終末世界の過ごし方_21 待ち伏せる。
防壁の外側には、巨大蟻の死骸が幾つも転がっている。それは傭兵たちの奮戦を表していたが、同時に歴戦の傭兵たちですら巨大蟻の侵攻を押しとどめられなかったことを物語っていた。幸いというべきか、歩哨に当たっていた傭兵たちの死体は見当たらない。恐らくは無事に撤退したのだとマギーは思いたかった。
防壁の上に昇ったマギーは、低い姿勢を維持したままに周辺の状況を窺い、そして絶句した。背筋を冷たい悪寒が走り抜ける。
広場に面した頑丈な灰色の建築物。有事の際、もっとも頼りになる筈の保安官事務所が、夥しい数の巨大蟻どもに囲まれていた。巨大蟻どもは事務所に群がってる訳ではない。保安官事務所を中心として、円を描くようにぐるぐると周りをまわり続けている。
巨大蟻どもの一見、奇怪な行動がなにを意味しているのかを行商人時代の経験でマギーは知っていた。連中は手強い獲物を包囲している。だが、マギーにしてもこれほどの規模の蟻の渦を目にするのは初めてだった。
保安官たちは間違いなく奮戦している。保安官事務所の周囲には、十やそこらでは効かない数の巨大蟻の死骸が転がっていた。だが、巨大蟻どもはまるで仲間の死骸を盾にするかのように距離を取って保安官事務所を包囲していた。時折、保安官事務所の中から発砲しているので保安官たちはいまも健在なのだろうが、死んだ巨大蟻が遮蔽物となって、周囲を這いまわりながら様子を窺う巨大蟻たちには銃弾が殆んど届いていない。
「……なんなんだ、あれ」マギーは掠れた声で呟いた。保安官事務所は、まるで陸の孤島だった。出る事も入ることも出来ない。居留地一番の腕利きが揃っており、武器弾薬を備蓄している保安官事務所が無力化されてしまっている。巨大蟻どもは、まるで知能があるかのように嫌な行動を取ってくれるが、いずれにしても、あれでは保安官たちも動きようがない。
他の巨大蟻どもも、好き勝手に広場を這いまわっていた。屋台が破壊され、麦粥と麦の袋に巨大蟻どもが群がっている。食べているのか。いや、口から粘液を出して球形の塊へと作り変えると、蟻どもは顎に挟んで南の路地へと運び出していった。巣へと食べ物を運んでいるのだろうか。
広場に死体が見当たらないのを見て犠牲者は少ないと踏んだマギーだったが、或いは死体はすでに解体、加工されて運ばれたのかも知れない。
居留地を守っていた兵士や勇敢な人々、彼らが守ろうとした子供たちまでが肉団子として女王蟻に供され、巨大蟻の肉体を構成する栄養分となる。自然界の摂理と言えば、それまでではあるが滅茶苦茶に胸糞悪すぎて頭がどうにかなりそうだった。
「連中め……食べ物を求めているのかな?」
自らの言葉にハッとしたマギーは、身を低くしたまま防壁の上を西へと走った。幸い、防壁の上には巨大蟻の姿は見当たらない。
曠野へと面した防壁の西へとあっという間にたどり着くと、マギーは壁外に広がる農地へと視線を走らせる。案の定、危惧した通りに畑がやられていた。
収穫期を目前としたジャガイモ畑の葉に、家畜用の雑穀畑までも、巨大蟻に食い破られた線がジグザグに刻まれていた。かなりの面積が群がる巨大蟻どもによって刈入れられていた。しばし絶句して、ようやく絞り出すようにマギーは呻いたが、意味のある言葉は出なかった。
(落ち着いて……荒らされてるのはジャガイモ畑。それも全滅じゃない。確かに厳しいけど、冬麦の畑は作付けしたばかり。まだ大丈夫なはずだ。多分)
マギーはしゃがみ込んだまま、考え込んでいる。
巨大蟻も、未成熟な冬麦の畑を荒らしはしないだろう。多分。
ポレシャは持ち堪えられるだろうか。分からない。望みはある。
食料はどの程度、備蓄されている?
相応の量なのは確かだが、ジャガイモが無くなって大丈夫だろうか?
