第百六十四話【とある理不尽な兄の弟:そんな兄が突然死んだ】
ナルディエ神王国の王子は二人だが、俺には兄が二人いる。
一人はジョルアン。
俺より十二歳も年上なのに、理不尽で欲張りで呆れるくらい子供のような癇癪を起こす愚か者だ。だけど無駄に術研究だけには長けていて、それが父王に気に入られて次代神王に指名された。
あいつは妾の子なので家臣の中には不服な者も少なくないが、いつの頃からか不満を口にした者が失踪する事件が続き、残った者は口を噤んだ。官憲や親族が探しても探しても見つからない。不思議なことに父上も捜査に乗り気ではなく、ほとんどがうやむやで終わり……以後、兄のことで文句を言う者はいなくなった。
もう一人はティーム。
二ヶ月年上の兄で乳兄弟でもある。
彼の母親はもともと城の侍女で、父の手がついて兄が生まれたのだが認知はされず。兄は私生児扱いになっている。けれど、ほぼ同じ時期に父と正妃との間に俺が生まれ、兄の母は俺の乳母になるよう命じられ俺たちは一緒に育つこととなった。
しばらくして、兄は母の妹夫婦に預けられて育つことになったけど。
次に俺がティームと会ったのは八つの時だ。
俺が生まれるまで暫定的に次代として育てられていたジョルアンが、正式に次代ナルディエ神王に定められたばかりのこと。
その頃、俺はしょっちゅう暗殺されそうになっていて、母は乳母に相談してティームのいる家へ俺を隠すことにした。
そこにいたのは一年ほどだったけど、俺はティームこそが本当の兄と思うようになり、口が悪くなった。
あのまま、下位貴族の預かり子として暮らすことができたらどんなに良かっただろう。
けど、俺の母である正妃は、ジョルアンの存在を憂う者たちと協力して俺が安全に王城で暮らせるように守りを固め、更に次代ナルディエ神王の地位に就かせようと画策し始めた。
ああ……迷惑だ。
そうして数年が経ち今に至る。
今日は王城で俺に課せられている執務をしていたところだ。何せ理不尽な方の兄はろくに仕事をせず、自分の好きな研究にばかり励んでいるから、色々と俺の方に王族の仕事が回されてくるわけだ。別にいいけどな。
今もまた研究室に篭っているらしい。あんなのを支持する奴らもどうかと思うが、意外なほど支持者が多い。そいつらはたいてい、嫌っていた相手が突然いなくなったり欲しかったものが手に入れられたりと自慢していた者たちだ。そして、父王の覚えもめでたい。
やれやれだ。
理不尽な兄は父王のお気に入り。
帝国攻略は失敗したのにまだお気に入り。
しかし、突如それがひっくり返ることになった。
「ジョルアンを呼べ!」
ラスタル神王国に出仕していた者たちが突然帰ってきた日。その報告を聞いた父王が怒り狂った。
報告を聞いた父王の側近の中に母の手の者がいて教えてくれたのだが、ウェルペティ神王国とバロウ神王国がラスタル神王国と手を組んで、ナルディエに宣戦布告をする準備を整えているとのこと。しかも、その後ろにはナルディエによって国を荒らされたオンタルダ帝国がいて、古き秘術である魔法陣を用いる術者まで率いて、復讐に乗り出さんと着々と準備を整えているらしい。
「なぜそんなことになっている!? つい先日、次代会議があった時にはそんな報告は受けていなかったぞ! ラスタルだけなら反抗したところで知れているが、バロウとウェルペティが味方についただと!? その上、帝国がしゃしゃり出てくるなどありえん! どうしてそんなことになっているのか!」
怒り狂う父王を横目に、俺はそっと神王の執務室を出た。
とばっちりはごめんだ。
あの父も理不尽な兄に劣らず理不尽なのだ。ある意味、よく似た親子の喧嘩が始まる。巻き込まれては面倒だ。
それにしても、ラスタル神王国が宣戦布告か。
あり得なくもない。何せ、ナルディエ神王国はここ数代やりすぎている。だが、戦になれば泣くのは民だ。なんとか回避の方法を考える。
