03_40C ポレシャの風景
マギーとニナは、月に二回から三回。十日から半月に一度の間隔で自由都市での仕入れを行っている。往路に一日、デポを使っての帰路に片道二日。滞在が2~3日で最長一週間近くを費やすこともあり、春から秋までの半分を旅の空と自由都市での滞在に費やしている事になる。
生活が楽になるのと引き換えに、ポレシャでの残余の時間も休養と勉学を除くと遊べる時間は随分と少なくなってしまう。最近の生活でのニナの唯一の不満かも知れない。自由都市で仕入れて、露店で売る品も増えた。
変わった処では武装隊商や武装バスの通行切符など、かっぱらわれないように、チケットあります。と看板に書いて立てかけてある。
他には綺麗な櫛に化粧道具、洗剤、コンドーム、トイレットペーパー、剃刀、鏡、シャベルやバール、レンチにトランペットなど、様々な品をかなり強気の価格で売っている。と言っても、所詮は、蚤の市で入手した中古品ばかりである。
基本的には、かなり強気の値札を付けて販売している。売れなければ売れないで構わない。どうせ土地持ち農家や市民などに持っていけば、誰かしらは買い取ってくれる。間違いなく良い品ではあるし、文明崩壊後の一般居留地は、ソ連崩壊前後の旧共産圏より物資が乏しいのだ。ただ、常連の顧客から顧客へと、防壁内やら郊外の農場まで訪ねて歩き回る手間が省けるので、座ってるだけで売れたら嬉しいなという思惑を抱えながら半日、怠惰に座って、小説を読んで過ごすための言い訳なのだ。
若い男女が露天商ニナちゃんの前で立ち止った。小汚い毛布に並んだコンドームと洗剤には目もくれず、手鏡と櫛に熱心に見入っている。ニナの商品は、かなり値が張る代物が多かった。大抵は市民とか、正規居住者などの懐に余裕のある客層が買っていくのだが、目の前の男女――――恋人だろうか?手を組んだ二人組の、質素で薄汚れた佇まいからは、水にも不足しているのが見て取れた。
色褪せてよれよれになった古着は、渡り人や自由労働者、貧農にとっては、当たり前の服装だが、しかし、その中にも繕っていたり、清潔に保っているかで、相手の経済状況や暮らしぶりは見て取れる。継ぎ接ぎだらけの服は、渡り人などにとって、別に恥じることでもなく、逆に修繕する針と糸、そして布に困らず、針仕事に巧みだという証でもあった。その点からすると、目の前の二人はちょっと失格かも知れない。
繕いもせずに放置されている衣服のほつれや裂け目は、若い男女が、衣服の修繕をする余裕さえ持てないか、或いは怠惰な性質のどちらかを意味している。
(……いや、もしかしたら、小さな集落や小規模居留地から出てきたばかり、という事もあるか)ニナは様々な可能性を考慮しつつ、櫛に見入ってる二人に声を懸けた。
「櫛は、二十都市クレジット。正規ポンドでもいいよ。その場合五かな」価格を告げると、
「……二十」若い女が怯んだような表情を浮かべたが「は、払える」と青年が頷いた。
「でも……」と躊躇する若い女に「だ、大丈夫。ずっと頑張ってるから」と言葉を掛けている。
初々しい姿に心がほっこりするニナだが、残念ながら、若い男が財布から取り出したのは、見たことがない紙幣ばかりであった。
「なにこれ?」と首を傾げるニナ。
「ジ……ジグ・ドルと、バホラ・クレジット。全部で二十ある」若い男は言い張るが、ニナは首を振って受け取り拒否した。「観た事ないお札、売れない」
若者が戸惑ったような表情になり、女がおずおずと口を出してきた。
「でも、他の店はこれで取引してくれた」
ニナからすれば、そんなこと言われでも。である。こうした状況、年下の少女と侮ってか、居丈高になる大人も時々は出てくる。老若男女関係なく、余裕のなさそうな貧乏人や性質の悪い同業者っぽい連中だ。しかし、眼前の二人は意気消沈するだけで、大人しく引き下がろうとしていた。
「最近、来たばかり?」と二人を引き留めてニナは尋ねた。
「バ、バホラから……」と応える青年だが、何処から来たかは、別に聞いてない。
