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ぼくらの森  作者: ivi
第二章 ―目覚め―
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第71話 ヒント

 消灯後の廊下を歩きながら、セロは歯を食いしばっていた。落馬直後は少しも痛まなかった体が、今になって悲鳴を上げ始めたのだ。


 時間差で襲ってきたダメージに、ため息の一つくらいつきたくなる。風呂に入ればいくらか収まると思ったのだが……どうやら甘かったようだ。


 温めるべきでは無かったのかも知れない。


 痛みから意識をそらすために、セロは騎乗訓練後のことを思い返した。


 全身汗だくになったヴェルーカの手入れは、昨日とは比べ物にならないほど大変だった。


 バケツいっぱいに水を汲んで、ヴェルーカにかける。濡れたタオルで全身を洗い、汗の白い濁りが消えたら、次は馬体から滴る水をヘラでこき落とし、四肢の水気を拭き取る。


 ケリーが言うには、馬の蹄は水気に弱いため、そのままにしておくと腐敗してしまうそうだ。水で洗った後はもちろん、雨上がりのぬかるみを走ったあとも、必ず綺麗に泥を落として乾かす必要がある。そうでなければ、馬の第二の心臓である蹄を失ってしまうことになるのだ。


 「蹄なくして、馬なし!」


 手入れ中、ケリーがずっと言い聞かせてくれたおかげで、今でも耳に残っている。


 びしょ濡れになった毛並みが元通りになると、馬もすっきりしたのか、厩舎へ帰る足取りはとても軽やかだった。……久々の騎乗を終えて、お腹が減っていただけかも知れないが。


 宿舎の階段を登り終えて、部屋へ直行する。一刻も早く寝て、体力を回復したい。


 ドアを開けて部屋に入ると、案の定ロウソクの火は灯されたままだった。どうやら、タークはセロが部屋に帰って来るまで待つのが日課になっているようだ。


 「あ、お疲れさまです」


 ベッドに腰かけていたタークが笑顔で出迎える。寝間着に着替えた彼は、毛布を頭から羽織っていた。


 「まだ起きていたのか。僕のことは気にせず、先に寝てくれて構わないのに」


 折り畳んだタオルを桶に放り込んだセロは、半ば崩れるようにして椅子に腰掛けた。珍しく疲労を顕にする姿に戸惑ったのか、タークは当たり障りのない言葉をかけてくる。


 「なんだか……大変だったみたいですね」


 セロは丸いテーブルの縁に肘を付いて、ふうっと息をついた。今は言葉を返すのも億劫に感じてしまう。


 「セロさん?」


 「何だ」


 タークの呼びかけに答えると、彼は前のめりになってセロの顔を覗き込んだ。


 「大丈夫ですか?」


 「……何が?」


 「えっと、もしかして何かあったんですか?ケガとかしてません?」


 タークの問いに、セロはぎくりと肩を縮ませた。なぜ、彼はこういうときに限って鋭い察知能力を発揮するのだろう。


 「いや、別に。なぜそう思った?」


 「さっきから、ずっと上の空というか……。いつもと様子が違う気がしたんです。あと、何かあったときの『何が』とか『別に』はセロさんの……えっと、ジョートーク……?じゃないですか」


 常套句……か。そんなつもりはなかったのだが、どうやら口癖になっているようだ。


 今度から気をつけなければ。


 「少し疲れただけだ、心配しなくていい。ほら、そろそろ寝ないと明日に響くぞ」


 ロウソクの火を吹き消して、セロはいつも通りベッドに横になった。しかし、少し体勢を変えるだけで背中に重い痛みが走る。痛みは一瞬で引いてくれるからまだいいが、気を抜いたときに来るダメージには精神的に厳しいものがあった。


 これは……一晩で治るか心配になってきたな。


 セロは心の中で苦笑して、ぼんやりと天井を眺めた。


 それにしても、なぜヴェルーカは豹変してしまうのだろう。明日もまた、あのじゃじゃ馬に乗ると思うとセロの心はどんよりと曇った。


 だが、ここで諦めてしまったら、ここまで尽力してくれた人たちの努力が、すべて水の泡になってしまう。


 何としても、解決しなければならない。そう思ってはいるのだが、馬と一対一で向き合ったことのないセロは、ヴェルーカとどのように接するべきかわからずにいた。


 未熟な乗り手の問題か、それとも他に原因があるのか……。体の痛みのせいで、なかなか眠りにつけないセロは、山積みになっている課題を頭の中で転がし続けた。


 そうしている間に、タークはもう眠りに落ちたのか、部屋の反対側からは穏やかな寝息が聞こえてくる。早起きが大の苦手であることを除けば、タークの寝付きの良さは誰にも負けないだろう。


 子どものような、あどけなさが抜けきっていないタークを見ていると、セロは自分が幼かった頃の記憶を思い出すことがある。


 今は消灯後の暗い宿舎を一人で歩くことくらい何ともないが、子どもの頃は真っ暗になった屋根裏部屋が怖くて、兄が一緒にいてくれなければ部屋に入れないほど臆病だった。


 あの頃はまだ、親から聞いたおばけの話を信じていたから、それがトラウマになっていたのだろう。


 そうか、トラウマ……か。


 頭の中に浮かぶ文字に、セロは小さなヒントを得た気がした。


 もしかすると、遠征での出来事がヴェルーカのトラウマになっているのかも知れない。


 だが……それが、エダナの死だとしたら?


 そうだとしたら、セロが何をしたところで、ヴェルーカの心の傷を癒やすことは不可能だ。なぜなら、ヴェルーカの大好きなエダナ・イヴァはこの世界にただ一人。エダナの代わりが務まる者は、誰一人としていないのだから。


 セロは文字通り、頭を抱えた。


 それと同時に重い一撃が背中を貫くが、その痛みは弱音を吐きそうになった彼の心を引き締めた。


 ……絶望的な状況ではあるが、諦めるのはまだ早い。


 騎乗が駄目なら、頭を使おう。

 そもそも、僕は馬について何も知らないのだから、まずは馬という動物を理解するところから始めなければ。


 ケリーなら、馬に関する本を持っているはず。


 明日からは騎乗訓練と並行して馬の知識を深めよう。上手くいくかどうかわからないが、このまま終わるよりずっとましだ。


 セロはカーテンの端をつかんでそっと開ける。


 たちまち眩しい月明かりが注ぎ込み、部屋の影をより一層際立たせた。


 体は疲れ切っているはずなのに、目はすっかり冴えてしまっている。


 セロは寝ることを諦めて、枕の下に手を忍ばせた。さっき頭を抱えたとき、これの存在を思い出したのだ。


 ケリーと学長室で再会したとき、学長から渡された物。


 忙しくて中身を確認する時間がなかったが、今ならゆっくり見ることができるだろう。


 セロは体を起こして、袋の口を縛る紐を静かに解き始めた。

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