第七十二話
オンタルダ帝国の皇都ティレントル。
大河に沿うようにあるその都を出て、大河をなぞるようにまっすぐ海に向かって空を飛ぶ。
真っ暗だけど夜目が効いてきたら、なんとなく真っ暗な大地に緩やかに蛇行する線が見える。
そういえば、俺の送った手紙はどうやらまだ向こうについていないらしい。先日の騒動のせいで、全ての船が一時止められて内通者の捜索をし、騒動が収まるまで最寄りの港に留め置かれたそうだ。仕方がない。
そんなわけで、じーさん先生の家の人はまだ俺の安否も帝国の真意も知らないままだ。
突然帰ったら、びっくりするだろうな……
「タケユキ」
「はい?」
いきなり名前を呼ばれ、ちょっと驚いた。
「夜通し飛ぶが、眠れるなら眠っておけ」
「そうはいかないですよ。リドルカさんに飛んでもらってるのに」
「向こうについて、顔色が悪ければ心配をかけるぞ」
「…………そうですけど」
実はちょっと眠くなってはいる。
安定感のある暖かい腕に抱えられ、夜空を飛ぶ感覚がものすごく心地いい。すっかり元気になってはいると思ってたけど、今日は今日でずっと入ってくる情報の精査にかかりきりだったもんな。みなさんと一緒に。
でもそれはリドルカさんも一緒だし。
「俺は心配いらん。数日眠らなくても倒れん」
「いや、それはさすがに」
「心配いらん」
「う……」
ぎゅっと抱きなおされた。
確かに、リドルカさんは俺なんかと比べられないほど丈夫だと思うよ。ゴツいイメージはないのに筋肉しっかりあるし、あんな化物相手に戦った後も少し休んだら回復したらしいし。俺は町の人の救助を手伝っただけで何日も寝込んだのにさ。
体力差の理不尽に少しだけムッとしたら、なんだか笑われた。
口の端でフッとだけど。
「ならば、話を聞きたい」
「話?」
「お前を救った者たちの」
「何度か話したでしょ?」
「詳しく。タケユキが……どう感じて、どう思ったか」
どう思ったか、か。
「家族みたいな、感じ。なんて言っていいのかな」
「家族……」
俺は、初めてこの世界に来た日のことを思い出しながらリドルカさんに話した。リドルカさんが静かに聞いてくれたので、いろんなことを思い出した。
召喚された滅びの都、魔法陣と白骨バカ王子、都を出て森を抜け盗賊に追われるテレシーに会ったこと。この世界で初めて倒した相手がテレシーなのは割愛。
「盗賊の仲間かもしれないって護衛の兵士に疑われたけど、テレシーが積極的に話しかけてくれたおかげであまり険悪にもならなかったし、言葉も覚えられた。体調崩してフラフラになった時も、テレシーがはじめに馬車に乗せてあげてって言ってくれたんです。それから──……」
こうやって思い出すと、俺は本当にテレシーに世話になりっぱなしだな。
お礼を言わなきゃいけないことだらけだ。
なんで、もっとちゃんと話をしなかったんだろう。仲良くなって、俺のことも話せばよかった。力のことも、どこから来たかも。
言うべきだった。
「タケユキ?」
「え? ああ、えっと、はじめはテレシー以外にはすごく警戒されてたんですよ。でも、じーさん先生が俺の話をちゃんと聞いてくれて──……」
その後はじーさん先生やトルグさんやミリネラさんの話もした。
じーさん先生が俺の秘密を約束通り守ってくれたこと。
ミリネラさんがトルグさんのお下がりをくれたこと。家を出ようかと思ってたら、トルグさんがお兄さんみたいに俺のこと褒めてくれたこと。もちろんテレシーの話も交えながらね。
テレシーは妹みたいな子だよ。
俺の妹はあんなに世話好きでも働き者でもなかったけど。
ふわふわ可愛くて、笑うとこっちもつられて笑顔になってしまう、そんな……女の子。それで時々すごくかっこよく見えたよ。
不思議だね。
リドルカさんみたいに強いわけでもないし、男らしいわけでもないのに。
なんでだろうね。
なんて、つらつら話しているうちにどうやら俺は寝てしまっていた。
起こしてよリドルカさん。
気がついたらベルートラスの上空にいた。
空がうっすら明るくなりかけてて、地上の町がぼんやり見える。
じーさん先生の家も見えた。
なんだかとても懐かしいね。
そうか、俺はここで初めてリドルカさんに逢ったんだ。
リドルカさんも思い出したのか、また俺を抱きしめ直してくれたので俺も抱き返した。
一番遠いと思ってた、運命の人。
俺たちはゆっくり降下し、じーさん先生の家の真上まで来た。そのまま玄関前に降りようとしたら、リドルカさんが動きを止めた。
「結界がある」
「え?」
前はそんなのなかったよ?