ちょっと考え込んだニナは、世慣れぬ様子の二人組に通貨について説明してやる。
「門前の市場だと使えるのは、ポレシャの正規ポンド……青色のポンド紙幣ね。それか緑のポンド紙幣。食料は買えるけど土地や家、高級品は変えない。あとは門前の銅貨や真鍮の貨幣なんかに、町外れの食糧チケットかな。水チケットだと価値は低い」
商人や場所によって、使える通貨は随分と違ってくる。そして、一般に高級品ほど、高位の……信用の高い通貨での支払いのみを受け付ける。都市や大型居留地では、肉体労働者が日銭を貯めても、豪邸や車を所有することは難しかった。
ポレシャでは子供でも知ってる話だが一方、物々交換と配給で成り立った閉鎖的な居留地、現金の乏しい小さな居留地、特定の下層階級に生まれ育った人間などは、びっくりするほどその手の知識が抜け落ちていることもある。廃墟生まれのニナも、マギーから色々な常識などを教わった。知識は貴重で時には独占すべきだが、一方で、これくらいなら教えても罰は当たるまい。
「兎に角、この紙幣は受け取れないよ」言ったニナに二人組の男女は、見るからに意気消沈してる。
二人を眺めたニナだが、思い切って膝を叩いた。「ようがす。あっしも商人の端くれだ。若いお二人さんの門出に十八クレジットにおまけしやしょう」
「で、でもポレシャの通貨を持ってないんだ」言った若者に対して、少し考えこんでから、ニナは近くの酒場を指さした。
「うーむ。あそこの酒場に飲んだくれてる爺さまが両替屋をやってる。赤いベレー帽を被って、赤い鼻をした爺さまだよ。もし、納得いくレートだったら。うん。他にも両替屋は何人かいるから、探して納得の行ったレートで両替するといいよ」
両替屋について教えてやる。
「もしかしたら、旅の途中かな?それとも、暫くはポレシャで滞在する?滞在なら、手持ちは、幾らかポレシャで使える金に換えておいた方がいい」ニナの忠告に、若い男女は(と言ってもニナよりは大分、年上の様相だが)迷いつつもうなずいた。
「一日の食費がポレシャポンドで1ポンドくらい。それを目途に判断するといいです」ニナが手を振って別れて一時間ほど、小説本を読んでると青年だけが戻ってきた。
「あの……両替してもらったら、随分と減ってしまって、ちょっと買えそうにないんだ」恥ずかしそうに青年が告げた。
赤鼻の爺さんにしては買い叩いたな。それとも買い物でもしてきたかとニナが疑問を出だしていると「どの両替屋も高くは買ってくれないで」と青年が頭を搔いている。複数、両替屋を廻ったようだ。すると、よっぽど小さい居留地か、大分遠い土地の通貨なのか。当たり前の話だが、一般に遠い土地の地域通貨ほど両替レートは低くなってしまう。
「それで……ほかにもう少しだけ安い、贈り物に良さそうな品はないかな」青年が切り出したので「いくら出せるん?」とニナは尋ねた。
「十五……いや、十二」財布を見てから、青年がボソッと呟いた。
(おい?精々、一日分の日当ですよ?)と値切りに眉を顰めかけたニナだが、居留地に来たばかりの頃によくした野良仕事の賃金と、居留地へ来たばかりの自由労働者たちが乏しい手持ちから宿代や食事代を捻出しなければならない事に思い至り、大金だな、と思い直した。
頷いたニナちゃんは、十二クレジットでのお勧め商品を取り出した。
「ここに丁度、十二の櫛がある。さっきの櫛とそっくりだが別物です」
「これ、さっきの……」
「違う。行商人は、二度も、三度も値引きしない」ニナは毅然として言った。
「十二……まあ、居留地通貨の二ポンドと五分の二でいいか」と告げる。青年が何度も頷いて紙幣を取り出し、代金を受け取ったニナは、櫛を手渡した。
※※※※
「と、いうような事がありました。よく分からん通貨で取引しようとする相手が増えてるから、冬にはちょっと注意が必要かな」夕食の支度をしながら、ニナがそう言った。
巨大蟻の巣別れやら、屍者の群れの行進やらと、去年今年が騒がしかった辺土の各地から、比較的に落ち着いているポレシャに人が流れ込んできていた。見慣れぬ通貨や質の悪い贋金、私鋳銭なども流通が増えていて注意が必要だった。
