第三十六話
翌日。
少し早い時間にオーレリアさんがやって来た。
来るのがわかっていたので、今日はリドルカさんと一緒に玄関先で待っていたんだけど……馬車に乗り込んだ俺を見て、オーレリアさんが首を傾げた。
「どうされました? お顔が赤いようですが、熱でもおありですか?」
「いえ、違います。大丈夫です」
顔が赤いのは熱があるからではない。熱いと言えば熱いんだけど。
今朝、目が覚めたらなぜかリドルカさんのベッドにいた。しっかり腕に抱きこまれていて、そんな状態でものすごくぐっすり眠っていた自分にびっくりした。
リドルカさんが、ここのところやたら俺を触りたがっていたのは知ってる。でも寝てる間に何かするなんて思わなかった。慌てて逃げ出そうとしたけど、起き抜けなのとびっくりしすぎたのとでテレポートで抜け出す方向に頭が回らなくて、もがきまくってしまった。なのにガッチリ抱えるリドルカさんの腕が強くて解けなくって余計に焦ってしまって。
そんな俺を見て、リドルカさんが面白がっているのがわかって……更に頭に血が上ってしまった。
当たり前のように隣の席に座っているリドルカさんをじとりと睨む。いつものようにむっつりした顔で窓の外に目をやっているリドルカさん。
そんな俺たちの様子を見て、オーレリアさんは「ふっ」と笑った。
俺、懐柔なんかされてませんからね。
昨夜はちょっと考えが暗い方に流れてしまって切なくもなったけど、とりあえずもしもの方針は決まったし。予定通り、今日はオーレリアさんの案内で帝国の深淵とやらを見せてもらって、明日か次の日くらいにはベルートラスへ帰してもらう。もしもの時は、島を探して海に飛ぶ。
帰ると手紙を出しておいて帰らないのは、じーさん先生たちにも帝国にも不義理になってしまうけど。
馬車の中は昨日や一昨日と違って静かだった。
その分、いたたまれなさも上がってた気がするけど。
そんな風にもだもだしているうちに、馬車はこれまでと違い城の門を出ることなく皇城をぐるりと回って裏門から外へ出た。裏門も立派で大きな門だったけど、その先の光景には驚いた。そこも貴族街のはずだけど、更地になっている場所がやたら多い。さらに驚いたのはその先の市街地だった。というより、市街地だっただろう荒地だ。
ちゃんとした建物はほとんどなくて、急ごしらえと分かる木造の小屋がいくつも並んでいるのが見えた。そこには表では見なかった虚な顔の住人が、何人も走り抜ける馬車を睨んでいた。
奴隷ですら保護していたというのに、あの人たちはなんなんだろう。
疑問に思ってオーレリアさんを見れば、それに気がついたのか小さくため息をついた。
「あそこにいるのは元々、ここにあった街に住んでいた者たちです。戦火を逃れた居住区に住むよう促したのですが、ここを離れようとしないので困っているのです」
「戦火……」
「先代との争いについてはカトリーネから聞いたのでは?」
「少しですが。こんな街中が戦場になったのですか?」
「簒奪が成功し、お兄様が帝位に着いた後に反乱があったのよ。貴族ではなく民の中から」
「民の中からって……」
「新帝が立ったとて自分たちの生活はこれまでと変わらない、それを覆すには革命しか無い、と本人たちは言っていたわ」
「煽られたとか、ですか?」
「……また、心を読まれたのかしら」
「いえ、ここでは周りからの嫌な声がうるさそうなので心を読む力は切っています。神属関係者に煩わされている話を何度も聞きましたから」
「そういうことでしょうね。証拠は見つからなかったけれど、私たちは確信しています。その頃から、魔王出現の報を世界中にばら撒き始めましたからね」
オーレリアさんが、ちらりとリドルカさんを見た。
「新帝は弟を魔王化させ、その武力を持って先王を廃し反対者を一掃し、強権を奮って民を蹂躙しているそうよ。そして、いずれは世界を手に入れようとしているらしいわ」
へらっと笑う皇帝さんの顔が思い浮かんだ。
