囲は解かれた?」保安官事務所の事についてシエルが聞いてみると、マギーはかぶりを振った。

「まだ。巨大蟻に囲まれながら、喚いて指示してきた。豪胆というか、なんというか。ご丁寧にご指名されたよ」言いながら、松明の束を抱えて屋上へと昇ってきた。

「家の人は……留守のようだね」マギーが婉曲に表現をしつつ、それでも手を働かせて灯りを設置し始めた。マギーが作業に苦戦していると、階段から蟻の首を脇に抱えてニナも顔をのぞかせた。

「ここは危ないよ。下に蟻が入り込んでいた」

「やあ、妹ちゃん。ちゃんと無事だったか」シエルは笑った。

 おまけのニナと、見知らぬ眼帯の娘が娘が階段を昇ってくる。


 マギーは相も変わらず白兵戦であっさりと働き蟻を始末したようだ。前世はゴリラかなにかだったのか?単純に強い。それをただ羨ましく思った。

 きっと働き蟻くらいには、脅える必要すらないのだろう。


 三人は屋上の隅に松明用の鉄製燭台を立てかけてから、ライターを使って火をつけた。作業が終わると、マギーは疲れた様子で屋上の隅へと座り込んだ。

「仕事の途中では?」あっち行って、の意はマギーに通じなかった。

 水筒を傾けつつ、マギーが首を振った。駆け寄ったニナが互い違いに座り込む。

「この家が最後だよ。他の人たちも配っているしね」


 見れば、夜戦に備えているのか。大通りに面した家屋の屋上には次々と松明が灯されていた。民兵も中々どうして打つ手が早い。松明を満載した数台の二輪車カートが家屋の戸口や廃墟に止まっては、松明を運び込んでいるのが見えた。


