第百五十八話【通信の術道具を起動させた官司:夢と希望】
昨夜はすこぶる機嫌が悪かった王女様は、今朝はひどく機嫌がいい。
それは、迷惑なほど早い時間にやって来たラスタルの神殿長が、もたらしてくれた情報のおかげでしょうか。
それは意味のわからない、荒唐無稽な話でした。
王女は無視して放逐しましたが、なぜか機嫌がいいのです。
世界に名だたるウェルペティ神王国。
私はその次代神王たるアデレイ王女付きの官司で上位神術士です。と、言っても。フレンディスにある神王家の別邸での話ですが。
実のところ、私の家は代々フレンディスの別邸勤務なので私はまだ一度も本国であるウェルペティを見たことがありません。
別邸勤務の者はそんな感じの人が多いですね。
次代会議でいらした王子や王女に気に入られたら、本国に連れ帰られて出世する道もあると言われています。私も別邸での側近に選ばれたからには、いつかは……と思って励んでいたのですが。今は少し、その考えが陰ってきています。
通信の術道具発動に回される神術士は、使い捨て要員。
それが神王国での常識です。
昨夜、私は通信の術道具の発動係を言いつけられました。
その時点で、私は死んでも惜しくない者と見做されたのです。
なんとか死なずに任務をこなせましたが、その後私は仕事に対する意欲をごっそり失ってしまいました。なんとなく惰性で働いてはいますが。
フレンディスに帰ったら辞職しようか。
無理だな。両親に叱られる。
そんな埒も無いことを考えていたら、ウェルペティ宿舎に訪問者が来たという知らせが侍従からもたらされました。
今日は朝から来訪者が多い。
神殿長の後にはラスタルの王子がお見えになって、次は誰でしょう。
滅多に使われないという最上級の客間で寛いでいた王女殿下はニンマリと笑います。
「来たわね」
官司に迎え入れるように命じたアデレイ王女。
長椅子にゆったりと座って暇つぶしの書類に目を通していた王女は書類をぺいっと私に渡します。それを書類箱に片付け、談話室に向かった王女の後を追います。
「どういうことか聞かせてもらおうか、アデレイ」
談話室には怒り心頭のバロウ神王国のモーリス王子殿下がいらっしゃいました。
「どれのことかしら? ウェルペティがラスタルと手を組むこと? いつの間にかバロウ神王国が窮地に立っていたこと? それとも、あなたが一目惚れして神馬を飛ばしてまで会いに来た彼女の正体について?」
「くっ!?」
「あら、全部かしら。ちゃんと事態を把握しているのね、偉いわ」
クスクス笑うアデレイ殿下。
昔はこんな娘じゃなかったのにな……
初めてフレンディスの別邸で見かけたのは十歳の時だったか。私はまだ見習いで官司の助手をしていた頃でした。大人しくて引っ込み思案なお姫様だと思ったのに。女は化けると言うけど。怖いねぇ。
「まずは……彼女のことだ」
「まあ! 自国の存亡より大事なのね」
「ふざけるな! だからこそ聞きたいのだ! 彼女は本当は神王国のために再降臨した女神で、ナルディエに利用され帝国で戦わされた挙句、魔王に無理やり娶わされたという話は本当か!?」
「ぷっ!?」
王女殿下が吹き出されたよ。はしたない。
「ほほほほっ、素晴らしい想像力ね。願望に都合が悪い情報は全て除いて組み立てられるのですもの。次代会議で私が言ったことや、ジョルアンが口走ったこと。それとおそらくバロウの官舎で聞いた情報をなかったことにしたら、バロウは本当に滅ぶわよ」
唇を噛んで真っ赤になるバロウの王子。
というか、彼女って誰のことだろう。テレシー女王?
