第五十六話
翌朝。
庭には足を痺れさせた男が二人転がっていました。さらに、外に向かって這って行ったような後もちらほら。
『結界を張っておいて良かったろう?』
「……はい」
今朝、ミリネラ様を起こす時間帯より早くシュザージに起こされた私は、滅びの都から持ってきた術道具に声を発する魔法陣を書き込むのに付き合わされました。少し大きめのロケット型のペンダントです。
『本来は、守りの魔法陣などを書き込む物なのだがな』
とは、シュザージの言葉。
そうして、いつものようにミリネラ様の朝の支度をし、マリータ家での食事の給仕をし、先生のお屋敷に行く途中の庭で曲者が縛られているのを見かけたのです。
「残念ながら曲者は王の手の者ではなく、ベリンスの弟子の一人と貴族に雇われた盗人じゃったよ」
研究室へ行けば、オーリー先生がため息をついていました。
べリンスというのは謁見の間で騒いでいた金ピカ神術士だそうです。
「ベリンスや貴族のことは後回しで良いじゃろう。それより、今朝早くに国王から丁寧な呼び出し状が届いたぞ」
『そいつは都合がいい』
オーリー先生もシュザージも笑っています。ニンマリと。
『向こうからの呼び出しなら手っ取り早くて済む。やはり勇者の件だろう?』
「うむ。命令ではなく要請という形になっとりますわい」
指定した時間に馬車を遣すので来て欲しいと、昨日とは打って変わって丁寧な対応ですね。ちなみに時間は午後なのでまだ時間はあります。
あと、テーブルの上にはたくさんの手紙もありました。
魔法陣を目の当たりにした術士たちからだそうです。手紙なのに熱気を感じるのはなぜでしょう。それも、とりあえずは後回しです。
流石に今日お城に行って即出発はないでしょうが、時間がないには違いありません。少しでも準備をしておかなければいけないのでシュザージはオーリー先生に魔法陣の基本を叩き込むと言っています。
『老学者殿には通信魔法陣を使いこなせるようになってもらいたい』
「わっ、わしに? 使いこなすとなると……実のところ、わしは魔術も神術も最低限の資質しかないのじゃ」
だからこそ、先生は誰にでも使える術を研究をしていたのです。私はミリネラ様に聞いていて知っていましたが。
『資質など少しあれば誰でも使えるのが魔法陣だ。テレシーとて、その身にもつ資質など知れている。私が魔力神力の流れの読み取りと、それを操る技術が卓越しているだけだ。固定魔法陣なら農村の農夫でも使っていた』
「なっ、それは本当ですか!?」
テルセゼウラでは、全ての民は五歳頃から最低限の読み書きと魔法陣記号を学んでいたそうです。その中から勉学に秀でた者は都市の学校へ無償で入り、ゆくゆくは魔法陣にかかわる仕事についたとか。
そうして、幼い頃から魔法陣に触れ読み書きも習っていたので、魔法陣術士にならなかった者でも固定魔法陣の操作ができたそうです。
石鹸の作り方は知らなくても、使い方を知っていれば洗い物ができる。と、そんな感じでしょうか。
『其方は読み書きは当然できるし、複合術に明るい。少し魔法陣記号を覚えたら固定魔法陣くらいならすぐに操れるようになるだろう。なってもらわなければ困る。屋敷の守りもあるしな』
オーリー先生が目を潤ませ、やる気をたぎらせ始めました。
当然、トルグ様もそうでしたが……
「トルグは私のお買い物に付き合ってね」
ミリネラ様にそう言われ、今日は街でお買い物です。
「申し訳ございません、ミリネラ様。トルグ様も……」
「いいのよテレシー。本当はあなたと行きたかったのだけれど、こう忙しくては仕方がないわ。旅の支度は任せて」
「ありがとうございますっ」
旅に出るために必要なものはミリネラ様が揃えてくださるそうです。
国の代表として旅立つなら、いつもの旅装束では見劣りしますし侮られてしまうから良いものを見繕ってきてくださるとのこと。
本当に、ありがたい話です。
ミリネラ様とトルグ様が、先生の貴族用の馬車で出かけられたのを見送って、私たちはお勉強です。私も少しは魔法陣を覚えようと努力しました。けれど……これはなかなか難しいです。
そうして昼食前。お二人は一度戻ってこられました。
私は、なぜか問答無用でミリネラ様の部屋に連れて行かれました。
「とても素敵なドレスでしょ? テレシーによく似合うと思うの。今日の謁見にはこれを着て行きなさい」