 眼帯娘は三叉路にいる巨大蟻の群れを見つけて、小さく悲鳴を上げている。

「……逃げなあかん。此処はヤバいて」

 顔を引き攣らせながら、逃げ腰の提案をしてくる。

 屋上の隅から四方に視線を配りながら、マギーは肩を竦めた。

「逃げるって、何処にさ?ポレシャが勝たないと、わたしたち飢え死にだよ」

「蟻に食われて死ぬよりマシやて」眼帯娘は呻いている。


 銃声や蟻の鳴き声が辺りから響いてくる中、居留地に徐々に夜の帳が降りてくる。

 果たして、此処で夜を過ごして朝を迎えられるかは、シエルにも疑問だった。かと言って、何処が安全とも言い切れないのだが。


「連携取れてる?屋根の上から撃ってるね」とニナが大通りを眺めながら呟いた。

「ああ、勝つよ」マギーの言葉に、眼帯娘が噛みついた。

「どこが!?どこが!居留地中に蟻が入り込んでるやん!」

「……さっきから銃声全然減ってないし。むしろ増えている」

 詰め寄ってきた眼帯娘を煩そうに押しのけて、マギーは指摘した。

「ほら、廃墟の二階とか、通りの家とか、屋上に人が出てきて街路の蟻を狙い撃ちにしてる」

 マギーの言葉に、ニナが相槌を打った。

「蟻はあちこちで動けなくなってる。

 屋根に出てるのや、建物の影から街路を狙い撃ちしている人が、見えるだけで十人以上もいるね。クロスボウもかなりでかいのが出てきてる」

 言われた眼帯娘も、目を凝らして市街地を眺め始めた。

「小さい蟻なんて、殆んど全滅じゃないかな。足がはじけ飛んでるよ。

 大きい奴だって上や横から腹とか撃たれたり、ああ、また一匹動かなくなった」

 ニナの指さした先で、投げつけられたレンガが蟻にめり込んだ。

 装甲があっても衝撃は受けるし、度重なる投擲を受けて外殻にひびが入ってたのだろう。

「うわぁ、きもッ」眼帯娘は呟いたが、内容とは裏腹に言葉には安堵の響きがこもってた。

「防壁内に入った奴は時間の問題だね」

 ニナとは反対側を警戒しつつ、マギーもだるそうに呟いていた。

「防壁内の家は全部、頑丈だし。どのお店のテーブルも分厚いでしょう。

 あれは動かして、即席のバリケードに……むしろ、心配なのは路地裏あたりの被害かな」

「はぁ、なるほど」眼帯娘は、感心したようにさかんに頷いていた。


「……マギーは、そう見る?」隣に立ったシエルが問いかけてみると。

「うーん。半分くらい、願望かも知れない」マギーは、しかし、肩を竦めた。

「どっちなん!?」眼帯娘の叫びは無視された。

「勝って欲しいと、勝てるかどうかは、別の話だけど頭が悪いと得てしてそこを混同しがちだから」マギーは気だるい様子でつぶやいた。

 正午からの逃走劇や連戦に、流石に疲労を隠し切れない様子だった。

「……この状況から負けるとしたら、日没後に南口から大量に蟻が乗り込んでくるのが恐いかな。夜陰に乗じて跳梁跋扈されたら流石にマズイ」

 マギーの意見に、シエルはふんふんと頷いた。隊商時代に怪物や賊とやりあっただけあって、マギーの言にはそれなりの重みがあった。

「だから、南口奪還すべきだと思うんだけど。

 保安官事務所をまず解放しないと……おう?」

 言葉を突然、途切れさせたマギーが街路に見入った。

 シエルも視線を向けると、北から二十人ほどの小隊が大通りを近づいてきていた。

「おや、王女さまのお父さんだ」

 訳の分からない独り言を漏らすと、マギーは屋上から身を乗り出した。

「……保安官事務所の解囲に配置されてなかったかしらん?」

 呟きながら、マギーが小部隊に呼びかけた。

「保安官は?!」

「日没前に、南口を奪還しろと!その保安官のお達しだ!」小隊の一人でマスケットを担いだ渡りオーキーが怒鳴った。

「夜襲されるのが恐いと!先手を打って取り返せだそうだ!」


 気だるげなマギーとシエル、その他が見守る中、南口の戦いが始まった。態勢を立て直した民兵でも大型クロスボウの持ち主が幾人も送られてきたようで、身近な巨大蟻からつるべ打ちに仕留めていった。

 働き蟻は勿論、兵隊蟻が混ざっていても強力なクロスボウの斉射を二度、三度と受けてはたまらない。二人の狩人ハンターも混ざって見事な腕前を見せている。

 シエルに同行するよりも怪物へと立ち向かう方が役に立つと、現場で戦っていた議員に交渉して上げた首次第の報奨を約束させた。狩人ハンターたちは、言うだけのことはあって見事に巨大蟻を仕留めている。さしもの兵隊蟻ですら、腹部や横合いから巨大な杭を撃ち込まれては持ちこたえられずに外殻ごとぶち抜かれていた。

 兵隊蟻よりさらに一回り大きな戦士蟻は流石に頑強で、その恐るべき突進は渡り人(オーキー)たちの槍衾を蹴散らし、バリケードをも粉砕しかけたが、周囲に働き蟻や兵隊蟻がいなければ、さしもの威力も空回りしてしまう。民兵とて巨大蟻との戦い方は学んでいた。背後や側面にすばしこく回り込まれて、数十もの矢玉を柔らかな横腹に喰らい続ければ、不沈艦めいたさしもの怪物も遂には力尽きて動かなくなった。勿論、かなりの矢玉を消耗しての勝利だったが、少数相手であればすでに怪我人を出さない程度に、民兵たちは街中での巨大蟻との戦いに習熟しつつあった。


 南防壁からの侵入も上手く防いでいるようだ。民兵たちは敢えて完全に防壁を奪還せずに、大通りにバリケードを設置していた。防壁から侵入してきた巨大蟻を街路に誘い込んでは、巧みに配置した障害物で足止めし、建物の影やバリケードの後ろから横合いや後背を狙い撃ちして次々と仕留めている。そうして南口は、驚くほど呆気なく制圧された。日没までまだ三十分を残していた。


 護衛として狩人ハンターたちを同行させても、もはや意味がない。それよりは南口に置いていった方が居留地の役に立つだろう。元より、見かける巨大蟻の数も随分と減ってきている。

「頑張って稼ぎなさい」別れを告げたシエルは、弾切れになった狩猟用ライフルを壁に立て掛けると、瓦礫に腰掛けた。

「どうにか……勝てるのかな」

 恐ろしく密度の濃い一日だった。遠く西の果てに太陽が沈みつつあったが、シエルはもうそれほど恐怖や不安は覚えなかった。



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