第百六十九話
翌朝。
陽が登ったばかりのラスタル神王国王城の西門に馬車が二台と十人の騎馬が出立の準備を整えていた。
「では、行ってまいります」
「皆、気をつけて行くのだぞ。何か怪しいと感じることがあれば即座に引き返せ」
ウィラくんをはじめ、ルーシラさんやモーリス王子も律儀に見送りに来ていたよ。俺たちもスタングさんとクレオさんの見送りだ。
クレオさんは肩から襷にかけられる丈夫で薄手のカバンを用意し、通信の魔法陣の描かれた銀盤を入れている。ぴったりサイズだ。よく見つけたね、そんな袋。
ホクホク顔のクレオさんの隣で、まだうらめしそうなうらやましそうな、そんな顔のスタングさん。
『其方ら、ちゃんと寝たのか?』
「もちろんですよ、殿下」
「え、ええ。大丈夫です」
昨日、会食の後。
部屋に戻ったシュザージは、すぐに通信の魔法陣を準備した。
テレシーがとっておきの銀盤を出して来て、術道具のひとつだというクレパスみたいなペンを握った。シュザージはペンが握れないのでテレシーの手で魔法陣は描かれたよ。
俺もリドルカさんも見てたけど、たくさんの人がテーブルを囲んでてテレシーは描きにくかったんじゃないかな。
スタングさんとクレオさんはもちろん、ウィラくんルーシラさんモーリス王子、更にそれらの側近の中からくじ引きで選ばれた数人の官司や騎士がギラギラした目で魔法陣が描かれる様子を見てたよ。
何人かは必死に覚えようとしていたけど、シュザージは魔法陣記号の中にフェイクを混ぜて、たとえ旧テルセゼウラのベテラン術士でも扱いに迷うような面倒な魔法陣を描いたんだって。後でテレシーが教えてくれた。
もしも覚えた誰かが、万が一にも魔法陣を発動させないように。だって。
今のところ魔法陣はテルセゼウラの唯一の売り物だからね。でもその凄さは見せつけたいから見学も許したそうだ。
使い方の練習のため、クレオさんとスタングさんは城のあちこちに行って魔法陣を通してシュザージと会話してた。部屋に入れなかった抽選漏れの人たちがそっちについて行って通信ができるのを見てどよめていたよ。
シュザージはこっそりスタングさんに『あの魔法陣は覚えても意味がないから、余計なことはせず明日に備えて早く寝ろ』と言ったし、スタングさんは「はい」と答えた。なのにちょっと眠そうだね、スタングさん。
見送りに出てきている官司の何人かも眠そうだ。
「出立!」
騎士の号令で馬が歩き出す。
「いってらっしゃーい」
俺とテレシーも手を振った。
こうして、ナルディエ神王に向けた親書を携えて、使節団プラス偵察隊が出発した。
「この親書で方がついたら一番楽なんだけどね」
「そうですね。でも理不尽ジョルアンさんと理不尽神王様が素直に従ってくれるでしょうか?」
『使節団の奴らには、いくつか守りの魔法陣を持たせたが一瞬の隙をついて逃げ出すのがせいぜいなものだ。無事で帰ってくれば良しとしよう』
届けるまでに何かあるかもとは、実はみんな思っている。
だからウィラくんは何かあったら撤退を言いつけている。
馬は足の速い神馬を用意したし、使者たちも心得ていて用心している。
なのに、西の空を見ていたらなんだか不安なんだよな。
「魔力の気配は、ないのだがな……」
リドルカさんまで不安なことを言ってる。
「なら、すでに化物が出て来てるって、ことはないんですね?」
テレシーが不安そうに聞き返した。リドルカさんはうなずく。
『できるだけ間をおかず、通信の魔法陣を開くことにする。何もないうちから気を張っていると無駄に疲れるだけだ』
「賢者殿の言う通りだ。我々も警戒だけは怠らぬようにしよう。アデレイ、モーリス」
ウィラくんはルーシラさんとモーリス王子の方へ行った。モーリス王子は時々目が合うとそらすね。どうでもいいけど。
それより、今日は時間があるのかな。
俺はちょっと気になる事があるんだけど。やってみたい事と言うか、行ってみたいところと言うか……
「タケユキさん?」
北にそびえる神降地山脈を見ながらそんなことを考えていたら、テレシーが困った顔で俺を見た。
『うむ。とりあえず部屋に戻るか』
