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ぼくらの森  作者: ivi
第三章 ―旅立ち―
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第85話 葛藤

 「……バド」


 竜舎の見回りを終えて宿舎前に帰って来たバドリックを、青年の影が呼び止めた。


 姿が見えずとも、彼は聞き慣れた声の主を簡単に言い当ててみせる。


 「おう、セロか。今日はどうした?」


 名を呼ばれて、セロは宿舎の窓から漏れ出る明かりの中に姿を現す。バドリックに深いお辞儀をした彼は、懐から一枚の紙を取り出した。


 「これを提出しに来たんだ」


 紙には簡単に描かれた地図と、その上を走るいびつな円が描かれている。


 「ふん……わかった。明日は、後輩とゆっくり羽を伸ばしてくるといい。わかっていると思うが、魔界軍が支配している大草原には、絶対に近づくんじゃないぞ」


 「はい」


 飛行計画書を折りたたみながら、バドリックはちらりとセロの制服に目をやる。いつもは砂で白っぽく濁っていた服が、今日は汚れていなかった。


 「おお?その様子だと、今日の騎乗は上手くいったみたいだな」


 「……えっ?」


 「制服だよ。この前は砂だらけになっていただろう?あのときは、セロが取っ組み合いの喧嘩でもしたのかと思ってビックリしたなあ」


 セロは自分の制服に目を落として頷いた。


 「そうだね……色々あったけれど、やっと馬の気持ちがわかった気がする」


 しばらくの沈黙のあと、バドリックは口を開いた。


 「なあ、セロ。旅立つ前にもう一度、確認しておこうと思っていたんだが。あれから、おまえの意思は変わっていないか?」


 セロは頷いたが、葛藤を隠しきれなかったようだ。目を伏せてしまった彼の本心を、バドリックは見逃さなかった。


 「……本当か?」


 念を押すバドリックに、セロは頷かない。


 彼は俯いたまま、口をつぐんでしまった。


 無理なお願いであることは十分承知している。だが、セロが学舎で信用できるドラゴン乗りは……バドリック、ただ一人だ。


 『セロ、おまえには何か考えがあって、俺に後輩を預けようと思ったんだろうが……。もう少し、考えてみてくれないか。俺がこの話を引き受けたとして、その子は俺の班に来て幸せか?おまえが帰って来るまで、耐えられると思うか?』


 学長との話が決まった、あの日。


 セロは学長室からバドリックのもとへ直行し、タークの今後を頼んでいたのだ。


 かつてバドリックの班に所属していたセロには、彼が何を言いたいのか痛いほどわかる。


 英雄の紋章を掲げる彼の班には、毎年優秀な学生が集まる。他班と比べても、彼らの能力差は一目瞭然だ。それは学生にドラゴン乗りとしての素質があるかないかの話だけでなく、バドリックの指導の質の高さや厳しさも物語っている。


 バド班の訓練は、セロの指導とは比べ物にならないほど過酷だ。


 ドラゴン乗りであることが、苦にならないように。

 道半ばで心折れてしまわないように。

 バドリックはタークの今後を見据えた上で、セロに警告してくれているのだ。


 「本当はタークと話をして、彼の意見を尊重したかった。タークにはドラゴン乗りとしての人生を楽しんでほしいし、そのためには別の選択肢もあるって、わかっているんだ。だけど、僕は……バド以外にタークを任せることは……できない」


 セロは矛盾する気持ちにもどかしさを感じて、口を閉じた。


 はっきりしていた思考も、バドリックに話すと支離滅裂になってしまう。


 バド班に所属しても、タークの為にはならない。

 そんなこと、誰も望んでいない。


 劇的に上達させてあげることは、できないかも知れない。だが、これまで通り、セロがタークの実力に合わせて丁寧に指導していくこと。


 それが、タークにとって一番いい方法であり、何も知らない彼はそのつもりでいるはずだ。


 しかし、セロはこの世に一人しかいない。


 居場所どころか、生死すらわからない兄を探すために、後輩を置いて行くのか。

 後輩を一人前のドラゴン乗りにするために、兄の身に起こった不自然な出来事を見なかったことにするのか。


 当然ながら、両方を選ぶことはできない。

 どちらか片方からは、手を離さなければならないのだ。


 タークとジアン……後輩と兄の間で板挟みになり、セロは進むべき道を見失ってしまった。


 「どうやら……おまえも、わからなくなっちまったみたいだな」


 セロは苦しげに眉をひそめた。バドリックは青年の落ち込んだ肩をつかむと、沈んだ青い瞳をじっと見つめた。


 「まあ、今日のところは切り上げよう。なあに、心配しなくても、なるようになるもんさ。おまえが最善だと思う道を、選べばいいんだからな」


 セロは半ば無理やりに頷いたが、その首からはギシギシと軋む音が聞こえてきそうだ。


 ――まったく、兄弟そろって頑固なやつらだなあ。


 バドリックはやれやれと微笑んで、宿舎に目を向ける。部屋に灯る明かりを見ると、ほとんどのドラゴン乗りが自室に戻っているようだ。夕食も風呂も済ませて、彼らは部屋でのんびりとくつろいでいるのだろう。


 「さてと……」


 バドリックは気楽に振る舞いながら、セロにたずねた。


 「今から食堂に行こうと思ってるんだが、セロも一緒にどうだ?おまえも、まだ晩飯は食ってないだろう?」


 「え……?」


 戸惑うセロに、バドリックは笑った。


 「おまえがいなくなる前に、ジアンの話をしておこうと思ってな。これだけ宿舎が明るければ、食堂に残ってる学生は、ほとんどいないだろう?話を聞かれる心配もないさ」


 「兄さんの話……?」


 バドリックは頷いた。


 「ああ、そうだ。ジアンが俺の班にいたっていうのは、初めて会ったときに話したよな。まあ……ジアンはすぐに俺を追い越して、誰も手が届かないところまで行ってしまったんだが。もう、何年も前の話だ。あいつが学舎を変えるために一人奮闘していたのを、俺は見ていることしかできなかったんだ」


 バドリックは深いため息を漏らすと、黙って入り口へ向かう。指導者に続いて宿舎に入ったセロは、開け放たれた扉を静かに閉めた。

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