1話
「お疲れ様です。大内敬也先生」
締め切りより早く原稿が出来上がり、幼なじみで担当編集者の
神崎晶に印刷した原稿を渡す。
本来データでの納品で済むが、完成した作品は
印刷した原稿で読みたい。データじゃ味気ないという
神崎の希望で原稿を印刷している。
受け取った原稿を、大内の仕事椅子に腰掛け、読んでいる。
この時間がいつも緊張する。
神崎からダメ出しされた箇所は、修正した。
自分としては、完璧と言いたいが
神崎の反応はどうだろう。
大内は、神崎の顔を見つめ、反応を確かめようとしたが
真剣の面持ちで表情が読み取れない。
面白くなかったかと大内は不安になっていると
「はぁ~、面白かった。今回も良い作品できましたね」
と言う神崎の言葉に大内は、ほっと胸を撫で下ろす。
「本当にいつも早くて助かります。安藤先生とは大違いですよ」
安藤とは、恋愛を主に書いている温和な初老の小説家だ。
だが、締め切りを守らず、逃亡した前科があるため、
神崎は編集担当として頭を悩ませている。
「でも、あの人は降りたらすごいんですけど、なかなか降りてこないんですよね
あの時の小説は神がかってましたね」と熱っぽく語る。
小説を書いていると、創作の神様が降りてきてくれることがある。
その時、自分の能力以上の文章を与えてくれる。
だが、神はきまぐれでいつ降りてくるかわからない。
「安藤先生は神頼みですけど、先生は安定してオールマイティーに
いい小説を書いてくれますよね
本当に先生の担当でよかった。大好きですよ」と蠱惑的な笑みを浮かべる。
「俺の前ではいいが、他人の前でそういう顔をするなよ。
自分が男からも好意を抱かれる対象だと自覚しろ」
「わかってますよ。痛いほど自覚はしています」
神崎の容姿は、女性的で、綺麗な顔立ちをしている。
そのせいで、女性に関わらず、男性も惹きつける魅力を持っている。
自分もその魅力に惹かれている一人でもある。
「大好きな先生の前でしかしませんよ」
「そんなこと言って、ご機嫌を取っても何も出ないぞ」
と言うと抗議の声をあげる。
「残念、欲しいものがあったのにな」
何が欲しいんだと聞けば「腕時計」と返ってくる。
「ブランド物の高い時計でも買わせるつもりか」
「まさか、ブランド物なんてつけてたら編集長にどやされます。
でもお洒落な時計が欲しいな」
と甘えた声を出してくる。その声に弱い。
「それなら、仕事が終わったら、時計を見に行くか」
と誘うと今日を無理と即答される。
「今日は彼女とデートです」
「彼女とうまくいっているんだな」
「うまくいってますよ。あれ?もしかしてやきもちを焼いてます」
神崎の言葉に、大内は、顔を歪めた。
「……嫉妬なんてする必要はないだろう。どうせすぐ別れる。
お前は、貢がれ癖がついているからな、
女性相手じゃ満足できないだろう」と言い返す。
「そんなことありません。満足できますよ。
あなたと彼女に求めているものが違いますから。
それに、今回は別れませんよ。いい感じですから」
「そうか、だが俺には分かる。今までの、傾向を考えると、
そろそろ別れ話を切り出されるぞ。覚悟しておけ」
「あり得ない。別れません。絶対に別れないから。証明してやりますよ」
と神崎は叫んだ。