新しい推しができました3
朝も投稿しておりますので、まだ読んでいない方はひとつ戻って下さい。
「〝おまえ〟などと呼ばず、どうぞ名前で呼んで下さいませ。わたくしなどでは殿下の婚約者として役者が不足しているかもしれませんが、不肖ながら精一杯務めさせていただきますので、どうぞよろしくお願い致します」
十八年の鍛錬の成果である、内心の欲望をまるっと隠した完璧な令嬢スマイルで応える。
その心の内で、勝手に殿下を推しに認定しながら。
そんな私に、殿下は思っていた反応と違うと思ったのか、ものすごく戸惑った顔をした。
あ、その表情も素敵。
スマホがあったら絶対撮ってた。
「――っ、おまえは、」
「どうぞ、な、ま、え、で、呼んで下さいませ」
不敬ではあるが、殿下の声に被せる。
推しに名前で呼んでもらえるのは至高の喜びなのだ。
婚約者として大きな顔をするつもりはないが、せっかくだ、名前呼びくらいは望んでも良いだろう。
「……っ、せ、」
せ?
さあさあさあ!
私の名前はセラフィナです!
その少し低めのセクシーボイスで呼んで下さいぜひ!
戸惑い苦悩する表情も素敵です、別に笑顔で呼んでほしいなんで贅沢言いませんからお願いします!
心の中で前のめりになりつつ、私は笑顔で殿下の声を待つ。
そんな私の見えない圧を感じ取ったのか、ランティス殿下は観念したようにひとつ息をつくと、その少し薄い唇を開いて私の名前を呼んだ。
「セ、ラフィナ嬢」
頬をほんのりと染めて、照れたように視線を少しだけ逸らして。
「は、」
早く誰かスマホ! スマホ持って来てぇぇぇぇぇーーーーーー!!!
なんなのその顔さっきまで睨みつけるようにしてたくせに名前を呼んでとお願いしただけで急にくっそかわいい顔しちゃってえええええええ。
なんでこの世界にはスマホがないの⁉
今の表情を永久保存しときたかったぁぁぁぁ!
乙女ゲームなら間違いなくスチルになるやつだよ!
スマホとPCのホーム画面に設定して毎日何回も眺めてデレデレしたかったぁぁぁぁ!
「……はい、殿下。どうぞこれからもセラフィナとお呼び下さいませ」
我ながら十八年間の鍛錬の成果(二回目)、完璧令嬢の仮面はすごいと思う。
心の中で叫びまくっていても、平静を装って会話ができるのだから。
あああ、でもあんなレアな表情が見られるなら、もっと心の準備をして噛みしめて見たかったなぁ。
くっ、油断しちゃったわ。
〝初めて名前を呼んでもらえた日〟なんて、人生で一度きりなのに!
そうだ、それなら。
「わたくしも、その、お名前でお呼びしてもよろしいでしょうか?」
勇気を出してそうお願いしてみる。
「……は?」
これまた予想外だったのだろう、ランティス殿下は面食らったようにぽかんと口を開けた。
でもさ、名前で呼んでもらえたなら、次は私だって名前で呼びたいじゃない?
いや、すでに心の中ではとっくに〝第二王子〟からランティス殿下と名前呼びに変えちゃってるけどね?
でもちゃんと許可を得て、本人の目の前で名前を呼べる喜びってのもあるのよ!
「……好きにしろ」
苦々しい顔ではあったけれど、そう言って殿下は許可をくれた。
ぱあっと顔を明るくさせ、いざ!と意気込む。
「では、ランティス殿下」
口を真一文字に結んだ殿下のこめかみが、少しだけ動いた。
先ほどと違って反応が薄いのは、ちょっと残念。
それに、一度呼んでみたものの、いやちょっと待てよと思い直す。
「ランティス様、の方がよろしいでしょうか。敬称が殿下ですと、どこか堅苦しい感じも致しますし……」
どうしましょうと首を傾げると、殿下の顔が目に見えて赤くなっていく。
「〜〜っっ、どちらでも良い! 好きな方で呼べ!」
口調は強いけれど、その表情から照れているだけだと分かる。
巷での彼の評判を聞くと、冷たい・気難しいといった声が多かったけれど、こうして本人を前にして話してみると、なんだかかわいい。
婚約の話を聞いた時はかなり動揺したし、ここに来るまでに、フローラが乗り込んで新しい恋が始まるのも面白いかもとか、そんなことを思ったりもしたけれど。
目の前の不器用そうなこの人の婚約者をやりながら推し活するのも楽しいかもしれないと、そんな風に思い始めた。
「ありがとうございます。それでは、ランティス様と呼ばせて頂きます。改めまして、どうぞよろしくお願い致します」
あまりに慌てたような、戸惑う姿がかわいらしくて、いつもの令嬢スマイルより頬が緩んでしまったような気がする。
〝かわいい〟だなんて、年上の王族の方を相手に不敬だったかもしれないけれど。
「……おかしなご令嬢だということはよく分かった……」
肘をついて目を逸らし、ぽつりと呟くランティス様は本当に愛らしくて。
私のオタク心をくすぐるのだから、仕方がないことだと思う。
これから婚約者として、彼とどういう関係を築いていけるかは分からない。
でも。
推すと決めたからには、全身全霊を込めて推してみせる。
「わたくしのことをそんな風におっしゃる方は初めてです。一緒にいて楽しい存在、くらいには格上げできるように、精進いたしますわ」
その答えも予想外だというように手で髪をくしゃりと乱すランティス様の、好きにしろという呟きはしっかりと耳に届き、私はまたにっこりと微笑むのだった。
その場にいた国王夫妻と両親の存在をすっかり忘れるくらい、ランティス様の愛らしい姿に見惚れながら。