第百六十二話【モーリス:我が女神】
神王四国では新たな神王が即位する時、一度だけ神に拝謁することができる。
次代神王が特別視されるのは、その権利を持っているからだ。
お目見えできるだけで最高の栄誉だが、時には神託のような導きの声を頂いたり、望みを語ることもできるそうだ。叶えられるかどうかは時と場合次第とも言うが。
我が父、バロウ神王は神託や願いは得られなかったがその姿を見ただけで感動で咽び泣いたという。「この世のものとは思えぬ美しさ、まさに神としか称せぬお方であった」と恍惚とした顔で神を褒め称えていた。
いずれ私もお会いすることになるだろうが、私にはその姿を想像することがいまひとつできなかった。
だが、その日……私は『神』を見た。
化物に襲われたラスタルの王城。逃げ惑う人々を追いかけ魔に落とし、引きづりこもうとする化物の上空に、突如として現れたその姿。
おりしもそれは神殿の上でもあった。
空から青い光が放たれて、見上げた先に見た人影。
左手に魔王、右手に魔法陣の女王と賢者を従えて、現れた姿は……まさしく神。
私がひと目で心を奪われた、少女の姿ではなかったが。
柔らかそうな黒髪に、穏やかに光る黒い瞳は依然変わらず。
異国の面差しの愛らしい少年は、伴侶であると言った三人の男女とともにあっという間に化物を退治し、魔落ちの病まで治してしまった。
私は、物陰からそれを見ているしかできなかったと言うのに……
ラスタル神王国王城の豪奢な会議室。
神王一族が出席する会議で使われる、城で一番立派な作りの会議室だ。
バロウにもある。
豪華な装飾のされた壁に、半球状の天井には母神ニーレが描かれている。そして神降地で採れる白石でできた重厚な円卓にはすでに神王三国の神王一族が席についていた。
いや、ウィラネルドとその従兄弟は戸口に立ち、遅れている者たちを待っている。
本音を言えば、私も戸口で出迎えたい。
会議の場ではあるが、やっとあの女神……少年……いや、あの者と正式に面会できる。言葉を交わすこともできる。
アデレイの言ったことが本当か確かめられる。
本当に、無理やり魔王や亡霊に捕まって酷使されているのではないかと。
悶々と考えながら戸口を睨んでいたら、ウィラネルドが動いた。
「リドルカ殿? 他の方々はどうした?」
その言葉に耳がピクリと動いた。
開かれたままの戸口に背の高い男が現れた。
青みのある長い黒髪を首の後ろで緩くまとめ、濃い青のマントと白地に青の刺繍の施された質の良い装い。背の高い美丈夫はその場の視線を一心に浴びながらも……酷く機嫌の悪い顔をしていた。
睨まれたものは皆、竦みあがるような眼光だ。
オンタルダ帝国の皇帝の弟で、魔王石の力を宿す者。
背後にはラスタルの侍従ともう一人……確か勇者の一人だったか? を、従えている。
訝しむこちらには目も向けず、魔王はウィラネルドに向き合った。
「今朝方、タケユキが熱を出した。テレシーは看病している。テレシーが動けねば、シュザージも来れん」
今度はこめかみがピクリとする。
それはあの者の名前だったはずだ。熱、だと?
「そうか、昨日あんなことがあったばかりだしな。何か入用な物はないか? できることがあるなら言って欲しい。其方らには感謝するばかりで何もできていない」
「物は足りている。願わくば、早く会議を終えて欲しい」
「あー……そうだな。では席に案内しよう、こちらに」
ウィラネルドは円卓の五方の一角に魔王を招く。
上座にはラスタル神王が座り、背後に数人の護衛と侍従、官司を連れている。その右手にはラスタル神王国の王子ウィラネルドと背後に従兄弟殿とその他侍従等。
左手側にウェルペティ神王国のアデレイとその他。その隣が私、バロウ神王国のモーリス。
つまり、私の隣が魔王の席だ。
席そのものは随分離されてはいるが、それはもともと四人分の席が用意されていたからだろう。もしかしたら、私のすぐ隣に女神が来たかもしれないのか。くそう、女神を病の床に着かせるとは何事か! 文句のひとつも言わねば!
