第百七十六話【ウィラネルド:あいつは本当に馬鹿だった】
ラスタル王城の中庭。
リドルカ殿が、テレシー殿と賢者殿を連れて飛び去った後。
なんとか踏ん張っていた私も地面に手をつき崩れた。
「ウィラネルド殿下! どうされました!?」
駆け寄り私は支えてくれるじいに問われ、先ほどの光景を思い出す。
真っ白な大地に現れた毒々しい紫の滲み。
まるで血溜まりのようにも見えた。
そこから流れ出した血のような筋が、うねりながらじわじわとラスタル神王国へ向かっているのも。その先端でうごめく、大きな虫のようなものも。
気持ち悪さに口元を押さえていたら、声が聞こえた。
「……ナルディエ神王国は、終わった」
先に崩れ落ちていたモーリスが起き上がり、言う。いつの間にか首にかけている神石の飾りを握り込んでいた。
「私はナルディエ神都に行ったことがある。子供の頃だが、神都の西側にある庭園に招かれた。広大な広葉樹の庭園で花の季節にはそれは美しく、園遊会もよく行われていた」
「モーリス?」
「庭園は、本当にすぐそばだったのだ! なのに、なぜ神都が無くなっている!? あの大きな都が!」
あんなに握り込んでは手が傷つくのでは? と思うほど、強く神石を握り込むモーリス。
おそらく、遠方視の神術を使ったのだろう。
私はあまり得手ではない。それに空を飛んだのは僅かな間だったのに、それができたのはさすがだな。
妙に冷静に、そんなことを思ってしまった。
本当に、ナルディエの都は消えたのか。
あれほどわずわらしかったナルディエ神王国が……
誰もが息を飲んで、動きを止めている。
だが、そこにパパンと手を鳴らす音が。
「ナルディエの神都で化物が現れ、こちらへ向かっていることは間違い無いのね。ならば、賢者様の策に従い退治する他ないわ。惚けている場合ではなくてよモーリス。ラスタルが落ちれば、次はバロウよ。あのジョルアンがラスタルに付いたバロウやウェルペティを見逃すと思って?」
高い声で響く言葉に、モーリスも私もハッとする。
アデレイを見た後、じいに向き直る。
「じい、神石の準備は!?」
「第一便はもう直ぐ整います。次の馬車には神王石を乗せる予定です。神王陛下の許可はいただきました」
「神王石だと!?」
じいの報告に一番驚いたのはモーリスだった。
「神王石は守りの要、神王国から魔を排除するべく建国のおりに神に賜った石だ。その力を使ってしまえば後のラスタルは──」
「モーリス。今、迫りくる化物を退治できねば“後の”などと悠長なことは言っていられなくなるのだ。むしろ、魔を排除するためにある物なら今使わねば意味がない」
「ウィラネルド……」
モーリスが困ったものを見るようにしてため息をつく。
と、その時。モーリスの背後にバロウの官司がやって来て、側つきの官司に耳打ちした。その官司がモーリスに小声で何かを告げると、モーリスは舌打ちをして頭を掻いた。
「すまんが、少し場を外す」
そう言って、モーリスは官司たちと共に中庭の隅に向かう。
なんだろう。
いや、今はそれどころではない。
「じい、父上には礼を言ってくれ」
「ええ、現場に行ってご自分も手伝いたかったそうですが、堪えられたことにも感謝してください」
「それはありがたい、父上が来られても迷惑……ゴホン、神王石の件、感謝する。では先発の馬車とともに私も行こう」
「待ちなさい、ウィラネルド。たぶんモーリスはあなたと一緒に向かうわ」
「は?」
指差された方向を見れば、場を外したモーリスが戻って来た。一人で駆けてくる。
「何をしている、行くのだろう?」
「あ、いや。其方らも来てくれるのか?」
問えば二人は呆れたような顔をした。
「当然でしょう? さっきも言ったけど、今回の件は神王国全体の危機なのよ」
「ふん。それに、賢者殿は私たちも頭数に入れているはずだ」
確かに、そうだとは思ったが。
二人が自ら協力すると言ってくれたことがありがたい。これからはバロウとウェルペティとは、かつての兄弟国に戻ることができるのだろうか。ナルディエは……まだわからんが。
「では、よろしく頼む」
そうして、私はモーリスと馬車に乗り込み、上位神術士数名と神石を積んだ馬車と騎士を率いてラスタル神都の北にある荒野へ向かった。
馬車の中で、私はほんの少し浮かれていた。
これから恐ろしい化物と対峙せねばならんと言うのに、だ。
賢者殿にリドルカ殿にテレシー殿、それにタケユキ殿も力を貸してくれている。他の神王国とも手を取り合える。ラスタル神王国はもう安泰では……
「ウィラネルド。あの者は……いまだその身を狙われている」
「は?」
あの者?