あれ? シュザージは笑ってる。ニンマリと。
そんなわけで、俺たちは客室まで戻ってきた。
テーブルには着かず、お茶もなし。まずはテレシーに話してみよう。
「あのね、この前リドルカさんとフレンディスの国境辺りまで行って帰ってきたでしょ? あの山ならもっと近いから、行ってちょっと見て、帰ってきてもすぐだと思ったんだ。今なら少し時間もあるし、俺も元気だしね」
「見るだけ、ですか?」
「うん。神様が……いるかいないかだけ、見て確認したいだけ」
「なぜだ?」
テレシーもリドルカさんも不思議がってるね。
うーん、どう説明しよう。
俺は説明が下手だから。
『タケユキが思ったことをそのまま言ってくれれば良い』
シュザージがそう言うと、テレシーも「そうですよ」とうながし、リドルカさんもうなずいてくれた。
俺はちょっと考えつつ、思ったことを順に話すことにした。
「えっと、俺のご先祖が妻子を放り出していなくなったのも千年くらい前らしいんだけどね。ばーちゃんは昔、神様なんだからまだどこかにいるかもしれないって、探し回ったんだって……」
まだ小さかった頃のばーちゃんの話。
みんな、突然の昔話もちゃんと聞いてくれてる。
「ばーちゃんの母さん、俺のひいばーちゃんが悲惨な最期を遂げた時。神なのに助けてくれなかった先祖を、ぶっ飛ばすために探し回ったって聞いたよ」
でもいなかった。
見つからなかった。
泣いても叫んでも出てきてくれなかった。
だからばーちゃんは決めたんだって。
『子孫すら守れないモノが神なわけがない! あたしは神の子じゃない! 神じゃないから誰一人救ってやるものか!』
ばーちゃんの昔話。
これは忘れてたんじゃなくて覚えてたんだよ。うろ覚えだけど。
「けど、ばーちゃんはじーちゃんに逢って変わったんだって。一人ぐらいは守ってやろうって」
夫ぐらいは。子供ぐらいは。孫ぐらいは。家族ぐらいは。
母さんはその教えを守っている。俺だけ守り損ねて悔やんでたけど、ばーちゃんに託すことで守ってくれたんだ。父さんと喧嘩して、運命の人を切り捨てる覚悟までしてね。だから悔やまなくていいと思う。
俺の心は相変わらず、三人に流れやすいね。
口で半分、心で半分、俺は思うことを話した。
「えっと、えっとね、俺のことはいいとして。もしかしたら神降地にはもう神様はいなくて、神降地神殿の人が神様のフリして騙しているのかもって思ったんだ。神殿の人ってひどい人多かったし。子孫が無茶苦茶困ってるのに助けないのは、いないからかもしれないって」
いないならいないでいい。
わざわざウィラくんたちに教える気もない。いるって信じて頑張ってるのにそんなこと教えてやる気がなくなっても困るし、神王国がこれ以上荒れるのも困る。
知ることで、ウィラくんたち子孫が先祖に縛られる必要はなくなるかもだけど、知りたくなったら子孫の誰かが調べるだろう。
「俺が知りたいだけだから、ダメなら別にいいよ」
なんでか自分でも何言ってるのか分からなくなってきた。
こんな大変な時にすることじゃないね。
やっぱりいいや、と思ったら、シュザージが『ふっ』っと笑った。
『タケユキ、もし神降地に神がいたらどうする?』
いたら?
「いるのにほったらかしにしてるなら怒る」
ぷうっと怒った声で握り拳を作ったら、シュザージはさらに笑った。
「なんですかシュザージ。どうして笑っているんですか?」
テレシーも語尾強めに抗議した。
『いや、おそらくタケユキは神に対して怒ることはしない。できないと思ってな』
「なんで?」
『この世界の神のあり方は、タケユキの世界とはかなり違う』
俺が首を傾げると、シュザージはテレシーに向き直る。
『空の魔石があったろ? 小さいものでいい。それをひとつリドルカに渡せ。リドルカはそれに魔力を入れろ』
「はあ……」
テレシーはよくわからないという顔で、シュザージの言う通りにした。リドルカさんもわからないまま空の魔石を受け取って、魔力を込める。
すると、真っ黒だった石が綺麗な濃いめの青になった。
リドルカさんの魔力の色だ。
でも、これがどうしたの?