「……殿下」
怒りのまま口を開こうとした時。背後の官司がそっと耳打ちしてきた。官司はラスタルで情報を集めていた黒の神使が扮したものだ。
「あの魔王は口下手で、これまで重要なやりとりは全て魔法陣の賢者がやっておりました。この会議は狙い目です」
と、ニヤリと笑って魔王を見ている。
なるほど。怒りは会議で晴らせば良いか。
見た目は悪くないが無骨そうな魔王は、ウィラネルドとの会話でもろくに言葉を発しない。うまくやり込めれば、今は地に落ちかかっているバロウの権威も取り戻せるか。
アデレイが余計な口を挟まなければ、ウィラネルドはもとよりラスタルの神王とて……ん? なぜラスタル神王は間抜けな顔をしているのだ?
なぜか魔王を見てポカンと口を開けているラスタル神王。
首を傾げていると、背後の官司が背をつついた。
視線を魔王に戻せば、魔王は二枚の紙をウィラネルドの従兄弟に渡しているところだった。紙を見た従兄弟は目を輝かせてうなずいている。なんだ? ラスタル神王が妙なのはアレのせいか!?
「わかりました! やってみます」
突然、ウィラネルドの従兄弟がそう言うと腰に下げた袋から神石を取り出し手に握り、大きく深呼吸した。そして、卓の上に置いた一枚の紙にゆっくりと指を這わす。次から次へと何をしているのだ?
ウィラネルドの従兄弟が何かをやり遂げたように息をつき、紙から手を離す。と、今度は魔王が紙の上に小さなクズ石のような魔石を置いてクッと指で押す仕草をした。途端、紙の上に青紫の光が走る。
「なっ!? なんだそれは!」
会議場がざわめく。
魔王め、何をした!? 今度こそ正体を表して魔力で何かを──
「落ち着きなさいモーリス。バロウの者たちも鎮まりなさい」
そう言ったアデレイを見れば、随分と落ち着いていた。その背後の者たちは、バロウとは違う形でざわめいていた。目を輝かせて頬を赤らめ子供のように興奮している。小声で「魔法陣」と言っているのがわかる。よく見れば、バロウの者たち以外は似たような顔つきをしていた。
そんなこちらの様子になど気にもかけず、魔王はその紙に話しかけた。
「どうだ?」
『うむ、通じるな。ウィラネルド、そこにいるな? 私はこの通信の魔法陣を通して会議に参加させてもらう』
……通信、だと?
一瞬、その場にいた者の全てが沈黙してその声を聞いた。
「い、今の声は?」
「通信と聞こえたが、まさかあんな紙切れで?」
「ぼ、亡霊ならば、どこかに潜んでいるのだろう!」
誰かが言った言葉に納得した。魔法陣の賢者は亡霊だと聞いている。姿を隠して近くにいるのだ。そうに決まっている。あんな紙切れで通信など……
と息をついた時、今度は別の声が聞こえた。
『リドルカさん、タケユキさんの熱は下がりはじめました。心配でしょうが、会議の方よろしくお願いします』
今度こそ、その場の者はどよめいた。この会議室に少女などアデレイしかいない。少女の声が聞こえようはずもない。
『ウィラネルド、スタング、その魔法陣は即席で作った不完全なもので長くはもたん。さっさと会議を始めろ。魔法陣より、うちの魔王が妻を心配するあまり会議を放り出して帰ってくる方が早いかもしれんがな』
「…………役目は、果たす」
魔法陣から聞こえた声と、不機嫌な低い声に皆の動揺が更に上がった。が、その時。パンパンと手を打ち鳴らしウィラネルドが声を上げた。
「皆、お静かに。わかりました、賢者殿。すぐに会議を始めます。……あとでこの魔法陣についてお伺いしても?」
『スタングに聞け。スタングは魔法陣のそばにいて、神力が切れそうなら足してくれ』
「お任せください、師匠!」
ウィラネルドの従兄弟は張り切った様子で魔王の隣の席に着き、ウィラネルドも自分の席に戻った。
「では、会議を始めよう」
ラスタル神王の掛け声に、皆が姿勢を正す。
今はもう妙な顔はしていない。そして、なぜか背後にいた侍従の一人がウィラネルドの後ろに移動した。ん? あれはもともとウィラネルドの背後にいた侍従ではなかったか? 初老の侍従でフレンディスの別邸で見た気がする。
「では、まずはナルディエ神王国へ送る信書についてだが──」
「ちょっと待て! そんなことより、噂に聞く新たな神の降臨について話すべきだろう!」
手を挙げてウィラネルドを制したが、ウィラネルドはきょとんとした後、苦笑いをした。生意気な!