「向いてないと思います」
思わずそう言うと、オーレリアさんがちょっと驚いた顔をして、笑い出した。
「ふふ、そうね。私かカトリーネが帝位についていたならともかく。トマシウスお兄様には簒奪すら不似合いでしたわ」
そうなんだ。
と、思って納得していたら、ひと笑いしたオーレリアさんが真剣な顔をしてドキリとした。しまった。オーレリアさんたちでも似合いませんよと言わなきゃダメだったか。
「ここを更地にしたのは、リドルカなのです。戦いは一方的でしたわ。見せしめの狙いもあったので、徹底的にやるよう命じたのは私です」
「そうなんですか」
「恐ろしく思わない?」
「俺や知り合いがひどい目にあったわけじゃないし、その時はそれが一番だと思っていたんでしょ? 俺が口出すことじゃないです」
それに、街は壊されているけど住人は生きている。避難させたり新しい住処を与えるなりはしているんだろう。ここにいる人たちはここにいたくているんじゃないかな。オーレリアさんたちは出来る限りの手を尽くしているだろうことはなんとなくわかるし。
俺が良いように考えすぎているのかもしれないけど。
窓の外を見れば、大人は暗い顔をしているけど子供たちが笑って遊んでいる姿が見える。少なくとも、飢えている感じはしない。
オーレリアさんが、まだ何か言いたげに口を開きかけてやめた。
テレパシーを止めておいて良かった。
口出ししないと言った俺が、関わりたくないと言外に言っているのが通じたようだ。それでも、と何か請われている気がしてそれ以上は心も口も閉じておいた。
馬車はそのまま街を抜け、外へと通じる城門を出る。
その先の道のりは結構な距離があった。
平野を越え、林を抜けて、進み続ければその先にある山がだんだん大きく見えてくる。
船を出る時に見た、皇都を取り囲むように背後にそびえていた山だ。
馬車が走る道は広くある程度舗装されているけど、周りは僅かに草が生えるだけの荒地になってきた。
それからしばらくした頃、いくつかの建物が見えてくる。
町だ。
馬車が2、3台通れるくらいの大通りがあり、普通に住人が暮らす石と木で出来た町があった。
「ここに住むのは鉱夫とその家族。それらを賄う商店や医療従事者、警備の者たちです」
「鉱山ですか?」
そびえ立つ、黒々とした山を見る。
「ええ。良質の魔石が採掘される帝国でも屈指の鉱山です」
じーさん先生が言ってたっけ。帝国は魔石の鉱山がいくつもあると。それもあってか魔術がすごく発達している気がする。
「そういえば、皇族のお姫様はみんな神術を身に付けるってパレアーナさんが言っていましたけど……」
「ええ、そうです。魔石を使って術を起こせばその力に取り込まれ魔に落ちる危険性がありますからね。調整や抑止、治療のために神術を身につけた者もこの国には必要なのです。医療従事者には神術士が幾人もいますよ」
「そう、なんですか」
「古くからそうです。この国では神術そのものを敵視してはおりません」
それはまた、複雑なことになっていそうだな。
外部の神属関係者が勝手に敵対してきても、この国には必要だから排除できないってことか。工作員とか入り放題なんじゃないかな。
「もちろん、神術士には厳しい審査と資格を用いて従事するようにしています。神降教が入り込むことは許可していませんが」
「まあ、神術士のみんながみんな神降教じゃないですからね」
トルグさんは違った。
神属騎士の中にも敬虔な信者なんかほとんどいなかったよな。変態の方が多かった。俺の知ってる限りでは、だけど。
またオーレリアさんが「ふっ……」と息をついた。
いろいろ悩みどころは多いんだろうけど、今はあえて意識から遠退ける。
馬車は町を抜けて目前の鉱山入口を右折して山に沿うように走り出した。その向こうには、高い壁がぐるりと山際を囲っているのが見える。
その壁の向こうに、帝国の深淵があるのか。