感覚を研ぎ澄ませてよく見れば、確かに家の周りを何かが取り囲んでいる気がする。一瞬、俺が閉じ込められていた魔石と神石の結界を思い出した。
あの結界と似たものなら、俺一人なら抜けられるかな?
とりあえず、リドルカさんには上空で待機してもらって一人で降りることにした。リドルカさんはものすごく不満な顔をしたけど
閉じ込める結界なら壊して助けなきゃと思うけど、守るものならそういうわけにもいかない。
俺はゆっくり先生の屋敷に向かって降りていく。その時、ふと屋敷の裏手の部屋の窓に灯りが灯っているのに気がついた。あれは先生の研究室だ。
部屋に誰かいるのは間違いない。
あの情報が間違いで、みんなが家にいてくれるのが一番嬉しいんだけどな。
そう思いながら、その窓の方へ回って降り立つ。そっと窓から中を見れば、そこにいたのはトルグさんだった。テーブルのいつもの席に座って本を読んでいるみたいだ。そのテーブルの上には見慣れない銀色の板がある。なんだろう?
まあいいや。
まずはトルグさんの無事はわかった。
俺は、窓ガラスをコンコンと叩いた。トルグさんがビクッとしてこっちを見る。そして、目が合った。
「……は? いや、まさか」
一度目を擦って、また向き直るトルグさん。そして、また目が合ったのでお辞儀をした。
「タケユキかっっ!?」
飛びつくように窓の所へ来るトルグさん。開け放たれた窓に向かって返事をする。
「お久しぶりです。ご心配かけました、帰ってきました」
「ほ……本当に、はぁぁ」
トルグさんは力が抜けてへたり込んでしまった。
「トルグさん!?」
「驚きすぎた。まったくお前は……」
「あの、みなさんお家におられますか? 変な話聞いて慌てて飛んできたんです。勇者がどうのって」
「話をって、テレシーに会った訳じゃないのか?」
テレシーに会う?
と、疑問が浮かんだ瞬間、バンっと扉が開けられた。
「タケユキじゃと!?」
じーさん先生が飛び込んできた。
「もう見つけたのか!? んん!? テレシーと賢者殿は!?」
見つけた? 賢者?
「落ち着いてくださいオーリー先生。タケユキ、テレシーと一緒に帰ってきたわけじゃないんだな?」
「はい、オンタルダ帝国でお世話になった人に送ってもらって帰ってきたんです」
「な……なんと……」
じーさん先生まで、へたり込んでしまった。
「あの、テレシーのことを聞きたくて急いで帰ってきたんです。教えてもらえませんか? それと、連れの人も一緒に。結界があって入れなくて──」
「ああ、そうじゃな。よく結界に気がついたな。まあ、まずは家に上がってくれ」
そう言うと、立ち上がった先生は棚から別の銀の板と黒い鉛筆みたいなものを取り出した。
「そうだ、先生、ミリネラを起こしてきます。ここをよろしくお願いします」
「うむ。交代の時間にちょっと早いが起きて来てよかった。行っといで。あー、それでタケユキ、お連れさんの名前はなんじゃ?」
銀の板を机に置いたじーさん先生が、ペンを手にそう聞きた。あれに名前を書けば入れるようになるのかな?