「モーリス。おかしな噂が広まっているようだが、改めて言っておく。私の友人であるタケユキ殿は新たに降臨された神ではない。断言できる」
「なっ!?」
なぜ突然断言できる!? 昨日までは曖昧に濁していたと聞くぞ!
そもそもラスタル神王が言い出したことだろう!?
ラスタル神王を見れば、顎に手を添えながらうんうんとうなずいている。
「私は神降地で直接神にお会いしたからこそわかる。タケユキ殿の気配は神のものではない」
これには、ウェルペティの者たちも驚いている。
そうだろう。我が国の黒の紳士が密かに聞いたというラスタル神王の話では──
『我らが妻に横恋慕した愚か者が、妻の横取りを画策して吹聴した与太話であろう。そのようなことに無駄な時間を費やすな』
ククク、と馬鹿にしたような笑いと声が魔法陣から聞こえてきた。くうっ、ラスタル神王め! 今になってなぜ否定する!?
「あら、私も与太話に時間を割くのは反対よ。でも通信の魔法陣とやらには文句を言いたいわ。そんな便利なものがあったのなら、どうしてもっと早く教えてくださらなかったの?」
アデレイまで話を変えて来た。
『神王国や神殿が秘匿しているというのに、我が魔法陣だけを其方らに伝授する謂れはない。だが……そうだな。魔法陣について学びたい者がいるなら、いずれ我が国へ来れば良い。テルセゼウラ復興に手を貸すなら学びの場を開いてやろう』
亡霊の誘いになど誰が乗るものか、と思ったが。会議場内では歓喜の声が上がった。特にウェルペティの官司が腕を振り上げて喜んでいる。どうしてだ!?
騒ぎすぎだ。さすがにアデレイも振り返ってひと睨みでそれを制する。
「魅力的なお話だけど、その話にはどんな裏が──」
『アデレイさん。我が国にはすでに多くの未来ある若者が魔法陣を学ぶために集う予定です』
今度は少女の声がアデレイの言葉を遮った。
『ゆくゆくはテルセゼウラであれ自国であれ数多の地位を望める優秀な者も集まるでしょう。学ぶ機会、好ましい出会い、誰もが未来に夢を馳せられる、そんな学びの地にしたいと思っています。神王の跡を継ぐ王女様をお招きは出来ないでしょうが、そちらにいらっしゃるスタングさんのように、神王一族に名を連ねる方もいらっしゃるのですよ。ウェルペティでも良い方がいらっしゃれば推薦してください』
なんと生意気な口を聞く。
神王国の王女に対して、まるで友人のような馴れ馴れしさではないか。これは厳罰にしても良いのでは……アデレイ?
アデレイが目を見開き頬を紅潮させている。あのアデレイが!?
「す、素敵なお話ですわね。ウェルペティでも神王一族の末端の者なら留学に出せることでしょう。本国の神王陛下にお願いしてみますわ。ええ、ぜひぜひ、ぜひ!」
アデレイが喉の病気のような声をあげている。
アデレイの後ろにいるウェルペティの従者たちまで沸きかえっている。いや、ラスタルもそうか。なぜだ!? テルセゼウラにはまだ荒野と滅びた都があるだけだろう!?
『とはいえ、それは神王国が安定と秩序を取り戻した後の話だ。まだまだ解決しなければならない案件がいくつもあるのでな』
最後にまた亡霊の声に戻った。
アデレイは平静を取り戻したか。いや、まだ口元がにやけてる。
「そうね。さっさと面倒ごとを片付けましょう。ジョルアンの馬鹿が馬鹿なことをしでかす前に」
「では、ナルディエ神王国の話に移っても良いな?」
ウィラネルドの采配で、改めてナルディエに送る信書の内容について検討し始めた。これまでラスタル神王国がこうむって来た被害や今後の対応、それに昨日の化物のことや帝国での一件。
それらの話に、私は口を挟むことができなかった。
迂闊なことを言えば、我がバロウ神王国にまで追求が伸びそうだったから。いや、今はナルディエの件が大きすぎて霞んではいるが、バロウとてこれまでラスタル神王国からすれば多大な害を被って来た相手には違いない。
昨日、アデレイに言われた言葉が頭を過ぎる。
このままでは、新たな神どころか神降地の神にすら会えなくなる。
私は唇を噛んで、会うべき神を選んだ。
そして、わずかに浮かんでいた夢を閉じた。