ニナとマギーも、市民や店舗だけを相手にしている訳ではない。氷点下まで冷え込む曠野の冬に、街道を自由都市まで往来しての遠出など自殺行為でしかない。
居留地に閉じ篭る冬の間、まだ寒さの厳しくない日々には、ニナとマギーは、廃墟の市で旅人やら廃墟漁りの持ち寄ったガラクタから掘り出し物を見出しては、転売することで幾らかの稼ぎを得ていた。自由都市を仕入れ先としての行商に比べれば雀の涙ほどとはいえ、それでも仕事の乏しい冬の間に幾らかでも稼げるのはありがたい。
基本的に、廃墟の市では買い専門の立ち位置とは言え、偶には客の求めに応じ、装飾品やら生活必需品を売却することもあった。工業社会で有り触れた洗剤に石鹸、トイレットペーパーも、黄昏の世には、ちょっとした高級品であり、仕入れ値も積み重なれば、意外と馬鹿にならない金額となる。貴重な都市通貨で仕入れた品の対価に、大した価値のない他所の金を混ぜられては、売り手は大損というものだ。
ニナは、マギーと注意事項を話し合いながら、料理の手を動かしていた。一方のマギーは、他人には滅多に見せないノートを開いて使える金、使えない金と現在の相場を改めて整理しているようだ。難しいのは、一般には使いにくい金もけして価値が低い訳ではないことだ。砂漠の民の用いる塩チケットが遊牧民に人気があったり、収穫期に穀物の兌換紙幣が値上がりするなど、時期や場所、相手によって使い道が変化する。遊牧民や鉱夫団が好む品を仕入れやすい金などは、取引相手によっては非常に高い価値を持つこともあった。マギーもいまだ把握しきって無いようで、ノートに書かれる相関図と推測は、時間とともにどんどんと複雑に、そして分厚くなっている。
単なる行商には、大して役に立ちそうもない情報も多く混じっていたが、マギーは情報を集めては蓄積し、ブラッシュアップを繰り返している。きっと、心に期する望みがあるのだろうとニナは推測していた。多分に、隊商主か、店舗持ちを夢見ているのかもしれない。一介の渡り人の小娘には、あまりに遠い夢にも思えるが、しかし、ニナから見ても、マギーにはそれなりの統率力や商才が備わっているように思えた。よほどに大きな蹉跌を経験しなければ、何時かは手が届くかもしれない。
そのマギーだが、ノートにペンを走らせながら首を傾げていた。
「バホラ……バホラ……何処かで聞いたような気がするぞ?」
「覚えてないなら、大したことでもないでしょう。それよりもご飯できました!」ニナが言うと、同居してるトリスに隣人のリリー、お邪魔虫のジーナも含めて、五人で食事を取ることにする。
日没までまだ少しあるが、木の柱にカンテラが掛けられて、淡い光を発していた。ガタガタの木製テーブルに山羊乳のチーズをたっぷり混ぜた卵焼きに、焼き立ての白パン。焼いた鶏肉を並べる。香辛料には塩と胡椒。人参とレタス、ケールのサラダを好きに取り分け、南瓜やジャガイモのローストはお代わり自由。足りなければ、自分で焼いてもよい。そして舌が火傷しそうな程に熱いオニオンのスープ。ゆでたブロッコリーにオリーブと酢を混ぜたドレッシングを掛けて、行儀が悪いと思いつつも、ご馳走に群がった五人は、貪るように食べた。ワインの瓶にエールの瓶、冷たくて清潔な水、ライムなど果実を絞って蜂蜜と混ぜたジュースと飲み物も選り取り見取りであった。
「ここに牛乳があればなぁ」マギーがぼやいて「牛乳好きですものね、マギー」ジーナが微笑んだ。
「わたしもマギーが牛乳好きだって知ってるもん!」知能が低下するニナ。
「なに、対抗しているんや?」リリーが突っ込んでる。
パンにチーズ卵と野菜を挟んで齧ったジーナが、満足そうにため息を付きつつ「これ毎日、食べてるんですか?」口に出した。
「いや、流石に黒パンとか大麦粥の日も多いですよ」と向かいのトリスが応える。
「今日は、かなり豪華やな」とリリー。
「行商は歩き通しなんで、休日には野菜大目に取らないと便秘になる」マギーが場を読まずに言って、「マギー、食事中」ニナがぴしゃりと言った。