『神』と称されたのは確か──
「……オンタルダ帝国皇帝の弟の伴侶が、ジョルアンが言っていた黒髪の少年だった。と言うのも、本当か?」
「見ればわかるわ」
「ぐっ」
「神王一族なんだから、あなただって女装はしたことあるでしょ? 本気で気が付かなかったの?」
「其方は最初から分かっていたのか!?」
「ええ、もちろん」
バロウの王子は頭を抱えて座り込んでしまいましたよ。こんな王子も見たくなかった。
「これも見ていればわかるけど、彼らに手を出してはいけないわ。彼らは呆れるほどに仲睦まじいの。これ以上傷つきたくないなら、さっさとこれに署名して帰ってもいいわよ」
「なんだ、それは」
「ジョルアンが変な矜恃に囚われてラスタルに無謀な仕返しをしないよう、ウェルペティとラスタル、それにバロウの次代が連名でナルディエ神王に親書を送ることになっているの」
「は!?」
「この後、次代三人と彼の方々とで話し合いの席が設けられるはずよ。彼らはバロウの窮地は知っているわ。むしろ帝国とテルセゼウラ、フレンディスが手を組んで根回ししたようなものよ」
「フレンディスまで……だと?」
なんだかとんでもない話ではないか?
こんな話を聞いたら、辞職できなくなるんじゃないのか? うう、聞きたくない。
「彼らは神王四国が対等で安定した国になることを望んでいるのよ。だから本気でバロウ神王国を潰すつもりなどないわ。だけど、彼らの意に沿ってラスタルが力を取り戻すということは、バロウはフレンディスに通じる土地を返還させられるし、ウィロック国に対して脅威たり得ている神石の量が減ってしまうということ。もちろん、兄弟国である神王国は対等に手を取り合うのだからウィロックにバロウを攻めさせるなんてしないわ。けれど、次代のバロウ神王の顔は変わっているかもしれないわね」
追い込んでいますね、王女殿下。
つまり、モーリス様は次代としてうまく立ち回れず、後手後手に回って国力を落とす羽目になった責任を取らされると。バロウ神王国なら王子を切り捨てて体面を保つかもしれないな。確か弟妹が何人かいらっしゃったし。
ウェルペティの王女は切れ者でよかったのかも。
この王女様が責任取らされて切り捨てられる、なんてことにはならないでしょうね。
たぶん。
……いや、ちょっと不安がないわけでもないんです。なんだか何かに焦っているような感じもするんですよね。アデレイ王女。
昨日の謁見辺りからでしょうか、色々と強引なところがあるように思える。
長年仕えてきたからこその感覚的な感なんですが。
まさか、なんかやらかしてないでしょうね。
巻き添えでクビになるだけなら万々歳だけど、投獄とか処刑とかに付き合わされるのはごめんです。
と、俺が内心で焦っている時。
考え込んでいたモーリス殿下が、ふと何かに気がついたように顔を上げた。
「もしや、其方は何か別の企みがあるのではないか?」
「あら、どうして?」
あ。今、ほんの少し動揺された気がした。モーリス殿下も少し違和感を覚えているようだ。まさか、本当に何か──
と、その時、バンっと音を立てて談話室の扉が開かれました。
「大変でございます! し、神殿に、魔物が現れました!」
真っ青になった官司が、突然飛び込んで来てそう叫びました。
神殿に魔物?