……考えたところで俺の提案が採用されることはないだろうから、父たちに知られないように手を回す方法を探さねば。
そんなことを考えつつ、早足に自分の宮へ帰る廊下で運悪く理不尽な兄に会ってしまった。近衛騎士に囲まれて、怒りの形相で歩いてくる兄は、俺を見つけて大声を上げた。
「貴様! 貴様が父上にありもしないことを吹き込んだのだな! 貴様など、さっさと処刑すべきだった!」
うわあ、理不尽。
「兄上、父上が執務室でお待ちです。お急ぎください」
礼をして壁際に寄り道を開け、先を促す。
理不尽な兄は「ふん! 必ず死刑にしてやる!」と理不尽極まりないことを言いつつ、父の執務室に向かってのしのしと歩いて行った。
その時、ふと悪寒が走った。
歩き去る兄の腰に下げた術杖の石が、おぞましい紫色に光っていたのだ。
あの石は何度か見たことがある。
父王が気に入っていて、黒の神使などに積極的に持たせていたのだ。
あの兄が研究して作ったものだと聞いているが、俺にはなかなか情報を得られなかったものだ。情報を得ようと放った者たちが皆、帰らなかったから……
俺は恐ろしく嫌な予感がしたので、すぐさま母の宮に向かった。
母と、今でも母に仕えている乳母を一時的に城外に避難させるためにだ。ついでに、ティームにも警戒を強めてもらう算段だ。
ティームは今、悪政を強いる父王やそれをそのまま引き継ぎそうなジョルアンを排除して、俺を次期ナルディエ神王にしようとする集団と連んでいる。
……俺は、神王になんかなりたくないんだがね。
まあ、とにかく。奴らは理不尽なことばかりする父たちから民を守っていろいろと暗躍しているわけだ。そんな奴らに父王と理不尽な兄の諍いを聞かせるのはどうかと思うが、今回は嫌な予感しかしないので仕方がない。
何も起こらなければそれでいいのだ。
理不尽で、身勝手で、気の短い上位神術士二人の手にあの紫の石がある。それらがぶつかるのだから、何が起こるかわからない。
母の宮を出た後、俺も自分の宮に戻り自分の臣下たちと事の成り行きを見守っていた。騎士たちを配置し、官司たちに情報を集めさせて、父と兄がどう出るかを伺っていた時──……ドンっ! と大きな爆発音が聞こえた。
ああ、やっぱりやってしまったか、と思った。
父が兄を処刑したか、兄が父を弑逆したか。
その時は、その程度のことしか考えていなかった。
「ガウロ王子! お逃げください!」
宮に駆け込んで来た騎士は慌てふためいていた。背後からは騎士を追いかけて来た官司たち。いや、官司たちだった者たちだ。
真っ黒くなり黒紫のモヤを纏わせ、ゆらゆら揺らめきながらこっちへ向かってくる、それは……魔に落ちた者の姿だった。
魔物となってしまったモノは、他の生き物に魔を移そうと襲い掛かる。
「皆、逃げろ! 何も持たず、とにかく逃げろ!」
側近たちに命じ、俺は自分の神石の杖で魔物と化したものを退けようとした。
俺だって神王一族の上位神術士だ。
それなりに神術も使える。
だが、おかしなことにあの黒紫のモヤは神力を魔物に取り込んだように見えた。魔力ではなく、神力をだ。
あれはおかしい。
ただの魔物ではない。
先に母たちを逃しておいて良かった。
俺はできる限り城の者を逃しつつ、逃げた。
宮の隠し通路を通って、側近たちと城下町のはずれの丘にある林に出る。そこにはティームが迎えに来てくれていた。
「ガウロ、無事でよかった! あれは一体なんだ!? 何が起こった!」
ティームが指差すのは、ナルディエ神王の王城がある方向だった。
そこには、紫がかった黒い炎のようなものが立ち上っていた。
ビシビシと感じる、魔力の波動。
いや、ただの魔力ではないはずだ。山や川などでたまに拾った魔石からは、あそこまでおぞましい気配はしなかった。
何をしやがった、あの理不尽な愚か者どもは!
