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ぼくらの森  作者: ivi
第三章 ―旅立ち―
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第87話 奏者の正体

 肌を刺す冷たい風にのって、あの音が響いてくる。


 佇むバドリックと去るジアンの距離は広まる一方で、決して縮まることはない。背中に感じる指導者の視線を無視して、ジアンは連絡橋へ向かった。


 心の奥底にまで染み込む、澄んだ音色に導かれるように。


 橋に近づくにつれて笛の音はどんどん大きくなり、不明瞭だった旋律も輪郭を持ち始める。これまでも、ジアンは正体不明の奏者に会おうとして、何度も階段を登っていた。


 『演奏が止まるから、橋に近づくな!』


 『もう、放っておけよ』


 仲間のドラゴン乗りから何を言われても、ジアンが引き下がることはなかった。


 あまりしつこいと、演奏を楽しみにしている人たちに怒られてしまうため、毎日という訳にはいかないが。ジアンは暇さえあれば、不思議な奏者に会うため一人で奮闘していた。


 足音を忍ばせて階段を登る。


 笛の音はすぐには止まない。音が消えるのは決まって、階段の中段辺りまで登ってからだ。階段上の扉から橋の上が見えそうになる所で、いつも奏者に気づかれてしまう。


 「……あ」


 やはり、今日も気づかれてしまったようだ。


 ぴたりと鳴り止んだ笛の音を追いかけるように、ジアンは階段を何段も飛ばして駆け上がる。彼は中途半端に開いた扉を押し開けると、周囲をぐるりと見渡した。


 「いない……」


 人影一つない橋を渡り、ジアンは向こう側の扉から騎士の訓練場を覗き込んだ。夕刻の鐘が鳴り終えていることもあって、階段にも階下に広がる訓練場にも、人の姿はない。


 いや……もし、奏者が階段を駆け下りたとしても、逃げ足が速すぎないだろうか。笛の音が止まったとき、階段の中ほどにいたジアンは、そこから全力で追いかけたのだから。


 どんなに足が速くても、奏者はまだ階段の近くにいるはずだ。


 「うーん……」


 ジアンは橋の欄干に腕を置いて、もたれかかった。


 橋の下には狭い野原が広がり、少し先にはドラゴン乗りと騎士の訓練場を繋ぐ門が見える。


 あの門は、馬に乗った騎士たちがドラゴンの訓練場に来られるよう造られたものだ。普段は馬優先で、特別な理由がない限りは、橋を渡って互いの訓練場を行き来することになっている。


 残念なことに、ドラゴン乗りと騎士団が対立関係にある今、この橋が活用されることは滅多にないようだが。


 夕日に背を向けて、ジアンは橋から見える小さな世界を見下ろした。ここからなら、二つの訓練場を両方とも見ることができる。


 数日前も、ジアンはこの橋から騎士の訓練場で行われた競技会を眺めたばかりだ。


 「うん……?」


 ジアンはふと、野原に落ちる影に目を向けた。


 一直線に伸びる橋の影は、肩を落とすジアンの影を乗せて、小さな野原の片隅を黒く染めている。


 彼は橋から身を乗り出して、地面までの高さを確認した。それほど高くはないが、欄干にぶら下がれば、地面までの距離をもう少し縮められそうだ。


 この高さなら、橋から飛び降りても怪我することなく着地できるだろう。


 奏者の逃げ道が、わかったかも知れない。


 ジアンはふっと微笑むと、欄干に手をついて乗り越える。橋の側面に足をついてぶら下がった彼は、地面めがけて跳び下りた。


 「やっぱり……!ここに隠れていたんだね?」


 着地した姿勢のままジアンが顔を上げると、そこには橋下の壁にもたれる一人の青年がいた。


 黄土色の長い布を頭からすっぽりと被って、まるでフードマントのように身にまとっている。


 「あれ……?君、見たことがあるよ。この間の競技会で、牛柄の馬に乗って障害を跳んでいたよね?」


 神経質そうな目に、暗い灰緑色の髪。髪と同じ色の瞳はジアンを射殺す勢いで睨み、細い唇は真一文字に固く閉ざされている。


 「橋の上で笛を吹いていたのは、君だったんだね。君の演奏を楽しみにしている人が、こっちの訓練場にたくさんいるよ。僕も、その一人なんだ」


 ズボンのベルトに下げられた横笛を見て、ジアンはにこっと微笑んだ。青年の制服を見る限り、どうやら彼は三年生の騎士のようだ。所属は違うが、彼とジアンは同い年ということになる。


 「ああ、そう言えば、自己紹介がまだだったね。僕の名前はジアン・オルティス。君に会えて嬉しいよ」


 握手を求めて差し出した手を一瞥しただけで、青年は何も言わない。頑なに口を開こうとしない彼に、ジアンが再び口を開こうとしたそのとき。


 青年はジアンの手をふり払うと、去り際に短く言い残した。


 「……俺に構うな」


 青年は足早に立ち去ると、戸締まりのされていない門から騎士の訓練場へ消えた。


 『……俺に構うな』


 ジアンの心に、青年の言葉と孤独な背中が焼き付いた。

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