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ぼくらの森  作者: ivi
第二章 ―目覚め―
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第74話 頼みごと

 「ケリー、頼みたいことがあるんだ」


 「おう、別に構わないぜ。どうしたんだ?」


 夕闇に沈む階段の前で、セロは話を切り出した。


 「馬に関する本を読みたいんだが、もし講義で使っていない教本があれば、何冊か貸してもらえないかな」


 「いいけど、珍しいな。セロがオレから本を借りるなんて、今までなかったよな?それにしても、なんで馬の本が読みたいんだ?」


 理由を話すとなれば、遠征の話は避けて通れない。


 辛い記憶を呼び覚ますことは避けたいが……ヴェルーカのためにも、ここは正直に話しておくべきだろう。


 「実は……ヴェルーカについて気になることがあるんだ。ヴェルーカが暴れる原因に僕が含まれているのはわかっているんだが……もしかすると、他にも問題があるんじゃないかと思って」


 ケリーは相槌を打つこともせず、ただ黙って聞いている。


 セロは少しだけ間を置き、ケリーが口を開かないことを確認してから続きを話した。


 「もし、馬も人と同じようにトラウマを抱くのだとしたら。ヴェルーカはエダナを失ったことで、心に傷を負ったんじゃないかな。……以前、君が話してくれたように、ヴェルーカが変わってしまったのは遠征がきっかけになっている気がするんだ」


 ケリーは視線をそらすと、夕焼けに淡く染まる厩舎に目を向けた。その口は依然として固く閉ざされたままだ。


 「……すまない」


 予想通りの気不味い雰囲気。


 セロが謝ると、ケリーは頭を掻きながらふり返った。


 「実はさ、オレもセロと同じことを考えてたんだ。遠征のせいでヴェルーカが変わってしまったのはわかってたんだけど……エダナがいないと、ヴェルーカはもう、もとに戻らないような気がしてさ。ずっと悩んでた」


 ケリーが、初めてエダナの死を口にした……。


 帰還してからずっと、彼はその事実を拒み続けていたはずなのに。


 「セロはさっき、ヴェルーカは他にも問題を抱えてるって言ってたけど、オレもそうだと思う。そうでなきゃ、あんな恐ろしいドラゴンに乗れるやつが、ちっとも馬に乗れないなんて……ありえないからな」


 ケリーは弱ったように笑うと、優しい瞳でセロを見つめた。彼の表情は、ついさっきまで仲間の死を拒んでいたことが嘘に思えるほど穏やかだった。


 「オレも一から馬のこと、ヴェルーカのことを知りたい。だから、セロ。オレにできることがあれば、手伝わせてくれ」


 「もちろん。ありがとう、ケリー」


 ケリーは力強く頷いたが、すぐに困り顔になった。


 「でもな、セロ。残念だけど、オレが持ってる本には、おまえの知りたいことは書いてないと思う。ヴェルーカを治してやるには、もっと専門的な本がないと厳しいんじゃないかな」


 「そうか……それなら、図書館に行って探してみようかな。貸し出し手続きをすれば、部屋でも読めるはずだ」


 ケリーは首を横に振る。


 「たしかに、図書館には馬の本が山ほどあるだろうけどさ。ヴェルーカのことを知りたいなら、ヴェルーカをよく知ってる人に聞くのが一番じゃないか?」


 「ヴェルーカを知っている人……君のことか?」


 ケリーはふふっと吹き出しながら、また首を横に振る。


 彼の言う「ヴェルーカをよく知ってる人」が思い浮かばない。セロが首を傾げて答えを促すと、ケリーはいたずらな笑顔を浮かべた。


 「クウェイさんだよ」


 「クウェイ……?」


 不思議そうに聞き返すと、ケリーはそっと頷いた。


 「セロ、クウェイさんの部屋に行こう!あの人なら詳しい本を持ってるだろうし、何よりもヴェルーカをエダナに任せるまでは、クウェイさんがずっと世話してたんだぜ?もしかすると、ヴェルーカの記録が何か残ってるかも知れない!」


 突拍子もない提案に開いた口が塞がらず、セロは何か言おうとしては口を閉じるのを繰り返した。


 「それに、もう時間がない。閉館ぎりぎりの図書館で慌てて本を探すより、クウェイさんの読んでた本を片っ端から読む方が早いだろ」


 小川を流れる木の葉のように、話はどんどん進んでいく。このまま黙っていたら、何だか大変なことになりそうだ。


 セロは慌てて止めに入った。


 「ちょっと待ってくれ!たとえ、それが一番いい方法だったとしても、そんなこと僕にはできない。そもそも、クウェイの部屋に勝手に入るなんて、学長が黙っているはずがない」


 「そんなことって何だよ?」


 ケリーは階段に腰掛けて、セロを見上げる。彼の真剣な瞳は、セロの弱気な心を奥底まで見透かしているようだった。


 「オレだって、躊躇ってないわけじゃない。クウェイさんの部屋に入るって思うと、悪いことをしている気がするし、正直に言うと怖い……ものすごく怖いけど……!もし、今、ここにクウェイさんがいたら、きっとヴェルーカのために協力してくれるってオレは思う。さっきも言っただろ?クウェイさんは、オレたちが入学するまで、ヴェルーカをたった一人で守ってたんだぜ?そんな人が、ヴェルーカをこのまま放って置くわけないだろ」


 ケリーはふうっと息をついて、セロの返事を待っている。


 長い沈黙のなかでも、ケリーの赤茶色の瞳はセロをまっすぐに見据え続けていた。


 ケリーもクウェイの部屋に入ることを恐れている。


 たとえクウェイの部屋に望む答えがあったとしても、一方でそれは、彼のプライベートに触れることを意味するのだ。


 安易な気持ちで踏み入れば、きっと後悔することになるだろう。


 セロはケリーの隣に腰をおろすと、肺の空気をすべて吐き出した。彼の心臓は痛みを伴うほど強く、早く鼓動している。


 砂埃で白く曇ったブーツのつま先に目を落としたまま、セロはゆっくりと一度だけ頷いた。それを合図に、ケリーは松葉杖をついて立ち上がる。


 「明日、学長に話してみる。……大丈夫!クウェイさんならきっと、どうすればいいか教えてくれるぜ!」


 「……そうだな」


 今度はセロがケリーを見上げた。


 これでいいのか、心の中ではまだ迷っている。


 だが……もし、本当にクウェイが力を貸してくれるのなら。セロは彼が過去に遺した言葉にも、耳を傾けてみたいと思った。


 「それじゃあ、また明日な」


 「ああ……また明日」


 赤く熟した夕日に照らされる星が二つ、東の空に瞬いている。まるで、遥か彼方から二人を見守っているかのように。

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