第百七十九話
ドゴゴゴオンっ!!!
と、大きな音を立てて辺り一面、広範囲に地面が盛り上がり吹っ飛んだ。
同時にその上にあった結界が破られたよ。
飛び散り宙を舞う白い泥と白い土。その下の普通の土まで混じるほどの衝撃。そしてあらわになった俺たち。
即座に動いたリドルカさんが俺とテレシーを支えて庇ってくれたので、俺は吹き飛ばされた他の人たちが地面に激突しないよう軽く浮かせて着地させた。
「わぁっ!?」
「きゃあ!」
「ぬあっ!?」
と悲鳴は聞こえるけど怪我はなさそう。
ちゃんと確認する暇などない。
目の前の大きな大きな水の手は、土にめり込んでた拳を上げてこっちを見た。目があるわけじゃないけど見ているのはわかる。指が開いて嬉しそうにワキワキしてる。
見つかっちゃったよ。
俺もテレシーとシュザージを守るように前に出て、リドルカさんと並んだ。
ここでまた神域結界を張っても意味がない。俺の神域結界は姿も気配も隠せるけど、それほど頑丈ではないから。位置がバレてるし、あの攻撃を直接くらったら大変なことになる。
魔傷を負っている人たちもいる。全員を移動させるなんてできないから、なんとかあいつに引っ込んでもらうしかない。
でも、どうやって?
と、思案していたら、ふと水の手の動きがおかしいことに気がついた。
手の平をこちらに向けて、ワキワキしていた指がワナワナと震えている。
襲って来ない水の手を訝しんでいたら、ニーレおばちゃんが頬に手を当て首を傾げた。
「……おかしいわね。あなたたち、いつ交わったの?」
ま?
「なっなっなに言っているんですかあなたは!」
テレシーが真っ赤だ。
なぜかウィラくんやルーシラさんまで頬が赤い。
「そうよね。出会った後はずっと見てたけど、そんな様子なかったわ」
……見てた?
「なのに、あなた方から彼と同じこの世界のものじゃない何かを感じるの。さっきまではそうじゃなかったわ」
おばちゃんはリドルカさんとテレシーとシュザージを見て、俺を見て言った。
「其方、遠見ができるのか?」
「ええ。遠方視の神術よ」
シュザージに問われて、当たり前のように答えるニーレおばちゃん。
え?
まさか、それって……化物を誘導してた時も?
と、俺まで顔が熱くなりかけた時。
バッシャン! と音を立てて水の手が崩れ落ち、地面に大きな水たまりを作って消えた。
「帰った、の?」
「まだだ!」
リドルカさんが剣を抜いて身構えた。
俺とテレシーはびっくりしたけど、シュザージも「うっ」と呻いて警戒する。テレシーも両腕をさすり出した。
「テレシー、寒いの!?」
「ち、違います、何か空気が張り詰めていて……」
辺りを見回すテレシー。
俺にはわからない。
「百年前と同じことをする気ね」
そう言って、ニーレおばちゃんがウィラくんたちの方を見た。
ウィラくんたちは……止まっていた。
ホッとしたような顔をしている。たぶん、水の手が消えた瞬間に止まったからだ。
背中がゾクリとした。
風もなく、晴れかけていた雲も動かず、その隙間から見える星もまたたかない。
真っ暗な中に淡く光る白い地面に、水の手が沈んだ水たまりだけが小さく波立っている。辺りにある小さな水溜りや滴がピチャン、バシャン、と音を立てて、より集まって大きな泉に姿を変えた。
来る!
俺はすぐにテレシーとリドルカさんの手を取って飛び上がる。シュザージがテレシーと一緒について来ているのを確認して下を見た。
「おばちゃん──」
「行って頂戴、その方が助かるわ」
困った顔で手を振るおばちゃん。
常世の泉が狙っているのはシュザージだ。俺たちがここを離れれば、少なくともこの場は安全ということかも。
それならばと、俺は少しでもその場を離れようと神降地山へ向かって飛んだ。
意図を察したリドルカさんは自分で飛ぶ。俺はテレシーを抱え直して飛んだ。
「どうしたんですか!? いったい、何が!?」
「わかんない!」
「来たぞ」
リドルカさんが下を見た。俺も見る。
いつの間にか地上いっぱいに溜まった水が這いずるように追いかけてきていた。バシャン、ビシャンと音を立て、その音はだんだん大きくなる。
その様子はまさに怒り心頭。
化物ジョルアンはともかく、なんで常世の泉までそんなに怒るの!?
次第に大海原の高波のようにザバンザバンと波打ち始め、山際まで追って来た。
テレシーが「ひいっ」と悲鳴を上げた。
「シュザージ! ニーレさんは百年前がどうとか言っていましたよ!? 何か知らないんですか!?」
「知らん! あんなものを見たのは初めてだ!」
そうなのか。
じゃあ、何が百年前と同じなんだろう。
化物の誘導時、一休みした岩棚に降り立ちテレシーを下ろす。リドルカさんは空中にいたまま下を警戒。
常世の泉の高波は、どんどん高さを増しひときわ大きく立ち上がったと思ったら、その先が数本の刃物のようになって伸びてきた。
それをリドルカさんが剣で切り裂く。けど斬れて散るはずの波の刃が意思を持った様に急加速してリドルカさんを貫いた。
「リドルカさん!」
テレシーたちに結界を張りつつテレポートでリドルカさんのもとへ。両脇に手を入れ高く飛ぶ。
「リドルカさん! リドルカさん!」
「……大事、ない」
「大事だよ!」
リドルカさんはグッと体に力を込めて青い魔力を纏う。体中に刺さったままの水の刃がウネウネして、その身に深く入り込もうとしたのを魔力でガードし、追い出そうとしているんだ。
「出て行って!」
俺はリドルカさんにしがみ付きながら自分の力をリドルカさんの魔力に混ぜるようにして送り込んだ。水の刃はバッと霧になって散る。
胸のペンダントが光ってる。
「リドルカさん! しっかり!」
俺はリドルカさんを連れて岩棚まで飛ぶ。
テレシーたちが迎え入れてくれ、すぐにリドルカさんを横たえる。
「リドルカさん! すぐに止血を!」
テレシーが腰の後ろのポーチから、包帯と薬を取り出した。服を脱がせている余裕がないから、避けた服の隙から傷口にかけ包帯で縛る。腕や足はそれでいいけどお腹の深い傷には足りない。
俺は自分の怪我なら治せるけど、人の怪我は治せなかった。治したことがないしできないとも聞いた。
でも、夫婦は一心同体のはずだ!
