第百八十話【テレシー:常世の泉】
死者の常世にある泉。
人生を終えた人の魂はその泉に落ちて、記憶も心も洗い流され生まれ変わると伝えられます。
洗い流された記憶は、泉の底に何万何億と降り積り永遠の安らぎの元で眠り続けるのだと。
その泉の水が、私の魂の中に残るシュザージの記憶と心を狙っているのは知っていました。何度も泉に落ちたのに、取り損なっている獲物ですから。
この世の理から言えば、私の中に彼がいること自体不自然なのです。
でも、シュザージを奪われるわけにはいきません。
私たちには、シュザージが必要なんです。
シュザージは、タケユキさんをこの世界に呼び寄せた運命の人。タケユキさんだけでなく、私やリドルカさんに新しい運命を繋いでくれた人。
だから、常世の泉からシュザージを守るための方法は幾通りも考えていました。それがまさか、狙いをタケユキさんに変えるだなんて、思いもよらなかったのです。
「下にばかり注意を向けさせていたのはこのためか!?」
はじめは大きな腕のようになって襲って来た泉の水が、なぜか這いずるようにして追いかけて来たのは、上に目を向けさせずにこの準備をしていたのでしょう。
化物と違って知恵もあるようです。
神降地の山の岩棚から下を見れば、夜目にも白い大地の上に炎のような色の魔法陣が浮かび上がり、タケユキさんを捉えています。
「シュザージ、送還の魔法陣だなんて、どうして常世の泉が描けるんですか!? どうやったら止められますか!?」
「常世の泉には、テルセゼウラの民の記憶も眠っている」
テルセゼウラの民の記憶を読み取って、あの魔法陣を組み立てたのではないかとシュザージは推測しているようです。
「だが、おかしい。魔法陣としては中途半端であんなもので発動する方がおかしいのだ。私の使うものと法則が違うのか!? くそう! どうやったら解除できる!?」
シュザージは必死に解除方法を考えています。
リドルカさんは魔力を、剣を振るって行く手を阻む水の手と闘っています。
私は、私はただ、この岩棚から見ているしかできないのでしょうか?
「嫌っ! タケユキさんを送り返さないで!」
叫んだ瞬間、無数の水の手が重なり合い、凍り付き、円蓋の檻になってタケユキさんを捕らえてしまいました。氷の下は見えません。
リドルカさんがそれに攻撃しても、まったくビクともしていません。
それでもリドルカさんは諦めていません。
当然です。
私だって、できることを考えます。
シュザージが魔法陣について考えているなら、私は別のことを考えましょう。見たこと、感じたこと、思ったことを巡らせます。
そういえば、神様はウィラネルドさんたちが止まって動かなくなった姿を、百年前と同じと言っていました。
常世の泉は百年前も似たようなことをしたのでしょうか?
神様が動けるのは神様だから? そこはまあいいです。
百年前といえば、シュザージが運命の人を呼ぶための召喚魔法陣を完成させ発動させた時ですね。
もしかしたら、その時にも何か干渉していたのでしょうか?
この世のものでは太刀打ちできない異界の神の力を持つタケユキさん。
召喚に百年もかかったのは、その干渉があったからかもしれません。
それでもタケユキさんはやって来ました。
運命の強固な繋がりもあるでしょう。ですが、タケユキさんがやって来れたのは、常世の泉よりも、この世界のどんな力よりもタケユキさんの力が勝ったからです。
「なるほど……」
シュザージが口の端で笑いました。
「異属性魔法陣……」
それを聞いて私はすぐに両手の手袋を取りました。
両手を前に構えます。
そして、私の指はすぐに動き始めました。
シュザージがリドルカさんの魔力に似た青い光を放ちます。幻影体を作るために頂いた力ですが、それを使って魔法陣を描いています。幻影体はわずかに透けましたが、シュザージは間違いなく私の中にいるので大丈夫。
「異世界神属性魔法陣、遠隔干渉。異属性魔法陣、魔王の名を繋げ。変質魔力流入、癒しを成せ!」
タケユキさんの名を込めた魔法陣にリドルカさんの魔力を込め、ペンダントの魔法陣を伝って癒しの力を送り込んだようです。
「無理をさせてしまうが、あれに対抗できるのがタケユキだけなら、なんとかタケユキにあの魔法陣を壊してもらうしかない」
「そんな! タケユキさんは身動きが取れなくなっていましたよ!?」
「魔法陣に傷を入れるだけでも術は崩れるはずだが──」
常世の泉の魔法陣はシュザージでは描き換えることができないようです。身動きできないタケユキさんには、魔法陣を壊せません。氷の檻に阻まれてリドルカさんも──……あ
「シュザージ、タケユキさんのペンダントにリドルカさんの魔力を送れたということは、あの檻はリドルカさんの魔力を通すのですか?」
「いや、すでに檻の中に居るタケユキが身につけていたからこそ、癒しの魔法陣に干渉できた。常世の泉の妨害を超えられたのだ。実際、リドルカの攻撃は氷の檻を通らない」
「すでに檻の中にある力ならどうでしょう? 先ほど、私はチラッて見えたものがあるのですが、シュザージは気が付きませんでしたか?」
私はさっき見た地上の様子を思い浮かべて考えます。
大きな水の手の拳で叩かれ飛び散った土と共に抜け落ち、泉の移動に巻き込まれて泥ごとここへ来たのでしょう。送還の魔法陣のそばに、白い土に埋もれて見覚えのある青いものがあったのです。
リドルカさんの魔力の槍です。
「リドルカ! 来い! タケユキを救えるぞ!」
こっちを見上げたリドルカさんが、勢いよく戻ってきます。ただ、それを聞いていた水の手も慌てたように追って来ました。シュザージってば!
「タケユキがいなければ心で会話ができん!」
「何をすればいい」
帰って来たリドルカさんは傷だらけですが、目が怒りで急いていてそれどころではない様子。
「あの中にある、其方の魔力を操れ!」
シュザージの言葉に合わせて、私は槍を投げた時の仕草をして見せます。
リドルカさんはハッとして、下を見下ろします。
ですが、水の手も下に手の平を向けました。
その途端、目の前にあった青い魔法陣が掻き消えます。
「ペンダントが取られたか!? リドルカ、急げ!」
その言葉より早く、リドルカさんはまたタケユキさんを隠す氷の壁に向かって飛び去っていました。
リドルカさんの魔力がその体から溢れています。青い光を纏ったまま、リドルカさんはその手を高く振り上げました。