首を傾げれば、モーリスはまた舌打ちをした。
「賢者殿と魔王の奥方だ」
「タケユキ殿が!? だが、タケユキ殿は神ではないと──」
タケユキ殿が神かもしれないと父上が言ったせいで、あちこちが色めきだったのを思い出す。新たな神を手に入れようと、ナルディエが神殿で化物を作り暴れさせてタケユキ殿を奪おうとしていたこともあった。
だが父上は言ったのだ。勘違いだったと。
キッパリと否定して、少なくともモーリスはそれを信じた、と思っていた。
モーリスは呆れた顔で首を振る。
「私ではない。今、あの者を狙っているのはバロウ神王と私の弟妹の手の者だ」
「はぁっ!?」
「お前は政権争いには無縁かも知れんが、パロウもナルディエも兄弟間で次代を争っている。ウェルペティは知らんが、兄弟姉妹がいれば当然だ。其方の父王とて、例外ではあるまい?」
幼い頃に見た、いがみ合う父と叔父の姿が浮かぶ。スタングと二人、泣きながら見ていた。
「もともとラスタルにもフレンディスの別邸にも弟妹派閥の官司がいた。其奴らにバロウの窮地は私の失態として本国へ知らされているだろう。それを好機と、私を次代の座から引きずり下ろしその地位を奪う算段をしていてもおかしくない」
モーリスは、東の空を睨みながら吐き捨てるように言った。
「弟妹は……わかったが、バロウ神王がなぜ?」
「ナルディエがあの者を狙ったのと同じ理由だろう。あの者が神降地にいる我らが神とは別のものだとしても、稀有な存在であることは確かだ。魔法陣の賢者と魔王を従え、紫神石の秘密を解き明かし、常世の泉すらものともしない。神託であったこの世の理を変える者だと、誰もが思っているはずだ。そして、それを欲しがらない野心家はいない」
「し、しかし、タケユキ殿はその魔王……リドルカ殿と賢者に守られて御自身も強く──」
「ほとんどの者が守られて溺愛されている姿しか見ていない。自身に武力に抗える力があるかなど、私も知らん。其方は知っているのか?」
「それは……」
投石の技や、おそらく自在に心を読めること、彼らだけで通じ合う何かを持っていることはわかるが。確かに見た目からして強そうには見えない。そばで見ていても何かあるとは思えど、何があるかはわからなかった。
「賢者殿と魔王の守りの隙をつけば奪えると思う、愚か者がいてもおかしくない」
「いや、だが、こんな大変な時に一体誰がそんなバカなことを?」
「こんな時だからこそだ。化物と戦う最中、もしくはその後の疲労したところを狙ってくるのではないかと思う。私なら、戦いの混乱に乗じてあの者を攫う」
「モーリス!?」
「いや、賢者殿が亡者と知らず噂通りただの詐欺師と思っていれば、女王の少女の方が狙い目に思えるかもな。しかも、彼女はあの者の妻。手中に入れればあの者を拐かすのと同じ効果を得られると」
「なっ、何を言っているのだ、モーリス!」
「バロウの神王一族の思考を思えば、奴らが似たことを考えていてもおかしくない。私とて……神殿での化物やあの光景を見ていなければ何かしら企んだだろう」
そう言ったモーリスは、一度口を閉じて目を閉じた。
一つ息をついてまた、口を開く。
「父王は紫神石を欲していた。いずれは神王国を統一し、神降地の神をも手中にし神石を独占し世界そのものを手にするという野望を持っていた」
「……な」
「愚かしいな。ラスタル神王よりも愚かだ。もしかしたらナルディエ神王も同じ野望を持って帝国に侵攻したり紫神石を容認していたのかも知れん」
眉をしかめるモーリス。
私は言葉を返すこともできず、現神王たちの愚行を思って唇を噛んだ。