やってみる!
俺は傷に手を添えて、治れ治れと念じてみる。
その横で、シュザージがリドルカさんの手を取った。
え? シュザージがリドルカさんに触れている?
「リドルカ! 魔力をもらうぞ! 異属性魔法陣、診察、治療……」
シュザージがリドルカさんの魔力で魔法陣を描いて治療しようとしてる。患者の力をもらって治療って、大丈夫なのかな? と思ったら、シュザージが笑った。
「其方、治癒が早すぎないか?」
「……久々だが、慣れている」
リドルカさんの顔色は悪くない。
傷口はまだ痛々しいけど、深い部分は治っているみたい。
魔力で治せるのは良かったけど、慣れてるって。
先帝時代のことだろうか。内乱の頃の話だろうか。帝国での化物の……
思わず唇をキュッと噛む。
息をつく間もなく、また波しぶきの音が近くなる。俺たちのいる岩棚まで水が上がってきたので、振り向きながらぶっ飛ばす。霧散して消える泉の水。
「許さない」
しつこくシュザージとテレシーを狙った上にリドルカさんに大怪我させた。
ぶっ飛ばして、凹ませて、詫び入れさせて、二度と俺たちに手出ししできないように脅さなきゃいけない。
魔力も神力も効かない、この世界の力が効かないなら俺がやるしかない。やってやる!
俺は岩棚から飛び立って、白い大地に広がった常世の泉に向かった。
「待て! タケユキ!」
シュザージが呼ぶけど止められない。
泉の水はまた高波を作り、その先を幾本もの刃先にする。
俺は体に防壁を張って突っ込み、ぶち当たってくる波の刃を粉砕する。けど、水は次々と湧いて出る。このままじゃ俺の体力が先に尽きそうだ。傷を負ったリドルカさんの負担になるわけにはいかないのに。
こいつの狙いはそれかな?
決め手はないかな。
心を探るとかできるかな。
物凄い敵意は感じるけど、考えていることまではわからない。
「タケユキ!」
リドルカさんの怒りまじりの声にビクッとして岩棚を仰ぎ見た。
そして、ギョッとした。
岩棚を飛び出して飛んで来てくれたリドルカさん。その背後に低く雲が深く立ち込め、そこから無数の水でできた手が見えた。
あの雲はまさか、常世の水!?
水の手は一斉に人差し指を作った。
何かする気だ!
「リドルカさん危ない!」
急加速で飛び上がりリドルカさんに手を伸ばした時。雲から伸びた手がクッと動いた。全部がバラバラに、でも見覚えのある動きを──
「魔法陣だと!?」
岩棚からシュザージが叫んで下を見ている。と、突然後ろから何かに引っ張られ、ダンっと強く背中を打った。
「なっ、なにこれ!?」
地面に大の字に落ちた俺は動けない。
この世界の力は俺を拘束できないはずなのに。
上を見れば、手をつかみ損ねたリドルカさんを空から地上から伸びる無数の手が襲いかかっている。
周囲を見渡せば地面から炎のような赤い光が立ち上ってた。何が起こっているか俯瞰して確認するため力を使おうとしたら、フッと後ろに抜けていくのを感じてビクリとする。
超能力が、俺の力が抜けていく!?
「リドルカ! 早くタケユキを! あの魔法陣は、まさか──」
縦横無尽に交差する長く伸びる水の手の向こうからシュザージの声がきこえ、その水の手に邪魔され俺に近づいて来れないリドルカさんが見えた。
なんで力が吸い取られるの!?
しかも張り付いたように動けない。
いや、どちらかというと吸い寄せられてるような気がする。土の上にいるはずなのに後ろに空洞があるような、不思議な感覚がして体が震えた。
そこにまた、シュザージの声が。
「召喚の魔法陣が書き換えられている!」
その言葉で思い出したのは、滅びの都の塔の上。
この世界で初めて見た魔法陣。
もしかして、この背中の向こうは、元の世界に繋がっている?
目の前に伸びて来た一本の手が、くくっと指を動かして……笑った。
「嫌っ! タケユキさんを送り返さないで!」
テレシーの悲鳴が聞こえた。
つまりはそういうことらしい。
こいつは、俺を送り返そうとしている。
俺はグッと唇を噛んで、暴れた。
常世の泉が、邪魔な俺を元の世界に送り返そうとするなんて、そんな手に出るなんて思いもしなかった。
転移もできない、飛行もできない、力を使おうとしたら背後の魔法陣に吸い込まれていく。
「い、嫌だ、やだーっっ!」
涙が浮かぶ視界の向こうに、傷だらけになって俺を助けようと手を伸ばすリドルカさんがいた。
俺も手を伸ばそうとしたところで、網のように交差した水の手が水の壁になりビキン! と音を立てて凍りついた。
俺の涙だけが、頬を伝い流れた。