じゃあ、ちゃんとフルネームを言った方がいいのかな。
「リドルカ・エルド・オンタルダス、と言います」
その名前を告げたら、じーさん先生も扉から一歩踏み出したトルグさんもピタリと止まって固まってしまった。
そして、響く声。
「「はぁぁぁぁ!?」」
じーさん先生とトルグさんが揃って大声を上げた。じーさん先生はリドルカさんのこと知ってるからね。魔王かもしれないって思ってるし。もしかしてトルグさんも知ってるのかな?
「い、いや、すまん。聞き間違いかのう。帝国の皇帝の弟君の名前に聞こえたんじゃが……」
「オンタルダ帝国皇帝の弟、リドルカ・エルド・オンタルダス殿下で間違いないですよ。あ、そうだ、これを──」
俺は懐に入れていた手紙を取り出し、先生に差し出した。
皇帝の印を使った封蝋が押してある。
「どうぞ、オンタルダ皇帝トマシウス陛下のお手紙です」
「う、うむ」
じーさん先生は半信半疑な顔で手紙を受け取り封を開け、ざっと目を通し……頭を抱えた。
「これは、トルグに読ませても?」
「はい」
トルグさんにもミリネラさんにもできれば読んでほしい。手紙はトルグさんにも渡され、トルグさんもギョッとしている。
船で送ったのと同じような内容が書かれてるって言ってたっけ。
俺を神族かその末裔だと思って、神属関係者に奪われる前に攫ったこと。俺に脅されて帰すことになったこと。けれど事情があってすぐに帰せなかったこと。
さすがにはっきりしない敵の侵略行為については手紙に書けないからね。話すかどうかは状況を見て、俺が話すことになっている。
じーさん先生は大きくため息をついて、俺に向き直った。
「これは……本物なんじゃな? もしやお前さん、帝国に騙されて勇者になったテレシーのことを探りに寄越されたのではないのか?」
勇者テレシー……人違いじゃなかったんだ。
「いいえ。心を読んで本音も知ってます。そこに書いてあるように最初に脅して無理な要求は退けられるようになりました」
「お、脅したって、お前」
トルグさんが驚いてる。
「じ……オーリー先生はずっと、俺の秘密守ってくれているんですね」
「約束じゃからのう」
「ありがとうございます。でも、もう隠す必要ないんです。リドルカさんを呼んでもいいですか?」
じーさん先生は少し驚いた後、うなずいた。
「皇弟殿下を門前でお待たせするわけにはいかんな」
「いえ、リドルカさんは上にいます」
「う、上じゃと?」
「空を飛んで帰ってきましたので」
「空!?」
「……うむ」
トルグさんは混乱に拍車がかかったみたいな顔をしている。じーさん先生は俺が空でリドルカさんと会ったのを知ってるから、すぐに気を取り直してペンを持ち直した。
銀色の板の端にさらさらとペンを走らせると、板の上に魔法陣が光った。
と、同時に俺の背後で風が降り立つ。
振り向けばリドルカさんがいた。
トルグさんは呆然としている。じーさん先生も目を見開いている。
「トルグ、ミリネラを」
「あっ、はっ、はいっ!」
じーさん先生に言われ、ハッとしたトルグさんは大慌てで走り出した。
「ようこそ、我が弟子をお連れくださった。オンタルダ帝国皇弟リドルカ殿下」
まだ厳しい目で一応の礼を取ったじーさん先生に、リドルカさんはうなずきで返した。
尊大に見えるかもだけど、リドルカさんは目つきが悪くて口数が少ないだけです。と言っても今は信じてくれないかもしれない。
事実、俺が攫われてテレシーも大事には至らなかったまでも被害があったわけだし。帝国の元々の評判も考えれば仕方がないのかな。
それに、今はまずテレシーだ。