「ティーム! 街の者たちを避難させろ! あれはおそらく化物を形成する核だ! 帝国を襲わせた化物の報告と類似する!」
「なんだと!?」
あまり多くの情報は得られなかったが、帝国ではあの理不尽な兄が作った紫の神石を使って化物を作ったという話は聞いていた。紫神石を核に動物を魔に落とし、魔物の塊を作り目的の場所まで進行させる命令を与える。魔物はそこへ至るまでに近付いた生き物を尽く魔に落とし取り込み巨大化し、化物となって行く先々の村や町まで魔に落とし滅びるまで進行を止めないと。
それはまるで、伝説に聞く魔王の侵攻ではないか。
魔を滅ぼす神の国が魔王を作り出すなど本末転倒! 愚かすぎる!
憤ったところで仕方がない。
あれを消滅させる方法などあるのか!?
帝国では魔王石を使って倒したとか、神が降臨して消したとかよくわからない情報ばかりで、正直何の手がかりにもなりはしない。
今、目の前に出現したアレには目的が命じられているのか。命じられているとすればそれはどこか。一番考えられるのは……ラスタル神王国。
城の中央あたりから立ち昇る黒紫の炎は、徐々に大きさを増して揺らめいている。城に残る者たちを取り込んで、もうすぐアレは化物として動き出すだろう。
おそらく、父王も理不尽な兄も死んでいるな。
俺が次のナルディエ神王として、アレの責任を取らなきゃいけないのか?
ははは……冗談じゃない!
「逃げるなら南だ! ティーム、皆を連れてフレンディスへ逃げ、叔母上を頼れ!」
「ガウロは!?」
「俺はラスタルへ向かう、化物はおそらくラスタル神王国へ向かうだろう。道々の者たちを避難させつつ、ラスタル神王国に報告せねば」
神殿は王城のすぐそばにあり、すでにあの炎の中だ。通信の神術は使えない。誰かが行く他ない。
「バカ! それじゃあお前まで飲まれちまうだろう! お前も一緒にフレンディスへ逃げるんだ!」
俺のことを本気で案じてくれる実の兄。
そんな兄に、俺は苦笑いで答える。
「お前たちが願った新たな神王は、自分の身かわいさに逃げ出してもいいものなのか?」
兄も、側近たちも息を飲んだのがわかった。
そうだろ?
行くしかないだろ?
ここで逃げる方が、生き延びたとしても負わされる責任が大きくなるに決まっているんだ。
だったら、ラスタルへ向かって出来る限りのことをするしかない。
「ティーム、頼むから、民を率いてフレンディスに向かってくれ。そして、叔母上経由でもラスタルに報告するよう言って欲しい。ナルディエの民として」
俺はどうなるかわからないけど、ティームは神王一族に名を連ねていない。神王一族の特徴的な白い髪も、ティームは少し灰色がかって見えるから誤魔化せる。今までだってそうだった。逃げ出したところで咎められない。
「ガウロ王子、我々は王子にお供します」
側近たちは揃って俺に膝を折って礼をした。
バカだなぁ……
でも、助かる。一人で道中の民を助けるなど出来やしないから。
「どこかで神馬を調達する! さあ、ティームも行ってくれ!」
そう言うと、ティームは突然俺を抱きしめた。
「わかった。でも、どうか生き延びてくれ……弟よ」
ありがとう、兄上。母上をよろしく。
バッと離れたティームは町に向かって走り出した。
俺は町の城門にある騎士舎へ向かう。そこになら神馬の数頭くらいいるはずだ。
もう一度だけ城の方を見た。
黒紫の炎が広がって、いくつもの触手のようなものが伸びて見える。それらは西に向かって揺れている。
西にある、ラスタル神王国に向かって。
おそらくもう時間があまりないだろう。
俺も、側近たちを率いて走り出した。




