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ぼくらの森  作者: ivi
第三章 ―旅立ち―
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第86話 バドリックの記憶

 学舎におかしな噂が流れたのは、バドリックが指導者になって間もない頃だった。


 噂の内容は『夕方になると、どこからともなく笛の音が聞こえてくる。』というもので、バドリックも話を聞いてから数日のうちに、それらしい音を耳にした。


 しかし、澄んだ音色に導かれるようにして連絡橋の上に行っても、そこには誰もいない。それどころか、笛の音は橋に続く階段を登っている途中で、鳴り止んでしまうのだ。


 全速力で階段を駆け上がっても、足音を忍ばせて登っても、結果は同じ。


 笛の奏者を見た者は、誰もいなかった。


 『きっと、任務中に死んだ学生の幽霊の仕業だよ!』


 『何言ってるんだよ。風鳴りの音がそう聴こえるだけだろ』


 様々な推測が飛び交い、怪奇現象だと怯える者もいれば、奏者の正体を突き止めるために奮闘する者もいた。


 しかし、どんな噂も時間が経てば薄れてしまう。


 学生たちはやがて、美しい演奏を楽しむようになり、真相解明に躍起になる者はいなくなった。


 ――ただ一人、ドラゴン乗りの青年を除いて。 


 「バドリック!」


 暑い夏の夕方だった。


 この声は、あいつだな。

 バドリックはふり返りながら答えた。


 「何だ、ジアン?今日はやけに遅かったじゃないか」


 いつものジアンなら、夕刻の鐘が鳴る前に訓練を終えているはずが、今日は鐘が鳴る寸前に学舎外の飛翔訓練から帰って来た。


 多少の遅刻なら咎める気はないが、あまりにも遠くまで飛んで行かれると、何かあったときに困る。


 「ごめんなさい。少し気になることがあって……東の地まで行っていたんだ」


 「東?それまた、どうしてそんな遠くまで行く必要があったんだ?」


 ジアンは夕日の赤にも負けない青い瞳で、じっとバドリックを見上げる。


 ゴーグルのついた白い飛行帽の下。漆黒の前髪から覗く真剣な目には、とてつもなく強い意志が込められている気がした。


 「先日、壊滅した東の地の村がブラッドウルフの討伐依頼を出していたって本当?」


 「……ああ、そうだ。あの村からはたしかに、依頼の手紙が届いていた。だが、おまえ……そんな情報をどこで?」


 学舎に寄せられる依頼や荷物は、すべて学長が管理している。学生宛てに届いた家族からの手紙も、外界の情報や出来事が影響しないよう、監視下に置かれているのだ。


 学舎に届いた手紙や依頼の実物を、学生が見ることはできない。依頼については、学長やバドリックを含む指導者の選んだ物だけ、掲示板に張り出される。そして、それらを引き受けた学生が依頼主の元へ向かうのだ。


 しかし……あの東の地の村から出された依頼文は、公表しなかったはずだ。


 ならば、なぜ。

 ジアンは知っているのだろう。


 バドリックの問いに答えず、ジアンは目を尖らせた。


 「助けを求めている人がいたのに、どうして見て見ぬふりをしたの?僕たちが答えていたら、きっと村は壊滅しなかった!」


 温和なジアンが、珍しく怒りを顕にしている。


 バドリックは驚きながらも、口では至って冷静な答えを返していた。


 「あの村の近辺は、もう既に魔界軍に包囲されていた。助けに向かったとしても、到着するまで持ちこたえられなかっただろう。それに……今の俺たちの実力では、魔界軍には到底太刀打ちできない。助けに行った学生たちが、犠牲になる可能性もあった。あの依頼は、背負うリスクが大きすぎる。だから公表しなかったんだ」


 「俺たち……?それって、誰のこと?まさか、その中に僕を含めてはいないよね?」


 とても十七歳とは思えないジアンの気迫に、バドリックも負けじと言い返した。


 「おまえが未公表の依頼に関する情報を、どうやって入手したのか、今回は咎めないでおく。だがな……これ以上、学舎の意向に背くつもりでいるなら、それなりの罰を受ける覚悟をして――」


 「それで学舎が変わるのなら、僕はいくらでも罰を受けるよ」


 バドリックの言葉を遮ると、ジアンは鋭い瞳をそのままに通り過ぎて行く。


 「待て、ジアン!まだ話は終わってないぞ!」


 ジアンは立ち止まると、背を向けたまま静かに肩を震わせた。


 「ねえ、バドリックは何とも思わないの?武器を持たない村の人たちはみんな、ボロボロの農具で魔界軍の脅威と戦っているんだよ。それに比べて、僕たちがしていることと言えば何だい?毎日のように、ブラッドウルフの討伐を繰り返しているだけじゃないか。僕たちは武器を持たない人たちが、古い農具で倒しているような相手を、ほんのちょっと駆除しただけで、立派に戦ったつもりでいる。本当に助けを求めている人たちには救いの手を差し伸べず、魔界軍が来たとなれば一目散に逃げるくせにね。その上、貧しい人たちから依頼料を奪うようにせしめて帰還して……そんな盗賊がましいことを学生にさせるのが、この学舎の意向なの?」


 「いいか、ジアン。よく覚えておけ。勝ち目のない戦いに挑んだって、その先に待っているのは敗北と悲しみ、そして途方もない後悔だけだ。たしかに、おまえは優秀なドラゴン乗りだ。だが、戦いと犠牲の意味を、まだわかっちゃいない。……ジアン、早いうちに目を覚ませ。自分の実力に呑まれるな!自惚れるんじゃない!」


 ジアンは深いため息をついて、暗く沈んだ横顔でふり返った。青い瞳からは怒りの色がすっかり消え失せ、底の見えない悲しみで満ちている。


 「魔界軍に襲われて亡くなった人たちが、不憫で仕方ないよ」


 バドリックが再び口を開く前に、ジアンは冷たく吐き捨てた。


 「この学舎は……一体、誰のためにあるんだろうね」


 真夏の夕方には似合わない冷たい風が、二人を引き裂いた。

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