ありえないでしよう。
魔を払う神の御力が溢れている神殿で魔物だなんて。いえ、神王国に魔物が出ること自体、ありえない。いくら貧弱なラスタル神王国だとしても。
息を切らし、まだ取り乱している官司にモーリス殿下が笑います。
「は、はははっ! 魔王め、とうとう正体を現したな!」
「まさかリドルカ殿下がやったとでも?」
「ラスタルは神王国だ! 奴が魔力を撒き散らす以外に、魔物が現れるわけがない! 私が退治てくれよう!」
「そうして、魔王の伴侶を横取りすると? 魔王に滅ぼされるわよ」
「何を言う! 私は魔を制する神の子孫だぞ!」
そう言いながらモーリス殿下は走り去って行きました。
「まっ、待ってください、そんなに生やさしいものでは……」
まだ呼吸が整わない官司が涙目で訴えます。
ですが、アデレイ殿下も呆れたように官司を見て立ち上がりました。
行きたくないな……
「わたくしたちも行ってみましょう」
そら来た。
おそらく今、ぐるりと見渡した者に言ったはずです。私も含めて。
「あなたもついて来て、道々で事情を話しなさい」
「そっ、そんな……」
腰が引けている官司の腕を、二人の騎士が両側から掴んでアデレイ殿下の後をついて歩き出します。私も、行かねばなりません。
ウェルペティの官舎はラスタル王城の敷地、東側にあります。バロウは南、ナルディエは西です。神殿は神降地のある北側の方向に作られるのが常なので、我々は官舎を出て北へ向かいました。真っ白な石が敷き詰められた通路を喚く官司とそれを引きずる二人の騎士を先頭に歩きます。
喚く官司が言うには。
彼はアデレイ殿下の命令で上司と共に帝国の皇子一行の様子を探りにラスタルの王子の城にある客室に行き、部屋の前で皇子らが出てくるのを待っていたそうだ。
そこにはすでに神殿長の話を聞いたらしいバロウの手の者がいて睨み合いになったが、丁度よくラスタルの侍従が朝食を運んでやって来て、一緒に客室に入ろうとして魔法陣で跳ね返されたそうです。
しかも、客人の一人である少女が食事に薬がもられていることを指摘した。
ウェルペティの官司たちもバロウの手の者たちも、疑われてはいけないと距離を取ったところにラスタルの王子と従兄弟様が駆けつけられたそうだ。
薬を盛ったラスタルの侍従は逃げ出し、ラスタルの王子が数人の騎士と共に追い、従兄弟様が客人の部屋に入られたとか。
その従兄弟様が出てくるまで、その場に待つことにしたうちの官司たちだが。その場で突っかかって来たバロウの手の者たちと喧嘩になったそうだ。バカバカしい話だ。
そして、しばらくして出てこられた従兄弟様は、すぐに王子を追って走り出されたとのこと。彼は上司に言われて従兄弟様を追いかけた。転んだ話まではしなくていいです。
「スタング様はナルディエの官舎に向かっておられることはすぐにわかりました。ですがその途中、北の方に黒い煙のようなものが見え、そっちに足を向けられました。けれど、煙に見えたものは煙じゃなかった、あれは……あれは──化物だ!」
ああ……あれは化物だ。
やっぱり来るべきではなかった。
まだ距離はありますが、神殿が見えるところまで来たらソレが見えました。
黒い、人のようなものが何人も何人もくっついて固まったようなわけのわからないものが、紫黒いモヤを纏わせて蠢いている。モヤは触手のように伸びて逃げ惑う人々を追いかける。あれに捕まれば、誰も彼もソレに取り込まれるのだとしたくもない想像ができた。
けれど、眩い光が煌めき伸びたモヤは人に触れる前に拡散されました。
ラスタルの王子が、神石を手に化物と戦っていたのです。
その隣に駆けつけたスタング様。
何やら手に何枚もの紙切れを持っていて、王子に貼り付けている。
あれは……魔法陣?
それがあれば化物とも戦えるのか!?
昨日、私の背に描かれた魔法陣を思い出して期待しました。
しかし、期待は一瞬で終わりました。
敵が増えたことでその始末を優先させたのか、化物の触手が一斉にラスタルの王子たちに襲い掛かったのです。
私たちは動けなかった。
アデレイ王女も息を飲んで立ち止まったまま固まって、震えている。
化物はラスタル神王の後継者二人を飲み込んでひと回り大きくなった気がします。そして、化物はまた蠢いた。またモヤの触手が伸びていく。
こちらに向かって、伸びて来る。
皆、足が震えて、動けない。
ああ、もうだダメだ。
と、思った時。
空から青い閃光が走り、化物を包む。
見上げた私の目に、本当の希望が見えた。




