悪魔に転職を勧められ
一人で晩酌をする俺の前に、悪魔が現れた。
「な、なんなんだ。突然!」
「あなた、悪魔をやってみませんか?」
酒の勢いもあって俺は怖いとも思わず、その悪魔の話を聞くことにした。
「先日、外回りの悪魔が一人いなくなりましてですね。」
「へぇ悪魔にも外回りと内勤があるのか。」
地獄もこの世と似てるんだな。
いなくなった…辞めたのではないなら、逃げたのかな?
「私どもも急いで仕事のできる悪魔を募集したんですが、なかなか即戦力が居ないのです。」
「俺も営業をやっているが、経験がないと難しいだろうな。」
このご時世、どこも大変だなと悪魔に同情してしまう。
「あなたのおっしゃるとおりでございます! しかし、私どもには新人をイチから育てる余裕は無いのでございます。」
俺も最近、会社で新人教育の仕事もさせられるようになったが、これが簡単には育たない。
「そこで、あなたのような優秀な営業をスカウトしようということになりまして。」
優秀と言われて悪い気はしない。会社での営業成績がトップだという自負もある。
「悪魔もヘッドハンティングするのか。」
「お察しのとおりでございます。さすが営業がデキる方でございます。」
こいつ俺をうまく乗せてくる。
かなり優秀な営業だ。
「悪魔の営業なんて何をやるんだ?」
「仕事は単純です。相手の願いを叶えて魂をもらう契約をとってくる。これだけです。」
そうだったな。悪魔との取引に使うのは魂だったな。
「しかし、どんな願いでも叶えられる訳でもないだろう。願いの予算は?」
悪魔が一瞬固まる。俺の質問は予想外だったようだ。
「…さすがでございます。察しが良いというか、吞み込みが早いというか。」
そして、的を射た質問だったのだろう。褒め上げるだけだった悪魔の目つきが変わった。ここからは営業トークではない。
「はい。魂一つで一億です。」
…悪魔は指一本を立てた。
「たったそれだけ? そんなもんなの?」
「はい。これだけです。」
宝くじ一等が前後賞合わせて十億の時代だぞ。たった一億で人間の欲望が満たせるはずないじゃないか。
「地獄の沙汰も金次第とは言うが、思ったより悪魔も厳しいんだな。」
「いえいえ、実は意外と大丈夫なんです。」
悪魔は簡単に答えた。
「今の時代、権力や金を望む方は僅かです。」
それは分かる気がする。
変な責任やしがらみがついてくる権力や、すぐなくなってしまう現金なんてつまらない。俺なら、現金そのものよりは不動産みたいな継続的な収入が見込めるものを願う。金の卵百個よりも金の卵を産む鶏が欲しい。
…いや、それよりも金では買えないものにするかな。特殊な能力とか。
「最近は、アニメや漫画みたいな能力を願う方が増えました。ヒーローみたいな超能力、あらゆる女性にモテる能力、名前を書いた相手を殺す能力。」
俺の考えを見透かしていたかのように悪魔が見つめる。背筋がぞくっとする。
「まあ、能力とかタダみたいなもんですから、ほとんど費用はかかりません。」
「え、本当に?」
「なんなら契約してみますか?」
「いやいや。あんたスカウトに来たのか営業に来たのか、どっちだよ。」
俺は恐怖をごまかすために笑った。そしてグラスに残っていた酒を一気に飲む。
「しかしだな。『魂』で取引するんなら、その客とは一度きりだろ。リピーターができないんじゃ、顧客の開拓が大変だな。だからデキる営業が必要なのか。」
「はい、そのとおりなのです。」
悪魔の口がにやりと歪む。しかし嫌な感じはしない。これが悪魔のほほえみという奴だろうか。
「まずは最初の一人に豪華につぎ込みます。予算の一億を超えても構いません。例えば豪華クルーズ船での世界一周旅行みたいな派手なのものが良い。」
「ふむふむ。」
「すると噂が流れます。『やつは悪魔に魂を売った』とね。それを聞いた人々は簡単に契約してくれるようになります。」
「口コミを利用するのか。ある意味、営業の基本だな。そして魂を売ってくれそうなやつに会いに行くと。」