「……ミリネラ様、旅装束を買いに行かれたのでは?」
「ええ。でもこれは前から目をつけていて、実は丈直しをしてもらっていたものなのよ。いつかタケユキとあなたが良い仲になったなら贈りたいと思って」
「ミ、ミリネラ様!?」
思わず顔が熱くなってしまいます。
クスクス笑っていたミリネラ様は、少ししてため息をついて俯きます。
「本当は、テレシーにはいつもこんな服を着て、私の妹としてそばにいて欲しかったのよ」
そう言ってくださったミリネラ様の顔が、酷く寂しそうに見えました。
「ミリネラ様……」
「ねえ、テレシー。やっぱり勇者なんかやめて、私の妹にならない?」
それは……できません。タケユキさんを諦めることになってしまいます。
でもそれは、これほど良くしてくれるミリネラ様を選べないということです。
ミリネラ様は、私にとって恩人です。
私の両親はミリネラ様のご実家に勤める使用人でした。父はお屋敷の馬車の専属御者。母は大奥様、ミリネラ様のお婆様の小間使いでした。
しかし、私が幼い頃に父が事故で亡くなり。心労から母も病気になりあっけなく逝ってしまいました。大奥様は私を見習いとして置いておくと言ってくださいましたが、屋敷の主人であるミリネラ様のご両親は反対されました。
その後しばらくして大奥さまも亡くなってしまい、いよいよ孤児院へ放り込まれるのだと思った時。私を引き取ってくださったのがミリネラ様でした。
反対されるご両親を説得して、小間使い見習いとして引き続きお仕えさせてくれたのです。
当時、まだ八歳でろくに仕事もできなかった私をです。
私は、そんなミリネラ様を選べない。
でもそれを告げることもできず俯いていると、ミリネラ様は私を抱きしめてくださいました。
「ごめんなさい、テレシー。いいのよ。あなたはあなたの望むまま生きなさい」
「みりねらさま……」
涙と鼻詰まりで声が変になってしまいました。
「あらあら、これから王様と謁見しなくてはいけないのに。泣いてはいけないわ」
ミリネラ様は、笑ってハンカチで涙を拭いてくださいました。
「私はね、あなたがタケユキを選ぼうとしている事が嬉しいの。ちょっとだけ悔しいけどね」
ふふっと茶目っ気のある笑いを浮かべるミリネラ様。
「あなたは常に私のそばで、忠実に誠実に仕えてくれたわ。でも、そのために自分の幸せを忘れてしまっているのではないかと心配していたのよ。だから、あなたが恋をしていると知った時、全力で応援しようと思ったの」
はい。全力で応援してくださっていました。
でもタケユキさんは遠く、悪い噂の絶えない国に攫われてしまいました。
「今度は、あなたが恋を取り戻すのに全力で協力するわ。だって、あなたは私の妹ですもの。姉として当然でしょう?」
「ミリネラ様……」
「お姉様よ」
「ミリネラお姉様」
「まあ、うれしい。夢がひとつ叶ったわ」
ミリネラ様は私をギュッと強く抱きしめました。私もギュッと抱き返します、ご主人様に対する小間使いの対応ではありませんね。でもお姉様に対する妹の行動としては許されるのでしょう。
「必ず戻ってくるのよ。もちろんタケユキも一緒にね」
「はい」
「魔法陣の賢者シュザージ様。どうか、テレシーをよろしくお願いします」
『……承知した』
シュザージは一拍置いて返事をしてくれました。
ペンダントから響く声は真剣なものでした。
ホッとしたミリネラ様は、真面目な顔になり言います。
「勇者テレシー、悪い魔王を倒して恋を取り戻してきなさい」
「はい!」
まだ、片思いなので“恋人”ではなく“恋”とだけ呼ばれました。
恋人になれたらいいなとは思いますが、それはタケユキさんのお気持ち次第ですものね。
──そっちも妹扱いだからな
声に出さず、頭の中でそう言ったシュザージをぽかぽか殴ってやりたいです。もう! 最後の最後に意地悪言うんですね! 白骨バカ王子!
その日の昼食はミリネラ様の勧め通りにドレスを着て、マリータ家の一員としていただきました。
謁見前に新品のドレスを汚してしまわないよう、気合を入れながら。
そうして、午後の謁見にて私は正式にベルートラス代表の勇者として派遣されることになりました。
条件交渉などはシュザージとオーリー先生が頑張ってくれました。
翌日、私はタケユキさん救出の旅に赴きます。




