第百七十話
神王国の大地は西から東まで白っぽい。
空の高みから見下ろせば、北にある真っ白な神降地山脈から南のフレンディス国までパステルカラーなグラデーションになっているのがわかる。全体的に色味が淡い。
そんな中に、毒々しい濃い紫のシミがある。
ラスタル神王国から西の方面。
大きな湖のような丸に近い形のシミは、血の池のようにも見えた。
そこから川のように流れ出した紫の筋、うねるように蛇行していく先々に血溜まりのような場所を作りじわじわと東に伸びてきている。
その先端に、紫色のモヤを纏った化物がいた。
シュザージがサッと魔法陣を描いた。通信の魔法陣のようだ。
『クレオ、スタング、今すぐ引き返せ! 化物が出た!』
『はいっ!?』
魔法陣の向こうから、クレオさんの驚く声が聞こえた。俺も驚いた。
シュザージらしくない。
そう思って目を向ければ、シュザージが真っ青になっていてテレシーが胸を押さえていた。
「テレシー!?」
呼びかけと同時に、テレシーの指が口元で「しー」と言っている。
心の中で、シュザージに語りかけている。
『落ち着いてください、シュザージ。ここはテルセゼウラじゃありませんし、あれは滅びの──テルセゼウラの都ではありません。理不尽王子の暴走でしょうが、理由も事態も違います。過去と重ねてはいけません!』
シュザージ……
俺はシュザージとテレシーをまとめて抱きしめた。
都が滅ぶ姿と王子の暴走であろうとの推測を、シュザージは自分の過去を重ねちゃったのか。
シュザージのトラウマは重い。
『シュザージ殿下? 何があったのですか?』
魔法陣から、クレオさんの冷静な声が聞こえた。背後から動揺した声も聞こえるけど、クレオさんは落ち着いてる。
「今、ラスタル神都の上空にいる。西方、ナルディエ神王国の神都が、魔に沈んでいるようだ。帝国を襲った化物に似たものが、ゆっくりラスタルに向かってきている」
リドルカさんが頑張って説明してる。
俺も頑張る。
下を見て、街道を探す。あ! クレオさん達の馬車発見!
今朝出発したばかりだ、まだそう遠くまでは言ったないと思ったけど、思った通りだった。
「まだまだ距離はあるよ! 化物はまだナルディエとラスタルの半分くらいの距離にいる。動きも遅いし、逃げる時間は十分あるよ!」
シュザージにも伝えるつもりで言ったら、テレシーもシュザージも俺を見た。俺は下を指差す。たぶんテレシーとシュザージには見えないけど、あの辺りにいるよと示してみた。
二人がホッとしたのがわかる。
『……すまない、取り乱した。クレオ、そちらに何か影響は出ていないか? 魔物は?』
『来ていません。この通信を聞いた周囲の者は随分動揺していますが』
『わっ、私は冷静です! 魔物は三度目です! こ、こ、怖くなんかありません!』
スタングさんの声が震えている。奮い立とうと頑張ってるものわかる。
「あれ? 三度目?」
「ホーケンの山で遠目に見たのが一度目ですね」
俺の何気な疑問にテレシーが答えてくれた。
リドルカさんが作った幻の化物か。二度目が神殿で食われちゃったアレで、遠目に見えるアレが三度目なんだね。それを含めていいなら俺は五つ目だ。でも、あの化物はそのどれとも違う気がする。
リドルカさんも目をすがめて見ている。遠見をしているんだ。
「あれは、帝国に出たものより小さく見えるが……おかしい」
俺もしっかり遠見で見てみる。
確かに。黒くないし、動きも変だ。
でも、きっと多くの人や生き物を飲み込んでいるのは確かだろう。
黒ではなく紫だけど、大きな血の池のように見えるあれは大きな都の成れの果てじゃないだろうか。所々に見える血溜まりのようなのは、町か村か。
遠すぎるから、人がどうなっているかまでは見えない。俺の勘違いならいいとも思う。
リドルカさんが頭を撫でてくれた。
リドルカさんの見立てでもそう思うのか。
シュザージは大きくため息をついた後、通信の魔法陣に向き直る。
『官司を乗せた馬車は急いで引き返し、ウィラネルドたちに報告を。足の速い神馬の騎士の一部を国境に向かわせナルディエ側から避難者が来たら南に向かわせろ。化物はラスタルの神都へ向かっている可能性が高いからな。危機を知らなければ知らせて避難をうながせ。国境側の町や村には元ラスタルの民が多くいるはずだ』
通信の魔法陣から「はい!」と野太い声が聞こえた。ラスタルの騎士かもしれない。
『他の騎士は北西の村や町を回って在中している兵士に報告。訓練はしているはずだから、兵士に村人を同じく南へ避難させろ。魔物には気を付けろ、足の速いものならそろそろ来ていてもおかしくない』
『わかりました! では私は、北西に向かう騎士と一緒に向かい魔法陣で神術の補助をします。神王一族の私が同行すれば、民も安心するでしょうし』
スタングさんが力強くそんなことを申し出た。
『では、僕はナルディエ側に向かう者に同行しましょう。通信の魔法陣をお預かりしているのであちら側の報告をします』
シュザージは『くっ』と小さく呻いた。
大事な弟子と忠臣だ。止めたいんだね。でも止められない。行ってもらった方がいいのはわかるから。