仮に巨大蟻を撃退できたとして、収穫が全滅してはもう意味がない。
マギーは脱力したかのように、無言でへたり込んだ。壁上で沈黙したまま、脳裏の一部で考えている。
……持ち金は幾らかを計算していた。勿論、ポレシャ紙幣は除外している。
弱小通貨の紙幣など、発行元の居留地が滅びたら焚きつけにする価値すらない。
手元のギルド通貨とズール通貨。そして売れそうな持ち物を含めても、冬は越せそうにない。今からズールへと駆け込んだとして、冬越え前に住み込みの仕事を探せる見込みはどの程度あるだろうか?
これも望みは薄かった。マギーにはまだ売れるものが残ってるけれども、真っ当な仕事に今から就くには伝手も能力も足りそうにない。
(……目算が狂ったかぁ)マギーは、虚ろな表情で巨大蟻に蹂躙される麦畑を眺めていた。怪物の跳梁を制止すべき武装農民の姿など、西の農地のもはや何処にも確認できない。破られた囲い。折れた麦穂。崩れた納屋。唾液で固めた麦の塊を運ぶ働き蟻の列。農道に若干名の人間と犬が、動く様子もなく転がっている。
ポレシャは安全な居留地の筈だった。
曠野の地には、数百の手下を抱える強力な略奪者の徒党が割拠しており、時に居留地すら滅ぼしてしまうが、ポレシャはそうした【灰の王】や【炎の主】に襲われにくい位置関係と防備を有していた。
さすがのポレシャとて、百人の略奪者に要求されれば、備蓄の一部は明け渡しもする。だが、略奪者もそれ以上は要求しない。ポレシャと戦って強引に麦を奪っても、ポレシャが滅びては二度と麦を入手できない。
かと言って、支配するには自由都市が近すぎた。このような近場に略奪者が大部隊を駐屯させれば、流石に自由都市も放っておかない。かりに商会連の傭兵や、或いは密輸同盟の差し向ける強力な部隊すら撃退したとしても、そうなれば自由都市もなりふり構わずに大規模傭兵団を雇用するか、商業都市同盟などに応援を求めるだろう。或いは、金を詰んで北の軍閥を動かすかも知れない。
だから、ポレシャが大規模な略奪者に攻められることはない。そして、略奪者や放浪者の小規模徒党や食い詰め傭兵、追剥などでは、十人、二十人集まろうともポレシャは落とせないとマギーは踏んでいた。
その他に恐いのは大規模な変異獣の群れくらいだが、ポレシャ近郊では、ここ十年以上も目撃されていない。これは商会連の正式な会報に乗っている怪物の分布情報だから、かなり精度の高い情報として信頼できた。
だから、ポレシャは安全な筈だった。
「蟻……蟻か……蟻の巣別れ」
大規模な巣別れなんて何十年かに一度、運の悪い居留地が襲われる程度で考慮する必要もない筈だった。
はは、とマギーは虚ろな笑い声をあげていた。
「……そんなもの分かるかぁ」マギーの頬を一筋の涙が零れ落ちた。
おのれに降りかかった不幸を二、三分ほどぐしぐしと嘆いたマギーだが、エシディシ式に泣いて気分をすっきりさせると、気力を回復させて立ち上がった。
「さて、まずはニナを見つけ出さないと」
為すべき目標を口にする。気力と共に思考力と行動力、集中力も回復している。二度も三度も出来る手法ではないが、困難の中で弱った気持ちを立て直すには、泣くのも役に立ってくれる。
修羅場を生き延びたとしても、冬を越えられるかは怪しくなってきたが仕方ない。そう、仕方ない、だ。今日をも知れない日々を生きるのは、渡り人に限った話ではない。
それが曠野に生きる人間全ての定めならば、降りかかった困難に立ち向かうのも、また曠野の人間の性だった。
出来る事をしよう。諦めたものから死んでいく。なんなら諦めないでも死ぬし、生き延びて意味があるとも限らない状況だが、兎に角、足掻けるだけ足掻くのだ。
まずは、ニナと合流する。同時にしばらく様子を窺う。駄目そうなら逃げ出す。
……ニナまで見つからなかったら?それはその時に考えればいい。
防壁の外と内側をマギーは交互に観察してみる。どちらにしろ蟻どもは好き勝手に動き回っていた。とは言え、蟻の密度も、当初よりは間違いなく薄くなってはきているのに気づかされる。
