第78話 在りし日
セロとクウェイが約束を交わすと、遠くから鐘の音が響いてきた。
おかしい……夕刻の鐘は、クウェイと話す前に鳴らされたはずだ。それに、これは日没を告げる鐘じゃない。夜明けを告げる起床の鐘だ。
幾重にもこだまする鐘の音は、酷い不協和音を奏でている。
彼方の闇にそびえる、物見塔の輪郭を睨んでいたセロは、背後に冷たい気配を感じてふり返った。
そこには、いつの間にか鎧に身を包んだクウェイの姿があった。
セロが驚きで固まった一瞬の隙に、西に沈んだはずの太陽が、東の山脈を越えてクウェイを優しく照らし出す。
目を細めることなく、夜明けの光を見つめるクウェイは、ぽつりと記憶にない言葉を呟いた。
「もう……行かないと」
そのとき、セロの体に凄まじい衝撃が突き抜けた。
クウェイの言葉をきっかけに、曖昧な記憶の断片が繋がって一つになる。
忘れていた記憶を思い出すと同時に、過去に縛り付けられていた体が自由を取り戻した。
『そうだ……これは夢なんだ』
クウェイ・エクトス。
彼は遠征に行ったまま、帰って来なかった。
帰還者のリストを何度見直しても、彼の名前はなかったんだ。
クウェイは、死んだ。
誰も彼の最期を知らない。
彼は最期の言葉を託すことすら許されなかった。
『そんなの、嫌だ……!』
セロは首をふって現実を拒んだ。
だが、クウェイは彼の肩からそっと手を離してしまう。
つかまれていた肩が風に吹かれると、その刺すような冷たさにセロは身を震わせた。
『クウェイ、聞いて!今すぐ学長に話して、遠征を止めるんだ!』
セロの言葉を遮るようにして、二度目の鐘が打ち鳴らされる。
わんわんと煩く響く鐘の音に、耳がおかしくなりそうだ。
セロは骨の芯から全身を震わせる轟音に負けないよう、渾身の力で「行くな!」と叫び続ける。
しかし、クウェイは黙ってセロを見つめているだけだ。このままでは、死んでしまうのに……どうしてクウェイは、何も答えてくれないんだ。
息が上がり、声は枯れ……もう叫ぶことができない。終わりを告げるかのごとく、三度目の鐘が盛大に打ち鳴らされた。
彼の視界が、石を投げ入れられた水面のように歪んでいく。
セロの頭は頑なに拒み続けているのに、諦めた心は現実世界に戻ろうとしている。
四度目の鐘が、セロの体の内から響く。
夢を破壊するかのように。
耳を塞ぎたくなるほどの残響に包まれる世界が、白く霞んで見えなくなる一瞬。
深い意識の海に沈んでいくクウェイが……優しく笑った気がした。