『……だが、無理はするな。まずいと思ったら一目散に逃げろ』
『はいっ!』
『承知しました』
そこで一旦、通信から意識をこちらに戻すシュザージ。
テレシーがポーチから紙を取り出した。シュザージはその紙に魔法陣を定着させる。テレシーはそれを上着の胸元ポケットに入れた。たぶんそれで、継続的に通信の魔法陣が起動しっぱなしになるんだ。
テレシーは俺を見て笑った。
「長くは持ちませんが、しばらく持てば十分でしょう」
テレシーは手慣れてる。
「俺たちは化物を調べるんだね」
俺がそう言うと、シュザージもリドルカさんもうなずく。
すぐに倒してしまえたなら、リドルカさんならそう言っただろう。でも、あの化物はこれまでと違いすぎてうかつに手を出すわけにはいかない。
「空から行けば、すぐだ」
俺たちは高度を落とさず化物に向かって空を飛ぶ。
リドルカさんは化物を観測し、俺は地上の様子をできるだけ細かく観る事にした。
街道に一時止まっていた使節団は三方に散って動き出す。
今のところ、ラスタル側に混乱は見えない。けど、ナルディエ側はどうだろう。国境付近まで来たけどまだ慌てて人が移動しているようには見えない。
俺は見たことを逐一みんなに伝えた。
『クレオ、国境付近は今のところ動きがないようだ。だが気は抜くな』
『はい』
クレオさんは馬で駆けているようだ。
俺たちは空を移動し、化物の上空まで来た。
リドルカさんが化物本体を注視しているので、俺は周囲を見てみた。
なんだか変な感じがするな。
そうだ、帝国の時は化物の周りには魔物が走り回っていたんだ。取り込まれたけど魔落ちして浅い動物なんかが、化物から逃げ出して周囲に散り散りに逃げ回っていた。それが鉱山の町や帝都の付近まで来てまだ魔に汚染されていない生き物に襲いかかってたんだ。それが少ない。いないわけじゃないけど、とても少ない。
ふとその時、紫に染まった鹿のような魔物が化物から飛び出して逃げた。足が早く伸ばされたモヤは届かない。が、そのモヤの先から光が飛び出した。
それが当たった鹿の魔物が、光の塵となってモヤに吸い込まれモヤの一部になる。
「……え? あのモヤ、神術を使ったよ」
『何!?』
リドルカさんも目を見開いて見ている。
「化物が、光の塵を吸い込んだ。魔落ちした生き物を、取り込むように……」
そんな言葉にみんなが息を飲む。
シュザージが頭を抱えた。
『なんてものを……』
言葉は途切れてしまったけど、心の中は罵倒の嵐。これまで魔物を使って巨大化させた化物への対策はいく通りも考えていたシュザージだったけど、神術を使う化物なんか想定してなかった。
「シュザージ、一度ラスタルへ戻りましょう」
『テレシー!』
「このままぶつかって危険な目に遭うのは、タケユキさんとリドルカさんです。魔法陣を使った的確な補助と確実に仕留められる作戦がなければ、またタケユキさんが死ぬ目に合うかもしれませんよ?」
俺はもうあんな無茶はしないよ。
あの時戦ったのはリドルカさんで、俺は町の人の救助をしてただけだ。
でも、もうリドルカさんを一人で戦わせるなんてしたくないし、こんな大きな国の村や町を全部救うなんてできない。
ラスタル神王国までの間にはまだまだ町も村もあるはず……あれ?
化物の向かう先を見ていたら、神馬で走る一団が見えた。
リドルカさんも気がついてそっちに目をやる。
『まさか、ジョルアンか!?』
シュザージに言われて、帝国でのことを思い出す。
帝国では紫神石から声が聞こえた。通信の神術を応用したのか、それで紫神石の周りを見たり化物を操ったりしてた。
もしかして今回も? と思ってよく見たら、違った。
一団と言っても馬は三頭。泡を浮いて爆走する神馬はいつかの女装少年を乗せた暴れ馬のようだが、乗っているのは少年と帯剣した兵士のような人と侍従のような服を着た人。
「ジョルアンじゃない、けど……」
化物の来た道筋と彼らの位置を考えたら、まるで化物が彼らを追って来ているような気がしてゾクリとした。
「行くぞ」
「はい!」
「え!?」
『どうした!?』
高い空から急降下。
驚いたテレシーとシュザージだったけど、すぐに俺たちの目的が伝わったみたいだ。
リドルカさんがテレシーと俺を抱えてくれたので、俺は飛ぶための力を切って別のことに集中する。
低いところまで降りて、神馬の少し上を並ぶように飛んだ。
三頭の暴れ馬、その馬上の人を落とさないように気をつけて──
浮け!
超能力的に言えば念動力だ。
神馬の足はバタバタと動いているが、馬の揺れがなくなったことで馬上の人の内二人が顔を上げて驚いた。少年は馬にもたれかかったまま動かない。
「なっ、なんだ!? 浮いてる!?」
「ヒイッ 化物め! 死にたくないーっ」
「死なないから落ち着いて」
上から声をかけたら、二人は見上げて絶句し、気絶した。怖いことが連続しすぎて切れちゃったみたいだ。
でも少しだけ心を読めたよ。
帯剣している方は軽装ではあるけど騎士らしい。もう一人は侍従。
そして、あの少年はナルディエ神王国の王子らしい。
また暴れ馬に乗った王子を拾っちゃったよ。