農地でも防壁内部でも、武装した民兵や農民たちが命がけの抵抗を見せていた。地の利を得ている民兵を相手にして、巨大蟻の群れとて無傷で済もうはずがない。
ポレシャから響く銃声も大分、減ってきている。弾切れなのか。民兵がやられたのかは分からないが、しかし、少なくとも居住者たちは無抵抗主義者ではないようで、街路を見ればあちらこちらと巨大蟻の死体が目に入ってくる。
巨大蟻の隊列を見てみれば、働き蟻など当初の3割から4割は削られたのではないかと思えるほど、明確に数を減らしていた。例え、ポレシャが陥落するにしても、これならば脱出するのは難しくはあるまい。ポレシャが完全に抵抗力を喪失する前に、なんとしてもニナを見つけ出さないとならなかった。
そう考えながら、慎重に防壁の上を歩き続けるマギーの前方。
「おたすけぇ!」人間の叫び声が、またしても何処からか聞こえてきた。
居留地の南区画。防壁の内側としては比較的に大きな家が多い一角だった。
マギーは立ち上がった。防壁を降りると南へと向かって慎重に街路を進んだ。
悲鳴に釣られたのか。巨大蟻も数匹が悲鳴のあった方へと向かっている。
十字路に出て見れば、巨大蟻に追いかけられ、助けを求めて喚いているのは今朝の雇い主である農家の娘さんだった。走り回っている農家の娘さんの周囲に、次々と巨大蟻が姿を見せる。
「やられてたまるか!このやろ!!」農家の娘さんが石を投げているが、殆んど意味をなさない。逆に引き付けてるかのように巨大蟻たちが娘さんへと迫っていく。
四匹、五匹。囲んでいるのは働き蟻ばかりだが、農家の娘さんは一気に駆け抜ける踏ん切りがつかないのか。及び腰で逃げ惑っているもの、そうしてるうちに包囲の輪が狭まって増々、逃げる好機が小さくなっていく。
(なにやってんの、あの子)マギーは舌打ちする。
流石に助けられない。五匹は無理だ。
農家の娘さんは、汗を掻きながらも逃げ回っているが、一気に離脱すればいいものを視野狭窄に陥ったのか。目の前に蟻が現れるたびに「死にたくない!しにたくなあああ……」など叫んでは走り回ってるものの、捕まるのも時間の問題に見えた。
いよいよ追い詰められて、農家の娘さんは路地の奥へと逃げ込んでいく。
路地へと雪崩れ込もうとする巨大蟻。その最後尾の働き蟻に、マギーは横合いから思い切りバットを叩きつけた。
かなり力を込めたが揺るがず、巨大蟻がマギーへと向き直った。
「……効かないか。そりゃそうだ。鎧着てるようなもんだし」
マギーは呟きながら、襲い掛かってくる働き蟻を躱して、すれ違いざまに足へとバットを叩きつける。
「こちらは折れると。意外と脆いな」
働き蟻の動きが鈍った。怒り狂うかのようにギチギチと顎を鳴らしながら迫ってくるが、マギーは鼻を鳴らした。
動きの鈍った巨大蟻の突進を躱してあっさりと背中に乗ると、途中で拾った肉包丁を首の繋ぎ目に振り下した。
「……倒せない訳じゃない。一対一なら。小さい奴なら。
しかし、でかいのは手に負えない」
引き千切った蟻の首を他の働き蟻の尻へと投げつけながら手招きすると、ジェスチャーを理解した訳でもあるまいが、残り四匹のうち二匹が動きを止め、マギーの方へと向かってきた。
(……ある程度、ばらけたか)
残り二匹。農家の娘さんに向かって、なんとか逃げ切れるといいが。なんて思ってたマギーの視線の先。路地の行き止まりに追い詰められた筈の農家の娘さんは、下ろされた縄梯子からあっさり昇っていた。路地両脇の建物の屋上に伏せていた人影がクロスボウや石。弓矢などを入ってきた働き蟻へと食らわせている。
矢玉を喰らった二匹があっさりと動かなくなると、クロスボウを持った居住者たちが縄梯子で降りてきた。マギーを無言で見つめてくる。
「あっ、はい」マギーが射線に重ならないように脇に避けると、次々と発射されたクロスボウが残り二匹も仕留めた。
「……余計な手出しだったみたいだね」マギーはうなだれてる。
働き蟻相手の白兵戦は、まったく意味のないただの蛮勇だった。
困ったように首を傾げていた農家の娘さんだが、ぎこちなく頷いた。