『テレシー、これで湯を沸かしてみろ』
「は!? こんな時にですか!?」
『こんな時だからだ。神石と魔石の手袋を外して、この石の力だけでだ』
「……むう、わかりました」
わからないけどわかりましたと、テレシーはヤカンを持って来てリドルカさんに水を入れてもらって、魔法陣を描いた。テレシーが覚えた数少ないお湯を沸かす魔法陣。
「え? あれ!?」
ヤカンはすぐに沸騰して湯気を噴く。
テレシーはリドルカさんを見て、シュザージを見た。
『恐ろしく使いやすい魔力だろう? もし、我々以外の者がその魔力を知ったら、その力をなんと呼ぶだろうか』
「シュザージ……」
リドルカさんが不安げな声をあげた。
『そうだ。千年前は世界中が魔力で溢れていた。其方のような前例がいてもおかしくない。そして、人々を脅かす魔力を打ち払いたいと願って、変化させることもありえなくはない』
え……? それってつまり……
『ラスタル神王は、タケユキと共にいたリドルカに神と同じ気配を感じていたのだ。単身でリドルカに接することで気が付いたのだろう。今度はそれを誰にも口にせず秘しているようだな。同じ失敗はしないと信じたい』
ラスタル神王はあの会議の時、ウィラくんや爺やさんに「勘違いだった」とだけ告げたらしい。ウィラくんが俺を神ではないと認識していたのに、リドルカさんが同じ気配をしていることを知らなかったからそう思った。と、シュザージは言う。
でも、それとは別のことにリドルカさんは驚いている。
「俺の力は、タケユキの運命と繋がり、変化したはず」
『其方はそうだが、千年前に似たことがあってもおかしくないし別の理由があるかもしれない。タケユキの御祖母殿は一つの出会いで力の使い方を変えられたわけだしな。すべては憶測だが』
シュザージは俺に向き直る。
『私は神王国や神の子孫どもがどうなるかは、それぞれが考えれば済むことだと思っている。だが、確実に次代神王となる者がリドルカの気配を知り、神に対面した時、何を考えるかが不安なのだ』
俺の頭にポンと手を乗せる。
『神の真実を悟りながらも受け入れられなかった時に、新たに降臨した神以上の力を知っていたら、何を思うか……』
俺は神じゃないよ。と言いたいけど、悲しいかな俺は元の世界の神の子孫で、この世界の力より使い勝手がいい便利な力を色々持ってる。
前に、シュザージに俺の世界の神様にできることをひとつひとつ聞かれて、よく考えたらほとんど俺ができることだと気がついた。
俺なんか、本物の神様に比べたら大した力じゃないだろうけど……でも、認めなきゃしょうがない。神様の子孫だって。
「だから、今の神の元で真実、神王となってから、と?」
リドルカさんがシュザージに問う。シュザージはうなずく。
今の神様が変質魔王石な神様としれれば、信奉相手を変えようとするかもしれない。要は、俺を信奉しないでね。ってことか。
『気をつけるのは其方もだリドルカ。その魔石はすぐに廃棄するが、二度と魔石に力を込めるな。簡単に誰にでも扱いやすく、魔に落ちる心配も塵になる心配もない力があると知られれば、お前を捕らえてその力を搾り取ろうとする者は必ず現れる』
わああああああっ!
「それはダメ! 絶対ダメ!」
思わずリドルカさんに抱きついた。リドルカさんも俺の頭を撫でてくれる。
「落ち着け。誰が俺を捕らえられると?」
「わかりませんよリドルカさん、それこそ、今の神様だって神降地神殿に囚われて力を絞り取られている可能性があるんじゃないですか!?」
「ええっ!?」
『テレシーも落ち着け。それも考えうるから、私も確かめてみたいとは思っている』
「確かめに行こう!」
ポスっ、と柔らかい手が俺にチョップ。
『落ち着けと言っているだろうに。今の状況で勝手にいなくなるわけにはいかん。空に上がる理由を告げて、うっかり神降地へ行こう』
「うっかり?」
『上空魔力の流れも見てみたいと思っていたのだ。先日、リドルカが単独で空に上がったところを目撃させているので、飛ぶことに不自然はない』
神殿の化物騒ぎの時も空から強襲したしね。
『もしもまた化物が出たら、魔傷治療の魔法陣も描かねばならん。だが、空の神石にアレを吸わせるのは避けたいのだ。あれは留めてはいかん』
あの時紫に染まった神石は、後で砕いて散らしたけど。留めておいて誰かが再利用を考えたらよろしくないそうだ。そんなの使う奴がいたら気持ち悪いけど、気持ち悪いことをする奴がそれなりにいるのも世の常だ。
「ええ!? あの紫の毒々しい魔力を空に上げるんですか!? 落ちてきたらどうするんですか!? 気持ち悪いでしょう!」
テレシーが腕を摩ってる。確かにそれは鳥肌ものだ。
『いや。先日、クレオが調べてくれた地中魔力の流れを考えたら、神降地山脈の向こうに魔力溜まりがある可能性がある。空からその場所を確認して、空中の魔力流伝いにそっちへ流せないかと思ってな』
ほえぇ
シュザージすごい。
「そんなことまで考えて、クレオさんにいろいろ探ってもらってたんですか? シュザージ」
『初めから考えていたわけではない。ただ、情報があれば何かあるたびにそれを組み合わせて、その都度策を練ることができる。魔法陣記号と同じだ。覚えておけよ、我らが女王』
「はう……好きなことなら覚えるのですが。努力します」
そうだね。
俺もばーちゃんの教えを全部思い出せるようがんがろう。
そんな話し合いをしているうちにお昼になったので、昼食を済ませた後。俺たちは客室で出かける準備を整えて、ウィラくんたちに話を通して空に上がった。リドルカさんの魔力で空を飛ぶように見せかけてね。
リドルカさんが俺の肩を抱き寄せ、俺はテレシーの手を握る。シュザージはテレシーの横にいるだけで一緒について上がれる。
そんな感じで、王城の庭から空へゴーだ。
空を飛ぶと言ったらまたたくさんの人が見学に出てきちゃったけど、まあいいや。ここではもう、リドルカさんが飛べることをみんな知ってるし。俺もそのうち自由に飛んでも不思議がられないようになると思う。
自由に飛べる空か。やっとか。嬉しいね。
そうして、空の高いところまでぐんぐん上がって……俺たちはそれを見つけちゃったよ。
神様じゃないよ。
西の方の大地に広がる紫の染み。それが這うようにうねって、じわじわとラスタル神王国へ向かっているのを。
毒々しい紫の、化物を。