「そして、後からくる人は凝った願い…自分だけの能力を願いますね。」
「つまり安い願いをしてくれる…。」
「はい。そのとおりでございます。」
酔っていなければ、こんな風に悪魔と腹を割って話をすることなんかできないだろう。面白い話が聞けた。
だが、俺も営業のプロだ。それが本命ではない事くらい分かる。
この悪魔、まだ営業手法を隠しているな。
「それだけでは、まだ赤字になる。」
本当に赤字になるなんて、俺に分かるわけがない。
これは俺の勘だ。カマを掛けた。
「やはり、あなたは素晴らしい。ぜひスカウトしたい。悪魔をやると言っていただければ、その手法をお教えしましょう。」
「どうかなぁ。悪魔だろう?」
人間やめませんかと言われて二つ返事できる人間なんてそうはいないだろう。
「いえいえ、私どもが直接命をとることはありません。それは禁じられています。人の願いを叶えるお仕事と割り切っていただければ。」
ものは言いようだな。だが、本人が人生を謳歌した後で魂を貰うのだから、悪いことじゃないのかもしれない…。
そんな俺の心の動きを察したのか、悪魔がたたみかけてくる。
「今のお仕事に不満もあるでしょう?」
するどい。
俺は外回りの仕事をしたい。しかし会社は、新人教育や管理職の仕事を求めてくる。
「あなたが今の会社を続けても、本当にやりたい現場の仕事は続けられない。いかがですか、悪魔に転職。」
そんな俺の心をえぐってくる。まさに悪魔の誘惑。
「わかった……わかった、やるよ悪魔。」
酒の勢いとは恐ろしい。
いや。酔っていなくても、俺はきっとこの話に乗っていたのだろう。この悪魔の営業にまんまと乗せられてしまった。
「ありがとうございます。こちらとしても即戦力は助かります。」
「で、どうするんだ?」
「悪魔になる方法はですね。」
悪魔がとぼける。
「違うよ、悪魔の営業手法さ。」
「この悪魔になるための契約書にサインしていただければ、お教えします。」
悪魔は机の上に紙とペンを差し出した。
「羊皮紙にサインペン、こんなもので契約できるのか…」
「変えられないものは残しますが、便利なものは取り入れております。」
「わかったわかった。名前書くから、その間に教えろよ。」
俺は契約書を読みながら、サインペンを走らせる。
「そうですね、あまり大きな声では言えないのですが…。予算を使い切る前に、魂をいただけるような契約にするというものです。」
「どういうことだ?」
また悪魔の口元が歪む。
「先輩の話ですがね。小舟で逃げている男が、逃走資金として大量の金貨を望んだそうなんです。」
「金貨を望むように勧めたのか。」
「はい。そのとおりです。しかし、残念なことに金貨の重みで彼の船は沈んでしまいました。結局、出費なしで彼の魂を手に入れました…とさ。」
まさに悪魔のような所業。
「私どもが直接手を下すことはダメですが、そうでなければ問題はありません。」
悪魔はさらりと言ってのけた。笑うことなく俺の方を見つめる。
「さすが悪魔だな。」
「いえ、強欲者の自業自得ですよ。」
その言葉に、不思議と恐怖や嫌悪感を感じなかった。逆に、やりがいのありそうな仕事にワクワクしている自分がいる。
自分の名前を書いた羊皮紙を悪魔に差し出し、俺は悪魔に転職した。
***
やはり営業の経験が生きた。
俺は数カ月で、並み居る悪魔を押さえて営業成績トップになってしまった。
一人で祝杯をあげる俺の前に、天使が現れた。
「な、なんなんだ。突然!」
「あなた、天使になりませんか?」
・・・・・今は、どこもかしこも人材不足らしい。
悪魔が天使に転職することも、その逆もあるそうだ。どちらも羊皮紙一枚で転職できるんだと。
まさに天使と悪魔は紙一重。
「悪魔との契約」の続きになります。
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