「いや、あの。驚いた。あんだけあっさり巨大蟻仕留めるのは凄いね」
「すまん、ホント」褒められてもマギーは困るだけだった。
巨大蟻たちが沈黙すると、路地や近くの家から居住者たちが顔を出した。
斧を持った者たちが仕留めた巨大蟻の首を念のために切り取ると、死骸を空き地へと引きずっていった。一体、ここで何匹を始末したのか。小山のように積み上がっているのを見るに、十匹やそこらでは効かないだろう。人間相手では到底、通用しないあからさまな待ち伏せも、虫や獣であれば、必殺の殺し間として機能してくれる。
クロスボウのボルトや矢玉などを回収するもの。屋上の角から街路を見張るもの。再び、屋上での待ち伏せへと戻るもの。
「……中々、入ってこなくなったな」好戦的な口調で呟いている者もいる。
「南防壁を越えてくる奴らは、まだ広場と往来してる」見張りが目を凝らしながら言うが。
「ちょっとおびき寄せるのは無理だよ」下から農家の娘さんが文句をつけた。
居住者たちは意気軒高で、叩きあう軽口も追い詰められた者たちのそれではない。
バリケードで強化された建物の窓からは、息を殺してこちらを見つめている子供や老人の顔が覗いてるだけに全員が戦える意思や能力を有している訳ではなさそうだが、こうしてゲリラ戦などで抵抗している民兵がいるならば、ポレシャもまだ健在にも思えてくる。
民兵たちは、暖かいお茶で身体を温めている。
マギーにも湯気を立てるお茶がブリキ缶で手渡されたので、ありがたく戴いた。
一息つけたマギーは、大事なことを思い出した。
「北口へと、応援を送れませんかね?彼らはまだ頑張ってるんですが」
まずは北口への増援の有無を尋ねてみるが、数人が気まずい顔で顔を見合わせた。
「済まない……打って出るには、人数も弾も足りなくてな」
まあ、無駄とはマギーも分かっていた。逆説的に民兵が集まってゲリラ戦主体に抵抗してる時点で、巨大蟻とまともに戦うだけの戦力はもうないに違いない。
マギーも頷いた。他の渡り人にも助かって欲しいが、マギーにとっての優先事項は、兎も角もニナである。
「……ニナを知らないかな?」マギーが農家の娘さんに尋ねると、首を傾げた。
「子供たちなら、議会じゃないかな」
「……議会?」言われても、マギーにはどの建物か見当つかない。
「一緒に行くよ。弾を貰ってこないと」農家の娘さんは頷いた。
二人は連れ立って歩き出した。幾つかの街路には複数の蟻が列を為して往来しているので、横道へと抜ける。ポレシャは、まだ負けてはいない。巨大蟻の数も随分と減っている。それでも主要な通りを我が物顔で巨大蟻が行進している以上、居留地も制圧されつつあるのだろう。
「ああ、そうだ」歩きながらマギーが農家の娘さんに頷いた。
「生きてて良かった。無事でよかったよ」ともかくもマギーの言葉に農家の娘さんもにやりと笑った。
「そっちもね。まあ、殺しても死にそうにないけど」
西側の防壁沿いに南下すれば、議事堂はすぐであった。
「マギィいいい……」泣き声のニナが突っ込んでくる。
居留地の議事堂までやってきたマギーは、マギーを見るや弾丸のように飛んできたニナを回転しつつしっかりと受け止めた。
「はいはい、いい子いい子」抱きしめて髪を撫でる。
それを見ていたオーバーオールの娘さん。両手を広げてお嬢さんへと駆け寄った。
「お嬢さぁぁん……きぴぃ!」
頭にお嬢さんからの強烈なチョップが下ろされた。
足元へとやってきた犬を抱えた農家の娘さんは、ペットと問答を始める。
「あたしを置いて逃げやがった子がいまーす。どうする?ボス?ん?脱走兵は死刑だって?」
「そりゃ誤解ですぅ」オーバーオールの娘さんは、情けない声で訴えた。
居留地内外の一帯からは今も銃声と人間の悲鳴、呻き声が響いてきている。巨大蟻たちは所かまわず這いまわり、怯えた巨大鼠や野犬が廃墟の巣穴から飛び出して街路を走り回っていた。居住者たちと巨大蟻の戦闘はなおも続いており、勝利の天秤がどちらに傾くかはいまだ不明だったが、ともかくもマギーとニナは再会の喜びを嚙みしめた。