「あの光景を見せてくれた賢者殿と魔王には感謝する。私は、自国をあのようにしたいとは思わん。ましてや、あの者を傷つけるなど……」
最後は小さく小さく呟かれた。
その目は窓の外を見ている。進む方向、見えない誰かを見ているようだ。
だが、すぐに首を振って私に向き直った。
「私は父王と袂を分かつ。いや、もともと相容れんことが多かった。ウィロックとルーノルグの件も、ベルートラス侵攻も、無謀だとは思ったが次期神王の地位を守るために父王に従って私が進めてきた。だが、その失敗を押し付けられて切られるなどごめん被る」
おお、それはラスタルも似たり寄ったりだ。
うちの父王は無策無気力で何も考えず面倒ごとを私に押し付けて引退しようとしていたわけだがな。逆に押し付けろと賢者殿に策をいただいたが……私は父上に罪を負わせることはできなかった。
いささかの自嘲を浮かべ、モーリスに問う。
「それで、モーリスはどうすると?」
疑問を口にすればモーリスは至極冷静に言った。
「当然、賢者殿に助力して化物を滅ぼす。邪魔をする者は阻む。配下の者には父王や弟妹の神使どもを捕らえるように命じた。だが、本国から密かに増援が来ているかも知れんし、ナルディエの逃げ出した神使たちも潜んでいて何かしら仕掛けてくるかもしれん。ウェルペティは……わからんがな」
「ウェルペティの者たちは魔法陣に心酔している者が多い。故に別の懸念もあるが」
魔法陣見たさにこっそり荒地にいく馬鹿がいたら困る。
「……その程度なら、アデレイが抑えるだろう」
「でも、それだけ数がいたなら、我らだけで対応できるか?」
「戦闘になれば不利だ。賢者殿に伝えて彼らの戦略と合わせる必要もあるが……外で話をすれば音拾いの神術を使える者に知られ裏をかかれるかもな」
「そうだな。小さな紙にその件を書いて知らせるのはどうだ?」
「うむ、それがいいな。もちろんその役目はウィラネルドに頼む。私がやったらよけい怪しいだろう?」
不器用な笑みを見せてモーリスがそんなことを言う。
冗談のつもりかもしれないな。
その通りといえばその通りなんだが。
私もまた、小さく笑みを返した。
こちらがきちんと対応し話せば、モーリスは驚くほど話の通じる相手だった。
そういえば、アデレイはモーリスのことを感情より実を取る性格だと言っていたな。次代の地位を争う兄弟がいる中で、その地位を守り続けているだけはあるのか。
ジョルアン相手には声を荒げることが多かったが、それはジョルアンが何かと怒鳴ってわがままなことばかり言っていたせいかも……
「もう直ぐ到着か。後は賢者殿がどうでるか……──ウィラネルド?」
私が唇を噛んでいると、モーリスが訝しげな声を上げた。
私はまたひとつ、問うてみる。
「ジョルアンはなぜナルディエを滅ぼしたのだろう」
自国を滅ぼした上に、あいつ自身も死んだと聞いた。
「賢者殿の予想では、ジョルアンが化物を作るならラスタルの民を犠牲にするだろうと言っていた。なのに、なぜ?」
「賢者殿の予想を上回る馬鹿だっただけだ」
なんて事のないようにモーリスが言う。
「おおかた、気に入らないことがあって癇癪を起こして紫神石を発動させたのだろう。あそこは似たもの親子だったから、くだらない喧嘩で暴発した可能性もあるな」
はっ、と鼻で笑ってそんなことを言う。
「あいつは本当に馬鹿だったのだ」
そこまで話したところで馬車が止まった。
全てが落ち着いたら、またモーリスと話そう。
アデレイも含めて、真っ当な次代会議がしたい。
未来について語りたい。
私はそう思いながら馬車を降りた。