鶏肉があっという間に各々の皿から消えて、マギーが顎を撫でた。
「肉が足らないな。ベーコン食べたい人」
テーブルに手が四本上がった。
「一人二切れかな」頷いたマギーが、食糧用の頭陀袋からベーコンの塊を出して焚火とフライパンへと向かった。
「ああ、かまど。また作らなくちゃ。でも材料に粘土と煉瓦もなぁ」ニナが呻いてる。
「豚肉まである……本当に稼いでるんですね」ジーナが褒めたたえて「一日、一度は一緒に食事してる。奢ってもらってるから本当に助かってる」トリスが頷いた。
リリーはなにか言いたげだが、礼を告げる。
食後には、紅茶と緑茶か、タンポポのコーヒーにコーヒーかと多数決を取って、珈琲党が勝利を収める。
「本物の珈琲は、一人一杯です。一杯ですよ?」マギーが念を押しながら、コーヒーを入れている。
「なんで、念を押すんです?」ジーナが尋ねると、マギーは残りの三人を見つめた。
「この間、二杯飲んだ卑しんぼは誰だ?」
「いや、知らんて」とリリー。
「違う違う」トリスが手を振ってる。
「マギーの珈琲を飲むはずないよ」ニナが断言した。
三者三様に否定して「……私は悲しい。この中に裏切り者がいる」マギーは首を振った。
鱈腹食べた食後には、トリスは幸せそうに寝っ転がっていた。リリーは少し離れた位置で火に当たって黄昏ている。マギーとニナ、そしてジーナは自警団に関するうわさ話を交わしていた。
「この間の強盗。被害者は、まあ、老人だから少し尾を引いてる。後で料理を持っていってやろう」マギーが億劫そうに椅子に寄りかかりながら呟くと、「りょ」頷いたニナが、フライパンの料理や大皿で採られなかったパンをバスケットなどに詰め込み、二人分の夕食には足る程度の食事を用意した。
「連中、逸れ者だそうで」久しぶりの珈琲を楽しみつつ、ジーナが目を細める。
「何処からやってきたかも分からない連中の処分は、自警団に一任されたが……バホラだか、バフラだか、まあ、随分と遠くの町からやってきたみたいで」どうでもよさげに呟いたマギーが、あ、と呟いた。
「思い出した。バホラか。まあ、大人しそうな二人組なら多分、関係ないだろうけど、一応、見かけたら教えてくれる?」ニナに声を懸けた。
「うい」
「しかし、連中。なんで、わざわざ、ポレシャに?」ジーナが薪を火に入れながら、尋ねる。
「比較的に治安がいいからなぁ。辺土だと特に」マギーが呟いた。
「ズールの方に行けばいいのに」ニナが言って「そうだね」マギーが賛意を示した。
「変な連中だったな。まあ、不法侵入と強盗致傷の現行犯で、まとめて絞首刑だが」思い出したマギーが肩を竦めた。連行されながら、よく分からん事を最後まで喚いていた。
「女たちは?」ニナが尋ねると「見ていただけだって言ってるけどさ」マギーは首を振った。
「班長が頭悩ませてました」ジーナが笑った。
「絞首刑は流石にあれだけど、なあ」マギーは途方に暮れたように首を振った。
「反省の素振りとかないんだよね。不貞腐れて」ジーナが補足した。
「放したって碌なことにならない、で」マギーが嫌そうに手をサッサっと横へと振った。
「どこか開拓村に送るって、流刑?」ニナが僅かに緊張して聞いた。ポレシャにおける流刑は、刑罰としてはかなり重たい部類だった。
「重犯罪者の焼き印。押されてね」マギーが憐れむように言った。それから思い出すように火に当たってるリリーへと振り返った。
「ああ、あの長女だけど、焼き印は免れた。窃盗扱いで。小さな刺青だよ」淡々と告げる。
「流刑地での扱いも随分と変わる。向こうで頑張れば……」マギーの言に「ホンマに?」リリーが目を瞠った。
「流刑前に、少しだけなら会わせられるかも。ちょっと顔が利くし」ジーナが告げる。
リリーは苦笑を浮かべると「流石に、それは……でも、おおきに」礼を言った。
「なんか二人しか見かけなくなった泥棒兄弟の残りも、詰め所近くをうろうろしていたな」マギーは思い出したが、まあ、どうでもいいことか、とすぐに忘れてしまった。